「特選句」タグアーカイブ

あらき歳時記 半夏生

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2021年7月4日 樸句会特選句     八橋にかかるしらなみ半夏生                         前島裕子   八橋の架かるしずかな池畔に半夏生の群生が白波のようにそよいで涼しげ。「しらなみ」とひらがなにした表記のやさしさ。業平の東下りのむかしもそぞろに思わせます。すべては過ぎてゆくのだと思いつつ、そこにウエットな感傷はありません。ただ淡々と盛夏のまひるを涼しく眺めています。句姿うつくしく、造形力たしかな秀句です。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

5月9日 句会報告

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2021年5月9日 樸句会報【第104号】   一部の地域で緊急事態宣言が発令され、行動に制約を受けたゴールデンウィークでしたが、その後の句会はリアルでの開催が叶いました。「換気をしてください」との放送に従い全開にした窓が、突風で次々に閉まってしまいます。それ以上に華々しい風が会を吹き抜け、特選三句という目の覚めるような結果となりました。 兼題は「薄暑」「菖蒲湯」「薫風」です。   ◎ 特選  めくるめく十七文字新樹光             前島裕子  特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「新樹」をご覧ください。             ↑         クリックしてください ‎ ◎ 特選  腕白が薫風となる滑り台             前島裕子  特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「薫風」をご覧ください。             ↑         クリックしてください ‎   ◎ 特選  ぷしゆるしゆるプルトップ開く街薄暑             萩倉 誠  特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「薄暑」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     侑布子余話   こんなことがありました。   原句  菖蒲湯や人の涙で泣けと父     一読、意味がつかめず点を入れませんでした。「人の涙で泣け」とは、「人を泣かせてから泣け」っていうの?まさか。作者が三夢さんとわかって、本当は「人の涙を自分の涙にしなさい」という、情の厚いお父さまの教えでは、と気づきました。 添削  菖蒲湯や人の涙を泣けと父     「で」を「を」に変えるだけで、菖蒲湯の香り高い俳句になることに驚かされました。わたしまで、三夢さんの亡き父上の芳しい薫陶を受けたような気がしたのです。       本日の兼題はいずれも五月の季語です。例句が恩田によって板書されました。 薄暑  三枚におろされている薄暑かな               橋閒石    岩群れてひたすら群れて薄暑かな             久保田万太郎  ジーンズに腰骨入るる薄暑かな              恩田侑布子 菖蒲湯  さうぶ湯やさうぶ寄りくる乳のあたり               白雄    幸さながら青年の尻菖蒲湯に              秋元不死男  たをやかに湯舟に待てり菖蒲の刃              恩田侑布子 薫風  其人の足跡ふめば風かをる               正岡子規    薫風やいと大いなる岩一つ             久保田万太郎  薫風の鰭ふれあひし他生かな              恩田侑布子    薫風は書を読み吾は漫歩せり              恩田侑布子    隣合ふとは薫風の中のこと              恩田侑布子 これらの瑞々しい季語をいかに生かすか、そのためには観念で句を作ってはいけない、感性を働かせるようにと、恩田より注意がありました。 季語の中には特に服飾などの用語で、例えば「セル」など、ふつうには既に通じないものもあります。行事に関しては元々の趣旨からかけ離れたり、すっかり廃れてしまったものも。今回の「菖蒲湯」にもジェンダー論的に揺れが生じているが、現在の状況をどの程度反映させるべきかと、連衆から質問が出ました。これに対し、長年人々が寄せてきた思いを尊び、「生木」ではない言葉を使うのが肝要であると恩田は強調し、例として次の句をあげました。  海蠃(ばい)の子の廓(くるわ)ともりてわかれけり            久保田万太郎      [後記] 晩秋に「海蠃廻(ばいまはし)」というバイ貝の独楽で遊ぶ風習が江戸時代から大正期まであり、べいごまとなって昭和期にも続いていました。恩田は、夕刻に帰宅を急ぐ少年達の影が「海蠃打」も「廓」も知らぬ読者の目に鮮やかに浮かぶのは、かつて多くの人々が馴染んできたものを題材としていることが大きいと述べました。 現代を詠みあげるのも俳句の使命ですが、数年後には捨て去られる運命の流行り言葉を安易に使うのは厳に慎まねば。薫り高い数々の作品に浸りながら、しみじみ思いました。 (田村千春) 今回は、◎特選3句、△1句、ゝシルシ12句、・4句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

あらき歳時記 薄暑

ぷしゅるしゅる1-1

  2021年5月9日 樸句会特選句     ぷしゆるしゆるプルトップ開く街薄暑                        萩倉  誠   「ぷしゆるしゆる」のオノマトペが抜群の効果を上げています。街路樹はポプラでしょうか。梧桐でしょうか。目路のはてまで若葉がきらきらし、吹きわたる風もここちよいです。この句は内容とリズムが相乗効果を織りなします。九つのU音に、ラ行の「る」が三たび回転するリズミカルな音楽性は、自販機で炭酸飲料を買ってアルミのプルトップを引く軽快感であり、はつ夏のいきおいそのものです。若い身空の単独行でしょう。自由な気分が薄暑の街にはじけます。                       (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

あらき歳時記 薫風

腕白が

  2021年5月9日 樸句会特選句     腕白が薫風となる滑り台                          前島裕子     二歳くらいの腕白っ子がおすべりの上からいま一人で滑り降りてきます。ちょっと恥ずかしそうな得意そうな笑顔。つい昨日まではうしろから両脇を抱いてやっと降りてきたのに。初めて自分で上がり、自分ですべって来ます。二回目ときたらもう颯爽と。「おお、やったね」と下から見守り見上げた瞬間、子どもが若葉を揺らして吹き渡る風の精になっていることにハッとしたのです。この子こそ薫風なんだわ。世代交代の歓喜の声です。幼児との神話的一日を活写した俳句。                   (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

あらき歳時記 新樹

めくるめく

  2021年5月9日 樸句会特選句     めくるめく十七文字新樹光                         前島裕子   俳句を学ぶよろこびがあふれています。前回樸俳句会で紹介した阿波野青畝の名句〈手帖みな十七字詩や囀れり〉の句を換骨奪胎し、自分自身にひきつけて詠んでいます。わずか十七文字にすぎない俳句なのに、探求をはじめると、奥へ奥へと興味が広がり、めくるめく思いがします。俳句も自分もまるで新樹のように感じられます。新樹の枝枝のひかりを仰いだ感動がまっすぐにわが句づくりの日々に重なり、まばゆいばかり。みごとな俳句賛歌です。         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

3月7日 句会報告

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2021年3月7日 樸句会報【第102号】   2021年弥生の句会は、コロナの影響などにより今回もリモート句会となりました。 兼題は「目刺」「踏青」「春の月」です。 特選1句、入選2句を紹介します。   ◎ 特選  目刺焼くうからやからを遠ざかり              見原万智子  特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(目刺)をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  可惜夜の添寝をつつむ春の雨               萩倉 誠 【恩田侑布子評】   「添寝」からすぐ赤ん坊の添い寝を思いましたが、そうではないようです。 男女、しかも夫婦ではない恋人同士のようです。それでなければ「可惜夜の」措辞が生きてきません。久々に逢えた愛しい人のとなりで、ただしめやかな春の雨音につつまれてそのひとの眠りを見守っています。春雨とはちがう「春の雨」の微妙な情調が一句全体をひたしています。 【合評】 しっとり感。 詩情あふれる句。最初はなぜ「可惜夜や」としなかったのかと思いましたが、ここに切れを入れると上五の存在感が強くなりすぎ、季語の影が薄くなってしまうのかも知れません。そう考えると、掲句の方がより良い形だと思えました。       ○入選  春の月財布も軽き家路かな               島田 淳 【恩田侑布子評】   省略の効いた句です。さらに、ふつうは失敗しやすい「も」がこの句ではめざましく活きています。「財布も」の「も」に感心しきりです。「財布の」とした場合と比較してみると違いは歴然です。「も」の一字によって作者の足取りも心も軽いことが余白にうかがえます。ほろ酔いの一杯機嫌で家路につく軽やかな満足感。何より素晴らしいのは、おおらかな春の月にみあう恬淡な心境が垣間みえることです。 【合評】 分かりやすい句だが、思わず頬が緩む。長い冬が去り、やっと訪れた春の宵は何となく心が浮き立ち、思わず衝動買いに走る楽しさ。気が付けば散財により軽くなってしまった財布にも溢れる満足感。       学びの庭                      恩田侑布子  リズムは俳句のいのちです。なぜなら俳句は韻文だからです。事務文や日記や小説や評論などの散文は、意味の伝達をなによりも第一に考えます。いっぽう、韻文では、内容と調べは不即不離です。ことに、現代短歌が昭和後期から趨勢として口語散文化へ傾斜してゆき、いまや俳句が日本の韻文の最後の砦ともいうべき状況になりつつあります。わたしたち俳人は韻文としての俳句の固有性と可能性にこれからも果敢に挑戦しつづけて参りましょう。  『去来抄』の名言のひとつに「句においては身上を出づべからず」があります。頭だけの句、想像だけの句、教養にものをいわせた句ほど弱いものはありません。自然、社会、人間という現場のただなかで全人的な俳句を志していきたいものです。       [後記]  個人的な感覚ですが、どこかへ出かけて吟行したとき、その場で句を詠むよりも数日経過してそのときのことを思い出しながらの方が、俳句としての言葉が出てくるような気がします。目の前のものを俳句という型に当てはめてどう詠むかという技術論・形式論ではなく、自分の心に何が引っかかり、本当は何を詠みたいのか、いわば感動の芯のようなものを見つめ返す契機になるからかもしれません。恩田代表の「学びの庭」にもあるように、「自然、社会、人間という現場のただなか」に立ち、本当に詠みたいものは何なのかを問うことから、感動やそれを伝える言葉が生じるのかもしれません。(古田秀) 今回は、◎特選1句、〇入選2句、△8句、ゝシルシ15句、・6句という結果でした (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     

あらき歳時記 目刺

20210307あらき歳時記

    2021年3月7日 樸句会特選句     目刺焼くうからやからを遠ざかり                   見原万智子   うからは親族、やからは族です。作者は、すべての血縁者やともがらから「遠ざかり」、いま、たった一人で目刺を焼いています。脂の乗った目刺のじゅわっと焦げるいい匂い。大海で生きてきたかわいい目刺を皿に載せ、ふと向き合います。そのアッツアツをほおばるとき、腸の苦味はわが腸にまでしみわたります。目刺が作者の孤独と一つになる瞬間です。さりながら句のリズムはさっぱりとして胃にもたれません。春昼の一人の醍醐味がここにあります。                (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

あらき歳時記 霜夜

霜の夜

    2021年1月27日 樸句会特選句    レコードのざらつき微か霜の夜                   萩倉  誠  レコードの人気が再来しています。大きな紙のジャケットの薄紙のなかから取り出し、埃のないのを確認しておもむろに針を乗せます。やわらかで芳純な演奏が始まります。ときおり交じる雑音。針の飛び。それらをひっくるめた「レコードのざらつき微か」が、失われた、しかしかつて確かにあった時間を蘇らせます。音色のもつやわらかな空気感が霜の夜のしじまに韻きます。芸術を愛する繊細な感性の匂いたつ俳句です。            (選 ・鑑賞   恩田侑布子)