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恩田侑布子さんの「石牟礼道子の俳句」評

20190210 川面さん

川面忠男様がブログの転載をご快諾くださいました。川面様、厚くお礼申し上げます。 ご執筆の日は石牟礼道子さんの一周忌にあたります。     黒田杏子さんが主宰の俳句結社「藍生」の俳誌2月号は石牟礼道子の追悼特集を組んでいる。俳人、作家、学者、写真家の6人が寄稿しているが、その1人は俳人・文芸評論家の恩田侑布子さんで石牟礼道子の俳句を鑑賞している。それを読んでAI(人工知能)のレベルが上がっても石牟礼道子の俳句を作ることは難しいだろうと思った。  石牟礼道子は詩人・小説家だが、2018年2月10日に亡くなった。生前は熊本で水俣病を文明病として訴え、それを文学活動にした。  恩田さんは石牟礼を「みっちん」と親しみを込めて呼び、『石牟礼道子全句集 』から恩田侑布子選として23句を挙げている。これらの中から7句について「石牟礼道子の俳句 ふみはずす近代」と題して論じている。  石牟礼道子の俳句は、コンピューターが集めたビッグデータの解析から抜け落ちるとし、「常人が感知しえない異形のものを聞き澄ます詩人」だと述べている。それは7句すべてに言えるが、とりわけ以下の2句について自分の句作に関連して感じるものがある。    童んべの神々歌う水の声    無季の句。〈童んべ〉は「わらんべ」とルビが振ってある。恩田さんは「等類がない俳句」と言う。等類は素材・趣向が他の俳句と類似することだ。「現代俳人の句は似通っていて、おうおうにして既視感につきまとわれる。一方、石牟礼の自前の感性と自前の言葉は空怖ろしい」。その自前の感性は個性といった安っぽいものではないとも言う。    さくらさくらわが不知火はさくら凪  「不知火」について恩田さんは両義があるとして次のように言う。「ひとつは別称八代海の名を持つ海の名前。ふたつは神話時代からの海上の怪火を意味する秋の季語」。そのうえで、一句の忘れ難さは「さくら凪」という新造季語の初々しさにもある、と指摘する。「新作季語は、俳人が一生かかっても容易にはつくり得ないもの。二十世紀の悲母からわたしたちはやさしく妖しい季語を頂戴した」と付言する。  そして最後に次のように述べる。〈「いま・ここ・われ」は、近現代俳句の合言葉であった。みっちんの俳句はそこから何という遠い地平、何という広やかな海と山の間にあることだろうか。〉  もし私が「さくら」という春の季語と「不知火」という秋の季語を一句に織り込めば、指導者から注意されるだろう。私のように余生の趣味として俳句を楽しんでいる者から見れば石牟礼道子の俳句は別世界であるが、そこに真実の詩があることは恩田さんの鑑賞に導かれて理解できた。       川面忠男(2019・2・10)                     樸俳句会でも取りあげられた『石牟礼道子全句集 泣きなが原 』についてはこちら

12月2日 句会報告

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平成30年12月2日 樸句会報【第61号】 例年になくあたたかな師走の二日目、12月最初の句会がありました。 今回は、入選3句、△2句、ゝシルシ8句、・ シルシ4句でした。 兼題は「鴨」と「冬木立」。 今回は○入選3句いずれも、恩田だけが採ったもので、高点句は全く別という結果でした。                      〇大八の幅の隧道蔦枯るる              天野智美 「蔦の細道(東海道五十三次で一番小さな宿場・丸子の宿から岡部へ越える峠)の北側にある明治の隧道を詠んだ句ですね。やっと大八車が通れるほどの幅で、暗いトンネルです。出入り口に枯蔦が迫る山の狭い空も見えてきます。しっかりと写生が効いている。ゆるみのない措辞で、昔の隧道と往時の人々の暮らしを思いやる気持ちが表現されています。今昔の感じが、ものに託してしっかり書いてある。手堅い良い句です」 と恩田侑布子が評しました。                                      〇石畳当てなく暮るる漱石忌              天野智美 「“石畳”の切れに、近代、イギリスを感じます。漱石は近代と真っ向から取り組んだ人。ロンドンに留学してノイローゼになり、その後ずっと近代的な個人主義のもんだいを考えた。“則天去私”を言いながら、則天去私の生き方はできずずっと近代と戦った人。いまだにわれわれも“近代”をのり超えていませんね。そういう漱石の苦しかった一生、そうして文豪となった漱石への畏敬の念が表れている句です。“石畳”という措辞がとても良い。“自然”の中で生きるのと全く逆の生き方、都市の文明と生活を暗示しています。中七の“当てなく暮るる”に作者は自分の心象を重ねている。うまくて、深い句だと思いました」と恩田が評しました。                                〇だらしなき腹筋眺む憂国忌             芹沢雄太郎 「おもしろい句です。自分のたるんだ腹筋と三島の肉体を対比し、自虐し、自己を客観視する余裕がある。その奥にボディビルで肉体改造し自決した三島の生き方への批判もある。つまり二度のひねりが効いています。含みと味わいのある句。振り幅の広い豊かな句だと思います」と恩田の評。  作者は「三島の自己陶酔には批判的だった。もっとゆるくでいいじゃない、と語りかける気持ちで詠んだ」とのことでした。   合評の後に、『石牟礼道子全句集 泣きなが原』からの句を鑑賞しました。  おもかげや泣きなが原の夕茜  さくらさくらわが不知火はひかり凪  来世にて逢はむ君かも花御飯(まんま)         などの句が人気でした。 恩田は『藍生』2019年2月号に「石牟礼道子の俳句論」十数枚を寄稿いたします。                 『石牟礼道子全句集 泣きなが原』についてはこちら(注目の句集・俳人)             [後記] 「うまいけれどよくある句、パターン的によくある句、デジャビュ感のある句」という評が多かった今回。どうやって新たな表現を見いだしていくかは常に課題です。「自分の井戸を掘ることと、万象にオープンマインドでかかわっていくことを同時にやれるのが俳句の醍醐味」との恩田の言葉に、俳句の楽しさと難しさの両方を感じた句会でした。 次回兼題は、「冬至」と「セーター」です。  (猪狩みき)

石牟礼道子全句集 泣きなが原

泣きなが原

 等類がない俳句。それが石牟礼道子の俳句の最大の特徴である。現代俳人の句はどこか似通っていて、おうおうにして既視感につきまとわれる。一方、石牟礼の自前の感性と自前のことばは空恐ろしい。恐ろしいはずである。なぜなら、その自前は、個性などというものにもとづくのではなく、何万年とも「齢のわからない」精霊と風土を背負いこんだものであるのだから 。   「ふみはずす近代」 恩田侑布子   (『藍生』2019年2月号「石牟礼道子追悼特集」より)        ↓ クリックすると拡大します

7月1日 句会報告

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平成30年7月1日 樸句会報【第52号】 例年より早い梅雨明け後の、七月第1回の句会です。 入選2句、原石賞3句、シルシ1句、・7句という結果でした。 兼題は「夏の燈」と「葛切または葛桜」です。 入選句と原石句から1句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)                              〇夏ともし母が箪笥を閉める音             芹沢雄太郎 合評では、 「涼しさと静けさのなかの音と。静かで寂しい感じでもあり、静かで平穏な幸せを感じでもある」 「涼しい感じ、夏痩せした母だろうか、ちょっとさみしげな句」 「老いた母の立てる音、さみしい感じが表されている」 というような老いた母をイメージさせるという評がある一方、 「あまり寂しい感じはしない。リズム感のある句で日常のいろいろな場面が想像できる」 との感想もありました。 恩田侑布子は、 「老いた母とは思いませんでした。子どものころ、夏蒲団の上でうとうとしていると、几帳面な母がたたんだ衣服を箪笥にしまう音がするといった光景でしょう。夏灯の持っている庶民的な生活のふくよかさと同時に昭和の簡素な暮らしの匂いも感じる。読み下すと響きも良い。夏灯に涼しい透明感があります。箪笥を閉める静かな音に一句が収斂していくところがいい。つつましくも清潔なくらし。ほのぼのとした句ですね」 と講評しました。                         〇岬まで歩いてみよか夏灯              天野智美 合評では、 「“夏灯”と上五・中七が合っている、風を感じられる句」 「涼風!が吹いている」との感想がありました。 恩田侑布子は、 「小さな岬に行く道の途中に夏灯がポツンポツンとある情景が浮かび、涼しさが伝わってくる。西伊豆に多い30分で行って戻れるような岬でしょうか?単純化された良さがあり、また軽快な口語がシンプルな内容とあっている。夏灯の季語が生き生きと感じられる愛すべき句」 と講評しました。                【原】梅雨の月太り肉な背白濁湯             藤田まゆみ 恩田侑布子は、 「よくある温泉俳句だが、平凡を免れている。五・七・五がすべて名詞で、そこから今にも降り出しそうなふくらんだ月、白濁した露天の湯、脂ののった女体、という存在感が迫る厚みのある描写である。中七の“な”が口語っぽいのが問題。“太り肉な背”→“せな太り肉(じし)”にしましょう。 〈 梅雨の月せな太り肉白濁湯 〉となり、これなら文句なく◯入選句でした」 と講評しました。                         投句の合評と講評のあと、本年2月10日90歳で逝去された石牟礼道子の句集『天』の俳句を鑑賞しました。 当日のレジュメです。クリックすると拡大します。            ↓  椿落ちて狂女が作る泥仏    わが酔えば花のようなる雪月夜  常世なる海の平(たいら)の石一つ   などが連衆の共感を呼びました。 「子規以降、近代以降の俳句とは違うところから書かれている。“写生”という姿勢から出発していない俳句。専門俳人の高度な技術とは違う次元、別の土俵から立ち上がっている句である。子規の写生がすべてではない。“俳句という文芸の広さゆたかさ”を意識していたい」 と恩田が話しました。                            〔後記〕 俳句初心者には、鑑賞、合評でかわされる感想がとても興味深いです。入選句の母の年齢をどうイメージするかのそれぞれのとらえ方の違いを楽しみました。 次回兼題は「山開き」「夏越」です。     (猪狩みき)