
2021年12月5日 樸句会報 【第111号】 2年にわたるコロナ禍、熱海での土石流、さらに地球環境の急激な変化が、私たちの身近に迫っていることを感じさせられて来た2021年も、いよいよ師走を迎えました。冬日和のこの日、12月1回目の句会が開かれました。
今回の兼題は、「冬晴」「冬菜」「狐火」。なかでも「狐火」は難しい兼題だと思います。
原石賞3句を紹介します。 芭蕉の句碑「狐石」を訪ねて
【原】狐火に句碑の上五の失せにけり
海野二美 【恩田侑布子評】 静岡市葵区足久保には、郷土のほまれ聖一国師が宋からお茶を伝えたことを記念して、芭蕉の「駿河路やはなたちばなも茶のにほひ」を大岩に刻んだ碑があります。茶商が茶畑のまん中に建てた大きな句碑です。岩の下に狐が棲んでいるという村の伝説があります。
この句の第一のよさは、「狐火」の兼題で、「狐石」の句碑を思い出し、中山間地の足久保まで足を運んだ作者の熱意です。第二のよさは、文字のかすれて読みにくくなった句碑を「狐火に上五が失せた」と感受したことです。これはすばらしい発見です。
句の弱点は、せっかくの詩の発見を、正直な前書きで理に落としてしまったことです。読者は「なあんだ、狐石だから狐火か」とがっかりします。前書きは要りません。芭蕉の「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」に唱和する気概をもって、一句独立させましょう。ご存知のように俳句で「翁」といえば芭蕉のことです。 【改】狐火に上五失せをり翁の碑 【原】媼よりの大根の葉の威風かな
都築しづ子
【恩田侑布子評】 ひとまず、上五の字余りを「をうなより」と定形の調べにし、〈媼より大根の葉の威風かな〉とするだけでも佳い句になります。さらに、年配の婦人から、丹精した大根、それも青々と葉のたわわな抜きたてを頂いたことをはっきりさせます。それには「もらう」より「給ぶ」が引き締まるでしょう。宝のような措辞「葉の威風」を存分に生かして座五に据えましょう。切れ字は使わなくても、かえって堂々とリアルな俳句になります。 【改】媼より給ぶ大根の葉の威風
【原】内づらの吾を見ている障子かな
益田隆久 【恩田侑布子評】 我が家の障子は「内づらの」私しかしらない。ところが、外づらの私はまったくの別人なんだよ。「障子」の兼題から、詩の発見のある面白い句が出来ました。ただ、障子が「内づらの吾を見ている」という擬人化は、かえってまだるっこしくありませんか。素直に叙しましょう。
【改】内づらの吾しかしらぬ障子かな 白く沈黙する障子にむかう問わず語りに、どこか人間という生きものの空恐ろしさが感じられる句になります。 サブテキストとして、今回と次回の季語の名句が配付され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。 冬晴 山国や夢のやうなる冬日和 阿波野青畝 冬麗や赤ン坊の舌乳まみれ 大野林火 冬麗の微塵となりて去らんとす 相馬遷子 冬菜 しみじみと日のさしぬける冬菜かな 久保田万太郎 坐忘とは冬菜あかりに在る如し 宇佐美魚目 狐火 狐火をみて東京にかへりけり 久保田万太郎 狐火を伝へ北越雪譜かな 阿波野青畝 余呉湖畔狐火ほどとおもひけり 阿波野青畝 狐火を詠む卒翁でございかな 阿波野青畝 狐火や真昼といふに人の息 宇佐美魚目 障子 障子あけて置く海も暮れ切る 尾崎放哉 障子あけて空の真洞や冬座敷 飯田蛇笏 日の障子太鼓のごとし福寿草 松本たかし 築地八百善にて
障子あけて飛石みゆる三つほど 久保田万太郎 おでん 飲めるだけのめたるころのおでんかな 久保田万太郎 ─語る。
人情のほろびしおでん煮えにけり 久保田万太郎 老残のおでんの酒にかく溺れ 久保田万太郎 冬の富士 ある夜月に富士大形の寒さかな 飯田蛇笏 小春富士夕かたまけて遠きかな 久保田万太郎 このなかで連衆の圧倒的な人気を集めたのは、恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』にも収録されている次の句でした。 しみじみと日のさしぬける冬菜かな 難しい言葉は一つも使わずに、「日のさしぬける」という措辞が冬菜の雰囲気をよく表しています。
今回は、原石賞3句、△2句、ゝ6句、・5句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ================================================
12月22日 樸俳句会 原石賞 【原】談笑に懺悔のまじるおでんかな
古田秀 【恩田侑布子評】
おでん鍋を囲んで、心安く打ち解けて笑い声をあげて話し合っていたら、そこに「いやあ、俺、そん時、こんなことしちゃったんだよ」と、過去の過ちを打ち明け出した友がいました。「懺悔のまじる」は推敲したいです。おでんと酒と人情の熱気で、ぐたぐたに酔ってゆく一夜を描くとさらに面白い人間味が出そうです。 【改】談笑のいつか懺悔になるおでん
【後記】
12月22日の樸アイセル忘年句会は、ひさしぶりに、関東から2名の俳友が参加してくださり、暖かく賑やかな嬉しい会になりました。
樸に入会してこの半年、俳句は句会に入り師と友を得て、そのなかで学び楽しむものであることを実感しています。同じことは、様々な活動やスポーツ、習い事、学問、芸術、さらには人生そのものにも当てはまるのではないかと思います。来たる年も、恩田先生と俳友の皆さんのなかで切磋琢磨しながら、「座の文芸」俳句の奥深さを味わっていきたいと思います。
(鈴置 昌裕)

2021年11月7日 樸句会報 【第110号】 昼過ぎには雲間にサックスブルーがこぼれ、雨意もすっかり払われました。久々に戻って来られたメンバーを交えて、心躍る句会の始まりです。ちょうど立冬。次回は冬季で詠むのかと思うと、日差しがより一層いとおしく感じられます。
兼題は「新蕎麦」「猪」「草紅葉」――いずれも晩秋の季語ですが、後に載せるそれぞれの例句のうち、「猪鍋」や「山鯨」は既に冬の季語。ちなみに、「蕎麦掻」「蕎麦湯」も冬の季語となります。美味しそうなものばかりですね。
特選句、入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。 ◎ 特選
彫るやうに名を秋霖の投票所
古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「秋霖」をご覧ください。
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○入選
小三治の落とし噺や草紅葉
萩倉 誠 【恩田侑布子評】 さきごろ八十一歳で亡くなられた人間国宝の噺家、十代目柳家小三治さんへの追悼句です。小三治さんは、俳句を愛好する「東京やなぎ句会」のメンバーでもありました。作者は小三治贔屓だったのでしょう。芸にいのちを賭けたひとの高座をつらつらと思い出しながら草紅葉を踏んでいます。噺に登場する長屋の誰れ彼れも、郭の花魁も、幇間も、みな草紅葉のように胸にせまり、いとしくなります。 【合評】 渋く落ちました。
語り口から生み出される世界。自分もそこへ引き込まれ、草紅葉として聴き入っている心地になる。
落語と草紅葉は確かに合っている。ただ、小三治でなくて他の噺家でもいいのでは? 追悼句であると前書きを付けてはどうか。
いや、「草紅葉」といったら、落とし噺の名手である小三治しかあり得ない。前書きも不要。
【原】「げんまん」の声こぼれたる草紅葉
田村千春 【恩田侑布子評】 「草紅葉」の兼題に、ゆびきりげんまんをもってきた感性がすばらしいです。弱点は、「こぼれたる」の連体形が草紅葉にかかること。切れをつくりたいです。 【改】「げんまん」の声のこぼれし草紅葉 こうすると、「指きりげんまん」が、過去のあの日あの時の忘れ難い声になり、草紅葉のしじまのなかにいつまでも余情となって残ります。すばらしい特選句になります。 【合評】 幼い頃の約束事は、大人から見ると他愛ないものが多いとはいえ、いたって真剣にかわされる。草紅葉と響き合うし、光景が美しい。
「げんまん」と平仮名だから子供同士とは思うけれど、親と子が唱えている声のような気もしました。
子供の会話を題材にした句というと既視感がある。 サブテキストとして、今回の季語の名句が配布され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。 新蕎麦・走り蕎麦 新蕎麦やむぐらの宿の根来椀 蕪村 新蕎麦を待ちて湯滝にうたれをり 水原秋桜子 もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦 草間時彦 猪・猪垣・猪道 (秋) 猪の寝に行かたや明の突き 去来 手負猪頭突きて石を落しけり 山中爽 猪垣の中やびつしり露の玉 宇佐美魚目 猪鍋・牡丹鍋・山鯨 (冬) ゐのししの鍋のせ炎おさへつけ 阿波野青畝
山鯨狸もろとも吊られけり 石田波郷
二三本葱抜いて来し牡丹鍋 廣瀬直人 草紅葉 家なくてただに垣根や草紅葉 松瀬青々 草紅葉焦土のたつき隣り合ふ 幸治燕居 泥地獄とぼしき草も紅葉せる 首藤勝二 好きな絵の売れずにあれば草紅葉 田中裕明
連衆の人気を集めたのは、次の二句です。 もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦 好きな絵の売れずにあれば草紅葉 「もたれたる…」の「今年蕎麦」には、食欲を掻き立てられると評判でした。すがすがしい空気、煌めくせせらぎと水の香、蕎麦を打つ音――まさに五感が悦ぶ作品。伊豆の人気の蕎麦処を思い浮かべましたが、名店ひしめく信州かも。今か今かと待ち受ける、その場にいたら、瀬音より大きな音でお腹が鳴ってしまいそう。
「好きな絵の…」は、お気に入りの絵を目当てに通い詰めている画廊へ、足早に向かう人か、あるいは、「よかった、まだあった」と見届けたのち、帰りの路地をたどりつつ、「ほんとは買いたいんだけど…」と溜息をついている人でしょうか? 道端の草の紅いろが目に留まり、絵への愛着は増すばかり。市井をただよう哀歓をそっと掬い上げる、こんな優しい「草紅葉」もあるのですね。 【後記】
本日は、まず恩田より「体験をすぐに五七五にせずに、一回肚のそこに落とし込んで、その人なりの言葉にしているのが共感を呼ぶ句です。読むたびに新たな感動を誘われます」と心得を説かれ、全員の背筋が伸びました。
範とすべき作品として、先ごろ刊行された恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)が浮かびます。同書をひもとけば、「珠玉句を一粒ずつあじわう楽しみ」と同時に、「いのちの一筆書きをたどる〝俳句小説〟の愉悦」にも浸ることが叶うのですが、それは、作者が「身體全部で俳句をやった」からに他なりません(「 」内:恩田解説――やつしの美の大家 久保田万太郎――から引用)。
生木のままではない、自らの中で熟成させたのちに昇華されたものだからこそ、当時の色、音、匂いまでもが、生き生きと立ち上がってくるのかと納得しました。 (田村千春) 今回は、特選1句、入選1句、原石賞1句、△3句、ゝ10句、・8句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 11月24日 樸俳句会 特選句・入選句・原石賞 ◎ 特選
銀杏落葉ジンタの告げし未来あり
田村千春 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「銀杏落葉」をご覧ください。
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○入選
月蝕をあふぐ落葉のスタジアム
見原万智子 【恩田侑布子評】 十一月一九日金曜夜、部分月食が見られました。私も山の谷間で、山の端にうかぶ薄曇りの月蝕をいまかいまかと見上げていました。作者はスポーツか、音楽ライブか、いずれにしても巨大なスタジアムの観客として月蝕を仰いでいます。「落葉の」という限定がきわめて効果的です。野外場の周りは樹木が多く、そこから落葉がスタジアムの客席まで吹き込んでくる光景が想像されます。足元もコンクリの通路に色とりどりの落葉が散り敷いていることでしょう。人間の地上の祭典と天体のショーがひびき合っています。
【原】小夜時雨ペダルふみこむ塾帰り
鈴置昌裕 【恩田侑布子評】 なかなかいいところを捉えています。季語は下にもってゆくとよりいっそう余情が出ます。また「塾帰り」と「小夜時雨」がやや重なるので、「塾の子」と主語を先に明かしましょう。 【改】塾の子のペダルふみこむ小夜時雨
【原】葉脈は骨格となり朴落ち葉
林 彰 【恩田侑布子評】 発見がある句です。朴落葉の来し方行く末をしっかりとよく見ています。朴の木は五月、万緑のなかに、白い大きな芳しい花を冠のように咲かせます。そして、落葉は、ひときわ大きく、茶色の地味なそれは雨風とともに存在感を日々増してゆきます。まさにそれが朴の「骨格」をなす葉脈です。私は一昔前に西伊豆山中で、その骨格の葉脈だけが見事なレース細工のようになった一枚の朴落葉に感動したことがあります。このままでは経過途中です。結果だけを表現しましょう。 【改】葉脈はつひの骨ぐみ朴落葉 こうすると、朴落葉の気品まで感じられませんか。
【原】落ち葉踏み子らの走るや声高き
望月克郎 【恩田侑布子評】 落葉などほとんど眼中になく、公園や校舎裏を走り回る冬でも元気な子らの声。悪いところはないですが、俳句としての魅力がいまいちなのはなぜでしょうか。作者の感動の焦点が那辺にあるか、つかめないからです。「落葉を踏んで子どもたちが走っているよ。声も高く元気だよ。」と見たままの報告に終わっていませんか。話の順番を変えるだけで変わります。 【改】声高く子らの走るや落葉踏み 子どもらと、踏みつけられる落葉の対比がはっきり出ます。そこに、蛇笏の「落葉ふんで人道念を全うす」ではありませんが、元気にかけまわる子らを底で支えながら去ってゆく、声なきもろもろの存在がじわりと伝わります。詩の核心が誕生します。
【原】猫を撮る落葉に膝は湿りつゝ
塩谷ひろの 【恩田侑布子評】
猫好きな作者であることがわかります。しかも美しい猫なのでしょう。三十六歳で死んだ夭折の画家菱田春草の「黒き猫」(明治四三年)が目に浮かびます。ただしこの句はこのままでは、季語の「落葉」より、下五の「膝は湿りつゝ」のほうが目立ちます。座五は抑えましょう。 【改】猫を撮る落葉に膝を湿らせて こうすると、一匹の猫と向き合う静かな空間が立ち上がります。
【原】ふつくらな猫に寄り添ふ小春空
萩倉 誠 【恩田侑布子評】 副詞「ふっくら」は通常は「と」を伴います。同じ意味ですが冬の日にふさわしい微妙に陰影のある「ふっくりと」に変えてみましょう。季語も「小春空」ですと、冬晴れの空へ猫の毛の質感が消えて失くなりそうです。猫のからだのやわらかさを感じさせつつ、このあたたかさや慰安が、つかの間のことであることを感じさせる季語を斡旋し、調べをととのえましょう。 【改】ふつくりと猫に寄り添ふ冬うらら
【原】茶の花のけぶりて白き水見色
益田隆久 【恩田侑布子評】 静岡の奥座敷「水見色」村は、その美しい地名とともに、朝晩の霧の深い本山茶の茶処としても有名です。春は桜、夏は螢や河鹿が棲む、たいへん風光明媚な山里です。けぶりてまではいいですが、「白き」が惜しい。言わでもがなのことを言ってしまいました。ここが、ただの五七五か、俳句という詩になるかどうかの分かれ目です。水見色という清冽な地名を活かすために、朝や午前の日にかがやく清冽な茶の花の光景を描き出しましょう。すばらしい風土賛歌になります。 【改】朝にけに茶の花けぶる水見色

2021年4月4日 樸句会報【第103号】 2021年卯月の句会は、久しぶりのリアル句会でした。本日は「静岡まつり」の最終日。祭りの終わりを告げる花火の音が開け放した窓から入ってきて、最初は春雷かと思いました。 兼題は「あたたか」「柳の芽」「物種蒔く」です。 入選3句、原石賞3句を紹介します。 ○入選
湖出づる川のさざめき柳の芽
猪狩みき 【恩田侑布子評】 湖のひとところから水が流れ出し、川になって流れるところです。たっぷりした湖から狭い川幅に入り込み、流速がまし、水音も高まるようすを「湖出づる川のさざめき」と端的に捉え、そこに柳の芽がしだれて、水につくかつかないかというところ。映像的センスが抜群です。みずほとりに生まれ出る春の清らかな勢いがまさにさざめいて。
あとから聞くと、琵琶湖を訪ねられたとのこと。吟行句がこんなに生き生きとまとめられるのは素晴らしい!
【合評】 湖から川になろうとしている。柳の芽と川のさざめきが響きます。
諏訪湖から天竜川に出るところを見たことがあります。よく見る風景かもしれない。
「湖」では大きすぎませんか?
一読、「きれいだね」で終わってしまいました。
○入選
あたたかし肩揉む爪の短さよ
海野二美 【恩田侑布子評】 爪を伸ばしてあざやかなマニキュアを塗った指は女性ならではの美しさです。でも、そんな手で肩を揉んでほしいとは思いません。むしろ深爪なくらいの十指が肩揉みやマッサージにはふさわしい。指先のまるさと、指の腹から伝わる力に、あたたかな春光があふれます。座五の「短さよ」に、揉んでくれる人の日頃の家事の甲斐甲斐しさも偲ばれます。「俳句は旦暮の詩」といった岡本眸さんの名言を思い出しました。二段切れですが、もしも「あたたかに」とつなげたらこの句の実直さはこわれてしまいます。まさか、長年のマニキュアが美しく印象的だった二美さんの句とは思いませんでした。ご母堂の介護のために爪を短くされたそうです。心身も部屋の空気もみな暖か。
○入選
職辞せる妻の小皺のあたたかし
金森三夢 【恩田侑布子評】 今月で、長らく働いてきたお勤めを辞める妻。世の中に出て働くのはなにかと摩擦が多く、心身ともに疲れるもの。お疲れ様。ご苦労さんでしたという、夫からの感謝と労いのやさしさがあふれています。大ジワや深い皺でなくてよかった。「小皺」が愛らしく素晴らしい。愛情がここに通っています。人生の記念になる一句です。
【合評】 「職辞せる妻」に爽やかさを感じました。二人で家計を支えてきた。妻の小皺が頼もしく宝物のように思っている作者がいます。
長年暮らした歳月が感じられる。妻に対するねぎらいの情があらわれています。
「職辞せる」で切れるのではないか?自分が仕事を辞めたと取れる。妻の小皺を羨ましく感じているのでは?
自分のことなら「職辞して」になると思います。
【原】物種撒く終の棲家と決めし日に
益田隆久 【恩田侑布子評】
「物種蒔く」と歳時記の本題にあり、私もそれに倣って出題しましたが、ふつう俳句にするときは、具体的な植物の名前を据えて「あさがほ蒔く」とか、「鶏頭蒔く」とか、「牛蒡蒔く」「花種を蒔く」とかするほうがいいです。また、「撒く」は「水を撒く」のマクです。十七音しかない俳句なので誤字脱字には十分注意しましょう。 【改】あさがほ蒔く終の棲家と決めし日に なら、「終わりの始まり」が印象的な奥行きのある入選句になります。
【合評】 「種」が持っているのは「終わり」と「始まり」。ここが自分の終わりの家だという感慨がある一方、何かの始まりでもあるということを「種」に託しているのだと思います。
【原】春陰のブロック塀で消す煙草
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】
急速にマイナーな存在になりつつある愛煙家が、人の家を訪問する直前にタバコの火をブロック塀で消すとは、ありそうでなかなか気付かない面白い光景です。「春陰」の季語に、春の薄暗い物陰と心理的な陰翳がかさなって奥行きがあります。惜しいのは「で」です。
【改】春陰のブロック塀に消す煙草 こうすると一字の違いとはいえ、春陰の季語が生きて来ます。句格が上がり入選句になります。
【合評】 この方は紳士で、普段はこういうことはしないのですが、春で自律神経が乱れ、イライラが募ってついやってしまったのでしょう。
ドラマ性が感じられる怪しげな句。ブロック塀の陰で何かアクションをおこすタイミングをはかっているのではないか。
「春陰」「ブロック塀」「煙草」でアンモラルな感じが出ている。
【原】柳の芽くぐりくぐりて車椅子
山本正幸 【恩田侑布子評】
さみどりの柳の芽を空からのやさしいすだれのように思って、車椅子を押す人と乗る人が、ともに頰を輝かせている情景が目に浮かびます。このままでもなかなかの俳句ですが、「芽」と「て」で調べが小休止するのが惜しまれます。
【改】芽柳をくぐりくぐるや車椅子 こうされると一層リズミカルになって、かろやかな春のよろこびがにじみ出ませんか。
【合評】 外に出たかった気持ちがよくあらわれています。一人で乗っているのでしょうか。車椅子は案外安全な乗り物なんです。
いろいろな事を「くぐりくぐりて」ワタシは爺さんになっちゃいました。
句会冒頭、本日の兼題の例句が恩田によって板書されました。
物種蒔く あさがほを蒔く日神より賜ひし日 久保田万太郎 子に蒔かせたる花種の名を忘れ 安住 敦 死なば入る大地に罌粟を蒔きにけり 野見山朱鳥
暖か 暖かや飴の中から桃太郎 川端茅舎 あたたかな二人の吾子を分け通る 中村草田男 あたたかに灰をふるへる手もとかな 久保田万太郎
柳の芽 退屈なガソリンガール柳の芽 富安風生 柳の芽雨また白きものまじへ 久保田万太郎
合評と講評の後、角川『俳句』4月号に掲載された恩田侑布子特別作品21句「天心」を読みました。
連衆の共感を集めたのは次の句です。下部に連衆の評の一部を掲載しました。
身のうちに炎(ほむら)立つこゑ寒牡丹 虚無僧の網目のなかも花あかり ふらここの無垢板やせて春の月
やすらげる紙にのる文字春しぐれ
花の雲あの世の人ともやひつゝ 作者の今の心境や生き方を反映している句が多いように感じました。(全体)
私には何のことか分からず情景の浮かばない句もいくつかありましたが、全体的に調べやリズムがよく気持ちよく読めました。(全体)
感覚をはっきり的確に言葉に出している。寒牡丹のあざやかな色をフィルターから外へ取り出す手際のあざやかさ。(寒牡丹の句)
虚無僧すら幻惑されてしまう花なんですね。(虚無僧の句)
ふらここに長い歳月を感じます。おおぜいの子どもたちが乗って遊んだのでしょう。静止している一枚の木の板をいま春の月が静かに照らしています。(ふらここの句)
地上にあるものと空の月。季語がふたつですが、逆にそれによって情景がよく見えます。季重なりに必然性があると思いました。(ふらここの句) [後記]
本日の句会で、投句のひとつに顕われた「マイナス感情」をめぐって、句作のありかたについての議論になり、恩田は「あらゆる感情に付き合っていくのが文学です」と述べました。
たしかに、句を読んでいて今まで味わったことのないような感情に驚くことがあります。いや、本当は未知なのではなく、自分の中で忘れたり隠されたりしていたものが俳句の力によって呼び起こされたのでしょう。たった十七音でそれができるとは! (山本正幸)
今回は、○入選3句、原石賞3句、△5句、ゝシルシ10句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ●樸俳句会ではリモート会員(若干名)を募集しています。ネット(夏雲システム)を利用して全国どこからでも、投句・選句・選評ができます。投句に対して恩田侑布子が講評・添削をいたします。 リモート会員として入会ご希望の方はこちら
============================ 4月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。
○入選
円陣解く野球少年春疾風
山本正幸 【恩田侑布子評】 五七五の展開の小気味好さ。とくに上五の「円陣解く」と下五の「春疾風」がよく響き合い、一句は大きな時空に開放されます。小学生の男の子たちでしょう。地域の名監督(・・・)が率いる野球団に入って休日の朝から練習に励んでいます。ときどき、よその学区の野球団と他流試合もあります。これはその草野球の開始前。グラウンド中央に全員集合!お揃いのユニフォームで不揃いの背丈が仲良くスクラムを組み、「行くぞ!」の一声で、かけ足でポジションへ散ってゆきます。場外には、下の子を遊ばせながら見守っている父や母や祖母がいます。誰もが青空にヒットの快音を期待しながら、そこは、なかなか。三振やファールが続いたり、たまに川原のやぶ草に飛込む場外ホームランが出たり。以後は春疾風。少年はたちまち青年になり、父になり、疾風怒濤の生涯が待ち構えています。〈竹馬やいろはにほへとちりぢりに〉の万太郎は、ひらがなのやさしさ。正幸さんの作品は、漢字のいさぎよさと言えそうです。

2021年1月10日 樸句会報【第100号】
樸代表 恩田侑布子 第100号記念祝詞
このたびの初句会が樸句会報の100号記念になるとのこと、慶賀に存じます。これも連衆のみなさまの熱意のたまものです。心から感謝しおん礼申し上げます。
樸は一人ひとりが真剣に、「リアル・オンライン融合句会」の全俳句を選句し、口角泡を飛ばして合評し、笑い合う楽しい句会です。そこにぱらぱら振られる恩田のカプサイシンが心地よい緊張感をもたらすことを庶幾しております。もちろんコロナ禍とあって、だだっぴろい部屋には三方向から風が吹き込み、美男美女があたらマスクをしております。が、そこからはみだす頬のかがやかきは隠しようもございません。三時間余の句会を、「生きがいです」とも「ボケ防止です」とも言ってくださる連衆のイキイキした俳句に私自身が毎回励まされております。三役と編集委員のみなさまのたゆまぬご支援にもつねづね頭が下がります。
そうと教えられるまで夢にも知らなかった第100号記念、本当にありがとうございます。これからも一人ひとりの目標に向かって、互いに温かく見守りあい切磋琢磨して、一句でもいい俳句をつくってまいりましょう。
2021年の初句会は、新型コロナウイルス感染再拡大の影響もありネット句会となりましたが、新年に相応しい力作が寄せられました。 兼題は「初雀(初鴉、初鶏)」「去年今年」です。 特選1句、入選1句、原石賞6句を紹介します。 ◎ 特選
ししむらを水の貫く淑気かな
古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(淑気)をご覧ください。
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○入選
初鴉燦々とくろ零しゆく
田村千春 【恩田侑布子評】
元日の淑気のなかをゆく鴉の濡れ羽色がきわやかです。黒い色はひかりを吸いますからふつうは「燦々と」は感じられません。ところがこの句では、「燦々と」にたしかな手応えがあります。「初鴉」を句頭に置き、「くろ」をひらがなにしたことでしなやかな羽根の動きが眼前し、「零しゆく」で、青空に散る水滴が墨痕淋漓としたたるのです。みどりの黒髪ならぬぬばたまの羽の躍動は斬新です。一句一章の句姿も新年のはりつめた空気さながら。
【原】終電ののちの風の音去年今年
猪狩みき
【恩田侑布子評】
終電の通り過ぎたあとの風に去年今年を感じるとは、まさにコロナ・パンデミックに襲われた昨年をふりかえる二〇二一年ならではの新年詠です。ただ「カゼノネ」という訓みかたはクルしくないですか。
【改】終電ののちの風音去年今年
あるいは都会の無機質な風の質感に迫って
【改】終電ののちのビル風去年今年
などにされると、コロナ禍に吹きすさぶ深夜の風がいっそうリアルに感じられるでしょう。
【合評】 終電を降り人がほとんどいないホームに立つと、私はまず「こんなこといつまで続けるんだろう」と思い、次に「今日はやり切った。そして続けるしかない」と気持ちを切り替え、さらに移動し始めます。気持ちの境目と去年・今年の境目という二重構造になっている点が優れていると思います。
終電を降りて深夜の家路を急いでいます。すでに年は改まりました。自分ではよく働き、よく生きてきたと思う…。耳元で風が囁きます。「あゝ、おまへはなにをして来たのだと…」(by中也)。作者の心情がよく伝わってくる句だと思いました。
コロナ禍で深夜の初詣も自粛。終電も早くなったことのむなしさと淋しさが後の風に良く響く。さりげない一句に、例年にない年明けの哀感が滲み出ている。
【原】胸に棲む獅子揺り起こす去年今年
金森三夢 【恩田侑布子評】
力強い新年の詠草です。ただ終止形の「す」だと一回きりの感じがしてもったいないです。「去年今年」の季語ですから、いくたびも揺りおこしつつという句にしたいです。そこで、
【改】胸に棲む獅子揺り起こし去年今年 一字の違いで秀句になります。
【合評】 作者の内にある獅子を起こす。今年の意気込みを感じる。
【原】今年こそ麒麟出でよと富士映ゆる
金森三夢 【恩田侑布子評】
ご存知のように中国の古典では麒麟は聖人がこの世に現れると出現するといわれ、才知の非常にすぐれた子どものことを麒麟児といいます。郷土の誇り富士山に、気宇壮大な幻想を力強くかぶせたところがすばらしい。惜しいのは最後の「映ゆる」。「麒麟出でよ」と富士山が身を乗り出しているようで俗に流れます。ここは作者自身の肚にどーんと引き受けたいところ。
【改】今年こそ麒麟出でよと富士仰ぐ 格調のある特選句◎になります。座五は大事。俳句の死命を制します。
【原】干涸びし甲虫の落つ煤払い
島田 淳 【恩田侑布子評】
「煤払い」のさなかに貴重な体験をしました。いえ、俳句の眼がはたらいていたからこそ、この瞬間を見逃さなかったのでしょう。「夏のカナブンがその姿を止めていた」と作者はコメントしています。その感動にたいして「落つ」はもったいない。正直なたんなる報告句になってしまいます。
【改】干凅びし甲虫と会ふ煤はらひ 詩的ドラマが生まれます。
【原】初雀しばし「じいじ」に浸りおり
萩倉 誠 まだ幼い孫におじいちゃんおじいちゃんと慕われ、まといつかれる作者。「初雀」と「じいじ」の取り合わせがなかなかです。そのぶん「浸りをり」でいわゆる「孫俳句」に転落しかかったのが惜しいです。 「孫が逗留中。「じいじ」「じいじ」の大洪水。溺死しそうな毎日が続く」の作者コメントを生かし、こんな案を考えてみました。
【改】初雀「じいじ」コールに溺死せり
浸るのではなく溺死。俳味を得ればもう「孫俳句」とはいわせません。
【原】レジとづれば大息つきぬ去年今年
益田隆久 【恩田侑布子評】
コロナ禍の日本で、いえ世界中の小売店でどれほどこのような光景が日々繰り返された去年今年であったことでしょう。「大息つきぬ」に理屈抜きの実感があります。ただ「レジとづれば」の字余りの已然形はいかがでしょうか。「…するときはいつも」は現実に忠実かもしれませんが俳句表現としては弛みます。ここはレジを閉じる一瞬に焦点を当て定形で調べを引き締めたいです。
【改】レジ閉ぢて大息つきぬ去年今年 これならすぐれた時代詠の入選句◯になります。
【合評】 年中無休が当たり前のようになった現代の小売業。サントムーンもららぽーとも大晦日元日関係ないかのように営業していました。掲句はずっと小規模な商店かもしれませんが、大晦日も営業していたのでしょう。「大息」に実感があり、レジを閉じる音とともに年が変わってしまったような錯覚が生きています。ああもう今年は「去年」に、来年は「今年」になってしまった… [後記]
新年詠に際して連衆のそれぞれの思いを一部抜粋してみました。 昨年の初句会で恩田代表から、新年の季題は明るく、めでたしが良しと伺った。それを基に作句・選句しました。
「去年今年」が平べったく「去年と今年」「去年から今年」となってしまいとても難しい季語だと思いました。新年の明るさや喜びの句が少なかったのはやはりコロナ禍のせいでしょうか。
たった一語の違いで、つまらない句が活き活きと動き出すおもしろさ。日本語の素晴らしさ。
年始の慶びを実感できない、表現しづらい社会状況だった。きっといまの時代にしか作れない俳句があると思うので、喧騒ややるせなさを逆手にとって、したたかに頑張っていきましょう。
俳句という器のサイズと、季の中に私自身を往還させることの大切さを改めて認識出来ました。季語ともっと親しくなるために、机の上で作句するだけでなく、自然環境に身を置く事を大切にする一年としたい。
緊急事態宣言が再発令され、なかなかコロナ収束が見通せない年初です。
句座をフルメンバーで囲める日の来ることを心より願います。思う存分口角泡を飛ばしたい筆者です。 (山本正幸) 今回は、◎特選1句、○入選1句、原石賞6句、△4句、ゝシルシ9句、・5句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
===================== 1月27日 樸俳句会 特選句と入選句を紹介します。
◎ 特選
レコードのざらつき微か霜の夜
萩倉 誠 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(霜夜)をご覧ください。
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○入選
風花舞へり六尺の額紙
萩倉 誠 【恩田侑布子評】
「額紙」は「葬式のときに棺を担いだり位牌を持ったりする血縁者が額につける三角形の紙」と、辞書にあります。私の経験したお葬式にはそうした風習はなく、初めて知った言葉です。知ってみるとなかなか迫力のある光景です。
六尺の大男の額に三角の白紙がひらひらして、そこに風花が舞うとは、きっと喪主なのでしょう。悲しみに寡黙に耐えて白木の仮位牌を胸に抱き出棺の儀式に歩むその瞬間でしょう。句またがりのリズムが効果的。
作者がわかってお聞きすると、御殿場市の田舎では1950年代まで土葬だったそうです。棺を担ぐ男たちを「六尺」といって、みな白い三角の額紙をつけて土葬の野辺まで歩いたそうです。帰りには浜降りといって、黄瀬川や千本松原で仮位牌に石をぶつけて流したそうです。日本の古い送葬の儀式の最後の証言ともいうべき大変貴重な俳句です。
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。