「猪狩みき」タグアーカイブ

12月4日 句会報告

20221204kukaihou_top

2022年12月4日 樸句会報 【第123号】  近くの市立図書館に子どもたちの選んだ今年の漢字が掲示されていました。第1位は「楽」、第2位は「友」。様々な規制が少し緩んだだけなのに…コロナ禍が子どもたちにどれだけ多くの我慢を強いていたかを痛感しました。  今年4回目のZoom句会、兼題は「鴨」「冬紅葉」「大根」です。入選4句、原石賞6句を紹介します。 ○入選  戒名は父の来し方冬銀河                前島裕子 【恩田侑布子評】  戒名に刻まれているのはわずか数文字です。でもそこには父の一生が凝縮されています。戦中、戦後の筆舌に尽くしがたい災禍を生き抜いて、母と力を合わせて作者兄弟を育ててくれたなんとも慈愛深い父親像が浮かびます。荘厳な冬銀河の中に刻まれるのがふさわしい威厳のあるそして誰よりも愛しい戒名です。     ○入選  日向ぼこ付箋だらけの句集抱き                活洲みな子 【恩田侑布子評】  日向ぼっこしているとのんびりうつらうつらしかかるものですが、なんと作者は「付箋」をいっぱいつけた「句集」を抱いています。俳句に日々向き合う真摯さが香ります。よく味わってみると、「日向ぼこ付箋だらけの文庫抱き」では到底味わえない広やかさがじわじわ染み出してきませんか。付箋を貼られた俳句一つ一つ、が、それぞれの空間と時間を持って待っていて、眠りからこの世へ呼び覚ましてくれる人を待っているよう。なんと豊かな作者と読者との交歓の姿、温かな俳句人生でしょうか。       ○入選  大根の熱き中まで透きとほる                小松浩 【恩田侑布子評】  ふろふき大根、またはあっさりと白味魚などと炊き合わせた旨味の濃い白い大根を思います。面取りされたまんまるな輪切りのなつかしさ。三センチはあろうかという厚さは中心まで熱々で透きとほっています。ごく卑近な食べ物である大根の炊いたんに玲瓏の感を抱いたところ、句姿が美しい。一物仕立ての俳句は至難なのに、素直な実感がじわりときて美味しそうです。これ見よがしでない俳句を初心で作れるとは大したものです。       ○入選  抜糸後の痺れまじまじ冬紅葉                見原万智子 【恩田侑布子評】  「まじまじ」は 日本国語大辞典によると第一義は眠れないさまですが、第三に、「ひるまないではっきりと言ったり見つめたり見きわめようとしたりする様を表す語」があります。術後の麻酔が覚め、しばらく続いた痛みが引くと、今度は皮膚のひきつれたような「痺れ」が気になり出します。作者は気にならなくなる日まで、まずはこの痺れを前向きに受け止めていこうと決意します。冬紅葉の木立を歩きながら、わが人生が冬へ向かってゆくこれも一つの序章、華やかな紅葉の日々なのだと自分に「まじまじと」脳神経の覚醒を言い聞かせているのです。季語の冬紅葉がよく響く凛とした俳句です。さらに、これが「術後の痺れまじまじと冬紅葉」と書かれていたら文句ない特選句でした。       【原石賞】冬花火大往生の父たたふ                前島裕子 【恩田侑布子評・添削】  俳句の表現を云々する前に、立派なお父様の一生とご家族の愛情に脱帽します。日記なら「たたふ」でいいです。素晴らしい子の親への愛情です。俳句表現として練り上げるならば、 【添削例】遠き冬花火大往生の父 句跨りの音律に敬愛と悲しみを込めましょう。        【原石賞】温もりのきえてゆく父冬紅葉               前島裕子 【恩田侑布子評・添削】  終焉を迎えた父と冬紅葉の配合の句です。取り合わせではなく、終焉の姿を冬紅葉そのもの結晶化して差し上げたらいかがでしょうか。   【添削例】温もりのきえゆける父冬紅葉          【原石賞】葉も皮も大根づくし素浪人               見原万智子 【恩田侑布子評・添削】  内容に共感します。なかなかいいです。ただ「も」「も」の畳み掛けと「づくし」はくどすぎませんか。 【添削例】葉と皮の大根づくし素浪人 こうすると「素浪人」の措辞が効いて、脱俗の風流が感じられる素晴らしい俳句になります。       【原石賞】ロケット打ち上がる空よ大根抜く               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】  内容には大いに共感しますが、リズムが悪いです。「打ち上がる空/大根抜く」と中七は名詞句で切れを作ると調子がよくなるばかりか、景もはっきり見えるようになり、冬の壮快感が出ませんか。 【添削例】ロケットの打ち上がる空大根抜く          【原石賞】国引や波は冬日をたゝみ込み               古田秀 【恩田侑布子評・添削】  島根に「国来、国来」と新羅の国の一端を大山を杭にして綱で引っぱった『出雲国風土記』に記された神話があり、国引きの伝説が残っています。弓ヶ浜から眺めた海でしょうか。その神のおおらかな国引き神話は掻き消え、近頃は隣国と冷ややかな感情が行き来しています。その現状を憂えるクリティシズム躍如たる句でもあります。「たゝみ込み」という複合動詞がやや説明的なので、畳みたりの連体形にして余白を残しましょう。 【添削例】国引や波は冬日をたゝんだる        【原石賞】影に添ふ冬の灯や紅鶴フラミンゴ               田中泥炭 【恩田侑布子評・添削】  ユニークな把握において今回随一の句です。作者は面白い感性を持っています。調べをととのえると幻想性が増しそうです。 【添削例】紅鶴ふらみんご冬ともしびに添ふる影    でも、これがもしも私の俳句なら「は」行の音韻を生かして、さらに幻想的にしてみたいです。   ひとかげに添ふる冬灯やふらみんご     ...

9月4日 句会報告

9月上

2022年9月4日 樸句会報 【第120号】 今回は樸はじめてのzoom句会となりました。普段静岡で行われているリアル句会に来ることができない県外の会員はもとより、インドから参加される方もおり、画面上は一気ににぎやかに!新入会員おふたりとも初の顔合わせとなりました。まるでリアル句会さながらの臨場感に、場は大いに盛り上がりました。 兼題は「秋灯」「芒」「葡萄」です。 特選1句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎特選  花すゝき欠航に日の差し来たる              古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花芒」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  病中のことは語らずマスカット               活洲みな子 【恩田侑布子評】 闘病中、もしかしたら入院中、作者には体の不調がいろいろとあった。痛みや、慣れない検査の不安や、初めての処置の不快感など。でもこうして愛する家族とともに、あるいは気の置けない友とともに、かがやくようなマスカットをつまんでいる。しずかな日常。いまここにある幸せ。     【原】 群れてなほ自立す葡萄の粒のごと               小松浩 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところはいい。表現に理屈っぽさが残っているのは、作者自身、まだ心情を整理し切れていないから。一見、群れているようにみえるが、黒葡萄は一粒づつ自立している。その気づき、小さな発見を活かしたい。「群れてなほ」は俳句以前の舞台裏に潜めよう。 【改】 一粒の自立たわわや黒葡萄 【改】 自立とや粒々辛苦黒ぶだう         【原】 ぐるぐると小さき手の描く葡萄粒               猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 くったくなく一心にクレヨンで葡萄を描く子ども。そこから生まれてくる葡萄のダイナミズム。情景にポエジーがある。しかし、このままでは中七の小さい指先の印象と季語の粒がやや即きすぎ。そこで。 【改】 ぐるぐるとをさな描くや黒ぶだう      【原】 深刻なことはさらりと花薄              活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 「さらりと花薄」のフレーズは素晴らしい。「深刻なこと」は抽象的。自分自身に引きつけて詠みたい。直近の深刻なことかもしれないが、作者の境遇を存知しないので、ここでの添削は、生い立ちの不遇を窺わせる表現にしてみた。 【改】 幼少の身の上さらり花すゝき      また、今回の例句が恩田によって紹介されました。   秋灯を明うせよ秋灯を明うせよ               星野立子   白川西入ル秋灯の暖簾かな               恩田侑布子   たよるとはたよらるゝとは芒かな             久保田万太郎   新宮の町を貫く芒かな             杉浦圭祐   わが恋は芒のほかに告げざりし            恩田侑布子   葡萄食ふ一語一語の如くにて              中村草田男 【後記】 夏雲システムとzoomのおかげで遠隔地にいながらにして臨場感たっぷりの句会ができるようになりました。物理的距離を越えて顔を見ながら会話できるというのは想像以上に良いものですね。これからの“ニューノーマル”な句会のかたちにも思えました。テクノロジーの進歩は人間関係を希薄にもしましたが、繋ぎ止めもしてくれました。不確実性・予測不可能性がますます高まる現代において、社会の表層を漂うように点在する私たちが感動と内省を繰り返して詠んでいく言葉こそが互いを舫う紐帯になるのかもしれません。 (古田秀) ...

8月24日 句会報告

八月句会報_上2_松林から

2022年8月24日 樸句会報 【第119号】 今回の兼題は「残暑」「流星」「白粉花」――今回は念願のリアル句会で、さらに恩田より今回1名、次回1名、計2名の新入会員のお知らせがありました。新しい息吹のちからで、ますます句会が熱を帯びてくる気配がします。そのおかげもあってか、特選・入選・原石賞が生まれる豊作の句会となりました。 特選2句、入選1句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選  初戀のホルマリン漬あり残暑             見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「残暑」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  斎場へ友と白粉花の土手              島田 淳 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「白粉花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  点滴をはづせぬ母の残暑かな                猪狩みき 【恩田侑布子評】 入院して日が浅いわけではないことを季語が語っている。長い夏のあいだじゅうじっと入院生活を耐えてきたのに、秋になっても、法師蝉が鳴いても、まだ刺さっている点滴の管。母の痩せた身体に食い入っている針を今すぐはずし、手足をゆったり伸ばしてお風呂に入れてあげたい。しかし、食が細っているのか、「はづせぬ母の残暑」。共感を禁じ得ない句である。 【合評】 もどかしさ、鬱陶しさが季語と響き合います。         【原】逢坂はゆくもかえるも星流る               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 百人一首の「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸」の本歌取りの句。惜しいことに「は」でいっぺんに理屈の句になってしまった。しかも句末の動詞で句が流れる。流さず、一句を立ち上がらせたい。 【改】逢坂やゆくもかへるも流れ星           【原】残暑をゆく壊れし天秤のやうに                古田秀 【恩田侑布子評・添削】 上五の字余りと句跨りは疲れた心身の表現だろうか。気持ちはわかるが、このままでは破調の句頭だけが目立ち、中七以下せっかくの詩性が押さえつけられてしまう。「残暑」の中をえっちらおっちら「壊れし天秤のやうに」ゆく、よるべない思いと肉体感覚は素直なリズムに乗せ、臍下丹田に重心をおきたい。残暑が逝くのと、残暑の中を自分が行くのと、ダブルイメージになればさらに面白い。 【改】残暑ゆく壊れし天秤のやうに 【合評】 うだるような残暑の中を辛そうに歩いている自分(もしくは他人)の姿を「壊れし天秤」と表現したのが新鮮です。        【原】同じこと聞き返す父いわし雲               前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 晩年の笠智衆を思い出す。少しほどけて来ていても、どことなく憎めないいい感じの父である。「聞き返す」は「同じこと」なので、少しつよめた措辞にすると調べも良くなり、すっきりと「いわし雲」が目に浮かんでくる。 【改】一つこと聞き返す父いわし雲 【合評】 人生の終盤を迎えた父親。同じことを何度も聞き、何度も話しているように見える。それは父がその都度大事だと思った事を新たに問い、噛みしめているのかも知れない。      また、今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。       残暑    秋暑し癒えなんとして胃の病               夏目漱石    口紅の玉虫いろに残暑かな               飯田蛇笏       佐渡にて               膳殘暑皿かずばかり竝びけり             久保田万太郎         流星    星のとぶもの音もなし芋の上             阿波野青畝    流星や扉と思ふ男の背   恩田侑布子『イワンの馬鹿の恋』         白粉花・おしろい    おしろいや屑屋が戻る行きどまり               佐藤和村    おしろいのはなにかくれてははをまつ      恩田侑布子『振り返る馬』 【後記】 筆者は現在インドに在住しており長らくリアル句会には参加できていません。ですがこうやって月に2度、会員の俳句をじっくりと読むことで、ある意味家族以上に近い存在に思えてくるから不思議です。インドで生活しながら、そんな俳句の力をしみじみと感じています。 (芹沢雄太郎) ...

7月27日 句会報告

2022.7句会報4

2022年7月27日 樸句会報 【第118号】 今回の兼題は「炎天」「冷奴」「噴水」――残念ながら、リモート句会となりました。依然としてCOVIDー19という重荷を負わされており、ついシジフォスの神話を思い起こします。ゼウス神をも欺いた狡猾な彼は、大石を山頂へ押し上げる刑罰を永遠に繰り返させられました。人類もさらに長期にわたってこの辛苦に耐えねばならないのでしょうか。そんな中、リモートではあっても、俳句の紡ぎ出す無限の世界に浸れることは、この上もない幸せです。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選  炎天や糞転がしの糞いびつ             芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「炎天」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  寄港地の噴水へ手をかざしけり              田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「噴水」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  菜園の薬味を選りて冷奴                金森三夢 【恩田侑布子評】 家庭菜園に精を出している。冷奴の時こそ、まかしとき!本領発揮だ。葱にしようか、青紫蘇もいいな。裏庭にまわれば、そろそろ茗荷も出ているかも。読者にいろいろ想像させてくれる楽しさがある。想像しているうちにひとりでに読み手は作者の暮らしの涼味を味わう。冷奴が食卓をはみ出し清廉な生活まで感じさせる。季語の見事な働きである。 【合評】 丹精の暮らし方がしのばれる。 「選りて」の措辞に菜園の豊かさと料理への心遣いが表現されています。   ○入選  湿布貼る肩のあらはや冷奴                古田秀 【恩田侑布子評】 肉体労働者の夕餉だ。父は木綿のランニングシャツ一枚になってあぐらをかいている。背中から見ると、サロンパス(トクホンという商品もあった)を、何枚もベタベタ痛い方の肩に貼っている。その肩は子どもの目からは、赤銅色に日に焼けてガッチリとたくましい。「でも、やっぱり痛いのかな」。ちょっと心配しながらも、たのしい遅めの夕飯が始まる。冷奴には生姜や細葱や鰹の削り節がたっぷり盛られていよう。晩酌も一本つくのだろう。昭和のなつかしい茶の間、電球と畳の匂いまでしてくる。 【合評】 口当たりの良い冷奴の涼し気な白さにほっと一息つく、肉体労働者の汗と笑顔が見えて来る。       【原】炎天下駆けぬく子らの呵々大笑               望月克郎 【恩田侑布子評・添削】 老いは感じないという人でも、炎天に立たされると参ってしまう。その点、子どもらは別の人種のよう。楽しみさえあれば水を得た魚のように笑いながら平気で走ってゆく。この句は「呵々大笑」という禅的な措辞をあどけない子らの笑い声に援用したのが出色。「炎天」と「呵々大笑」は相性がいい。が、画竜点睛を欠く一点がある。それが為に、途端に「呵々大笑」が空々しく浮いてしまった一字は、「下」である。「炎天下」でもね、という粘りが急に出てしまうのだ。粘りから離れ、カラリと「呵々大笑」しよう。切字一字で世界が変わる。 【改】炎天や駆けぬく子らの呵々大笑       【原】営業車まで噴水のひかり来る               古田秀 【恩田侑布子評・添削】 営業車と噴水の取り合わせは新味がある。ただしこのままでは、「まで」「来る」が説明っぽい。こんな時こそ切字の出番。「来る」を削り、噴水の白いひかりと涼しさが一挙に感じられるようにする。もう一つのやり方はもう少しカメラアイを絞って「まで」「来る」を両方消してしまう。 【改】営業車まで噴水のひかりかな    営業の車窓へ噴水のひかり 【合評】 少し離れた駐車場まで、噴水に揺れる光が届いている。炎天下の仕事で一休みしている人に噴水の涼が届いている様を上手く表現しています。   【後記】 入選句の「菜園の薬味」とは何の植物かと、会員が推理をはたらかせていました。また、前回の入選句「どの向きの風も捉へて三尺寝」には、昼寝に纏わるあれやこれやに座が盛り上がりました。暑中に涼を求める、小さな幸せこそが大きな幸せ。日本人は順応力に長けており、様々な工夫をもって、灼熱の時期も何とか笑顔で乗り切ってきました。分冊の歳時記のうち「夏」が最も厚いのも、わかる気がします。 (田村千春) ...

3月23日 句会報告

2022.3句会報用中

2022年3月23日 樸句会報 【第114号】 今回の兼題は「彼岸」「卒業」「青饅」――まさに彼岸のさなかの句会となりました。春分を迎える頃に冷え込むのが常とはいえ三月中旬の寒さは例年以上に厳しく、北日本は豪雪に覆われました。さらに十六日には福島沖を震源とする烈震が発生し、亡くなられた方もいらっしゃいます。被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。 特選句1句、入選句2句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選  富士山の臍まで白き彼岸かな             塩谷ひろの 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「彼岸」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  卒業式音痴の友は右隣                島田 淳 【恩田侑布子評】 清新な希望をうたったり、厳かであったりする「卒業」の俳句としてはかなりの異色作です。卒業式で隣にいる親友が、最後の歌声を張り上げます。またしてもいつもの音痴ぶり、自分もついつられそう。オッと、こいつはもう明日からは隣にはいないんだ。そう気付いた時に、おかしさの中に込み上げる、今日を限りに会えなくなる別れの神妙さ。さびしさと笑いがないまぜになった感情の微妙さ。この「音痴の友」の盤石の存在感はどうでしょう。なんとも人間味あふれる俳句です。 【合評】 調子っ外れの歌も、もう聞けなくなると思うと価値を再認識する。誰よりも仲の良い友人なのだろう。 ただ感傷的なだけではない、こんな切り口で卒業をとらえるとは、面白い。   ○入選  ふるさとをとほざける地震雪の果                前島裕子 【恩田侑布子評】 ふるさとの山河を子どものころのように伸びのびと歩き回りたい、老親と春炬燵を囲んでゆっくりくつろぎたい。いつも胸の底にある願いは、またもや東北を襲った震度六強の地震に打ち砕かれました。三・一一以来、岩手に生まれ育った作者の望郷の念は強まるばかりです。座五に置かれた「雪の果」は、暖国に生まれ育った私には想像を絶します。垂れ込める雪空の長い冬が終わったと思いきや、また冴え返りふりしきる雪。春の終わりを告げる「雪の果」のなんと切ないこと。    【原】卒業歌止み数秒のしじま在り               猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 数多い学校行事のなかで、最もゆったりと進行するのが卒業式。全員起立して歌う卒業歌では、いつものお茶目はどこへやら、感極まって泣く子も少なくありません。その荘重な歌が止んだ後の静寂に思いを寄せる句です。惜しむらくは「止み」「在り」で説明臭が出てしまいました。万人の胸に畳まれた卒業式の講堂の空気感は、まさに「しじま」に任せたいものです。 【改】卒業歌止みたる数秒のしじま 【合評】 そういう雰囲気でした。音が止み、間をおいて次の音が、保護者席からパラパラ拍手が起きたりする。見守る側の優しい視線も感じられる。 その一瞬に何を思う。    【原】失敗せむ卒業からの迷ひ道               海野二美 【恩田侑布子評・添削】 原句ではなんのことかわかりませんでした。句会で「小さい時から優等生の子は小さくまとまって口うるさいが、出来の良くなかった子は卒業後面白いように伸びる」という作者の弁を聞き、同じ脱線組の私には腑に落ちるものがありました。一字変え、命令形にすれば、ユニークで裕か、おかしみあふれる人生讃歌になります。 【改】失敗せよ卒業からの迷ひ道 【合評】 現状は学生時代の志や理想とかけ離れているのだから失敗してもかまわないという気づき、積極的に足掻き抜いた果てにあの日の理想に近づけるかもしれないという希望、を感じます。 高校を卒業以降、自分の辿った道には悔いもある。でも「迷ひ道」との言葉に、「あれはあれでよかったのだ」と許された気持ちになった。あたたかく背中を押してくれる作品。    【原】四方山に飛ぶ燕をくぐりけり               芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 二〇二二年三月、作者は建築の仕事でインドに着任、南アジア大陸での獲れたて俳句です。作者の弁には「インドで大量の燕が低く乱れ飛ぶ様を見て、世間という意味も含まれる『四方山』という言葉を引っ張ってきましたが、適切なのか不安になっています」と正直に書かれています。実は、単独で掲句に向き合ったときは〈八方へとぶつばくらをくぐりけり〉と日本の河空を高く飛び交う燕の情景に添削してしまいました。しかしインド大陸詠であれば、「大量の燕が低く乱れ飛ぶ」エキゾチックな状況を生かすべきでしょう。 【改】ここかしこ飛ぶ燕をくゞりけり   【後記】 本日は、国会において、ゼレンスキー大統領のオンライン形式での演説が行われました。振り返ると、先月の二十四日からロシアによるウクライナ侵攻が始まり、翌日には北東部でクラスター弾攻撃を受け、幼稚園に避難していた子供が犠牲となっています。その報道に、たしか禁止された武器であるはず、と思い、足元がゆらぐのを覚えました。何が現実で何が虚なのか? かけがえのない命に多くの人が手を差し伸べようとする、身近にある社会もいつまた覆されるか知れないのか? 前回の句会を前に、すっかり子供に関係した句しか詠めなくなってしまいました。そんな自分と引きかえ、他の会員はものを見極める目を捨てず、戦車を題材にした四作品も投句されていたことを、ここに記しておきたいと思います。それを読み、私たちの目、耳、手足、心は、気持ちを文字にする自由を守るためにある――そう気づかされました。 (田村千春) ...

1月9日 句会報告

20220109上の1

2022年1月9日 樸句会報 【第112号】 2022年(令和四年)の初句会。和服で参加された方もいらっしゃいました。 句会に先立って、新年お楽しみ福引会が行われました。恩田は染筆の短冊と特注の短冊掛のセットを出品し、ホテルのスイーツバイキング券や、竹久夢二のハンカチーフセットなど、夢のあるものが沢山。思いがけないものが当たって喜ぶ顔があちこちに…。 句会冒頭、第12回北斗賞準賞(文學の森主催)に輝いた古田秀さんへ恩田から花束が贈呈されました。恩田からの激励、会員の大きな拍手、当会で最も若い古田さんの今後への決意、と華やかな新年句会になりました。 初句会の兼題は「新年」詠です。 入選2句、原石賞2句を紹介します。     ○入選  雑煮膳娘と二人ほぼ無言                望月克郎 【恩田侑布子評】 親一人娘一人。片親の家族でしょう。お互いに「明けましておめでとうございます」とも言わないで、ただ黙って親のつくったお雑煮を黙々と食べています。胸の底では美味しいと思って、ありがたいような気がして。「膳」なので、いろどり豊かなお節料理も並んでいそうです。「ほぼ無言」が実にいい座五です。至って地味な作行に静かなお正月のしみじみとした味わいがあります。「雑煮椀」とせず「雑煮膳」としたところ、ある種の華やぎもあり、配慮が細やか。 【合評】 お正月、娘さんと向かい合っている様子が伝わってきます。これが「息子と」だったら全然違ったものになるでしょう。     ○入選  叱られたしよ筆圧つよき師の賀状                山本正幸 【恩田侑布子評】 勢いのあふれる初句の七音です。一気に真情を吐露したゆえの字余りは心臓が脈打つようでいいですね。先生の字の太くて強い筆圧は、作者にとって指導の厳しさと温かさにつながっています。師弟の間の愛情が一枚の賀状を通して確かに感じられる俳句です。 【合評】 上五の字余りが気になりました。 気持ちは伝わるが、余り新しさは感じられなかった。「先生に叱られる」という関係性がベタ。 熱血教師だったんでしょう。     【原】癖字ある友の賀状はもうこない                益田隆久 【恩田侑布子評】 ユニークな新年の俳句です。実際に会えない年はあっても、毎年、お正月には何十年も賀状で会っていた旧友です。その賀状には昔から独特の癖っぽい字が踊っていて、名前を見なくてもアイツだと、一目でわかったものです。今年の賀状の束は、めくってもめくってもアイツが出てきません。改めて本当に遠いところに行ってしまった実感がこみ上げます。ただし「癖字ある」は不自然な言い回しです。また、「友」と限定しない方が効果的でしょう。原句の口語を生かし、 【改】癖つよき文字の賀状はもう来ない こうすると余白がひろがります。   【原】凧はらからの声束ねつつ                田村千春 【恩田侑布子評】 面白い観点です。ただし、このままではリズムが弱々しく凧が落ちてきそうです。 【改】はらからの声束ねつつ凧 とすると、大空に凧が昇ってゆきませんか。 【合評】 光景がよく見えます。 下五の「つつ」と言い止して上五に返っていくところがいいと思います。 いや、「つつ」は流しすぎでしょう。 「はらから」がタコ糸の強さと合っている。 全体主義的、民族主義的なにおいを感じて採れませんでした。     [後記] 新年から活発な議論が飛び交い、いきなりトップスピードに乗った樸俳句会。 恩田の鋭く丁寧なコメントが議論を引き締めます。その一端は本句会報の恩田講評にあらわれています。句の弱点を指摘されることは参加者にとって励みになることです。 私事ですが、句作を始めて今年は8年目に入ります。以前の句と比べるとたしかに技法は上がったかもしれませんが、発想や視点などについては「自己模倣」に陥りがちであることを痛感しています。「自己模倣」から如何に自由になるかを今年の課題としたいと思います。 新型コロナウイルスのオミクロン株の感染者が急増して、いろいろなことの先が見通せません。県外の会員も含めたフルメンバーで句座を囲めることを只管祈る年始めです。  (山本正幸) ※ 樸会員によるアンソロジー「2021 樸・珠玉集」はこちらで読むことができます。 ※ 古田秀さんの第12回北斗賞準賞のお知らせはこちらです(恩田による抄出二十五句あり)。 今回は、〇入選2句、原石2句、△9句、ゝシルシ10句、・4句という結果でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ============================= 1月26日 樸俳句会 入選句および原石賞を紹介します。   ○入選  明け番や雑木林のライト冴ゆ               山田とも恵 【恩田侑布子評】 作者は宿直や警備などの夜勤が明けて家に帰る途中です。里山の道か雑木林の中を通る情景にポエジーがあります。曲がり角でクヌギや楢や椎の寒林にヘッドライトがさあっと差し込み、ことのほか青白い氷のように感じられた瞬間でしょう。スピード感のある光が冴え冴えと体性感覚に迫ります。「明け番」も「夜勤明け」などに比べ手垢がついていません。   【原】白さにも濃淡のあり冴えかへる                猪狩みき 【恩田侑布子評】 素晴らしく鋭い感性です。しかし、このままでは感覚の鋭さだけが主人公になってしまい、何もみえてきません。抽象的です。読者の目の前に白いものを広げて見せてください。紙や車にする手もありますが、布がいいのでは。雪では即きすぎです。 【改】白き布濃淡のあり冴えかへる 和服屋の店先で、白い絹を選ぶ時の微妙な白の濃淡と手触りを想像してもいいですし、花嫁衣装の白無垢を選んだ日の体験ととれば、さらに凛烈な印象を刻みましょう。「布」のほかはいわぬが花。   【原】家猫の帰宅はいまだ日脚伸ぶ               都築しづ子 【恩田侑布子評】 猫好きな作者は、あいつまだ帰ってこないよと、愛猫を待つともなく待っています。季語と相俟って、さりげない感情の襞が表現されかけていますが、「帰宅はいまだ」と「日脚伸ぶ」がやみくもにぶつかった感じで、嬉しいのか寂しいのか少し不安定です。一字変えればはっきりと切れが生まれ、感情の筋目がつきます。 【改】家猫の帰宅いまだし日脚伸ぶ 猫をうべなう気持ちが出て、句柄が膨らみますね。   【原】寒鯉や人待ち顔の紫煙かな                島田 淳 【恩田侑布子評】 作者は寒鯉のいる池か小川のほとりで人を待っています。所在なげに煙草を燻らせて。「紫煙」の措辞が効果的です。いかにも寒い日の午後を思わせます。水の中でじっと動かない鯉と人を待つ作者はあたかも同じ感情の中にいるように感じられます。水と空気と煙と衰えた日差しが薄い紫の帯になって棚引いています。いただけない点は「や」「かな」の初心者的二重の切字。落ち着きを無くしています。 【改】寒鯉に人待ち顔の紫煙かな こうすれば冬の午後が寒暮へうつろう様子も見えてきます。   【原】月冴えてカラカラ外れゆく琴柱                田村千春 【恩田侑布子評】 琴柱は今はプラスチック製ですが、昔は象牙や楓の枝で作られました。この句は江戸の浦上玉堂を思い出させます。岡山の上級藩士でしたが、五十歳で息秋琴と春琴を伴い脱藩。諸国を遊行しつつ中国伝来の七弦琴を奏し書画を残しました。中国文人の愛した「琴詩書画」四絶一致の境に達した日本を代表する文人です。川端康成が収蔵し国宝となった「凍雲篩雪図」は必見です。この句には玉堂を思わせるどこか脱俗の雰囲気があります。ただし、表現技法が叙述形態で流れるのが残念です。また「外れゆく」と、琴を人任せなのも気になります。 【改】月冴ゆとカラカラはづしゆく琴柱 寒月がいよいよ冴えわたると、琴を掻き鳴らすのをやめ、あとは山月にまかせます。琴柱を外したあとの琴の弦が寒月光に浮かび、余韻が深まります。    

9月5日 句会報告

20210905上1

2021年9月5日 樸句会報 【第108号】   コロナ禍で客足が遠のき、惜しまれながら閉店したデパートの跡地は、ワクチン接種会場として利用されていました。街を歩くたび、そうした寒々しい変化に出会います。そのワクチンにしても、ブレイクスルー感染が散見されるなど絶対的とはいかず、引き続き行動に制限が加えられることに。患者数の増加をみた静岡県では、八月二十日からの緊急事態宣言が九月末まで延長となり、今回報告する九月五日の句会もリモートで行われました。 兼題は、「九月」「花野」「松虫」です。 二句を紹介します。なお、連衆の評は、選句した会員の文章より抽出したもので、原文のままではない旨、ここでおことわりします。   ○入選  摩天楼崩れし九月青い空               林彰         【恩田侑布子評】 忘れられない九・一一の空。それは世界中の人々が画面で共有した痛烈な二十一世紀の幕開けでした。たしかに雲ひとつない青空でした。ゆえにニューヨークの超高層ビルに突っ込んでゆく機影と、直後の黒煙の拡がりが、悪夢の静止画像の堆積のように胸底ふかくに沈殿しました。米中枢同時多発テロ事件の規模の大きさと残虐性は、その後二十年に及ぶ米軍のアフガニスタン侵攻となり、先月末の米軍撤収に終わるまで、あまたの子らや民間人殺傷の痛ましい歴史を刻みました。掲出句は、ことばでは何も告発していません。しかし、高度資本主義社会の象徴たる「摩天楼」が自爆テロに崩れ、それが初秋を告げる「九月の青い空」であったところに、人類普遍の慟哭があります。 【合評】 911同時テロから20年。この「青い空」は何か? 実は、CO₂を排出しまくって取り返しがつかないほど空を大気を破壊したお前たちこそ、よほど恐ろしい環境テロリストだと罵っているのだ。上中12音と下5音は不可分で、よく読めば流れるような調べだ。私の読みはそうはずれてはいない。秀逸ではあるが、長生きしてもろくなことはないと思わせる句である。     ○入選  踊場にひとり九月の登校日               鈴置昌裕        【恩田侑布子評】   新型コロナウィルスが猛威をふるい、新学期は通学日とリモート学習日が入り混じっているのでしょう。そのたまさかの登校日です。もともと学校嫌い集団嫌いの上に、長い夏休みじゅう家に居た身には、ざらつく九月の残暑です。「踊場」は廊下続きのそれではなく、外階段でしょう。と、すると大学生かも知れません。出席だけとって、ふらりと日陰の踊り場で、そよ風混じりに構内を見渡しているのかも。宙ぶらりんでどこにも行けない「踊場」と、夏が終わったばかりで不安定な「九月」の季語の間に、青春期のひりつく感覚がリアルにとらえられています。 【合評】 長い夏休みが終わり、始業式終了後の昼少し前、授業は無く、生徒たちは帰宅するか部活へ。ひっそりとした踊り場に佇み、ひとり夏の忘れ物を探しながら見つめる秋。季語も動かない。 中途半端な場所。明るくもあり暗くもある光が、孤独な心を照らす。     【後記】 たぎるような陽光の下、深い間隙を覗かせているのが「九月」。入選作は、声なき叫びにみちた光景をまざまざと浮かび上がらせました。2001年の同時多発テロでは救助活動に携わった方々を含め、あまりに多数の貴重な命が失われ、二十年を経た今でも、痛みとともに恐怖が甦ります。登校日を取り上げた作者も、学童の自殺が増えており、特に八月と九月に多発している件を知り、かつて、その日を迎えるのが憂鬱であった自分と重ね合わせて詠んだと述べていました。 私事ですが、九月の喪失といえば、今回の兼題の一つにまつわる子供の頃のつらい思い出があります。夏休みのほとんどを祖父母の家で過ごし、新学期、自宅からさほど遠くない「花野」を久しぶりに訪れたところ、なんと造成地となっていました。足しげく通っては草や鳥たちのさざめきに耳を傾けていたのに、コンクリートで囲われた、ただの土に変えられていたのです。湿地が多くを占め、宅地には向かない土地でした。かくのごとき暴挙は各地で振るわれたに違いなく、明らかに近年の土砂災害の頻発につながっています。 暗い話になりました。このままでは「長生きしてもろくなことはない」とうなだれてしまいそう。私たちにもできることがあるはずです。花野について考えるのは、たしかな一歩となり得るのではないでしょうか。例えば、草原を保存するため、そこから得られる資源を飼料とするなど、様々な試みが行われています。 恩田の第三句集である『空塵秘抄』を手に取ってみましょう。秋の作品を中心とした章――「賽」七十七句に浸るうち、秋は五行説の金に属し、色は白であると、体感できるのが不思議です。一句を引用します。    闇迫る花野の深井忘れめや 脆弱でありながら、あまたの輪廻を実現し、さびしさのある美しさが人々を魅了してきた花野。その本質を照らし出す作品に心を寄せ、命にかけがえのないこと、受け継がれてきたからこそ今ここにあることを、忘れないようにしたいと思います。                      (田村千春) 今回は、〇入選2句、△5句、ゝ11句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   ============================= 2021年9月22日句会 入選句 ○入選  鶏頭に触るるゆびさき獺祭忌               猪狩みき 【恩田侑布子評】   子規の代表句の一つ〈鶏頭の十四五本もありぬべし〉を踏まえる句です。今回、衒学趣味の臭みが目立つ典拠の句がいくつかあるなかで、これはすこしもペダントリーではありません。まごころがこもっています。植物とは思えない鶏頭の硬い重量感のある実質を目の前にして、たじろぐ作者がいます。「触るるゆびさき」に、子規の三十五歳という短い、それゆえに常人の成し遂げ得ぬことを病床で成し遂げた赫奕たる生涯に対する畏怖の念がこもっています。     ○入選  芋煮るや投票はがきならそこに               古田秀 【恩田侑布子評】   里芋の煮ころがしをつくりながら、あれこれにいそがしく追われながら、なんとなく誰に投票しようか、どうしようか、と選挙のことも考えています。 「投票用紙はそこにあるんだっけ。今度の日曜日だな」 庶民のよりよい生活に政治が直結していてほしいという思いが、口語のさりげなさに感じられます。里芋と投票はがきの取り合わせがよく響き、手垢がついていません。句の下半分を平仮名にして脱力したところも神経細やかです。

7月4日 句会報告

20210704

2021年7月4日 樸句会報 【第106号】   ここ何年も記憶に無い七月上旬の大雨。 被害に遭われた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。 雨もようやく小降りになった七月四日。リアル参加とリモート併せて16名の連衆が句座を囲みました。 兼題は「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」です。 特選3句、入選4句を紹介します。  ◎ 特選  八橋にかかるしらなみ半夏生             前島裕子   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「半夏生」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  一列に緋袴くぐる茅の輪かな             島田 淳   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「茅の輪」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  言はざるの見ひらくまなこ日雷             古田秀    特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「日雷」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ○入選  雷遠く接種の針の光りけり               山本正幸 【恩田侑布子評】 貴重な時事俳句。コロナワクチンの接種をする。明日、痛みや副反応は軽くすむだろうか。本当に効くか。遠雷のひびきとあいまって不安がよぎる。日本は、世界は、今後収束局面に入っていけるだろうか。このゆくえは誰にもわからない。針先のにぶいひかりと遠雷の聴覚のとりあわせが、さまざまな感情を呼び起こします。     ○入選  かへり路迷ひに迷ひ日雷               田村千春 【恩田侑布子評】 帰りたくない気持ち。どうしたらいいかだんだん自分でもわからなくなる切迫感。日雷が効いています。絵にも描けないおもしろさ。     ○入選  白き葉のゆかしく揺れて半夏生               猪狩みき 【恩田侑布子評】 平凡という批判もきこえますが、むずかしい一句一章の俳句が、いたって素直。「ゆかしく揺れて」が半夏生のしずかさを表して、しかも清涼感がある。句に清潔なかがやきがあります。     ○入選  躙口片白草へ灯を零し               田村千春 【恩田侑布子評】 草庵の茶室での夏の朝茶。そんなに本格的でなくても、夕涼みの趣向のお茶かもしれません。躙口のあたりの小窓から漏れる灯が、露地の脇に生えている半夏生の白い葉にかがよう繊細な光景。いかにも涼し気な日本の情緒。半夏生でも三白草でもなく「片白草」の選択が秀逸です。       本日の兼題の「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」の例句が恩田によって板書されました。 半夏生 今回の兼題の一つ「半夏生(植物)」について、恩田から補足説明がありました。ドクダミ科の多年草。半夏生(七月二日)の頃、てっぺんに反面だけ粉を吹いたような真っ白な葉を生ずる。半化粧の意味もある。片白草。三白(みつしろ)草ともいいます。ハンゲと呼ばれるのはカラスビシャクというサトイモ科の別の植物。これとは別に時候としての「半夏生」もあり、句作にも読解にも注意するようにと、それぞれの例句を挙げて恩田は説明しました。  同じこと母に問はるる半夏生               日下部宵三  亡き人の夫人に会ひぬ半夏生               岩田元子  いつまでも明るき野山半夏生               草間時彦        からすびしやくよ天帝に耳澄まし               大畑善昭 茅の輪  ありあまる黒髪くぐる茅の輪かな               川崎展宏  空青き方へとくぐる茅の輪かな               能村研三 雷  昇降機しづかに雷の夜を昇る               西東三鬼    遠雷や舞踏会場馬車集ふ              三島由紀夫       【後記】 今回の連衆の投句には、意図せず時候の半夏生になってしまっていた句が多かったと恩田は講評しました。そのうえで特選句と入選句について、「半夏生(植物)」を素直に丁寧に描写することで、それを見つめる自分の心のあり様を読者に伝えることが出来ていると評しました。 筆者の個人的見解ですが、恩田の出す「兼題」には、初学者が句作に頭を悩ますものが必ずと言っていいほど一つ含まれています。筆者にとっては今回であれば「半夏生(植物)」であり、次回では「甘酒」がそれに当たりました。それらはこの半世紀ほどで急速に身の回りから消えつつある環境であったり生活文化であったりするものです。筆者は東京近県の郊外に住んでいますが、こうした自然環境や文化的蓄積の残る静岡に羨望を禁じ得ません。 今回、連衆の投句から筆者が学んだのは、自分の感情や意識を殊更書こうとしなくても、対象をしっかりと描写することで読む者の共感を呼び起こすことができるということです。筆者の場合、「われ」と「季物」のうち「われ」が前に出過ぎているため、感覚的に描写しやすい「半夏生(時候)」の句になってしまっていたようです。 以前の樸俳句会で、芭蕉の言葉についてテキストを用いて恩田が解説するシリーズがありました。 「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」 「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」(いずれも「三冊子」) 初学者にとって、兼題に真正面から取り組むことが俳句の面白さを知る王道なのだと痛感した句会でした。筆者はずっとリモート投句が続いていますが、実際に句会に出られればさらに多くの薫陶と刺激を恩田と連衆から得られるのにと思う日々です。                 (島田 淳) 今回は、特選3句、入選4句、△7句、ゝ11句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   ============================  7月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。     ○入選  向日葵や強情は隔世遺伝               海野二美   【恩田侑布子評】 向日葵のように明るく美しく、すっくりとお日様に向かって立っている作者。でも強情っぱりなの。この一本気は大好きだったおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)譲りよ。へなへななんかしないわ。「隔世遺伝」という難しい四字熟語が盤石の安定感で結句に座っています。十七音詩があざやかな自画像になった勁さ。     【原】ドロシーの銀の靴音聞く夏野               山田とも恵 【恩田侑布子評】 「夏野」の兼題から「オズの魔法使い」を思った作者の想像力に感服します! 主人公の少女ドロシーは、カンザスから竜巻で愛犬のトトと飛ばされます。私も幼少時、大好きな童話でした。ブリキのきこりに藁の案山子、臆病なライオンとのちょっと知恵不足のあたたかい善意の支え合い。エメラルドの都へのあこがれと、故郷カンザスへの郷愁。それら一切合財を「銀の靴」に象徴させた作者の詩魂は非凡です。ただし、表現上は「靴音聞く」が惜しい。「靴音」といった時点で、俳句に音は聞こえています。 【改】ドロシーの銀の靴音大夏野 または 【改】ドロシーの銀の靴ゆく夏野かな など、「聞く」を消した案はいろいろと考えられましょう。       【原】いつからか夏野となりし田は静か               望月克郎   【恩田侑布子評】 地方都市の郊外のあちこちでみられる憂うべき光景です。無駄のない措辞に、本質だけを剔抉してくる素直な眼力が窺えます。それをいっそう際立たせるには、 【改】いつからか夏野となりし田しづか 字足らずが効果を上げることもあります。