『俳句』に恩田連載中の「偏愛俳人館」8月号は芝不器男です。ご高覧ご叱正いただければ幸甚に存じます。 注目の俳人 芝不器男(1903・4・18〜1930・2・24享年26歳10ヶ月) 二十二歳から二十六歳までの代表二十九句 恩田侑布子抄出 ↑ クリックすると拡大します 筆始歌仙ひそめくけしきかな 芝不器男 山川の砂焦がしたるどんどかな 古草のそめきぞめきや雪間谷 下萌のいたく踏まれて御開帳 春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 卒業の兄と来てゐる堤かな この奥に暮るる峡ある柳かな 永き日のにはとり柵を越えにけり ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月 まながひに青空落つる茅花かな 人入つて門のこりたる暮春かな 白藤や揺りやみしかばうすみどり 産土神(うぶすな)に灯(ともし)あがれる若葉かな 花うばらふたゝび堰にめぐり合ふ 南風の蟻吹きこぼす畳かな 蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 風鈴の空は荒星ばかりかな 向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし よべの雨閾(しきみ)ぬらしぬ靈祭 うちまもる母のまろ寝や法師蟬 ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 新藁や永劫太き納屋の梁 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 銀杏にちりぢりの空暮れにけり 岨(そま)に向く片町古りぬ菊の秋 落葉すやこの頃灯す虚空蔵 寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ 以下、樸連衆の句評です。 古草のそめきぞめきや雪間谷 春、雪が解けてまずあらわになるのは新芽ではなく「古草」。その在りようを「そめきぞめき」(意味としては「ざわめき」に近いでしょうか)と表現することで、待ちきれない春の予感めいたものが伝わってきます。雪が徐々に解けていく最中の「雪間谷」なのだと思いますが、そこでは「古草」にさえもしっかりと春の意識があるように感じられました。 ──古田秀 春の雷鯉は苔被(き)て老いにけり 春の雷と共に苔を纏って泳ぐのは太古から生きてきたかと見紛う鯉。神話を眼前にしたかのよう。 ──天野智美 卒業の兄と来てゐる堤かな 高校を卒業し故郷を離れる兄と三月の堤に佇み、昔話や今後の生活について語り合う景。穏やかで温もりを感じる兄弟愛がうらやましい。万だの桜や萌えいずる草木が彩る土手の情景が鮮明に浮かぶ句である。 ──金森三夢 この奥に暮るる峡ある柳かな 春の柳が緑に芽吹いている。川原だろう。川沿いに上れば山間が迫り暮れかかる頃。 眼前の柳のかがやく緑は命を見つめる作者の目には鮮やかだ。 ──村松なつを 永き日のにはとり柵を越えにけり 「永き日」「柵」には、気怠さと閉塞感が漂っている。そこから易々と脱け出す鶏。そんなユーモラスな光景が、名画の味わいをもつ句に昇華された。ぼってりとしたマチエールで、読む人の心に刻み込まれます。 ──田村千春 ふるさとや石垣歯朶(しだ)に春の月 ふるさとを実感させるものは、大河でも勇壮な山でもなく、普通なら見過ごされそうな月夜に揺れる石垣の歯朶。そのしみじみとした実感に胸を突かれる。なんという細やかな感覚。 ──天野智美 人入つて門のこりたる暮春かな 「暮春」の本意を掲句によってはじめて教えられた思いです。人が門に吸い込まれていったという動きがあり、その残像によって暮春の門の静けさがより深まっていきます。 ──山本正幸 白藤や揺りやみしかばうすみどり 香りの良い白い花房が揺らぐ様には、誰もが陶然とさせられるでしょう。風が止み、作者はその清冽な白に瑞々しい緑も溶けていることに気づいた。「揺れ」「色」に透徹した視線を注ぎ、藤の花の本質を捉えた繊細なスケッチ。 ──田村千春 南風の蟻吹きこぼす畳かな 真夏の暑さがよみがえった。スイカの種など見つけて蟻が畳に上がり込んでいる様子を「畳から湧いて出たような蟻」と見立てているのがおもしろい。見る角度を変えるだけで本質に近づくこともあるんだなぁ。 ──山田とも恵 南風の思わぬ強さに抵抗しつつも飛ばされていく蟻が健気で、後に残る「畳」も爽やかに匂い立つようです。 ──古田秀 蓬生(よもぎふ)に土けぶりたつ夕立(ゆだち)かな 激しい夕立の様子がうかびます。この様な夕立が以前はよくありました。 ──樋口千鶴子 いきなりの夕立が、それまで陽を浴びて乾ききっていた土の匂いを運んできた。湿気とともに煮魚や早めの入浴など、生活の匂いが流れてくる。やがて晴天が戻り、清冽さを増した蓬生の香りが立ちこめるだろう。 ──見原万智子 向日葵の蕋(しべ)を見るとき海消えし 夏を謳歌するように咲き誇った向日葵も枯れて・・海で楽しく過ごした夏を惜しむ気持ちでしょうか・・ ──海野二美 海が消えた代わりに見えるのは、突き抜けるような青い夏空。 ──見原万智子 ふるさとを去(い)ぬ日来(き)向(むか)ふ芙蓉かな 盆休暇が終わり帰京する日、ふと庭に目をやると、芙蓉の花が「元気でね。また来てね」と語りかける様に静かに咲き始めている美しい景。去ぬと来向ふの技法が効いている。 ──金森三夢 あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 白黒の艶を生かした絵のごとく美しい句。夜雨の葛にかさね、あなた(彼方)をみつめるうち、幸せを与えてくれた大切な人の面影も浮かんでくる。ア音の連なるリフレインから、「貴方」への切ない思いが汲み取れます。 ──田村千春 望郷に純愛が秘めてあるのかも。透明感のあるさびしさ。 *「かな」の句の多さが気になりました。 ──萩倉誠 柿もぐや殊(こと)にもろ手の山(やま)落暉(らつき) 柿の近景。落暉の遠景。橙色が重なって柿をもいでいながら落暉までつかんだみたい。 ──前島裕子 新藁や永劫太き納屋の梁 納屋とは言え、太い簗から旧家の様子がうかがえます。 ──樋口千鶴子 みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 K音の響きが大好き。かすかに冬の予感や寂しさを感じさせる。――芹沢雄太郎 気に入りの木椅子なのか。みじろいだ時のきしむ音にいとおしさを、感じているような。秋日和がきいている。 ──前島裕子 寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ 物と影が一体なのは当たり前なのだがその当たり前の目を離れ、まるで幽体離脱していたものがさっと元に収まるような不思議な感覚に襲われる。ポーを引き合いに出すまでもなく、寒鴉という言葉の持つ不穏な気配、内なる獰猛さが詩情をかき立てる。 ──天野智美 作者の影と鴉が一体となってしまったようでこわくなるが忘れられない句。26歳で亡くなったと知るとますます忘れられない。 ──前島裕子 死神?早世を暗示する不気味な句。 ──萩倉誠