
平成31年4月24日 樸句会報【第69号】 四月第二回目、平成最後の句会です。
兼題は「雉」と「櫟の花」。 入選2句、原石賞1句、△3句、ゝシルシ1句を紹介します。
○入選
口紅で書き置くメモや花くぬぎ
村松なつを エロティシズムあふれる句。山荘のテーブルの上、もしくは富士山の裾野のような林縁に停めた車中のメモを思う。筆記用具がみつからなかったから、女性は化粧ポーチからルージュを出して、急いで一言メモした。居場所を告げる暗号かも。男性は女性を切ないほど愛している。あたりに櫟の花の鬱陶しいほどの匂いがたちこめる。昂ぶる官能。こういうとき男は「オレの女」って思うのかな。 (恩田侑布子)
合評では
「口紅の鮮やかさと散り際の少しよごれたような花くぬぎとの対比が衝撃的です。口紅でメモを書くなんて何か怨みでも?」
「せっぱつまった気持ちなのだろうが、口紅で書くなんて勿体ない」
「カッコいい句と思いますが、花くぬぎとの繋がりがよくわからない」
「櫟を染料にする話を聞いたことがあります」
「もし私が若くて口紅で書くなら、男を捨てるとき。でも好意のない男には口紅は使えない・・」
「カトリーヌ・ドヌーヴがルージュで書き残す映画ありましたね」
「歌謡曲的ではある」
など盛り上がりました。 (山本正幸)
○入選
暗闇に若冲の雉うごきたる
前島裕子
「若冲の雉」は絵だから季語ではない。無季句はだめと、排斥する考えがある。わたしはそんな偏狭な俳句観に与したくはない。詩的真実が息づいているかどうか。それだけが問われる。
この句は、まったりとした闇の中に、雉が身じろぎをし、空気までうごくのが感じられる。動植綵絵の《雪中錦鶏図》を思うのがふつうかもしれない。でも、永年秘蔵され、誰の目にも触れられてこなかった雉ならなおいい。暗闇は若冲が寝起きしていた京の町家、それも春の闇の濃さを思わせる。燭の火にあやしい色彩の狂熱がかがようのである。 (恩田侑布子) 合評では
「絵を観るのはすきで、本当に動くようにみえるときがある。そのとき絵が生きているのを感じます」
「季語が効いていないのでは?」
「暗闇でものが見えるんでしょうか」
「いや、蝋燭の灯に浮かび上がるのですよ」
「暗闇に何かが動くというのはよくある句ではないか。“若冲の雉”と指定していいのかな?若冲のイメージにすがっている」
と辛口気味の感想、意見が聞かれました。
(山本正幸)
故宮博物院にて
【原】春深し水より青き青磁かな
海野二美 「水より青きは平凡ではないか」という声が合評では多かった。しかし俳句は変わったことをいえばいいと言うものではない。平明にして深い表現というものがある。一字ミスしなければ、この句はまさにそれだった。「し」で切ってしまったのが惜しまれる。 【改】春深く水より青き青磁かな 春の深さが、水のしずけさを思わせる青磁の肌にそのまま吸い込まれてゆく。雨過天青の色を恋う皇帝達によって、中国の青磁は歴史を重ねた。作者が見た青磁は、みずからの思いの中にまどろむ幾春を溶かし込んで水輪をつぎつぎに広げただろう。それを「春深し」という季語に受け止め得た感性はスバラシイ。
△ 君にキス立入禁止芝青む
見原万智子
三段切れがかえってモダン。若さと恋の火照りが、立入禁止の小さな看板を跨いだ二人の足元の青芝に形象化された句。
△ 渇愛や草の海ゆく雉の頸
伊藤重之 緑の若草に雉のピーコックブルーの首と真っ赤な顔。あざやかな色彩の躍動に「渇愛や」と、仏教語をかぶせた大胆さやよし。
△ ぬうと出て櫟の花を食む草魚
芹沢雄太郎
ゝ ノートルダム大聖堂の春の夢
樋口千鶴子
4月16日に焼け落ちた大聖堂の屋根を詠んだ時事俳句。火事もそうだが、大聖堂で何百年間繰り返された祈りも、いまは「春の夢」という大掴みな把握がいい。
(以上講評は恩田侑布子)
今回の兼題の例句が恩田からプリントで配布されました。
多くの連衆の共感を集めたのは次の句です。 雉子の眸のかうかうとして売られけり 加藤楸邨
東京の空歪みをり花くぬぎ 山田みづえ
[後記]
本日は句会の前に、『野ざらし紀行』を読み進めました。
「秋風や藪も畠も不破の関」の句ほかをとおして、芭蕉が平安貴族以来の美意識から脱し、新生局面を打ち開いていくさまを恩田は解説しました。 じっくり古典を読むのは高校時代以来の筆者にとって、テクストに集中できる得難い時間です。
句会の帰途、咲き始めた駿府城址の躑躅が雨にうたれていました。句会でアタマをフル回転させたあとの眼に新鮮。
次回兼題は、「夏の山」と「袋掛」です。(山本正幸) 今回は、入選2句、原石1句、△7句、ゝシルシ11句でした。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △入選とシルシの中間
ゝシルシ ・シルシと無印の中間)

平成31年4月7日 樸句会報【第68号】 今回は花盛りの吟行句会でした。
午前中に各々が駿府城公園や浅間神社など市内中心地の緑ゆたかな場所で作句し、午後より「もくせい会館」(静岡県職員会館)の和室にて開催されました。新たに2名の仲間が加わり、県外からの参加者も含め総勢14名の連衆とともに、恩田が持参した甘い苺を食べながらの賑やかな句会となりました。 ◎特選1句、○入選2句を紹介します。
◎特選
大杉栄の墓にて
刻まれし名前ひよろりと草若葉 天野智美
大杉栄は大正時代のアナーキストで、関東大震災の混乱の中、軍部によって、妻の伊藤野枝と六つの甥とともに虐殺された。その墓が静岡の沓谷にある。
私はまだ墓参したことがないが、この句を読んで、大杉栄という無政府主義者の生き方が生 々しく立ち上がってくるのを感じた。一句は真ん中八音目の「名前」で切断される。ちょうど栄が三八歳という人生の真ん中で、拷問後に扼殺されたように。切れを挟んで、句の下半身は視線が地べたへ移る。雑草は踏まれても潰されてもなにくわぬ顔をして「ひよろりと」春の日差しに生え出てくる。墓石に刻まれた一個のアナーキストの名前と、痩せていてもなかなか根強い草若葉の生命力が対比される。それがアナーキズムという東西古代からの人類史を脈 々と流れている思想のリアルな息吹であることも体感させる。栄の生涯を悼みながら、人類史を展望し、現代の地球上の草の根の営みまで励ます。淡々として大きな句である。
(選 ・鑑賞 恩田侑布子)
○入選
籾蒔くや抜け出しさうな子を背負ひ
芹沢雄太郎
合評では、「現在の事ではなく、人手が足りなくて、子どもを背負ってでもやらなければならない農作業をしていた昔の話ではないか」「言葉として残しておきたい情景である」「そもそも今回の吟行句ではないのではないか」などの感想がありました。
恩田侑布子は
「籾を蒔く光景は今ではなかなか見られなくなった。しかも子どもを負ぶいながらとは、ますます貴重な情景。“抜け出しさうな子”に、なんとも元気で健康そうな、自分で立ちたがっている一歳ぐらいの子の実感がある。三人のお子を育てながら芹沢さんの奥さんは籾蒔きをされるという。これは家族じゅうで力を合わせて創った俳句。だからはちきれんばかりの命に満ちている」
と評しました。
○入選
古墳へと迫る春筍掘りにけり
芹沢雄太郎 恩田だけが採った句でした。
「静岡市の街なみの真ん中には、ぽこんぽこんとかわいいいくつかの山があって、市民の散策場になっている。この古墳も「きよみずさん」の愛称で親しまれている山頂のもの。山の下にすむ近所の人が、ハシリの筍を掘りに来た。それを“古墳へと迫る春筍”と捉えた眼が卓抜。古墳に、顔を出しかけた春筍が「こんにちは」とよびかけそうで、千数百年隔たった時間が睦みあうような錯覚を覚える。古墳時代と、現代と、ともに晴れやかな日永のなかに存在し合う、何ともふしぎな読み心地をもたらす俳句である」
と評しました。
※「きよみずさん」は静岡市葵区にある「音羽山清水寺」(高野山真言宗) 恩田は、吟行のやり方は結社などによって様々だが、吟行には大きく3つの効果があると言いました。
① 締切がある即吟の為、作者の作為が消えて無意識が句に現れる効果がある。
② その土地の風物や歴史に触れた句が出来る。
③ 句会の仲間との親睦が図れる。
また選句の時間に恩田が、
「選句は全人格を持って俳句に向き合い、個人の好き嫌いではなく、句の水準の高さで選んで下さい」
と話し、オープンマインドでいるために作句帖と別に愛誦句帖を持つことの重要性を説きました。
次回の兼題は「雉」「櫟の花」です。
(恩田侑布子・芹沢雄太郎) [後記]
筆者にとって初めての吟行句会でした。新たに加わった仲間より、樸の連衆の句に感銘を受けて入会したと聞き、その作者の方々は照れながらもとても嬉しそうな顔をされていました。素直に心を開いて、初心の頃に俳句で受けた感動をいつまでも忘れずにいたいものです。(芹沢雄太郎) 今回は、◎特選1句、○入選2句、△4句、ゝシルシ13句、でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

平成30年12月2日 樸句会報【第61号】 例年になくあたたかな師走の二日目、12月最初の句会がありました。
今回は、入選3句、△2句、ゝシルシ8句、・ シルシ4句でした。
兼題は「鴨」と「冬木立」。
今回は○入選3句いずれも、恩田だけが採ったもので、高点句は全く別という結果でした。
〇大八の幅の隧道蔦枯るる
天野智美 「蔦の細道(東海道五十三次で一番小さな宿場・丸子の宿から岡部へ越える峠)の北側にある明治の隧道を詠んだ句ですね。やっと大八車が通れるほどの幅で、暗いトンネルです。出入り口に枯蔦が迫る山の狭い空も見えてきます。しっかりと写生が効いている。ゆるみのない措辞で、昔の隧道と往時の人々の暮らしを思いやる気持ちが表現されています。今昔の感じが、ものに託してしっかり書いてある。手堅い良い句です」
と恩田侑布子が評しました。
〇石畳当てなく暮るる漱石忌
天野智美 「“石畳”の切れに、近代、イギリスを感じます。漱石は近代と真っ向から取り組んだ人。ロンドンに留学してノイローゼになり、その後ずっと近代的な個人主義のもんだいを考えた。“則天去私”を言いながら、則天去私の生き方はできずずっと近代と戦った人。いまだにわれわれも“近代”をのり超えていませんね。そういう漱石の苦しかった一生、そうして文豪となった漱石への畏敬の念が表れている句です。“石畳”という措辞がとても良い。“自然”の中で生きるのと全く逆の生き方、都市の文明と生活を暗示しています。中七の“当てなく暮るる”に作者は自分の心象を重ねている。うまくて、深い句だと思いました」と恩田が評しました。
〇だらしなき腹筋眺む憂国忌
芹沢雄太郎 「おもしろい句です。自分のたるんだ腹筋と三島の肉体を対比し、自虐し、自己を客観視する余裕がある。その奥にボディビルで肉体改造し自決した三島の生き方への批判もある。つまり二度のひねりが効いています。含みと味わいのある句。振り幅の広い豊かな句だと思います」と恩田の評。
作者は「三島の自己陶酔には批判的だった。もっとゆるくでいいじゃない、と語りかける気持ちで詠んだ」とのことでした。
合評の後に、『石牟礼道子全句集 泣きなが原』からの句を鑑賞しました。 おもかげや泣きなが原の夕茜 さくらさくらわが不知火はひかり凪 来世にて逢はむ君かも花御飯(まんま)
などの句が人気でした。
恩田は『藍生』2019年2月号に「石牟礼道子の俳句論」十数枚を寄稿いたします。
『石牟礼道子全句集 泣きなが原』についてはこちら(注目の句集・俳人)
[後記]
「うまいけれどよくある句、パターン的によくある句、デジャビュ感のある句」という評が多かった今回。どうやって新たな表現を見いだしていくかは常に課題です。「自分の井戸を掘ることと、万象にオープンマインドでかかわっていくことを同時にやれるのが俳句の醍醐味」との恩田の言葉に、俳句の楽しさと難しさの両方を感じた句会でした。 次回兼題は、「冬至」と「セーター」です。 (猪狩みき)

平成30年9月9日 樸句会報【第56号】 九月第1回、重陽の句会です。
特選1句、入選1句、△1句、シルシ4句、・11句という結果でした。
兼題は「当季雑詠(秋)」です。
特選句と入選句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)
◎馬鈴薯をふかしゲバラの日記読む
芹沢雄太郎
(下記、恩田侑布子特選句鑑賞へ)
〇酔ふことが恥ずかしいのさ星月夜
萩倉 誠 合評では、
「作者は本当は恥ずかしいとは思っていないのでは?“さ”の軽さがいい」
「一人で飲んでいる。秋冷のなかできっと美味しいのでしょう」
「好きな女性のいる宴会で、変なところを見せたくなくて、酔い覚ましに外へ出て星空に言い訳をしているような感じ」
「人生を軽く生きている。斜に構えて、適当に楽しんでいるみたい」
「面白い発想。どこで飲んでるのか。小料理屋かな?外は満天の星」
「昔ワタシは無茶苦茶呑みましたよ。恥ずかしいくらい」
「バルコニーに一人居て、酔ってはいないのでは?」
など、自分に引き付けた様々な感想が述べられました。
恩田侑布子は、
「初々しい息遣いに賭けた句じゃないですか。“うぶ”な感じが良い。でも一人でいるのか?異性がいるのか?・・・どういう場面かよく分からない。ほわーんとしたデリケートな良さ。星月夜の景色が広がり、澄んだ秋の気配があります」
と講評しました。 =====
入選には至りませんでしたが、「牝鹿」を題材に詠んだ投句がありました。
「鹿」を詠んだ有名な句として、恩田から次の句が紹介されました。
雄鹿の前吾もあらあらしき息す
橋本多佳子
また、俳句の基礎教養として、明治生まれの大物女流俳人四人の名が挙げられました。
橋本多佳子
中村汀女
星野立子
三橋鷹女
名前の頭文字をとって「四T」と呼ばれ、多佳子も汀女も杉田久女がいなければ世に出なかったとの説明がありました。
この中で、橋本多佳子が(どういうわけか)特に男性に人気があるとのことでした。 [後記]
今回、連衆の最高点を集めた句が恩田の特選になり、いつにも増して盛り上がりを見せた樸俳句会でした。
「当季雑詠」といっても秋の季語は数多あります。筆者が常用している『合本 俳句歳時記 第四版』(角川学芸出版)には秋の季語として511語収載されています(植物の季語が一番多く190語)。その中で複数の連衆に選ばれたのが、「秋の蝶」「星月夜」「秋の風」「鳥渡る」「虫の声」でした。親しみやすい季語、作りやすい季語があるようです。
次回兼題は、「野分」と「草の花」です。 (山本正幸)
特選 馬鈴薯をふかしゲバラの日記読む
芹沢雄太郎
とっさに浮かんだのはゲバラの髭面の写真ではなかった。一枚の薄暗い絵。ゴッホの「ジャガイモを食べる人 々」だった。貧しい農民たちがランプの光の下で背なかを丸めてふかし藷を囲んでいる絵。肌寒い土間で、藷を差し出す人間のぬくもりのようなものが胸に来た。ジャガイモはゲバラの生きて死んだ南米が原産地で、ふかすというもっともシンプルな食べ方は革命家の日常そのものを思わせる。作者は日記を読みながら、生き方にまで深く共鳴している。まるで、薄暗い土間で一緒に熱 々の馬鈴薯を頬張るように。
ゲバラについては、キューバ革命の成功者というくらいしか何も知らなかった。顔のTシャツも映画もみたことがない。句会で樸の仲間が、目をきらきらさせて学生時代の思い出と一体になったゲバラを語り出した。半世紀前、若者の間で神のような英雄であったことに驚いていた。作者も団塊世代かと思いきや、三四歳の雄太郎さんであった。いわば「見ぬ世の人の」日記に、全身が運ばれる旅をしているのだ。秋気の迫る夜更け。熱い馬鈴薯のくぼみはエア ・ポケットなのか。技法上は引用句の範疇に入るが、認識 ・感情 ・体感が渾然と珠のようになった熱い句である。
死を予感したゲバラが子どもに残した手紙の一節もいい。
「世界のどこかで誰かが被っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから」
(選句 ・ 鑑賞 恩田侑布子)

平成30年8月5日 樸句会報【第54号】 八月第1回の句会です。
特選1句、入選2句、原石賞1句、シルシ5句、・4句という結果。前回の不調から一気に好調に転じた樸俳句会です。
兼題は「鬼灯」と「海(を使った夏の句)」です。
特選1句と入選2句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)
◎海月踏む眠れぬ夜に二度も踏む
芹沢雄太郎
(下記、恩田侑布子特選句鑑賞へ)
〇大の字に寝て炎昼を睨みつけ
松井誠司 合評では、
「今年は猛暑。ホントこんな気持ちです。響いてくるものがあります」
「“睨みつけ”の視線の強さがいい」
「座五で炎昼を押し返すパワーを感じました」
「“大の字”と“睨みつけ”で炎昼のつらさを表現した」
「下五を連用形にしたのがよい」
など共感の一方で、
「“睨みつけ”でなければいいのに・・。よけい暑くなってしまうじゃないですか!」
「“睨みつけ”の理由と意味が分かりづらい」
などの感想も述べられました。
恩田侑布子は、
「まさに家の中で大の字になって寝ているところ。部屋の窓から燃え盛る炎昼がみえる。それを横目で睨んでいるのです。こんくらいの炎天に負けてたまるか!という気概ですね。寝ながら見栄を切っているような滑稽感もある。作者のいのちの勢いが感じられます。合評にもありましたが、連用形で終わったところがいい。ここに切れ字を使ったら型にはまってしまいますものね」
と講評しました。
〇横たわるかなかなと明け暮れてゆく
林 彰 合評では、
「“横たわるかなかな”とは絶命間近の蝉のことですか?それとも“横たわる”で切れるのでしょうか?両方の読みができるような・・」
「夕闇が近づいてくる実感がありますね」
「夏バテ気味。がんばりたいけどがんばれない。さびしい蝉の声・・。今日も一日過ぎていくのだなぁという感慨がある」
「子規っぽい。病床にある感じがよく出ており、内実がこもっている」
との感想のほか、
「それでどうした?というような句じゃないですか。“と”って何ですか?」
との辛口評も。
恩田侑布子は、
「“横たわる”でしっかり切れています。山頭火のようですね。または、放哉に代表句がもう一つ加わったような感じさえします。破調感が強いが、句跨りの十七音です。実感がこもっています。リアルな息遣いのある口語調です。蜩には他の蝉にはない初秋のさびしさがあります。社会の片隅で生きる弱者の気持ちになり切って、作者はそれを肉体化している。まさかお医者さんの林さんの作とは思いませんでした。長足の進歩ですね!」
と講評しました。ちなみに、林さんは名古屋の職場には自転車通勤、句会には新幹線通勤?です。 ...

平成30年7月1日 樸句会報【第52号】 例年より早い梅雨明け後の、七月第1回の句会です。
入選2句、原石賞3句、シルシ1句、・7句という結果でした。
兼題は「夏の燈」と「葛切または葛桜」です。
入選句と原石句から1句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間)
〇夏ともし母が箪笥を閉める音
芹沢雄太郎 合評では、
「涼しさと静けさのなかの音と。静かで寂しい感じでもあり、静かで平穏な幸せを感じでもある」
「涼しい感じ、夏痩せした母だろうか、ちょっとさみしげな句」
「老いた母の立てる音、さみしい感じが表されている」
というような老いた母をイメージさせるという評がある一方、
「あまり寂しい感じはしない。リズム感のある句で日常のいろいろな場面が想像できる」
との感想もありました。
恩田侑布子は、
「老いた母とは思いませんでした。子どものころ、夏蒲団の上でうとうとしていると、几帳面な母がたたんだ衣服を箪笥にしまう音がするといった光景でしょう。夏灯の持っている庶民的な生活のふくよかさと同時に昭和の簡素な暮らしの匂いも感じる。読み下すと響きも良い。夏灯に涼しい透明感があります。箪笥を閉める静かな音に一句が収斂していくところがいい。つつましくも清潔なくらし。ほのぼのとした句ですね」
と講評しました。
〇岬まで歩いてみよか夏灯
天野智美 合評では、
「“夏灯”と上五・中七が合っている、風を感じられる句」
「涼風!が吹いている」との感想がありました。
恩田侑布子は、
「小さな岬に行く道の途中に夏灯がポツンポツンとある情景が浮かび、涼しさが伝わってくる。西伊豆に多い30分で行って戻れるような岬でしょうか?単純化された良さがあり、また軽快な口語がシンプルな内容とあっている。夏灯の季語が生き生きと感じられる愛すべき句」
と講評しました。
【原】梅雨の月太り肉な背白濁湯
藤田まゆみ 恩田侑布子は、
「よくある温泉俳句だが、平凡を免れている。五・七・五がすべて名詞で、そこから今にも降り出しそうなふくらんだ月、白濁した露天の湯、脂ののった女体、という存在感が迫る厚みのある描写である。中七の“な”が口語っぽいのが問題。“太り肉な背”→“せな太り肉(じし)”にしましょう。
〈 梅雨の月せな太り肉白濁湯 〉となり、これなら文句なく◯入選句でした」
と講評しました。
投句の合評と講評のあと、本年2月10日90歳で逝去された石牟礼道子の句集『天』の俳句を鑑賞しました。 当日のレジュメです。クリックすると拡大します。
↓ 椿落ちて狂女が作る泥仏
わが酔えば花のようなる雪月夜 常世なる海の平(たいら)の石一つ
などが連衆の共感を呼びました。 「子規以降、近代以降の俳句とは違うところから書かれている。“写生”という姿勢から出発していない俳句。専門俳人の高度な技術とは違う次元、別の土俵から立ち上がっている句である。子規の写生がすべてではない。“俳句という文芸の広さゆたかさ”を意識していたい」
と恩田が話しました。
〔後記〕
俳句初心者には、鑑賞、合評でかわされる感想がとても興味深いです。入選句の母の年齢をどうイメージするかのそれぞれのとらえ方の違いを楽しみました。
次回兼題は「山開き」「夏越」です。 (猪狩みき)

2017年6月4日の日曜日、独りで車に乗り、桃畑とさくらんぼ畑が広がる甲府盆地を走っていた。
中沢新一さんと小澤實さんの共著『俳句の海に潜る』(※1)で二人が訪れていた、甲州の丸石をこの目で確かめてみたかったからである。同著によると丸石とは道祖神のひとつで、峠や辻、村境などの道端にあって悪霊や疫病などが外から入るのを防ぐ役目を果たしており、甲州に広く分布しているのだそうだ。
その特徴は何といっても石の丸い形にあり、ある美術評論家は「ブランクーシを超えてる」とまで言ったという。
丸石は単独で祀られていたり、複数個が無作為に並べられていたり、基壇の有無や形状も様々である。
また歴史は古く、縄文時代から存在している可能性があり、石の形状は自然に生まれたのか、人工的なものなのか諸説あるという。
現存する丸石を示す地図等がない為、私はカーナビから、直観的に古い道や川、町の境界と思われる所にあたりをつけ車を走らせてみた。
たった2時間の間に6カ所の丸石に出会うことが出来た。
訪ねたのが晴れた夏の午後だった為か、影が真下に落ちた丸石は、眩しさと不思議な静けさを身に纏っていた。
私は丸石に手を触れ、耳を当て、一礼してからスケッチブックにフロッタージュ(※2)を行い、太古の人と風景に思いを巡らせてみた。
すると、この丸石に屋根を架けてあげたいという思いが私の中で沸き起こってきた。
あるいは、かつてここには実際に屋根が架かっていたが、時の流れの中で屋根が風化し、石だけが残ったのではないだろうかと思えてきたのである。
もしそうだとしたら、そこには道行く人が立ち寄り、憩い、祈る場所になっていたのではないか。
中沢新一さんは俳句について「作られた時代は新しいにもかかわらず、本質が古代的」(『俳句の海に潜る』より)と語っている。
自然に対して素直に向き合えば、現代においても、ふさわしい場所へ、ふさわしい石を配置し、新しさと古さとが共存する屋根を架けることが出来るのだと、丸石が語っているような気がした。
(文・芹沢雄太郎) 日盛や擦り出したる石の肌 雄太郎
(※1)中沢新一 小澤實『俳句の海に潜る』
(2016年12月 KADOKAWA刊)
(※2)フロッタージュ:
<摩擦の意>石・木片・織目の粗い布などに紙を当てて木炭・鉛筆などでこすることで絵画的効果を得る方法。(出典:広辞苑)

平成30年5月18日 樸句会報【第49号】 五月第2回の句会です。真夏日近い気温で、自転車で参加する会員は汗だくの様子。
入選2句、△3句、シルシ3句、・4句という結果でした。
兼題は「新緑」と「短夜」です。
入選句と△のうち1句を紹介します。
(◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間
ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇新緑をみつむる瞳みつめけり
芹沢雄太郎 合評では、
「かわいいなと思った。少女の詠う句として受け止めた」
「こういう句は本能的にいただいてしまいます。青春の恋の真只中の句」
「新緑をきれいだなと見つめるような男に今まで会ったことがありません!(笑)」
「新緑の映っているその瞳を見ている。十代の瞳でしょう」
「田中英光の小説『オリンポスの果実』を思いました」
「吾子俳句ではないですか?身内のことを詠んだ」
などの感想・意見が述べられました。
恩田侑布子は、
「清新な句です。黒い瞳に若葉がひかりとともに映っている情景は、相手が少女だろうが少年だろうが、あるいは赤ん坊だろうが、心惹かれるものがあります。ただ、“見る”という漢字が二回出てくるのがしつこくうるさいです」として、じつは原句が「見つめる瞳見つめけり」だったのを、上記のように直して入選句にしたのでした。
作者はお子さんが生まれたばかりの芹沢さん。赤ちゃんの瞳に新緑が映っているのを詠まれたのね、と納得し、「あらき」の仲間に新しい命が生まれたことを祝福し喜んだ連衆でした。
〇熱く読む兜太句集や明易し
山本正幸 合評では、
「“熱く”に共感した。俳句に通じている作者という感じがします」
「亡くなったばかりの金子兜太さんの句集を時間を忘れて読んだということ。句作に手馴れている」
という共感の声の一方で、
「訴えてくるものあまりない。今までもこういう感じの句はあったじゃないですか?」
「句だけみたときなぜ“金子兜太”なのか、よく分からない」
「“明易し”と“句集”の取り合わせはよくある。切り口が古臭い」
などの意見が述べられました。
恩田侑布子は、
「“兜太句集”が動かない。南方戦線のトラック島で現場指揮を執った人。戦争末期で、餓死者が八割にのぼったという。すさまじい体験をしてきた。“私は聖人君子ではない”と自分でもおっしゃっています。金子兜太の句集に名句は少なく退屈なところがあるが、その本質は“熱さ”です。中村草田男も熱いが兜太の熱さとは違う。草田男にあるのは、炎天下のきらめき。中七を“草田男句集”とすると平凡になってしまいます。兜太は98歳まで枯淡とは無縁で、ふてぶてしく生き抜いた男。だが、やっぱり亡くなってしまった。“明易し”という感慨がある。それは平凡な人の死に覚える無常感よりも独特の濃厚さをもつのだろう」
と講評しました。
△万緑や我が笑へば母も笑ふ
天野智美 恩田侑布子は、
「実感があります。万緑の季語は、草田男の“吾子の歯”の赤ん坊のイメージが鮮烈ですが、ここでは我と老母の取り合わせがユニークです。素朴な親子の情愛が大自然に祝福されているよう。無心な笑顔に元気だった昔の母がよみがえるのですね」
と講評しました。
今年度からはじまった金曜日の「芭蕉の紀行文を読む」講義。『野ざらし紀行』を詳細に読み解いていきます。今日は富士川の辺まで。 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき この後につづく文章には『荘子』内篇と『論語』学而篇の引用がみられる。
また、芭蕉はすこぶる美しい富士を詠んでいない。富士の見えない日こそよいのだと。これは、吉田兼好の『徒然草』の「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」の美意識に通ずる。兼好も伝統的な美意識を転換させた。 猿をきく人すて子にあきのかぜいかに 芭蕉は捨子に対して、「露ばかりの命まつ間と捨置けむ」と、食べ物だけ与えてそのまま行ってしまう。死ぬことは必定。今の現代人の感覚とは違っているのである。
また、「猿をきく人」とは「哀猿断腸」の中国の旅愁を表現した詩書画のパターン。このようないわゆる風流からの脱却を指向した。ここにも古典文学に対する芭蕉の新し味への志向があらわれている。 [後記]
「野ざらし紀行」の二回目。冒頭をじっくり読みました。遅々とした歩みですが、そのゆっくりさには快感があります。
次回兼題は「ほととぎす」「梅雨入り」「走り梅雨」です。(山本正幸)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。