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2025 樸・珠玉作品集

2025 樸・珠玉作品集 (入会日の新しい順) たたまるる初富士の縞君がほほ 恩田侑布子(写俳) - 巻頭言 -  21世紀のクォーターを迎えた樸は一国主義の風潮の逆をゆけました。  日本とインド二拠点の従来のズーム句会に、ニューヨークとパリから新人が参加してくれたのです。二、三十代の若者たちの頼もしい笑顔も弾けています。私は仲間との出会いに感謝し、掌のなかのすべてをお伝えしたいと願っています。  樸ズーム句会は自宅の暮らしの場から即座に四カ国の句友と繋がれます。匿名で選句し、句会で作者がわかれば、特性に添ったアドバイスを差し上げます。句会あとの第二部は、芭蕉の紀行文を学んだり、俳句時評をしたりする文化サロンです。目標の三十三観音の会はいまだしですが、熱意と質の高さは揺るぎません。こぢんまりした文藝コミュニティーは純粋で自由闊達な俳句談義ができる場です。言葉のふたときの晩餐会のよろこびは国境を超えます。  一方で、国際秩序や人権理念は崩壊に拍車がかかっています。進歩は兵器テクノロジーにのみあざやか。武器大国は目の前の人参を追って、地球の未来を食い潰し、ジェノサイドを恥じません。ホモサピエンスは凶暴化しています。  現実から目を逸らさず、自分にできることは何か。人間とは何なのか。三百六十度開かれた微塵の俳句から大きな世界に向き合いましょう。今年も新たな出会いを求めて、一息の詩に共感し合いましょう。 樸代表 恩田侑布子   小南善彦   旅先で我がふる里のお湯自慢   冬晴れの歩道にはずむランドセル   嵐去り川滔々と花筏 時空を超えて五感に迫る俳句の世界  写真と俳句の違いは、想像の余白の広さではないでしょうか。 写真から受けとる感動は、瞬間を捉えた感動です。それに対して俳句は、場所や時間を自由に行き来し、光や音、匂いや温度、さらには目に見えない気配までも、読み手一人一人に感じさせてくれます。17文字の楽しさと苦しさ(笑)を、これからたっぷり味わってゆきたいと思います。   川崎拓音   精霊飛蝗追ひかけた父も母も   人はひとわすれてあゆむ芒原   冬夕焼旅びと還す比叡山 文學の地、文藝の空 入会してまだ間もないころの句会。どうしても都合があわず遅れての参加になった。それでおずおずと申しでて、句会の終わりに先生に<補習>をしていただいた。個別指導できもちがおおきくなっていたのか、なりゆきで先生と文學談義をした。 「最終的には自分の文學を極めたいです!」とわたし。 「いいじゃん!」と先生。 言い尽くせないよろこびがあった。きもちがおおきくなりながら、実は、文學という言葉を口にすることにすこし緊張していたからだ。 読む者の心を動かす何らかのしくみを具えた記述——そのしくみを解き明かそうとする営みが「文學」であると大学時代にならった。文學の地から見あげる文藝の空は、あまりにも自由でおおきかった。かたや、文學者たらんとする自分自身の心を動かす記述を、自分自身で残してもみたかった。文學と文藝の果てしない往還は、空気がやけに薄く感じる。寒さに羽を震わせどうしたものかと立ち往生していた矢先、恩田侑布子という師に出会えた。こころからうれしくおもう。   橋本辰美   雲の峰貴方の居所捜し当つ   稲妻のつながり落つる河口かな   南蛮や未知より無知の懐かしき 清見潟  23年3月に「楽しい俳句」を、また戻ってくるつもりで退室して以来、3年ぶりの出戻り新人として、晴れてzoom句会主体の樸に入会できたことが小さくない体験でした。一回一回の句会を大切にしながら、師匠と連衆に認めてもらえるように句作に励み、批評性と情趣の間を揺れながらも自句を追求していけるように努めていきたいと思います。   佐藤麻里子   白ビール迷はぬ女同志なり   淵碧き砦裸のピカソかな   揚花火鉄の貴婦人張り合ひし 自己の更新としての俳句 2014年、ドゥマゴ文学賞受賞作『余白の祭』が著者・恩田侑布子をフランスに送り出したことが、私の俳人との出会いだった。全くの門外漢の私は会食の拙い通訳でご一緒し、著書にノックアウトされ、その後パリや静岡で再会し親しくさせていただいた。ただそれ以外俳句とは無縁のまま、11年を経た今年、ようやく機が熟したのだ。 句会の合間の先生のおしゃべりはヒントに満ちている。先日独り言のように、「俳句は難しいので油断するとちょっと前の自分に戻ってしまう」。先生でさえも!?「日々新しい自分にしていかなければ」と。 自己の更新。それが私も七転八倒してもやり続けたいこと。 「ささやかでも、おのれの殻や、時代の旧態を破ろうとする、日々更新の自由なこころこそ、本来の俳句のはず」(『余白の祭』p.115)。 それはきっと俳句だけでなく、芸術とは本来そういうこと。 さて、来年は時間不足を言い訳にせず、いかに自由な心で作句に励み、自己を更新し再生しつづけられるか。   小住英之   地ビールを二本空港泊の窓   満塁や灼くるシンバル灼くれど撲つ   病室の鎖骨に月のありあまり 癖 なにか大事なことを決めるとき、「あまり検討しない」癖が私にはあります。しかし私は不思議とこの癖に助けられてきました。 例えば、大学生のとき座学だけで「皮膚科医になろう」と決めた私は、その研究室にすぐに通い始めました。九年後、私はその研究でなんとか博士号を取得し、今の職を得ました。あのとき実習・研修開始を待たずに皮膚科に決めてよかったと思います。 俳句を始めて半年で古田秀さんの「大学」を読み、樸俳句会を知りました。ホームページを見て、ある種直感的に樸で勉強したいと思い、仲間に迎えていただきました。あのとき樸に飛び込まなければ、ここまで俳句に熱中することもなかったように思います。 これからも一歩ずつ、俳句の道を学んでいきたいと思います。今後もご指導お願いいたします。   馬場先智明   ⼩春⽇や部屋にやすらふ⺟の⾻   ⼋⼗年焼⿃の串抜くやうに   仮名千年語り万年寒昴 「似て非なるもの」に魅せられて 「俳句と編集とは、似て⾮なるものです」と、恩⽥先⽣はキッパリ。編集の世界に半世紀近く棲息してきた⾝には沁み⼊るような⾔葉でした。句歴⼀年で感じたのは、俳句には「達⼈」や「極意」という⾔い⽅がよく似合うなぁ…ということ。芸や美の道を極めることに魂を注いで倦むことのない⼈たちの世界。武芸、茶道、将棋…のような型や厳格なルールに則った世界。極めてこそ⾒えてくるものを追い求める少数者が泰然と⾝を寄せ合う世界。芭蕉から恩⽥先⽣はもちろん近現代俳⼈までの句を渉猟しては嘆息する⽇々でした。⽚や私のかかずらってきた編集の世界。⾔葉(⽇本語)を道具⽴てとする点は同じですが、あくまでも⾔葉は「情報」。編集者の仕事は、外から掻き集めた情報の順列組合せを専らとして新奇を創出する知的作業。⾔葉はいつでも外からやってくるものでした。⾔葉を道具として扱ってしまうのは、編集者の宿痾みたいなものです。対して⽂学(俳句)の⾔葉は、⾝体の内側から時間をかけてゆっくり滲み出てくるもの。この⼀年の成果は、その宿痾を⾃覚できたことかもしれません。来年はその⾃覚から出発して「⾮なる」俳句の奥深さに少しでも近づいていきたいと願っています。樸連衆の皆様には、編集(+短歌)という「似て⾮なる」お隣から珍獣が⼀匹迷い込んできたと、広い⼼で⾒守っていただければ幸いです。   山本綾子   餅つきの空つく音あり郷の庭   羊水のたしかな鼓動しゅろの花   短夜や眸句集とミントティー 俳句のある暮らし  恩田先生に師事して三年目の今年。そろそろ「初心者だから」の常套句は通用しなくなってきた。  そんな中、俳句に触れる時間を少しでも増やせればと、樸句会投句の他に先生が選者を務める静岡新聞読者文芸への投句を自分に課した。  毎月最終火曜日。家まで待てずコンビニの駐車場で、購入した新聞を広げる。そんな自分を、少し離れたところからもう一人の自分が面白がって眺めている。  日々の忙しさ、日常の平坦さ、過去に負った傷さえも、俳句をつくることで、より豊かなものとなっていく。自分を支える「俳句」という柱は年々太く育っている。   星野光慶   聖五月ぐさりとキャパのレンズかな   「源氏供養」闇に佇む冬の星   まろき背にとどめし秋や無著像 浮かび上がる時間  ロバート・キャパという人物はいない。アンドレ・フリードマンとゲルダ・タローが撮影したそれぞれの作品をこの架空の写真家に託したにすぎない。  作品を見る側は、アンドレとゲルダのどちらが撮影したものか見分けることは難しいだろう。しかし、もし撮影者が明かされたら、両者の世界の見かたの違いがぼんやりと浮かび上がってくるのではないか。  ひとつの作品には匿名と個がせめぎあっている。  俳句もこれに似ている。無名の句が私の前に並び、作者が種明かしされると「人柄が出ている」と妙に納得してしまう。そのひとが見た景色が、ことばというレンズ越しに立ち上がる。  無名性と有名性が反転する有機的な時間が句会だとしたら。そのあとには、寂しく賑やかな無名の作品が残される。   長倉尚世   ほそき手の床より賀状たのまるる   枇杷たわわ廃車置き場の水たまり   柊の花や卒寿の退院す 伝えたいこと  今年五年も迷っていた声帯の手術をした。  きっかけは母の耳である。話しかけてもスッと前を素通りして行くのに驚いた。聞こえていないんだ……そう云えば、孫との会話にも、あまり入って来なくなっている。 元々私は話すのが苦手。自分の思っていることを伝えるのが下手くそで、母ともそんなにおしゃべりをしてこなかったが、このまま話ができなくなるのは寂しいと思ったから。  手術後一週間は声を出すことを禁じられた。その間筆談をしていたが、そのもどかしさの中で、ふと手話を覚えようと思った。そして退院後、早速手話サークルに入会。 日常のささやかな場面で、誰かの役に立てたらいいと思う。   成松聡美   春の暮真子の煮つけは反り返る   木香薔薇あふれんばかり死者の庭   猟銃等講習会場泥長靴 神主のいないお社  この拙文を書いているのは年の暮、新年拝賀式準備の最中だ。榊や神饌、振舞い用の酒や汁物の手配で忙しい。私の住む村の小さなお社には神官がいない。拝賀式の一切は氏子総代と当番組の組長たる我が家が差配する。この一年、負担の重さに怒りが治まらない夜もあったし、地域を盛り上げるとは何か議論になる場面もあった。だがご近所と協力して御神燈を張替えたり、紙垂や御飾りを手作りしたりと楽しい経験も少なくなかった。当然これらは俳句の種となり、習作帳には神事や神の字が入る季語が多くなった。神社のお世話は来年も続く。神主のいないお社の句は、もう少し増えそうだ。   坂井則之   龍天に昇る昼夜を真つ二つ   白菜を割る音絶えて十余年   庖丁の切れ味試しトマト切る        初の句は3月に先生の添削を頂戴した後のものです。句の勢いがこんなに改善されるかと、つくづく思いました。 あと二つは[シルシ]程度。2句目は当人の含意と先生の鑑賞とが異なりました。叙述の拙さの表れです。 新聞記事が本拠だった私は、意図を明瞭に伝えるという意識が先に立ちます。そこに、理に落ちてはいけないという何度も頂戴したご教示を思い出し。散文人間は苦戦しています。 今の私は、たとえFBへの投稿でも幾らでも推敲を考えます。新聞紙面を読んで気になることがあれば校閲の後輩に指摘して、検討を依頼しています。ですが、自分の五七五では突き詰めるまで考えることができない己。韻文としての良否の判断ができないのです。 そもそもこの道に入って良かったのかと思いつつ、ウロウロの日がずっと続いています。   生きてゐるたれも初乗り地球船 恩田侑布子(写俳)   岸裕之   寒声や師匠口ぐせ「間は魔なり」   春光を睨むや龍の天井絵   見はるかす白馬三山花こぶし 来年の目標  今年を振り返ると、正月の句会でいきなり特選をいただき、続いて春先は、なんとか入選を何句かいただきました。そこで、気をよくして、今年から始まった町内の年寄り90代一人、80代二人、70代一人メンバーによる麻雀に力を注ごうと思い立ちました。というのは、麻雀は50年やそこら、やって無かったので、すっかりやり方を忘れていたせいか、勝てません。麻雀には実力の他、運という要素もありますが、勝てません。やはり負けるのは悔しい。で、PC麻雀ゲームなどを使って訓練しました。そのせいか、なんとか勝てるようになってきました。ところが、夏から秋にかけて俳句においては、無点句のオンパレードでした。だから今年の三句は前半のものだけです。私は句集を作ろうとか、賞を貰おうなど思いません。気のおけない仲間と俳句談義したり、そこに酒が入ればなお良い程度のスタンスです。従って来年の目標は年間バランス良く選をいただくにとどめます。   小松浩   夏蝶の影轢くサイクリングロード   日盛りの影もたれあふ交差点   人類に聖なる夜と聖戦と むずかしいことをやさしく 樸のメンバーも20人を超えて賑やかになった。句会というのはやはり素晴らしい場だ。投句作品からは、歩んできた道のりや、どんなことに喜びや悲しみを感じる人なのかが、くっきり浮かんでくる。共通しているのは、一人一人の他者への目線の優しさ、誠実な暮らしぶりである。 俳句は、それぞれの人生観や価値観を、理屈ではなくモノを通して、17音に乗せることに魅力があると思う。できれば、今の時代や社会に対して感じていることを、五七五に託して表現してみたい。それも、日常生活で使っている普通の言葉で、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」と言っていた井上ひさしさんのように。   活洲みな子   吾の歌に母の輪唱桜の実   天上の母はすこやか樟若葉   青空に挑むじやんけん花こぶし 日向ぼこ付箋だらけの句集抱き  ミニマリストではないけれど、ホテルのようにシンプルな生活空間に憧れる。退職後、仕事がらみの大量の本をまずは処分し、好きだった小説や全集も手放した。ホテルライクな生活にあと一歩(?)というところで、句集を手にする愉しみと出会ってしまった。おかげで棚はまた本で溢れ始めている。  好きな句集は付箋だらけだ。世界観がわからず付箋のつかない句集もある。けれども一句一句に俳人の心が宿っているので、大切に扱っている。年末に加わった三冊の句集。陽だまりでのんびり愉しむ時間が…あるといいなあ。   益田隆久   暮れてなほ弾む句会や花こぶし   パレットへ囀りの色溶きにけり   踏まれたる下萌の香の高くあり 句友の秀句への共感  樸の仲間の俳句の中で、自分の一部にすらなっていて瞬間的に言える特別な俳句が三つある。   (1)八橋にかかるしらなみ半夏生     前島裕子   (2)父母は芽花流しの向かう岸      活洲みな子   (3)花すゝき欠航に日の差し来たる     古田秀 (1)前島さんの俳句は、恩田先生と自分の特選が初めて一致した句で非常に嬉しかった。「目で見て美しく声に出して美しい俳句。」と感想を書いた覚えがある。今でも自分の理想とする俳句だ。 (2)活洲さんの俳句は、年月が経つとともにじわじわとその良さが増していく燻銀のような俳句だと思う。そこには、時間というものへの愛おしささへ感じることができる。 (3)古田さんの俳句。この透明感はどこから来るのだろう?余計な修飾を付けたしたくなりがちだが、この句にはそのような自我が無い。雑味が無く透明感と清々しさが気持ちよい。  このような俳句に出会い誦する時、この句会を選んで良かったと思う。   古田秀   スケートボード蔓薔薇すれすれに蛇行   露の世の薬局あかりジムあかり   クリスマスツリーの蔭や守衛室 グーグルマップはすごい  昔から地図を見るのが好きで、油断しているといつまでも眺めてしまう。実験の合間の待ち時間など、他にやることはたくさんあるがついついグーグルマップをひらいて仮想旅行をしてしまう。最近はグーグルマップの精度があがり、ユーザーの興味のありそうな施設を優先して表示するようになった。地点間の所要時間の計算も正確で、渋滞の起きやすい時間帯なども表示してくれる。2025年は日帰りドライブ吟行や二泊三日のドライブ旅行を何回か計画し友人を巻きこんだが、そのときのスケジュールもほとんどグーグルマップのみで作成した。もはや仕事中にグーグルマップを眺めていれば、頭の中で旅程が勝手に組み上がるレベルになっている。まだまだ行きたいところがたくさんあるので、2026年もグーグルマップを眺めて過ごしたい。   金森三夢   亀鳴くや巴御前の吐息のせ   滴りや手拭浸し首に巻く   肌寒や鉄錆びあまた歩道橋 ケガの功名  年男の今年。まさか一年の三分の一を病院のベッド上で過ごすとは……  「滴り」と云う季語を求め山道を彷徨っての不首尾。古稀を迎え三年で二度の全身麻酔のオペはきつかった。腎臓癌、世界一周クルーズ、そして圧迫骨折。一年おきの天国と地獄。死を見つめ、異郷での悦楽、痺れと激痛との格闘、いつも人生の良き伴侶である俳句と愚妻が寄り添ってくれた。  たび重なる入院と病院食のおかげで体重は学生時代に戻り、血糖値は正常値。糖尿の担当医に「ケガの功名」と大笑いされた。  さて来年はどんな年になるのだろう?!人生は甘渋苦。来年こそ休会なしで呆け防止の句会に励みたいものである。   前島裕子   床の間に祖母てづくりの手毬かな   お薄点てゆがむ玻璃ごし花吹雪   黙しゐて母のかたはら緑さす 年には勝てぬ  今年も残すところわずか、振り返らざるをえない年でした。 身体には自信があったのですが、後期高齢者を前にして、帯状疱疹、歯の根元の炎症から唇がはれあがってしまった。どちらも大事にはいたらず、春の吟行会には参加できたのですが医者通いを余儀なくされた。  寝込むことはなかったのですが、身体がすっきりせず完治まで半年ぐらいかかった。年には勝てぬことを痛感。  来年は身体に充分留意し、自分に納得できる句が一句でもできるよう学んでいきたい。   見原万智子   ヒヤシンス登校しない子の瓶も   どうだんの衣広げり巴塚   クリスマス会話ロボット待たせをり おあいにく  おさとはたいそうな器量よしで、小学校もろくに行っていないが夫の古い教科書で漢字を覚え、両手足の指を使って鶴亀算ができたという。  昔のこととて婚家側の一方的な理由で離縁され、二年。島田の帯祭りの時分でもあったろうか、大井川の橋の真ん中でばったり元の夫に再会してしまった。  ひとこと「…どうだ、元気か?…」と男は聞いてきた。  ややあって「ふんっ、これから佳い人に会いにいくところだよっ」と言うが早いか、おさとはその場を走り去った。決して振り返るまい。  それからほどなく、おさとは再婚した。  後年、私は何度となくこの話を母から聞かされた。そのたびに「ひいおばあちゃんはデートの約束なんか無くて、会いたかったのは目の前にいた元のご亭主だよね?」と私が言い、母は満足げに頷くのだった。おさとに顔立ちも性格もそっくりだった母は、「いい女はツンで通さなければ。デレるなどもっての外」と信じ込んでいたふしがある。  あいにく私はすべてにおいて父親似。ツンデレすら気恥ずかしい。いつもデレデレで、しのいできた。   猪狩みき   雪華積むフロントグラス小さき首都   縦横に鳥の動線冬木立   地形図の尾根と谷なり白菜買ふ ことば  新聞でみかけた本のタイトル『群れから逸れて生きるための自学自習法』に惹かれ、向坂くじらという人を知った。詩人で小説家で自身で国語塾もしている人だという。「ことば」の捉え方、感覚がおもしろく、その作品を追っているところ。といって、彼女の「詩」はよくわからず、エッセイと小説を楽しんでいる。私はたいてい「詩」がわからない。「詩がある(ない)」ということが句会で話題になるたびにびくっとしている。   海野二美   船渡の山火事鎮圧   待ちわびし山林消火龍天に   飛機乱気流掌中の林檎の香 樸の未来  樸の構成員もずいぶん変わってまいりました。若き才能、またパリにニューヨークとワールドワイドに……。少数精鋭ではありますが、樸のこれからは楽しみですね。また私の大好きな文学講座も始まり、学生気分で勉強させていただけるのでありがたいです。編集や会計、また幹事等に惜しみなく励んでくださる皆様、本当にありがとうございます。樸の会員の方々のことは盟友と思っております。  俳句文学における絆は強し!  恩田侑布子万歳!   AIの無性生殖去年今年 恩田侑布子(写俳)

11月16日句会報告

2025年11月16日 樸句会報 【第157号】

 十一月は十六日と三十日にZoom句会。
 十六日の兼題は、「凩」「白菜」。六十五句の中から原石賞一句が選ばれた。「原石」だけに先生からの直しも複数箇所あり、推敲とはこのように詰めていかなければならないのかと改めて考えた。後半の「笈の小文」講読は、先生が細かく解説くださるためにページとしてはそれほど進んでいないが、このように細部を読み込んでいくものかと思わされた。
 三十日の兼題は「手袋」「焼鳥」。投句は六十四句で、入選一句、原石賞となった。二作品は同じ作者で、上達ぶりを示すことになった。先生の指導の中で「[詩的俳句]と[俳句という詩]を峻別すべきである」とのお言葉があった。句作に向き合う姿勢として、重要なご指導だと身にしみた。句会が充実したため、講読の時間はなくなってしまった。

よく枯れてかがやく空となりにけり
恩田侑布子(写俳)
 11月16日の原石賞1句、その他評価の高かった4句を紹介します。

【原石賞】地形図の尾根谷のごと白菜葉
              猪狩みき

【恩田侑布子評・添削】

生鮮野菜が軒並み高騰し、白菜も例外ではありません。半分ならまだいい方で、四分の一や八分の一に割られて店頭に並んでいます。その断面を見た瞬間、「あ、これは地形図の等高線だ」と気づいた作者です。原句は「尾根谷のごと」「白菜葉」の措辞がやや不自然に思われます。はっきりと尾根と谷のアナロジーを打ち出し、店頭で買う瞬間の句とすると、四分の一に細く切られた白菜からみっしりした等高線の落差が思われ、冬山のほそみちとおもしろい橋がかかります。

【添削例】地形図の尾根と谷なり白菜買ふ

【ほかにも次のすぐれた4句が発表されました。】

 木枯の銀座和光を右折せり
              小松浩

木枯がピューピュー吹き荒んで、日本一の高級商店街の銀座、なかんずく歴史ある服部時計店の「和光」の角を右折していったよ。「右折」は俳句文芸の土俵ギリギリの技アリです。教育文教費より防衛費増大の高市早苗内閣の極右化が、自民党の党員と国会議員という国民の数%未満の支持者によって決定されてゆく、この国の民主主義の危うさ。木枯の寒さが身にしみます。

 白菜を丸ごと買ひて恙無し
              小松浩

白菜が高級品であることの方がおかしい、という思いがあります。二玉も三玉も買って、白菜漬けにした昔ではありませんが、今日はなんとかひと玉のずっしりした白菜を買って抱えて家路に着くことができました。「恙無し」とは、茶掛でこの時期によく掛かる「無事是貴人」の思いでしょう。平易で品のある俳句です。

 きしきしと白菜を割く薄き爪
              小住英之

まるごとの大きな白菜に縦に包丁目を入れ、十指で真っ二つに割る瞬時の音を「きしきし」と捉え、その「薄き爪」に着目した俳句眼に鋭いものがあります。若く健康な時は、爪も艶やかで肉厚ですが年齢とともに爪は痩せ、薄っぺらになるだけでなく、血色も失い銀白色に縦線が入ります。作者はなんと、ニューヨーク大学で「爪」の幹細胞を研究する博士。十代で、母堂が癌で亡くなった当時の思い出を感情に溺れず、くっきりと形象化しました。体調の厳しさと冬の冷たさが一枚になって迫る俳句です。

 柊の花や卒寿の退院す
              長倉尚世

九十歳で退院されるとは、ご家族の介護もさることながら、ご本人の凛とした気丈さが偲ばれます。いま退院できても、あといくばくの月日が在宅生活に許されていることだろうか。そこはかとない不安もあります。しかし、冬青空に咲く「柊の花」はひっそりと奥ゆかしく清らかな芳香を漂わせて、長寿者と家族を讃えています。

【後記】
 両日それぞれに、初参加の方がおられました。座の仲間が増えるのは嬉しいことです。
 特筆すべきこととして、20歳代の方の入会がありました。若い感覚が新たに入ること、これから楽しみです。なお会費について20代までの方は割り引きと、新たに決めました。積極的にのぞいてみてくださるようお願い致します。
 (坂井則之)
 (句会を体験したい方は、このHPのメニューボタンをクリック。『樸 新入会員募集中!』記載のメールアドレスへお問い合わせください。)

(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

手にとれば冷たきものを日向石
恩田侑布子(写俳)
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11月30日の入選1句、原石賞1句を紹介します。
○ 入選
 バイク音へ君の名溶かす冬銀河
               益田隆久

【恩田侑布子評】

好きな人と別れて自宅へ帰らなければなりません。バイクのエンジンをけたたましく噴かし、車体をブルブルと震わせて、さようならをした瞬間、ふり仰いだ空の大きさ。冬銀河がさあっと雪崩れ落ちて来るようです。思わず愛しい名をつぶやき、銀の真砂のような荒星たちに祈ります。ひときわ大きく清らかな一粒がいつまでも頭上に輝いていてくれますように。「バイク音へ」「溶かす」という闇と光と音の響きあう動きにリアリティがあります。

【原石賞】モノクロの写真のふたり帰り花
              益田隆久

【恩田侑布子評・添削】
古いモノクロ写真に若い日の二人が写っています。いつの間にか別々の道を歩んで長い月日を過ごしてしまったけれど、見ればセピア色の一枚の写真に二人は寄り添っていました。若い日の頬を互いに知っている二人は、またすぐ笑い合えるでしょうか。冬青空に返り花があどけなく咲いているように。原句ではなかなかロマンが発展しそうにありません。発展しそうな含みを持たせましょう。

【添削例】となりあふモノクロ写真返り花

青天や枯れたらきつと逢ひませう
恩田侑布子(写俳)

慶祝 樸会員 静岡新聞文芸欄 特選・入選・秀逸

恩田侑布子は2024年9月から、静岡新聞文芸欄「俳句」(月1回最終火曜日の朝刊に掲載)の選者を務めています。 その中から、特選、入選、秀逸に選ばれた樸会員の句を紹介します。    恩田侑布子 写真   2024年 10月 入選  ぱぱあつちいけ西日さすはうにいけ 芹沢雄太郎   11月 特選一席  秋澄むや母に五分粥喰む力 活洲みな子 [評] 病み衰えてゆく母の介護はつらいもの。ことに天高い日は。若かった頃の思い出が蘇ります。野や川で一緒に笑いころげたこと。大人になって楽しんだ旅。ベッドの母はまだ流動食ではありません。五分粥を食べられます。一日でも長生きして。秋真澄の祈りが句末の「力」に込められています。   秀逸  お使ひの袋引き摺り秋夕焼 芹沢雄太郎   12月 入選  レジ閉ぢて急ぐ背中や寒北斗 益田隆久  ルービックキューブ冷たし揃ふても 芹沢雄太郎   2025年1月 入選  枯木立感光液の水たまり 益田隆久   2月 入選  短日のバスを待ちつつにきび触れ 芹沢雄太郎  ラヂオ体操に初鴉来てゐたりけり 益田隆久   3月 秀逸  早春の怪獣膝を抱へをり 芹沢雄太郎   4月 特選三席  ひこばえや皆貧しくて皆笑ひ 益田隆久 [評] ひこばえは孫生(ひこばえ)の意で、刈られた木が春になって芽吹く命の再生です。傷めつけられても蘇る植物のいきおいと、失われた30年で貧しくなった庶民が笑いで温め合う日常を、「や」の切れ字で対比し、とりはやしています。句の底には思いやりがあります。こういわれるとトランプのスター気取りの顔が浮かんでくるから不思議です。   秀逸  蒼空や砂紋をのこし大河涸る 前島裕子   入選  三月の遅き回転木馬かな 芹沢雄太郎   5月 入選  図書館の本の汚れや霾れり 前島裕子   6月 入選  白藤の香り天降りて夜の重さ 益田隆久   7月 入選  麦の秋焼きたてホームベーカリー 前島裕子  重力の無きが如しやあめんばう 益田隆久  子と吾の汗合はさりて昼のバス 山本綾子   8月 入選  庭先にサンダル「キュッキュ」小さき客 前島裕子  トマト噛み忘れ去られし歌「友よ」 益田隆久   9月 入選  墓洗ふとなりもかども墓じまひ 前島裕子   10月 秀逸  開けし戸に客人のごと今朝の秋 山本綾子  人情に倦んで猫抱く秋夕焼 益田隆久   入選  戦場の瓦礫に番地虫の闇 活洲みな子   11月 入選  姉妹して父抱きかかへ十三夜 山本綾子    恩田侑布子 写真

9月7日 句会報告

2025年9月7日 樸句会報 【第155号】

 歴史的猛暑の8月いっぱいをお休みして再開された句会、出席者も休養十分(?)のせいか普段より多めで、Zoomながら対面と変わらぬ賑やかな句会となった。前半を点盛りと講評、後半は毎回題材を変えて勉強会という二部方式もすっかり定着し、今回は「俳壇」誌9月号掲載の師の鈴木真砂女評と現代俳句協会賞受賞作をめぐる意見交換、、、のはずが後半は脱線して師も弟子もない俳句論議に。この自由闊達さこそ樸の魅力と満足してのお開きとなった。

 兼題は「月」「顔の一部」。特選1句、入選2句、原石賞2句を紹介します。
 

澄む水の削りし大地なりにけり    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
戦後史の最終ページ蚯蚓鳴く
             小松浩

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蚯蚓鳴く」をご覧ください。

クリックしてください
 

○ 入選
 署名みな眼とおもふ終戦日
               古田秀

【恩田侑布子評】

「終戦日」ですから平和を希求する署名でしょうか。一人一票の投票と同じで、一人に一つしかない名前と住所です。それを黒い「眼」と思った発想の飛躍が素晴らしい。たちどころに署名用紙に並んだ個性ある記名文字が、生きた魚群のように泳ぎ出す幻想に誘われます。庶民一人ひとりの意思表示がうろくずの眼の切実さを帯び、なまなましく浮かび上がってきます。
 

○ 入選
 をり鶴に帰る空無し原爆忌
               益田隆久

【恩田侑布子評】

平和を祈って千羽、万羽の鶴を折っても原爆で焼け焦げた人の命は帰りません。嗟嘆が空に虚しく反響します。「戦争はイヤ」「しちゃだめ」とどれほどつぶやいても、庶民が巻き込まれるときは時局に抗えないという絶望感が感じられます。死者の安寧と平和への祈りだけでは平和は築けないという諦念が腹の底まで染み渡ることで、かえって、いまわたしたちが何をするべきかを問いかけてくる句です。
 

【原石賞】八月や球児は土と凱旋す
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

甲子園の球児に「凱旋」という古風な言葉を斡旋した言語感覚が素晴らしい。さらに「土と」の措辞が効果抜群です。ユニホームについた泥土を眼前し、試合終了後に球場の土を掬って袋に詰める姿がありありと瞼に浮かびます。甲子園の土とともにふるさとに帰ってきた勇者達です。ただ「八月や」では、暑さだらけでつきすぎでしょう。夏の始まりとともに、幾多の地方予選を勝ち抜き、遠い兵庫県の炎天下で死闘を繰り広げた夏百日の記憶があります。きっと、なつかしい郷土の群衆に迎えられる空ほど清々しいものはないでしょう。長い戦いを勝ち抜いて辿りついた爽涼の思いを共有したいです。

【添削例】爽涼や球児は土と凱旋す

 
【原石賞】銀盤の海や月影さらさら来
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

月かげが「さらさら来」という出色のオノマトペを生かすためには上五の措辞は瑕になります。なぜなら「銀盤」は古来、月の異称として様々な文学作品に表現されてきたからです。最近は「銀盤の女王」という決まり文句から、スケート場のことと短絡されがちですが、俳句をやるものは本来の美しい意味を踏まえていたいものです。そこで上五は抑えて静かな海面を描写すれば、「月影さらさら来」というフレーズの佳さがいっそう生きてくるでしょう。

【添削例】凪わたる海や月影さらさら来く

 
【その他に評価の高かった句は次の五句です。】
 くちびるは手花火の煙の匂ひ
              見原万智子
 弁慶の衣裳の裾のすれ涼し
              前島裕子
 湯灌終へ髯なき兄のさやかなり
              馬場先智明
 月見酒子ども代わりの老犬と
              活洲みな子
 ピンヒール刻む色なき風の街
              益田隆久

 
【後記】
 私の樸入会は2022年9月。ちょうど「石の上にも3年」の節目なのだが、石から立ち上がれる兆しはない。初めから自分の世界を限定せず、いろんな型の句に挑戦してみようとしてきたものの、それだけでいいのかなと、最近は疑問に思うことがある。樸の皆さんの句はそれぞれに鋭く温かい個性があって、作者の存在が匂い立ってくるのに比べ、自分の場合は「お前は一体どこにいるのか?」と冷たく問われているような気がするのだ。そんな中、この日の句会で紹介された現代俳句協会賞受賞の大井恒行さんの句からは、なぜ俳句を作るのか、俳句で何を表現していきたいのか、改めて考え直す機会をいただいたように思う。世の中を斜めにばかり見てきた自分にとって、社会性と詩性が融合して文学に昇華する大井さんの作品群は、大きな魅力であった。

 (小松浩)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

口紅をさして迎火焚きにゆく    恩田侑布子(写俳)
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9月21日 樸俳句会
兼題は稲妻、啄木鳥。
入選2句、原石賞1句を紹介します。
 

○ 入選
 稲妻のつながり落つる河口かな
               橋本辰美

【恩田侑布子評】

天空に青白いいなびかりが二頭の龍のように絡み合ったかと思うや、音もなく河口の果ての大海原へ落ちていくことだよ。一瞬の視覚がとらえた稲妻の走りと大景です。シーンとした無音の映像が深遠で、それが、川の長いいのちが果てて海と交わる「河口」であることも象徴的です。「稲妻」は、古くから稲の結実と関係するとされてきた呪的な色彩をもつ季語です。いなびかりと稲田という天と地の陰陽の交わりを遠くひびかせたはかない映像のどこかに、果たせなかった作者の思いを感じるのは私だけでしょうか。
 

○ 入選
 父も子もダリの絵の中秋暑し
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

「も」の畳み掛けに、ダリの噎せるような絵に取り込まれている残暑感が濃厚です。ダリはシュールレアリズム。時計が暑さにぐにゃりと折れ曲がって垂れる絵を思います。あるいは、漆黒の髭を誇示する自画像でしょうか。その眼は、激しいけれど虚無的。父は子どもを前世紀に美術界の巨匠と称された人の展覧会に連れ出したのでしょう。この「秋暑し」は体感を超えて文明批評の色彩を帯びます。ダリの近代的自我の強烈さが資本主義と経済の発展に邁進した二十一世紀のアナロジーめくのです。それを「絵の中秋暑し」が雄弁に語っています。
 

【原石賞】秋の灯の堅田の路地に住まふひと
              益田隆久

【恩田侑布子評・添削】

樸の春の吟行会でおもてなしいただいた「俳句てふてふ」代表の今井竜さんのお宅が思われます。句の内容はこのままでいいのですが、表現として、「の」の三連続は調べをたるませ、のんべんだらりになっていませんか。さりながら「秋灯や」では内容にそぐわないキツさになってしまいます。上五はやさしく切りましょう。ぬくもりに満ちていた主をなつかしむ思いを、遠いけれど同じ秋灯の下にいますねという共感の滲むかたちで表現できます。

【添削例】秋ともし堅田の路地に住まふひと

 

【その他に評価の高かった句は次の五句です。】
 天高しスタートは祈りのかたち
              長倉尚世
 再開の芭蕉紀行や秋高し
              前島裕子
 稲妻や時の薬のきくを待つ
              山本綾子
 ヘルメットの露ふつ飛ばす手榴弾
              小住英之
 まろき背にとどめし秋や無著像
              星野光慶
 
🌹祝 現代俳句協会賞受賞🌹
大井恒行「水月伝」🌹🌹🌹

底なしや一足ごとに天の川  恩田侑布子(写俳)

7月20日 句会報告

2025年7月20日 樸句会報 【第154号】

7月20日はリアル句会だった。通常のzoom句会ではパソコンの画面を通して対峙している面々が静岡市生涯学習センターアイセル21に集合した。久しぶりに顔を合わせれば話したいことは山積みだ。隙間の時間を見つけては話の花が咲いた。
句会の後半は師が講師を務める早稲田大学オープンカレッジでの秀句を鑑賞した。とくに、「夕焼や天には天のゴッホゐて」という名田谷昭二さんのスケールの大きく瑞々しい感性に大いに刺激を受けた。

兼題は「トマト」「サンダル」。入選2句を紹介します。 

忘れたし手に白繭を転がして    恩田侑布子(写俳)
 

○ 入選
 白玉や母の話はまた元に
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

白玉団子を親子で向かいあって掬っています。たわいもない昔話が弾みます。老いた母の記憶はやさしく涼しげにまた元にもどってゆきます。はつらつとしていた頃にくらべ、頭脳の衰えが少しばかり感じられる昨今。白玉のなめらかな舌ざわりに、母の子として育った倖せをしみじみ思う夏の昼下がりです。
 

○ 入選
 満塁や灼くるシンバル灼くれど撲つ
               小住英之

【恩田侑布子評】

下五のしつこいリフレインと字余りが効果的です。高校野球の満塁の場面でしょう。満塁は、天も地もひっくり返るかの興奮のるつぼ。応援団やチアガールの汗をかきたてるシンバルが球場に狂乱のように反響します。こんな酷暑の瞬間なら体験してもいい、いえ、ぜひ体験したいと思わせてくれます。
 

 【その他に評価の高かった句は次の三句です。】
 
 下思ひや日へ透かしたるラムネ玉
              益田隆久
 古書店に雨おしえらる麦茶かな
              長倉尚世
 揚花火鉄の貴婦人張り合ひし
              佐藤麻里子
 

【後記】
俳句を始めて2年半が経つ。
入会当初に比べれば俳句への理解は大分深まったように思う。そんな中、これまで学んだ内容からはみだしていないことを確認し、リアル句会に投句した。
会員の選はまずまずだ。今日はよい評価がもらえるのではないか、期待が膨らんだ。
ところが師の選には1つも入らなかった。
理由は日記のような句であるから。
また小利口な70点の句を量産しても意味がないとも。
ガツンとハンマーで殴られたような気持ちになった。しばらくしてその言葉の本意が浸透し始める。ハンマーでガツンの次は冷水を浴びて目が覚めた、そんな感覚だ。
ああ、そういうことか…。
無自覚のうちに小手先の技術を覚えたことを師はすっかりお見通しなのだ。
改めて確信した。
俳句は面白い。
そして師恩田侑布子のもとで学ぶ俳句はとても面白い。
俳句作りにゴールはない。学び続け俳句のある人生を謳歌したい。

 (山本綾子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

天心へ発ちてつつまし蟬の穴    恩田侑布子(写俳)
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7月6日 樸俳句会
兼題は暑中見舞、合歓の花。
原石賞5句を紹介します。
 
【原石賞】病む朝を蛾の垂直に羽休め
              見原万智子

【恩田侑布子評・添削】

体調が悪いとつい気も滅入ってしまいます。そんな朝、「蛾」が「垂直に羽休め」というのですから、壁にひっそり止まっているのでしょう。「羽休め」では、作者にも蛾にも安堵が感じられ、くつろぎが出てしまいませんか。ここはものいわぬ蛾が「貼付く」陰気さを出したいところです。俳句ではやや使いにくい完了の助動詞「ぬ」が感触的にピッタリきます。夏の朝の作者の鬱陶しさや不安な体調も滲みます。

【添削例】病む朝を蛾の垂直に貼付きぬ
 

【原石賞】瑠璃釉に暑中見舞の氷見うどん
              小住英之

【恩田侑布子評・添削】

細いけれど強いコシと餅のような粘りがある氷見の手延べうどん。実際のおいしさもさることながら、「氷見」という固有名詞がじつに効いていて、氷床に盛られた涼しさを幻覚します。自分で買ったのではなく、暑中見舞いの知友の気遣いのありがたさも。焼物の「瑠璃」も白いうどんの肌との対比が見事。一つ惜しいのは「釉に」です。単なる色彩の対比になってしまうので、「鉢」とし、卓上に氷見うどんが盛られた存在感を表現しましょう。

【添削例】瑠璃鉢に暑中見舞の氷見うどん
 

【原石賞】なつかしき癖字三行夏見舞
              山本綾子

【恩田侑布子評・添削】

中七以降のフレーズ「癖字三行夏見舞」が出色です。それに比べると上五の「なつかしき」は平凡で、答えが出てしまいました。どうしたらいいでしょう。やり方は色々ありますが、一つの方法としては、この暑中見舞葉書を手にした時の質感を浮かび上がらせることです。「手漉き和紙に」とする風流路線もありますが、少しわざとらしくなります。「癖字三行」を書いてきた友だちの豪胆さが出れば、お互い元気に厳しい夏を乗り越えられそうです。。

【添削例】太ペンの癖字三行夏見舞
 

【原石賞】合歓咲くや七回忌了へ父の夢
              活洲みな子

【恩田侑布子評・添削】

全体的にあたたかい気持ちがぼうっと感じられますが、句末の「父の夢」で、すべてが夢幻にすぎないように思われてきます。俳句は、どんなに夢や幻想に飛翔してもいいですが、最後の最後はこの現実に着地しなければなりません。そうすると語順を変える必要があります。父は亡くなったけれど、父が愛して庭に植えた合歓が今夏は咲いている。夢は実現したのだという内容にしましょう。「合歓」の花のやさしい余韻が残る句になります。

【添削例】七回忌了へたる父の合歓咲けり
 

【原石賞】淵碧き砦裸のピカソかな
              佐藤麻里子

【恩田侑布子評・添削】

十九世紀以降、西洋の画家は宗教画から自由になり、自然の中で働き、くつろぎ、遊ぶ市民を画面に主役として描くようになりました。十九世紀後半から二〇世紀後半まで、一世紀近くを生き抜いたピカソの創作の源泉を「淵碧き」と捉えた素晴らしさ。しかし、「砦」は「芸術の砦」を思わせ。やや理に落ちませんか。ピカソはせっかく「裸」なので、碧の淵に遊び、創作のインスピレーションを得る開放感に解き放ちましょう。ピカソの天才を畏敬する秀句になります。

【添削例】碧々と淵に裸のピカソかな
 

 【その他に評価の高かった句は次の二句です。】
 
 向日葵や主治医の胸にアンパンマン
              活洲みな子
 等間隔警官配置沖縄忌
              成松聡美
 

ラムネ飲むからんころんと月日かな  恩田侑布子(写俳)

わが恩田侑布子 一句鑑賞 6

        益田隆久

photo by 侑布子
 
 ひいふつと子猿みいよう若葉風
恩田侑布子  
(『俳句』2025年6月号「八風」21句より)
 
 山を歩いているときだろう。子猿が何匹か目の前を通り過ぎたのだ。口角が思わず上がってしまう驚き。光景の意味を伝えることに重点を置くなら、「どこで、どんな瞬間に」を書く。例えば、「目の前を子猿飛び出し若葉風」・・・など。しかし光景を説明しようとするほど臨場感、実感から遠ざかる。
 「あ、子猿だ、一匹、二匹、三匹・・・」と、思わず呟いた。光景を伝えることを省き、呟きをそのまま俳句にする。思わず漏れた「つぶやき」を息が声となって口から漏れ出るごとく。それは体感そのもの。そして体感ゆえの弾むようなリズム。
 一度音読したら忘れない。大好きな一句の誕生。若葉風は動かない。子猿が「サッ・・」と横切り木立に消える。それは作者を思わず笑顔にしてしまった気持ち良い若葉風なのだ。

5月18日 句会報告

2025年5月18日 樸句会報 【第152号】

 「五月」というひびきのよい語感には、新鮮な生命力がある。物憂い晩春から一気にベールを脱ぎ棄てて、初夏へ。「新緑」「風薫る」「若葉風」…と季語にもあるように、大地が緑に染まるさわやかな季節だ。
 我が『樸』にも若葉風が吹く。アメリカから、フランスから、新しい会員が加わった。インド在住の会員も含め、日本以外の風土や文化を含んだ風が、『樸』に吹き込んでくることをとても楽しみにしている。
 今回の兼題は「薄暑」「蚕豆」。特選1句、入選2句、原石賞1句を紹介します。
 

息継ぎのなき狂鶯となりゆくも    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
スケートボード蔓薔薇すれすれに蛇行
             古田秀

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「薔薇」をご覧ください。

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○ 入選
 肩書のとれた名刺と空豆と
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

名刺に立派な肩書きがあればあるほど俗人はうれしく誇らしいかもしれません。しかし作者は「そんなもん、やっと取れた」と清々しく思っています。組織の人間でなくなった自由こそが、晴れて味わう五月の空豆の美味しさです。もちろんビールを片手にして。技法的には、「と」で名詞を並列した句は「たるみ」が出がちですが、この句は逆にその並列が効果を発揮してリアルです。
 

○ 入選
 新快速午睡絶滅皆スマホ
               林彰

【恩田侑布子評】

京阪神地域の主要都市を結ぶ快速の車輌風景。昔の夏は、戸外の暑さに疲れた人々が冷房の効いた車内に乗り込むや、ついうつらうつらして船を漕ぎ出したもの。しかし、今ではそんな人は一人もいません。みな小さなスマホの窓を覗き込んで指先で操作しています。名詞を五つ並べた句がビビッドなのは、句頭の「新」と中七の「絶滅」の効果。まず、新しい快速電車が走る午後に昼寝族は「絶滅」したという断定が面白いです。さらに、車両とスマホの相似形も見逃せません。肉体は車両にあり、脳はその縮小相似形のスマホに吸い込まれ、小さな画面から世界大の情報の海に溺れている夏の午後であることよ。「昼寝」の季語を、昼寝しない人らを素材に歌うのも新しい表現。
 

【原石賞】かたらねど母のかたはら緑さす
              前島裕子

【恩田侑布子評・添削】

病床にあって言葉少なくなられたお母さんでしょうか。黙っていても温かく心は通じ合っています。「緑さす」の季語の斡旋が抜群です。この世で許された浄福という感じがします。惜しいのは「かたらねど」の措辞の粘りです。上五を「もだす」という動詞に変えれば、心の通じ合った安らぎが一層感じられるでしょう。

【添削例】黙しゐて母のかたはら緑さす
 

【後記】
 私ごとだが、事情があってこの4月までの半年間、句会を休ませていただいた。「句を作ることを続けないと、句はだめになる」。日ごろの師の教えを胸に、締め切り前にバタバタと投句だけは続けた。
 5月から句会に再び参加。久しぶりの句会は…これがなかなか面白いのだ。Zoomの窓が開き、親しい人と目が合って思わず目礼。新入会員の紹介や会員の授賞式のお知らせには、小さな拍手があちらこちらから起こる。画面の窓は小さいけれど、恩田先生は相変わらずエネルギッシュだ。
 仲間の句を推す会員相互の熱弁(?)も、師から質問されて一斉に下を向く姿も、画面を通して息遣いまで感じられる。以前の私は断然リアル句会派だったが、会員の幅が広がり、パソコン操作にも少しだけ慣れた今、Zoom句会ならではの面白さを楽しんでいる。
 とはいえ、句会に参加できなかった期間に投句だけは続けることができたのは、句会後のお疲れも厭わずに全句講評をお送りくださった師の励ましの言葉や、句会の様子をそっと知らせてくれた句友たちとの繋がりがあったからこそ。俳句は座の文学だと言われるが、心と血が通ってこその座であると、しみじみ感じている。
 (活洲みな子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

宙ゆらぐ前に帰らん夏の闇    恩田侑布子(写俳)
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5月4日 樸俳句会
兼題はゴールデンウィーク、若葉。
特選2句、入選3句、原石賞1句を紹介します。
 

◎ 特選
 吾の歌に母の輪唱桜の実
             活洲みな子

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「桜の実」をご覧ください。

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◎ 特選
天上の母はすこやか樟若葉
             活洲みな子

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「樟若葉」をご覧ください。

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○ 入選
 死にたまふゆびのささくれ夏みかん
               見原万智子

【恩田侑布子評】

「死にたまふ」と、胸底に敬語で呼びかける人はどなたでしょう。ささくれた指から肌の乾燥し痩せ細った高齢の母を思います。母とは幼い日から夏みかんの厚い皮をむきあって、数限りない睦まじい時間を過ごしてきました。自分を産み育て、年老い、弱っていった愛しいその指はもう、くすっとも動いてくれません。しぶきのように迸る黄金の果汁に、ともに指先を濡らすこともありません。ややぶっきらぼうに投げ出された三段切れは茫然たる悲しみです。陽の色をした夏みかんの丸々した重量に、死者の指先の蒼ざめた硬直が哀切です。
 

○ 入選
 母がりは永遠の緑陰なりにけり
               益田隆久

【恩田侑布子評】

母はいつでも作者の憂悩を癒し、励ましてくれたやさしい方なのでしょう、まるで涼やかな緑陰のように。今も木陰を通り抜ける気持ちのいい風にくつろいでいると、ありありと母が甦ります。永遠に失われた肉体が、緑陰となって作者を待ってくれているようです。句末の「なりにけり」には文語のよさが発揮されています。ただ、「母がりは」はどうでしょう。上代は、母+接尾語「がり」で、母のもとへ、母のところへ、の意ですが、中古以降は助詞「の」を介し、「母がりの半日あまり桐の花  細川加賀」、「母許の廂の古りぬゑんど飯  永田耕衣」 などの先行句があります。「の」を介さない単独の名詞としての使用にはやや違和感があります。
 

○ 入選
 木香薔薇あふれんばかり死者の庭
               成松聡美

【恩田侑布子評】

一挙に咲き誇って、あたりを異様なまでの明るさにする木香薔薇の黄色のはんらんが、かえって死者の庭に合っています。「霊園」や「墓地」という言葉を使わなかったことで普遍性を獲得しました。その静寂に包まれて佇むことの不思議さ。初夏のひかりが迫ってきます。
 

【原石賞】夕若葉マーマレードの煮詰まるる
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

庭若葉にはまだ充分に日があるのに、時計の針はすでに夕刻をさしています。作者はたぶん夏みかんのマーマレードでも煮ているのでしょう。柑橘類の香りが厨いっぱいに広がります。日永は春の季語ですが、実際には夏至が最も日が長いので、夕方でも暗くならない若葉の和らいだ色と、ジャムの黄味とが響き合います。ただし句末の文法は誤りです。助動詞「る」は「詰まる」に接続しません。鍋の中に焦点を絞れば実感が出ます。

【添削例】夕若葉マーマレードの煮詰まり来(く)
 

卯の花の谷幾すぢや死者と逢ひ     恩田侑布子(写俳)

わが恩田侑布子 一句鑑賞1

        益田隆久

photo by 侑布子
 
 逢はで死ぬる心筋の闇ほとゝぎす
恩田侑布子  
(『現代俳句』「百景共吟」 2025年5月号)
 
 なぜ「心臓」でなく「心筋」なのか?「心臓」、それは身体から取り出した物体のイメージ。「心筋」ならば、今現在鼓動している「生命」そのもの。生命の躍動を強く感じさせる「心筋」という措辞。「逢はで死ぬる」、大切なものは目に見えない。「闇」は生命の根源。生命を、宇宙を創造した根源こそ「闇」。そして「ほとゝぎす」は、心筋の如く命の限り啼き続ける。その口の中は血のように赤いという。
 恩田侑布子は、若い頃大病を経験したと聞く。私も子供の頃、長く入院し体育の時間は小中9年間教室で過ごした。そのような経験をすると自分の身体というものを意識する。心筋を詠った俳句は見たことが無い。目に見えないものが実は大切なものであることを人は知らない。
 子供の頃、吉展ちゃん事件というものがあった。何年に一度あるかというような大事件だった。それが、今ではほとんど毎日のように残酷な事件が起こる。戦争は無人爆撃機をパソコン画面で操る。罪悪感無しに命を弄ぶ。昭和30年代に比べたら物質だけは溢れているが、社会が病み、心が病んでいる。こういう時代だからこそ、闇の中で休むことなく鼓動する「心筋」を、命というものを深く考える。