令和2年4月5日 樸句会報【第88号】 令和2年度最初の句会は、新型コロナの影響を受けて、樸はじまって以来のネット句会でした。 今回は若手大型俳人の生駒大祐さんが参加して新風を吹き込んでくださいました。 兼題は「鶯」と「風光る」です。 入選2句、原石賞3句および最高点句を紹介します。 ○入選 千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり 前島裕子 桜の花に雪が降りこめてゆく美しさを、千鳥ヶ淵という固有名詞がいっそう引き立てています。 ら行の回転音四音も効果的です。完成度の高い俳句です。 (恩田侑布子) 【合評】 類想はあるように思うが、「桜かくし」という表現がよく効いている。「花」ではなく「桜」という言葉を用いることで、ベタベタの情緒ではなく現実に顔を出す異界の乾いた不気味さを詠み込むことに成功している。 ○入選 赤べこの揺るる頭(かうべ)や風光る 金森三夢 風光るの兼題に、会津の郷土玩具の赤べこをもってきた技量に脱帽です。しかもいたって自然の作行。「赤べこ」は紅白のボディに黒い首輪のシンプルな造型のあたたかみのあるおもちゃです。 素朴で可愛い赤い牛の頭が上下に揺れるたびに春風が光ります。ここは「あたま」でなく「かうべ」としたことで、K音の五音が軽やかなリズムを刻み、牛のかれんさを実感させます。 福島の原発禍からの再生の祈りも力強く感じさせ、さっそく歳時記の例句にしたい俳句。 (恩田侑布子) 【合評】 お土産にもらった赤べこは多分どの家にもあったと思うが、その赤べこの頭の動きが「風光る」と組み合わさることで春らしいささやかな幸せを感じさせる句になっている。東北のふるさとのことを思っているのかとも想像される。 【原】青葉風鍾馗様似の子の泣けり 天野智美 たいへん面白い句になるダイヤモンド原石です。 句の下半身「の子の泣けり」が、上句十二音を受け止めきれず、よろめいてしまうのが惜しまれます。 【改】青葉風鍾馗様似のややこ泣く のほうが青葉風が生きてきませんか。 (恩田侑布子) 【原】鱗粉をつけて春昼夢を覚める 村松なつを 内容に詩があります。半ば蝶の気分で春昼の夢から覚めるとはゴージャスです。アンニュイとエロスも匂います。 残念なことに表現技法が内容を活かしきれていません。なにがなにしてどうなった、というまさに因果関係の叙述形態になってしまっています。 また、「つけて」という措辞はやや雑な感じ。 そこで添削例です。 華麗にしたければ、 【改1】鱗粉をまとひて覚むる春昼夢 抑えたければ、 【改2】鱗粉をまとひて覚めし春昼夢 など、いかがでしょうか。 (恩田侑布子) 【合評】 現実に体のどこかに鱗粉がついているのか、鱗粉がついてしまう夢を見ていたのか判然としない。「鱗粉をつけて」「覚める」と言い切ることによって、昼の夢から覚める瞬間のぼんやり感へ読み手を連れて行く。そうか、春のきらめきを鱗粉に例えたのだな、と考えるとますます散文に翻訳不能になり紛れもなく「詩」なので、特選で採らせていただきました。 「胡蝶の夢」の故事を踏まえた句だろうが、つきすぎや嫌みではないと感じた。それは「春昼夢」という造語めいた言葉が句の重心になっているからで、機知よりも虚構の構築に向けて言葉が機能している。 夢の中で蝶と戯れていた。いや自らが蝶になって自在に遊んでいたのでしょう。まさしく「胡蝶の夢」。春昼の夢から目覚めたら、おのれの体だけでなく心も鱗粉にまみれていたという驚き。官能性も感じられる句です。現実に還ればそこはコロナウイルスがじわりと侵攻している世界でした。 【原】花の雨火傷の痕のまた疼き 芹沢雄太郎 詩があり、情感がよく伝わってきます。 ただこのままですと表現がくどいです。 添削案として一例を示します。 【改】花の雨およびの火傷また疼き (恩田侑布子) ※ 本日の最高点句 【・】風光るバイク降り立つ調律師 見原万智子 風光る と、調律師 の取り合わせは面白いですが、「降り立つ」でいいのでしょうか。 (恩田侑布子) 【合評】 「バイクを降り立つ」のが「調律師」であるという展開に、意外性が良いと思いつつ納得もしました。確かに家々を回る調律師の仕事にバイクはよく似合います。季語「風光る」が、バイクのエンジン音までリズミカルに、楽しげに聞こえさせているとともに、これから調律されるピアノの期待感を増幅しているように思います。 調律師がバイクで現れる意外性、その調律師の様子が「風光る」に表されている。 繊細な職業の方が颯爽とバイクから降り立つとは・・正に風が光りました。 言葉の選び方が素敵、「風光る」にふさわしい! 宮下奈都さんの『羊と鋼の森』を読んで、涙が出るほどの感動を覚えたのを、鮮やかに思い出しました。「ピアノを食べて生きていく」と決めた人を支える、調律師という仕事を選んだ若者の成長を描いた小説です。 風を切って疾走し、コンサートホールの前で停まるナナハン。調律するピアノの調べが春のイメージを乗せて聞こえてくるような句。ヘルメットを外すベテラン調律師のしゃんとした背筋が光る。 繊細な神経と技術を持つ調律師がバイクから降り立つ様が「風光る」によっていっそうきりっと浮かび上がる。しいて言うと、かっこよすぎて戯画調になっているきらいも。 [後記] ネット句会をはじめて体験しました。このワクワクドキドキ感はなかなか味わえません。恩田代表や連衆の講評・感想、作者の自句自解が一覧でき、何度でもじっくり読み返すことができる大きなメリットがあります。とはいうものの、フェイス・トゥ・フェイスで口角泡を飛ばしての白熱した議論(今は泡をとばすとコロナ感染の恐れがありますが)こそが句会の醍醐味ではないでしょうか。新型コロナウイルスの収束を只管祈ります。 次回兼題は、「筍」と「浅蜊」です。 (山本正幸) 今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ9句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、3月25日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。 https://www.youtube.com/watch?v=NIwxvNW6MzE
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1月19日 句会報告
令和2年1月19日 樸句会報【第84号】 大寒前日の句会。穏やかに晴れた静岡です。本日は高校生が一人、清新な風を連れて参加されました。 兼題は「手袋」と「蜜柑」です。 入選5句を紹介します。 ○入選 蜜柑むきつつ相関図語りをり 田村千春 この「蜜柑」はめずらしく淫靡な感じがします。誰とだれとが本当は男女関係にあるんだとか、あの人とあの会社の利害がこれこれ絡まっているんだとか。スキャンダラスな内容が「相関図」にこめられています。三字熟語は週刊誌的なエゲツナサをなまなましく臭わせます。皮から剥かれたばかりのやわらかなオレンジ色の実が俗世のどろどろした滑稽感を出している面白い句です。 (恩田侑布子) 合評では 「日だまりでオバさんたちがしゃべっている。きっと大勢で、近所の下世話な話を」 「XとYの相関についての問題を解いている学生かと思いました。蜜柑を剥きながら少し力を抜いて…」 「辞書を引くと“相関図”は一義的には、縦軸と横軸のグラフのようです」 「学問のことだったら“語りをり”ではなく“論じをり”でしょう」 など見方は様々でした。 ○入選 ひどろしと目細む海や蜜柑山 天野智美 「ひどろしい(※眩しい)」という静岡の方言を一句の中に見事に活かした俳句です。作者は蜜柑山に立っています。まぶしいほどねと眼を細め眺めているのは、真冬でもおだやかに凪ぎ渡った駿河湾のパステルブルーでしょう。暖国静岡の冬のあたたかさ、風土の恵みのすがたが活写された地貌俳句といっていいでしょう。蜜柑山もきらきらたわわに海の青と映発しています。 (恩田侑布子) 選句したのは恩田のみでした。 合評では 「俳句における方言の是非ですね。いいのかな?」 「“ひどろしい”という言葉は最近知りました」 「私は子どもの頃からまぶしいことを“ひどろしい”と言ってましたのでよく分かる句です」 など方言を使うことをめぐる発言が続きました。 (山本正幸) ○入選 蜜柑剥く訣れを口にせしことも 山本正幸 若き日、「もうこれっきり訣れよう」と喧嘩した男女が、いまは暖かな部屋で静かに蜜柑をむいてくつろいでいます。あのまま別々の道を歩き出していたら、いまごろどうなっていたことか。いや、「別れちゃえばよかった」と、ほんの少し思わせるところに大人の味があります。「口にせしことも」という句またがりのもったりしたリズムと、いいさしで終わるところ、なかなかの俳句巧者です。 (恩田侑布子) 恩田のみ採った句。 合評では 「よくありそうなこと。新鮮さを感じない」 と厳しい意見も。 (山本正幸) ○入選 過激派たりし友より届く蜜柑かな 山本正幸 ドラマのある俳句です。昔、ゲバ学生で有名だった学友が、いまは故郷の山で蜜柑農家になっています。上五の「過激派」から下五の「蜜柑」にいたるひねりが出色です。温暖で陽光あふれる地を象徴する果実である蜜柑と、風土に根付いた友の変わり方をよかったなと思いつつ、内心の苦衷を友だからこそ思いやる作者がいます。 (恩田侑布子) この句も恩田のみ選句。 合評では 「“蜜柑”である必然性は? 林檎じゃダメですか?」 「蜜柑には安っぽさがあって、そこがいいと思う」 「ひょっとして“みかん” は“未完成”ということを言いたいのでしょうか…?」 などの感想が飛び交いました。 (山本正幸) ○入選 冬の蟻デュシャンの泉よりこぼれ 芹沢雄太郎 二十世紀現代美術の問題作であったオブジェ「泉」は男性小便器でした。この句の弱さは現実の光景としてはありえないことです。一言でいって頭の作です。ただし、作者は確信犯なのでしょう。美点は、現代アートのメルクマールに百年後のいま、果敢に挑戦したところ。レディメードのオブジェの冷たさが幻想の冬の蟻によって際立ちます。冬眠しているはずの蟻が、小便の代りに便器を次々に黒い雫のしたたりとなってこぼれ落ち続ける。これは今世紀の新たな悪夢です。分断され孤独になった分衆の時代の象徴でしょうか。 (恩田侑布子) 合評では議論百出。 「黒い蟻がうじゃうじゃ湧いてくる。それを便器が耐えている。白黒の画面が目に浮かぶ」 「これは本当に冬のイメージでしょうか。また、蟻の生態との関係はどうなんでしょう?」 「幻の蟻かもしれない」 「センスはとてもいい句だと思います」 「“泉”は夏の季語ですけれど、ここは“デュシャンの泉”イコール“便器”だから問題ないのですね」 「デュシャンの作品は室内に展示されているはず。そこに蟻がいるのかな?」 (山本正幸) 投句の合評・講評のあと、恩田が俳句総合誌(『俳句』『俳壇』『俳句α』)に発表した近作を鑑賞しました。 連衆の共感を集めたのは次の句です 凧糸を引く張りつめし空を引く 『俳壇』1月号 身体髪膚鏡に嵌まる淑気かな 『俳句』1月号 神楽太鼓撥一拍は天のもの 『俳句α』冬号 梅花皮(かいらぎ)の糸底を撫で冬うらら 『俳壇』1月号 ふくよかな尾が一つ欲し日向ぼこ 『俳句』1月号 「凧糸」の句が一番多く連衆の点を集め、「新春の清新な空気と抜けるような青空が伝わってきます。“引く”が繰り返されることで、上空の風の強さも伝わってきます。“張りつめ”ているのも、凧糸だけではないのでしょう」との鑑賞が寄せられました。 [後記] 兼題「蜜柑」は産地で身近にある題材のため、句にし易かったようです。日々の暮らしや蜜柑にまつわる様々な思いが詠まれました。かたや「手袋」に恋心を忍ばせたいくつかの句には点が入らず苦戦しました。でも、高点句に名句なし。季語の持つ多面性を感じることのできた楽しい句会でした。 次回兼題は、「寒燈」と「春隣」です。 (山本正幸) 今回は、○入選5句、△4句、ゝシルシ4句、・8句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、1月8日の句会報は、特選、入選、原石賞がなくお休みしました。
12月8日 句会報告
令和元年12月8日 樸句会報【第82号】 12月最初の句会。兼題は「冬の月」と「鰤」です。 入選4句と原石賞2句を紹介します。 ○入選 鰤さばく迷ひなき手に漁の傷 見原万智子 大きな鰤をなんのためらいもなく手馴れた手順で三枚に下ろしてゆく漁師。包丁さばきの手を追っていて、ハッとした。肉の盛り上がった大きなキズ痕があるのだ。胸を衝かれた瞬間のこころの動きがそのまま五七五の措辞の運びになった。調べも潔い。逃げ隠れできない一つ甲板の上で来る日も来る日も大海原と対峙する漁業。荒々しい労働の過酷さが、句末の一字「傷」に刻印され、雄々しい海の男が堂々と立ち上がって来る。(恩田侑布子) 今回の最高点句でした。 合評では、「漁師の姿が浮かんでくる」「屋外で露骨に作業している光景。潔く、小気味よく包丁が動いている」「“傷”より“疵”にしたほうが良いのでは?」「いや、“疵”だと文学趣味的になってしまう」 などの感想・意見がありました。(芹沢雄太郎) ○入選 短日の切株に腰おろしけり 芹沢雄太郎 やれやれと切株に腰を下ろして息をつくと、ふっと冷たい気配を背中に感じた。この前まで木が広げていた葉叢はあとかたもなく、頭上はすーすーの冬空である。日はすでに西に傾き、夕刻まで幾ばくもない。いのちを断たれた木に座って疲れを癒やしている自分はいったい誰れなのか。切株になるのは木ばかりではないぞと、そぞろに思われてきたのである。 (恩田侑布子) ○入選 多磨全生園 寒林を隔て車道のさんざめき 天野智美 東京都東村山市にあるハンセン病患者を収容する施設の奥はだだっ広い寒林であった。冬木の林を隔てて、車がひっきりなしにゆきかう車道と色とりどりの町並みがある。かつて病人を「らい病」と呼んで虐げ差別した長い歳月があった。痛恨の歴史をうち忘れたような消費社会の世俗の賑わいを「さんざめき」と捉えた感性がいい。〈望郷の丘てふ盛土冬の月〉も対の句。言葉をうばわれた人々のかけがえない歳月に思いを寄せる智美さんの共感能力に敬服する。 (恩田侑布子) 恩田だけが採った句でした。 ○入選 立読める安吾の文庫開戦日 山本正幸 坂口安吾は終戦直後の『堕落論』で一躍有名になった無頼派作家。これはエッセー「人間喜劇」にある世界単一国家の夢かもしれない。七十八年前の今日、大東亜戦争という名のもとに狂気の戦争を自らおっぱじめた日本。作者は書店の文庫コーナーでささっと斜め読みして間もなく立ち去る。開戦日であることの痛恨をこの店内のだれが思っているだろうか。 (恩田侑布子) 合評では、「安吾が好きなので採りました。文学的に反戦を表している」「本屋での光景が浮かびました」「“立読める”という気楽な表現が良い」など様々な感想、意見が飛び交いました。 (芹沢雄太郎) 【原】アフガンの地に冬の月如何に照る 樋口千鶴子 中村哲さん(一九四六年〜二〇一九年十二月四日)の非業の死は、遠い巨大な地震の報のように内心を震撼させた。だれも真似の出来ない四〇年の菩薩行は銃弾をもって贖われた。純粋な善行が凶刃に嘲笑われる二一世紀になってゆくのだろうか。千鶴子さんのまっすぐな気持ちが下五の「如何に照る」にこめられた。切なくなる。有季の俳句は季語に感情が託せるといい。 【改】如何に照るアフガンの地や冬の月 こうすると、白い寒月が荒漠の地にかかる。冬の月が語りだすのである。 (恩田侑布子) 合評では、「中村哲さんの時事句、追悼句として、怒りや悲しみが伝わってくる」などの意見があがりました。 (芹沢雄太郎) 【原】もう逢へぬ寒月射せる白き額 山本正幸 当「樸」は恋句を詠む人が多くてうれしい。百になっても臆することなくつくってほしい。恋は感情の華だから。ところでこの句は、寒月の下での忘れ得ぬ別れ。原句のままだと中七のリズムがもたつきやや説明的。 【改】もう逢へぬなり寒月の白き額 こうすると、いとしいひとの白い額が寒月光に浮かぶ。いま、わたしのてのひらを待つかのように。 (恩田侑布子) 今回の兼題についての例句が恩田によって板書されました。 同じ湯にしづみて寒の月明り 飯田龍太 石山の石のみ高し冬の月 巌谷小波 酔へば酔語いよいよ尖る冬の月 楠本憲吉 蒼天に立山のぞく鰤起し 加藤春彦 鰤裂きし刃もて吹雪の沖を指す 木内彰志 寒鰤は虹一筋を身にかざる 山口青邨 注目の句集として、堤保徳『姥百合の実 』(2019年9月 現代俳句協会) から恩田が抽出した二十一句が紹介されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。 燈台はいつも青年月見草 胸の火に窯の火応ふ冬北斗 月光や男盛りのごと冬木 吾に息合はす土偶や桜の夜 死してより遊ぶ琥珀の中の蟻 堤保徳『姥百合の実 』からの抽出句については こちら [後記] 今回は11名の連衆が集まりました。その中に注目の句集の堤さんとの知り合いがおり、お話を聞くことで句の背景が鮮やかになった気がしました。句の鑑賞では、作者のバックグラウンドをどこまで想像できるかも重要だと感じました。また、今回の入選句で多磨全生園を訪れた際の句がありましたが、その句の作者は自身の社会的関心に基づいて実際の地を訪れ、句にするということをよく行っており、作者の行動力と、それによって生まれる句の力強さに驚かされます。人間が社会的・歴史的存在である以上、日常詠だけでなく、そういった句も積極的に詠んで行きたいと考えさせられました。 (芹沢雄太郎) 次回兼題は、「山眠る」と「枯野」です。 今回は、○入選4句、原石賞2句、△8句、ゝシルシ6句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
10月13日 句会報告
令和元年10月13日 樸句会報【第78号】 10月最初の句会は、台風19号が伊豆半島に上陸した翌日の開催となりました。恩田も避難所生活明けで、名古屋や埼玉の連衆は交通機関の不通などから参加できず空席が目立ち、ちょっと淋しい句会に。台風一過の秋晴れとはいえ、他県の河川の氾濫被害に胸が痛みます。 兼題は「水澄む」と「葡萄」です。 原石賞の4句を紹介します。 【原】黒葡萄ホモサピエンス昏々と 伊藤重之 黒葡萄はたわわに輝いているが地球上の動物の一種、ホモサピエンスだけは「昏々と」している、という句意。作者は「昏々と」で、人類のおろかさを表現したかったのだろう。しかし「昏々と眠る」というように深く眠るさまとみわけがたくなってしまうのが惜しい。そこで、 【改】黒葡萄ホモサピエンス昏みゆく とすれば「黒葡萄」ではっきりと切れる。中七以下との対比が際立つ。黒葡萄はつややかに豊穣の薫りと甘さを持ち、人類はますます昏冥をふかめ闇に呑み込まれてゆくのである。(恩田侑布子) 合評では、 「“昏々と”の次にどんな言葉が隠されているか気になります。“眠る”じゃないですよね?」 「“黒葡萄”と“昏々と”は合っている。ここに詩として醸し出されているものがあるのかもしれないが、私には世界が立ちあがって来ない」 「意味がうまくつかめませんでした」 などの感想がありました。 (山本正幸) 【原】六百句写し終へたり水澄める 前島裕子 作者はある句集に感動して尊敬のあまり、まるごと六百句をノートに筆写し終えたという。ただ原句の「水澄める」に付け足し感がある。俳句は語順を換えるだけで雰囲気が一変する。 【改】水澄むや写し終へたる六百句 こうすれば、水のみならず作者の周りの大気までもが澄み渡り、秋の昼の静けさに実感がこもる。こころをこめて六百句を写し取った達成感は、作者の心境をいつしらず高めてくれていたのである。 (恩田侑布子) 合評では、 「達成感と“水澄めり”がとてもよく合っていると思いました」 「六百句写す行為って何? 写経ほどのインパクトがない」 「季節感が感じられませんでした。季語が動くのでは?」 などやや辛口意見も聞かれました。(山本正幸) 【原】水澄みて木霊の国となりにけり 芹沢雄太郎 このままでも十代の少年俳句ならば悪くない。ファンタジックで童話的な俳句として初々しい。ただ作者は三〇代半ばの三人の子のお父さん。となると、どうか。やはり等身大の大人の句であってほしい。次のように一字を換えてみよう。秋の深い渓谷が出現するのではないか。(恩田侑布子) 【改】水澄みて木霊の谷となりにけり 本日の最高点句でした。 合評では、 「俳句のかたちとして“~~の国となりにけり”はありがちです」 「“水澄む”と“木霊の国”は共通するイメージがあり、即き過ぎかもしれない」 「“国”とは国家ではなく、山国とかの触感や空気感のある“国”だと思う」 「“木霊”とは、声と精霊のふたつのイメージがある。透きとおった木の精霊とすれば、透明感、木々の緑、水の青、という色が見えてきますね」 「ここには人のいない感じがして少し怖い」 「俳句初学の頃、“とにかく見たものを詠め”と言われた。この句からは何も見えてこない。観念的な句だと思います」 など様々な感想、意見が飛び交いました。 (山本正幸) 【原】しどろなる思考を放棄葡萄むく 萩倉 誠 「しどろなる思考」まではいいが、つぎの「放棄」という熟語は固くて気になる。また葡萄の皮をむくで終わるのは、いささか中途半端。句意を変えずに添削すれば、 【改】しどろなる思考やめなん葡萄食ぶ となる。「もういいかげん筋目なくあれこれ考えるのはやめよう」そう自分に言い聞かせて頬張る大粒の葡萄の甘さ。思考から味覚の酔いへ耽溺するおもしろさ。 (恩田侑布子) 合評では、 「こういうことよくある。深く共感した。漢語が固いが葡萄がそれを和らげている」 「葡萄をむいているけど、まだ思考にこだわっているのでしょう」 「“思考”と“放棄”というふたつの言葉が強くて気になります」 「どうでもいいことを考えているのなら“放棄”なんてしなくてもいいでしょ? 内容に共感しなかった」 と議論が広がっていきました。 (山本正幸) 今回の兼題についての例句が恩田によって板書されました。 黒きまでに紫深き葡萄かな 正岡子規 葡萄食ふ一語一語の如くにて 中村草田男 水澄みて四方に関ある甲斐の国 飯田龍太 澄む水のほか遺したきもののなし 恩田侑布子 注目の句集として、 井越芳子『雪降る音 』(2019年9月 ふらんす堂) から恩田が抽出した二十一句が紹介されました。 連衆の共感を集めたのは次の句です。 やはらかにとがりてとほる蝸牛 寒の雨夜が来てゐるとも知らず 天辺のしいんと晴れてゐる冬木 ふうりんは亡き人の音秋日向 森はなれゆく春月をベッドより 冷やかに空に埋もれてゐたりけり あをぞらや眼冷たきまま閉づる 井越芳子『雪降る音』のページへ [後記] 台風の影響で句会に参加できない連衆が相次ぎ、こじんまりと、それゆえに濃密な句会となりました。 今回、恩田の「等身大の大人の句であってほしい」(上記“木霊の国”の評にあります)との言葉を、精神的にいつまでも青春していたい筆者は「その年代の自分にしか詠めない句」を追求すべしとの鞭撻と受け止めました。確かに歳を重ねるにつれて、知らないことや新しい発見が逆に増えることを実感します。俳句の眼をもって見ればなお。 次回兼題は、「小鳥」と「釣瓶落し」です。 (山本正幸) 今回は、原石賞4句、△1句、ゝシルシ3句、・6句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
9月25日 句会報告
令和元年9月25日 樸句会報【第77号】 9月の最終週だというのに、「暑い」という声があちこちから聞こえた日の句会でした。 兼題は「秋刀魚」と「“音楽”に関する句」。 入選句と原石賞2句、△1句を紹介します。 〇入選 免許証返納せむか秋刀魚焼く 山本正幸 運転も、秋刀魚を焼いて食べるのも作者の何十年の日常生活であった。この秋、秋刀魚を焼きながらふと思う。高齢者が幼子の命を奪う痛ましい事故がよく報じられる。おれも免許証、そろそろ返納するほうがいいのかな。免許証も秋刀魚もふだんの暮らしの象徴である。その一方を手放すことになる未知の日々が近づく。この戸惑いは古希を迎えた作者の健やかな良心を証明していよう。秋刀魚を焼く煙が秋思もろとも燻して腸までほろ苦く美味しそう。(恩田侑布子) 「“免許証の返納”という社会的なことと“秋刀魚焼く”という生活のこととの取り合わせが非常にうまい」「秋刀魚の本質をとらえている」「時事的すぎませんか? 川柳のよう・・」などの評が聞かれました。 作者は、「この句を家人に見せたら、アナタは焼いたことないでしょ、と言われたので、‟秋刀魚食ふ‟にしてみた。でも句としては“焼く”のほうが良いと思い、もとに戻しました」と語りました。(猪狩みき) 原石賞の二句について、恩田が次のように評し、添削しました。 【原】 太陽の塔の背中や穴惑 芹沢雄太郎 改1 太陽の塔を背(そびら)に穴惑 改2 太陽の塔の後(しりへ)や穴惑 ユニークな俳句。ただ、原句は「背中や」がもんだいです。太陽の塔の背中に蛇が張り付いているように読めてしまう。穴惑は冬眠のため地中に潜る寸前ですから距離感がほしいところ。いろいろな変え方がある。[改1]はひとまず距離感が出る。[改2]にすると、蛇は、岡本太郎の造形した太陽の顔をみることなく冬眠に入る。穴惑が不思議な実存感をもって太陽の塔と拮抗を始めよう。 (恩田侑布子) 【原】 無職なり瓢にサティ聴かせをり 山本正幸 改1 無職なり瓢にサティ聞かせつつ 改2 職引いて瓢にサティ聞かせをり 原句は「なり」「をり」が障る。上五をそのまま残すならば[改1]のように下五は「聞かせつつ」と柔らかに終わりたい。下五を残すならば[改2]のように上五は「職引いて」とし、サティの曲の軽やかさを生かしたいところ。 (恩田侑布子) 今回の最高点句でした。「“無職”“瓢”“サティ”の3つのつながりがおもしろい」「瓢を見ながらひとりの時間を楽しんでいる感じが良く出ている」「上五の大胆さがいいのか、それとも乱暴なのか?」「定年退職ではなく“職なし”と読んだ。若い人なのかも」という連衆からの評でした。 (猪狩みき) △ いわし雲ブリキの笛を旅の友 見原万智子 作者の弁を聞くまでアイルランドの笛とはわからなかったが、安価で親しみ深い銀色の笛が愛らしく感じられた。一人旅で帆布の旅鞄などにしのばせたそれを、さりげない山鼻や岬の尖などで吹く健康な作者像が彷彿とする。爽やかなロマンのある俳句。 (恩田侑布子) 合評では、「どんな旅? ひとり旅? いろいろ想像させる。情感があります」「細い雲と旅の長さがオーバーラップする」などの感想がきかれました。(猪狩みき) 今回の題の名句ということで恩田からいくつかの句の紹介がありました。連衆に人気だったのは 暗室の男のために秋刀魚焼く 黒田杏子 江戸の空東京の空秋刀魚買ふ 攝津幸彦 火だるまの秋刀魚を妻が食はせけり 秋元不死男 などでした。 [後記] 今回の題は、私には難しく感じられる題でした。何が「難しさ」をもたらすのかはっきりしないのですが、自分にとって作りやすい題とそうではない題があることがわかり、そのことを興味深く思っています。 ‟内容と表現が合っているか”のレベルまで考えられるようになりたいものだと思います。まだまだ道は遠そうですが。 次回兼題は、「水澄む」と「葡萄」です。 (猪狩みき) 今回の結果は ◯1句 【原】2句 △2句 ゝ9句。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
8月4日 句会報告
令和元年 8月4日 樸句会報【第74号】 猛暑日が続く八月最初の句会。暑さのためか欠席者がいつもより多くちょっとさびしい句会になるかと思いましたが、始まれば熱のある楽しい句会となりました。 兼題は、「夕焼」と「祭」です。 今回は原石賞1句と△2句を紹介します。 【原】はらつぱに忘れものあり夕焼かな 田村千春 【改】はらつぱに忘れものある夕焼かな 「はらつぱ」というなつかしい措辞は、万人の胸に郷愁を呼び起こす。そこに少女は大事なものを忘れて来てしまった。石けり遊びでいつも使うお気に入りの石だったかもしれない。人にはどうでもいいものだが、自分にはかけがえのないものが大人になった今もある。それは少女の日の忘れもののように、胸の底に夕焼けと一緒に住んでいる。 遠い街でふと夕焼を見上げても、その下でいまも自分を待っているような気がして胸がうずく。 この句の忘れものは、昔と今とがダブルイメージになっているところがいい。作者の永遠の忘れものなのだろう。 俳句初心者の作者は、切字「かな」の使い方に通じず、中七を「あり」と終止形で切ってしまい、「忘れ物」と「夕焼」がばらばらになってしまった。 連体形の「ある」にすればすべて解決する。 句頭の「はらっぱ」から「夕焼」まで一気につながり、句末の「かな」で、そこまでに撓められた圧力が一挙に放出され、夕焼けが大きく広がってくれる。 (恩田侑布子) 合評では「一日の終わりの夕焼けのもつかなしみと”忘れもの”が重なる」「逆に、“忘れもの”と “夕焼”のさみしさが即き過ぎのような気もします」「ぽつんと残っているものの感じが書けている」などの感想がありました。 (猪狩みき) 切字「かな」を使った芝不器男の名句が恩田から紹介されました。 この奥に暮るゝ峡ある柳かな 芝不器男 南風の蟻吹きこぼす畳かな 芝不器男 あなたなる夜雨の葛のあなたかな 芝不器男 △ 小遣ひを残して帰る祭の夜 島田 淳 子供のころ、お祭の日は親から特別なお小遣いがもらえた。チャックのお財布を握りしめて、参道の夜店や神社の境内を見て歩く。でもこの子はあれもこれもとすぐ使ったりしない。「もったいない。あとは貯金しよう」と決めて、暗くなった夜道を帰っていく。誰にもある子ども時代のさりげない体験を掬い取ったよさ。いじらしく思慮深い子どもは、その後どんな人生を歩いていくのだろう。「祭かな」だと他人事めいてしまうが、「祭りの夜」としたことで実感がこもった。 (恩田侑布子) 本日の最高点句でした。「よくある光景だが、その光景を句としてよくすくいあげている」「こども時代を思い出した。こどもの気持ちがよく出ている」「帰り道の暗さ、心細さが感じられました」という評でした。 (猪狩みき) △ 外れなき籤引き待つや氷水 芹沢雄太郎 かき氷をガリガリ手動で掻いてくれるおばさんのいる店。狭い店内で、子どもどうしぎゅうぎゅう坐って、氷いちごや、氷レモンを食べる。赤や黃に染まった口でふざけあう。今日はおまけのくじ付きだ。何か当たるよ。飴かもしれないけど、車のおもちゃかもしれない。楽しみ。氷水のチープさが横丁に住みなすよろこびと合っている。「外れなき」の句頭が心地よい。(恩田侑布子) 合評でも、「こどものわくわく感」「こどもの喜び、うれしい感じ」「ハズレがないんだ!という安心感」がよくあらわされているという意見が多くでていました。 (猪狩みき) 今回の兼題の例句として恩田が板書したものは以下の句です。 夕焼て指切りの指のみ残り 川崎展宏 夕焼の金をまつげにつけてゆく 富沢赤黄男 夕焼のほかは背負はず猿田彦 恩田侑布子 肉塊に沈没もする神輿あり 阿波野青畝 神田川祭の中をながれけり 久保田万太郎 祭笛吹くとき男佳かりける 橋本多佳子 老杉の根方灯ともす祭かな 恩田侑布子 合評の後は、中嶋鬼谷、行方克巳、小川軽舟 各氏の最近の句集から抄出した36句(12句×3)を読みました。三人の句風の違いから、自分たちは俳句で何を書くのか、書きたいと思っているのかという話題になりました。 連衆の点を多く集めたのは次の句でした。 西行忌花と死の文字相似たり 中嶋鬼谷 都鳥水の火宅もありぬべし 行方克巳 雪降るや雪降る前のこと古し 小川軽舟 [後記] 原石賞句の鑑賞で、恩田先生が切れ字「かな」について書いています。切れ字によって句のリズムや間、言葉の圧が変わっていくことがわかります。「切れ字の役割」というような学習をするだけでなく(この学習も足りないのですが)、実際に使って作句すること、良い句を多く読んで感覚を得ることが大切であることがわかりました。 次回の兼題は「盆」「夜食」です。 (猪狩みき) 今回は、 特選、 入選ともなく、 原石賞2句、 △3句、ゝシルシ3句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、7月7日と7月24日の句会報は、特選、入選、原石賞がなくお休みしました。
6月2日 句会報告と特選句
令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。 兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。 特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。 ◎特選 メーデーや白髪禿頭鬨の声 島田 淳 日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) ◎特選 さつき雨猿の掌光る屋久の森 林 彰 季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。 〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) △ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む 村松なつを 合評では 「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」 「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。 「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。 △ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり 芹沢雄太郎 恩田だけが採り、 「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。 ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す 松井誠司 本日の最高点句でした。 恩田は、 「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。 ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士 萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。 「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。 ゝ 病む人にこの囀りを届けたし 樋口千鶴子 「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。 恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。 今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。 古寺に狐狸の噂や五月雨 江戸川乱歩 彼の岸も斯くの如きか五月闇 相生垣瓜人 やはらかきものはくちびる五月闇 日野草城 手花火に妹がかひなの照らさるる 山口誓子 手品師の指いきいきと地下の街 西東三鬼 手花火の柳が好きでそれつきり 恩田侑布子 生きて死ぬ素手素足なり雲の峰 恩田侑布子 歳月やここに捺されし守宮の手 恩田侑布子 樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。 そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。 母のごとでんと座したり鏡餅 オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ 父の日や花もなければ風もなき 音沙汰の無き子に新茶送りけり 青田風新幹線の断ち切りぬ 久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。 [後記] 句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。 本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。 次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸) 今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
4月24日 句会報告
平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。 兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。 ○入選 口紅で書き置くメモや花くぬぎ 村松なつを エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子) 合評では 「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」 「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」 「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」 「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」 「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」 「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」 「歌謡曲的ではある」 など盛り上がりました。 (山本正幸) ○入選 暗闇に若冲の雉うごきたる 前島裕子 「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。 この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子) 合評では 「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」 「季語が効いていないのでは?」 「暗闇でものが見えるんでしょうか」 「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」 「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」 と辛口気味の感想、意見が聞かれました。 (山本正幸) 故宮博物院にて 【原】春深し水より青き青磁かな 海野二美 「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな 春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。 △ 君にキス立入禁止芝青む 見原万智子 三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。 △ 渇愛や草の海ゆく雉の頸 伊藤重之 緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。 △ ぬうと出て櫟の花を食む草魚 芹沢雄太郎 ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢 樋口千鶴子 4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。 (以上講評は恩田侑布子) 今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。 多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。 雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨 東京の空歪みをり花くぬぎ 山田みづえ [後記] 本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。 「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。 句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。 次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間 ゝシルシ ・シルシと無印の中間)