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10月26日 句会報告

2025年10月26日 樸句会報 【第156号】  十月は五日と二十六日にZoom句会。  五日の兼題は、「秋の川」「秋の湖」「秋の海」。六十句の中から入選一句、原石賞一句が選ばれた。後半は、芭蕉の『笈の小文』購読の第二回目。原稿用紙一枚ほどに芭蕉のエッセンスが詰まっているという冒頭が深く、すんなりと読み進められるものではない。「信じがたいほど濃厚な修辞と思想のアラベスク」の面白さを理解したい一心で、先生の熱のこもった解説を取りこぼさぬよう必死でメモをとる。芭蕉の荘子観、「もの」の理解はたやすくはないが、芭蕉の内心の格闘が読み取れて現代の私たちの心を打つ。  二十六日の兼題は、「肌寒」「林檎」。この日は三島吟行の当初の予定が雨天で延期となり、急きょZoom句会開催となったためか、投句はやや少なめの五十三句。入選句はなかったものの、原石賞に三句が選ばれた。まず総評で、「凝視の足りなさ」の指摘を受ける。「直観把握」、「現実をグリップする」大切さ、俳句の原点と言えそうな点に立ち返らされた。「手垢のついていない発想」が求められる一方、季語は「おもやいのもの」であるから、「先人たちの営為をリスペクトし本意、本情を酌む」ことが必須という! かくして「動かない季語」で詠むというのが、まだ俳句歴半年経つか経たぬ自分のような初心者にとって、登山道の入り口の道標に刻みたいところ。後半は、今後の予定について民主的ディスカッションで時間も押した中、先生の『笈の小文』の惜しみない解説とおさらいがとても有難かった。   一休の「諸悪莫作」や秋の潮    恩田侑布子(写俳)    10月5日の入選1句、原石賞1句、その他評価の高かった句を紹介します。   ○ 入選  露の世の薬局あかりジムあかり                古田秀 【恩田侑布子評】 「露の世」で始まる俳句といえば、一茶が幼い娘の死を悼んだ〈露の世は露の世ながらさりながら〉があまりにも有名です。一転してこの句は、現代の都会生活の夜を名詞句だけを並べ、情的にスッキリ乾いた表現にしています。とっぷりと暮れた街路に、青白い薬局のあかりとジムのあかりだけが煌々と灯っていることだよとうたいます。薬漬けの長い老年期と、そうならないようジムに通う中高年層と。対比のようで、半分は重なり溶け合っていることでしょう。並列された二つの建物に深みもあり、世俗のおかしみもあります。日本の現在の超高齢社会の実相が照らされています。   【原石賞】病室に月ありあまる鎖骨かな               小住英之 【恩田侑布子評・添削】 入院されているのでしょう。自句ととれなくもないですが、自分の鎖骨は鏡に映さなければ見えませんから、見舞い、あるいは看護している家族の方でしょう。句会になって、作者がニューヨーク在中の医師とわかりました。痩せ衰えた鎖骨と「月ありあまる」の措辞の取り合わせが出色です。肉付き豊かな姿を知るがゆえのいたわしさに、月光が澄みわたります。語順だけが惜しまれます。「鎖骨かな」という硬い響きが座五に置かれると月光が折れてしまうようです。せっかくの素晴らしい中七の措辞を生かして、結句で余白をひろげましょう。 【添削例】病室の鎖骨に月のありあまり   【その他に評価の高かった句は次の四句です。】    鳥の名を釣り人に問ふ秋の海               岸裕之  なほ続く無人集落うろこ雲               活洲みな子  冷やかや鏡の国として都心               古田秀  対岸も淋しき国ぞ秋の海               小松浩   【後記】  フランスに二十五年暮らす身で作句してみたくなったのは、単なる母語恋しさではない。大人になって移り住んだ国の言葉の獲得も完全ではないので、日本語と外国語のはざまで暮らす私なりの感覚や揺らぐ記憶をことばにのせて人と共有してみたいと思った。もしかすると、「私は = 仏語一人称 « Je » 」で我中心に定義することにやや疲れているのかもしれない。俳句によってものに託す、ものと一体化する、無限のつながりを求めているのかもしれない。  「心は新しく、ことばは古きものを使う」  作句では意識的にパソコンを離れ、紙に鉛筆で縦書きするのが新鮮だ。ひらがなで書くことで解きひらかれ、旧仮名遣いでたおやかさが加わり、漢字の硬質さが特有のリズムや視覚効果を生む。塑像の自在さに石の彫刻を混ぜたような遊びを子供のように楽しんでいる。  嬉しいことに、離れた母国のある種の世相(忖度?KY?)への憂慮が、樸句会の参加によって見事に覆された。独断で選んだ句の拙い擁護も、選ばなかった句に対する自分なりの否定意見も、それが適っていても独りよがりでも、各者の人生が透けて見え、温かに受け止めてくれる土壌が樸俳句会にはある。解釈が浅くても、先人と共有される美意識を取り違えても、発言後恥ずかしながら素直に認められる。対する先生の率直な辛口評も実に軽やか、ドラマチックな解釈で句を高みに導く鮮やかな評も刺激的で、この座の面白さは体験した人にしか分からないだろう。だから時差も厭わず、毎回うきうき句会に臨んでいる。  (佐藤麻里子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 手を触れて水の切れ味紅葉川    恩田侑布子(写俳) ==================== 10月26日の原石賞3句、その他評価の高かった句を紹介します。   【原石賞】赤りんご青空見つめ八十年               岸裕之 【恩田侑布子評・添削】 敗戦の焼け野原に流れていたのは「りんごの唄」。「赤いリンゴにくちびる寄せて/だまって見ている青い空」とうたう並木路子の明るい声だったと、よく両親が言っていました。作者は四歳で終戦を迎え、それから高度経済成長期へ突き進む日本も、ここ三十年の停滞する日本も、戦後八十年の歩みをずうっと見てきました。原句は上五の「赤」と中七の「青」の対比が目立ちすぎるので、抑えましょう。さらに「青空」と「八十年」だけを漢字に、あとはひらがなにひらくと、愛誦性に富んだ平易にして深い句になります。 【添削例】りんごりんご青空みつめ八十年   【原石賞】人は人を忘れて芒原を歩む               川崎拓音 【恩田侑布子評・添削】 発想が非凡です。自分がすすき野をゆく時は、人のこの世を忘れてしまうけれど、それは己だけではない。誰しもがこの一面のすすき原の道なき道をゆくときは茫然として人を忘れてしまうのだ。このせっかくのすぐれた内容が原句では助詞がごちゃごちゃして未整理のため、ギクシャクと落ち着きません。二つの無駄な「を」をとり、季語を座五に据え替えるだけで句が安定し、「芒原」が茫茫たる広がりを見せるようになります。 【添削例】人はひとわすれてあゆむ芒原   【原石賞】乱気流の中掌中の林檎の香               海野二美 【恩田侑布子評・添削】 飛行機が乱気流のスポットに飲み込まれ、機体が揺すぶられてしまうときは、まさかとは思いつつも恐怖感に襲われます。そのたまゆらの不安な心情と、紅い林檎を掌にして祈る姿が印象的です。原句で気になるのは「の中」「中の」の重複感です。また、乱気流のさなかにしてはリズムが落ち着き払っています。上五でしっかり飛行機に乗っていることを示し、漢字表記で危機感を視覚的にも表しましょう。そのぶん、下五はやさしいかわいいひらがなにして、地上の健やかな果実に生還の祈りを託しましょう。 【添削例】飛機乱気流掌中のりんごの香   【ほかにも次のすぐれた二句が発表されました。】 前者はラフな博士のいきいきとした仕草。後者は「露」という日本情緒の十八番の季語を使った和洋混淆の新しみが出色。 「林檎」の作者はニューヨーク在住の医学研究者。「露」の作者は旬日前に訪れたアイルランドはダブリン市街での詠草ということです。    ジーンズに林檎を磨く博士かな               小住英之  露ふるふ大聖堂の鐘の音               見原万智子   わが恋は芒のほかに告げざりし  恩田侑布子(写俳)