「萩倉 誠」タグアーカイブ

あらき歳時記 霜夜

霜の夜

    2021年1月27日 樸句会特選句    レコードのざらつき微か霜の夜                   萩倉  誠  レコードの人気が再来しています。大きな紙のジャケットの薄紙のなかから取り出し、埃のないのを確認しておもむろに針を乗せます。やわらかで芳純な演奏が始まります。ときおり交じる雑音。針の飛び。それらをひっくるめた「レコードのざらつき微か」が、失われた、しかしかつて確かにあった時間を蘇らせます。音色のもつやわらかな空気感が霜の夜のしじまに韻きます。芸術を愛する繊細な感性の匂いたつ俳句です。            (選 ・鑑賞   恩田侑布子)  

11月10日 句会報告

20191110 句会報用1

令和元年11月10日 樸句会報【第80号】 11月初回の句会です。この時間、東京では碧天のもと、即位を祝うパレードが催されていました。 兼題は「立冬」と「ラグビー」です。 入選句と原石賞2句を紹介します。 ○入選  補聴器を厭ふ母なり冬日向                山本正幸   母は長寿を賜った。代わりに耳は遠くなり、家族が会話に困るほど。「お母さん補聴器つけようよ」他のことには従順なのに、なぜか補聴器には耳を貸さない。いままでずっと自然体で生きて来たように、これからも齢相応でいいと思っているよう。日だまりにくつろぐ母を見やる作者の清雅なまなざし。慈しみの感情には、誇り高き母への尊敬の念すら混じっている。冬日向の浄福である。(恩田侑布子) 合評では 「補聴器はどうしてかみんな嫌がるようです。このお母さんもそうなんでしょう」 「“なり”が気になった。ちょっと強い感じ。“なり”を使わずに詠ったほうがいいのでは?」 などの感想、意見が出されました。(山本正幸)       【原】早朝の短き電話冬に入る                天野智美   早朝に鳴る電話は「不吉な電話」か「よくない報せ」にちがいないと、句座でこの句を採られた方は電話内容をマイナスイメージに受け取りました。そのような思わせぶりな意味内容にしてしまうと句柄が小さくなりがちです。単純に、朝早く電話があり、すぐ切れ、寒さにぶるっと来た瞬間の感覚の良さを活かしたいと思います。そこで、 【改】あつけなき朝の電話や冬に入る   こうすると情緒がもつれません。スッキリ乾いた初冬の朝が端的に現れます。(恩田侑布子) 連衆から 「早朝の電話とは、あまりいい知らせではないことを想像させます。私も両親が田舎にいて、朝方に電話が鳴るとドキッとします」 「“短き”とは会話が短いだけでなく、呼出し音の短さかもしれない。いい電話ではなく、出ても用件だけ。いろいろ思いをめぐらせる句ですね」 などの感想がありました。(山本正幸)     【原】寒晴れや荒ぶるトライ大地待つ                萩倉 誠 兼題の「ラグビー」は、テレビ観戦が多いだけにゲームの一コマに終始しがちでした。この句は真っ青な冬空をいきなり打ち出し、中七の「荒ぶるトライ」へとラグビーの王道の展開を見せる力があります。ただし「大地待つ」は窮屈なので、「地が待てり」としてみましょう。   【改】寒晴や荒ぶるトライ地が待てり   下五のイ音の上下にリズムが引き締まり、中七までのア音が一層華やかになります。さらに全体五音のラリルレロ行までが、歯切れ良い音楽を奏で出します。(恩田侑布子)     今回の兼題の例句が恩田によって板書され、それぞれ短評がありました。  冬来たる平八郎の鯉の図に             久保田万太郎  冬となる風音夜の子にきかす               古沢太穂  ラグビーボールぶるぶる青空をまはる              正木ゆう子  ラガーらのそのかち歌のみぢかけれ               横山白虹  ラグビーの音なき画面雨しぶく               行方克巳   [後記] ラグビーのワールドカップ日本大会が盛り上がりを見せ、その余韻が列島に残っているようです。今回の兼題でもあり、句会の議論にも熱が入ります。「楕円球を高く蹴り上げる」内容の投句に対して、「これは完璧に成功したキックですね」との評がありました。ラグビーの見巧者にはそこまでわかるのだと感じ入った筆者です。これも十七音に凝縮された俳句の力かもしれません。 次回兼題は、「冬の蝶・凍蝶」と「マスク」です。(山本正幸) 今回は、入選1句、原石賞2句、△4句、✓シルシ6句、・3句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)  

6月2日 句会報告と特選句

20190602 句会報用1

令和元年 6月2日 樸句会報【第72号】 6月最初の句会。 兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。   特選2句、△2句、ゝシルシ3句を紹介します。                  ◎特選                        メーデーや白髪禿頭鬨の声                  島田  淳    日本の労働者は正規社員と非正規社員に分断され、メーデーにもかつての勢いはない。その退潮ぎみの令和元年のメーデーを内側から捉えた歴史の証人たる俳句である。「見渡せば、しらが頭にハゲ頭、もう闘いの似合う若さじゃねえよ」という自嘲めいた諧謔が効いている。それを、「鬨の声」という鎌倉時代以来の戦乱の世の措辞で締めたところがニクイ。一句はたんなるヤワな俳味で終わらなくなった。「オオッー!!」と拳を振り上げる声、団結の高揚感は、労働者の生活と権利を自分たちで守り抜くのだ、という真率の息吹になった。ハゲオヤジの横顔に、古武士の面影がにわかに重なってくるのである。           (選 ・鑑賞   恩田侑布子)                   ◎特選                        さつき雨猿の掌光る屋久の森                  林  彰    季語を本題の「五月雨(さみだれ)」にするか、傍題の「さつき雨」にするかで迷われたのではないか。最終的に林彰さんの言語感覚が「さつき雨」を選びとったことに敬服する。 〈五月雨や猿の掌光る屋久の森〉だったら、この句は定式化し、気がぬけた。調べの上でも鮮度の上でも天地の差がある。さつき雨としたことで、五月雨にはない日の光と雨筋が臨場感ゆたかに混じり合うのである。猿の、そこだけ毛の生えていないぬめっとした手のひらが、屋久島の茂り枝を背後からとび移って消えた。瞬間の原生林の匂いまで、ムッと迫って来る。           (選 ・鑑賞   恩田侑布子)                                           △ 一舟のごとき焙炉や新茶揉む               村松なつを   合評では 「“一舟のごとき”がうまいですね。香りが立ちあがってきます」 「焙炉の中で新茶を揉んでいる手が見えてくるようだ」との感想がありました。 「“一舟のごとき”に孤独感を感じます。手揉み茶の保存会があって、年配者を中心に頑張ってくださっていますね。若い世代が継承してくれるといいですね」と恩田が述べました。        △ 地を進むやうに蜥蜴の落ちにけり               芹沢雄太郎   恩田だけが採り、 「蜥蜴は敏捷なのに崖か塀の上から落ちてしまったという面白い句です。斬新でこれまで見たことがありません」と評しました。        ゝ 麦笛や土の男を荼毘に付す                松井誠司    本日の最高点句でした。  恩田は、 「“荼毘に付す”まで言ってしまわず、“付す”を取ってもうひとつ表現するといい。また“土の男”がどこまで普遍性を持つかが少し疑問」と講評しました。        ゝ 酔ざめの水ごくごくと五月富士                萩倉 誠 「静岡人の二日酔いの句ですか?」と県外からの参加者の声。 「夏のくっきりとした富士との取り合わせが面白い。ただし、水は“ごくごくと”飲むものなので、作者ならではのオノマトペになるとさらにいい句になるのでは?」と恩田が評しました。        ゝ 病む人にこの囀りを届けたし               樋口千鶴子    「病気で臥せっている人を元気づけたいという作者のやさしさを感じました」との共感の声がありました。 恩田も「素直でやさしい千鶴子さんならではの良さが出ています。病院のベッドは無機的ですものね」と評しました。                                  今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。    古寺に狐狸の噂や五月雨              江戸川乱歩  彼の岸も斯くの如きか五月闇              相生垣瓜人  やはらかきものはくちびる五月闇               日野草城  手花火に妹がかひなの照らさるる               山口誓子  手品師の指いきいきと地下の街               西東三鬼  手花火の柳が好きでそれつきり              恩田侑布子  生きて死ぬ素手素足なり雲の峰              恩田侑布子  歳月やここに捺されし守宮の手              恩田侑布子                              樸俳句会の幹事を長年務めてくださっていた久保田利昭さんが、本日をもって勇退されることになり、恩田から感謝を込めて、これまでの久保田さんの代表句73句(◎と〇)が配布されました。 そのなかで特に連衆の熱い共感を呼んだのは次の句です。  母のごとでんと座したり鏡餅  オンザロック揺らしほのかに涼を嗅ぐ  父の日や花もなければ風もなき  音沙汰の無き子に新茶送りけり  青田風新幹線の断ち切りぬ     久保田さんの今後のますますのご健勝をお祈りいたします。                                         [後記]  句会の前に、連衆のひとりから自家製の新茶を頂きました。川根(静岡県の中部、大井川沿の茶所)のお茶とのことです。帰宅後、賞味させていただきました。  本日の句会では、特選二句にはほとんど連衆の点が入らず、恩田の選と重なりませんでした。最高点句を恩田はシルシで採りました。連衆の選句眼が問われます。「選といふことは一つの創作であると思ふ」という虚子の言葉を噛みしめたいと思います。  次回の兼題は「青蛙・雨蛙」「薔薇」です。(山本正幸)   今回は、特選2句、△2句、ゝシルシ9句、・10句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

5月15日 句会報告と特選句

20190515 上

 令和元年5月15日 樸句会報【第71号】  五月第二回目の句会。まさに五月晴れの中を連衆が集ってきました。  兼題は「鰹」と「“水”という字を使って」。                       ◎特選    緑降る飽かず色水作る子へ                見原万智子    「緑さす」は夏の季語。「緑降る」は季語と認められていないかもしれません。でも、朝顔の花などで色水をつくっている子の周りに、ゆたかな緑の木立があって、一心に色を溶かし出している腕や手や、しろがねの水に「緑が降る」とは、なんという美しい発見でしょう。ピンクや紫色の色水に、青葉を透かして陽の光の緑がモザイクのように降り注ぎます。色彩の祝福に満ちた夏の日の情景。誰の胸の底にもある原体験をあざやかに呼び覚ますうつくしい俳句です。  見原さんはこの句で、「緑降る」という新造季語の作者にもなりました。          (選 ・鑑賞   恩田侑布子)         ◯入選  皮のままおろす生姜や初鰹                天野智美  句の勢いがそのまま初鰹の活きのよさ。ふつうはヒネ生姜の皮を剥くが、ここでは晒し木綿でキュキュッと洗って、すかさず下ろし、大皿に目にもとまらぬ早さで盛り付ける。透き通る鋭い切り口に、銀色の薄皮が細くのこり、生姜や葱や新玉ねぎの薬味も香り高い。初鰹の野生を活かすスピード感が卓抜。(恩田侑布子)  この句を採ったのは恩田のほか女性一人。 「美味しそう!」との共感の声があがりました。(山本正幸)                      ◯入選  藁焼きの鰹ちよい塩でと漢                海野二美  ワイルドな料理を得意とするかっこいい男を思ってしまった。港で揚がった鰹を、藁でくるんでさっとあぶり、締めた冷やしたてを供してくれる時、「ちょい塩で行こうぜ」なんて言ったのかと思いきや、これは作者の弁によれば、御前崎の「なぶら市場」のカウンターでのこと。隣に座ったウンチク漢のセリフという。やっぱり体験がないと、俳句は読み解けないことを痛感した次第。(恩田侑布子)  選句したのは恩田以外一人だけでしたが、合評は盛り上がりました。 「“漢”で終わっている体言止めがいい。暮らしが見えてきます」 「“漢”がイヤ。“女”ではダメですか? ジェンダー的にいかがなものか」 「ジェンダー云々というのではなく、文学的にどうかということなのでは?」 「お客さんがお店のカウンターで注文したところじゃないでしょうか?」 「男の料理と思いました」  など議論沸騰。 (山本正幸)                       ◯入選  水滸伝読み継ぐ午后のラムネかな                山本正幸  上手い俳句。明代の伝奇小説の滔々たる筋に惹き込まれてゆく痛快さに、夏の昼下がりをすかっとさせるラムネはぴったり。ラムネ玉の澄んだ音まで聞こえてきそう。この水滸伝は原文の読み下しの古典ではなくて、日本人作家の翻案本か、ダイジェストか、あるいは漫画かもしれない。という意見もあったが、たしかに長椅子に寝転がって読んでいる気楽さがある。夏の読書に水滸伝はうってつけかも。(恩田侑布子)    合評では 「“水滸伝”に惹かれました。複合動詞がぴったり。ラムネも好き」 「上手いけど、ありそうな句。手に汗を握ってラムネを飲んでいる」 「“水滸伝”は昔少年版で読みましたよ」 「“水滸伝”の“水”と“ラムネ”の取合せがどうでしょうね?」 などの感想、意見が聞かれました。(山本正幸)       【原】まだ距離をはかりかねゐて水羊羹                猪狩みき  知り合って間もないふたりが対座する。なれなれし過ぎないか。よそよそし過ぎないか。どんな態度が自然なのか。どぎまぎする気持ちが、水羊羹の震えるような切り口に託される。が、このままでは調べがわるい。「ゐて」でつっかえ、水羊羹に砂粒があるよう。 【改】まだ距離をはかりかねをり水羊羹  「はかりかねをり」とすれば、スッキリした切れがうまれ、水羊羹の半透明の肌が、ぷるんとなめらかな質感に変化する。「り・り・り」の三音のリフレインも涼しく響きます。       【原】はがね色目力のこる鰹裂く                萩倉 誠    詩の把握力は素晴らしい。でもこのままだと、「のこる」のモッタリ感と「裂く」のシャープ感が分裂してしまう。   【改】鰹裂くはがね色なる眼力を    こうすれば、鰹に包丁を入れる作者と、鰹の生けるが如き黒目とが、見事に張り合う。拮抗する。そこに「はがね色」の措辞が力強く立ち上がって来るのでは。       【原】水中に風のそよぎや三島梅花藻                天野智美    柿田川の湧水に自生している三島梅花藻は、源兵衛川でも最近はよくみられるという。清水に小さな梅の花に似た白い花が、緑の藻の上になびくさまはじつに涼しげ。それを「水中にも風のそよぎがある」と捉えた感性は素晴らしい。しかし、残念なのはリズムの悪さ。下五が七音で、おもったるくもたついている。   【改】みしま梅花藻水中に風そよぐ    上下を入れ替え、漢字を中央に寄せて、上下にひらがなをなびかせる。「風のそよぎや」で切っていたのを、かろやかに「風そよぐ」と止めれば、言外に余白が生まれ涼しさが感じられよう。           (以上講評・恩田侑布子)                        第53回蛇笏賞を受賞した大牧広(惜しくも本年4月20日に逝去)の第八句集から第十句集の中から恩田が抄出した句をプリントで配布しました。 連衆の共感を呼んだのは次の句です。    枯葉枯葉その中のひとりごと    凩や石積むやうに薬嚥む    外套の重さは余命告ぐる重さ  落鮎のために真青な空があり    ひたすらに鉄路灼けゐて晩年へ    春帽子大きな海の顕れし    人の名をかくも忘れて雲の峰    秋の金魚ひらりひらりと貧富の差    仏壇にころがり易き桃を置く         本日句会に入る前に『野ざらし紀行』を読みすすめました。    あけぼのやしら魚白き事一寸(いつすん)    漢詩には「白」を主題に詠む伝統があり、芭蕉の句もこれを継いでいるという説がある(杜甫の“天然二寸魚”)。しかし、典拠はあるものの芭蕉の句は杜甫の詩にがんじがらめになっていない。古典の知識だけで書いているのではない、遠く春を兆した冬の朝のはかない清冽な美しさがここにある。新しい文学の誕生を告げる句のひとつである。と恩田が解説しました。     [後記]  句会の終わり際に読んだ大牧広の句には筆者も共感しました。80歳を超えても、「老成」せず、枯れず、あたかも北斎やピカソのように「自己更新」してやまない俳人の姿に多くの連衆がうたれたのです。  恩田も5月10日の静岡高校教育講演会において、「きのふの我に飽くべし」との芭蕉の言葉を援用し「自己更新」の喜びを語っていました。  ※講演会についてはこちら  次回兼題は、「五月・皐月」と「“手”という字を使って」です。             (山本正幸)  今回は特選1句、入選3句、原石3句、△3句、シルシ6句、・11句と盛会でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

5月5日 句会報告

20190505 句会報用 上

令和元年5月5日 樸句会報【第70号】 10連休のさなか、夏のような陽気の5月5日に句会がありました。 兼題は「袋掛」と「夏山」。 入選1句、△2句を紹介します。   ○入選  げんげ編めば編むほどひと日長くなる                田村千春   恩田以外に採った人は男性が一人。 「かわいいなあという思いがわく。少女が野原で日が暮れるのを忘れるほど集中してげんげを編んでいる。時間の長さとひと日の長さのハーモニーが良い」と共感を述べました。 「観察者ではなく編んでいる人になりきって詠んでおり、ふしぎな詩の発見がある。”編めば編むほどひと日長くなる“と感じられるときがある。いまこのときが永遠のような気がする感覚。‟春日遅遅”の情が深くとらえられた。春の空気感がリアルで、リズムと内容が合っている。前半の「げ」「ば」「ど」の濁音が編み込まれてゆく湿ったげんげ束の質感をおもわせ、大変効果的」と恩田侑布子が評しました。        △ 青重くとろり滴る山となる                萩倉 誠   「一物仕立ての句。芭蕉の“黄金打延べたる句”ですね。一物仕立ては難しいのだが、成功すればうまい、平凡でない句になる。山の存在感が表現されている、感覚のいい句。‟青重く‟は、この句のよさでもあり悪さでもあるところ。‟青“と‟滴る山”で季重なりの気味があるからです。青を消す方向で考えてみると大化けしそう」と恩田が評しました。        △ 薫風や四元号をかくる友                前島裕子   恩田のみに採られた句でした。 「友がいい。父や母なら成り立たない。友はある意味、人生の伴走者なので、大正、昭和、平成、令和の四元号を駈ける実感がともなう。そこに句の力強さが生まれた。実際に即していえば、かなりお齢のはなれた友だろう。その老境の友への尊敬とエールが、こちらに反響してかえってくる。こころあたたまる句です」(恩田評)       (参考)芭蕉の“黄金打延べたる句” 先師曰く、発句は頭よりすらすらといひ下し来るを上品(じょうぼん)とす。先師酒堂に教えて曰く、発句は汝が如く、二つ三つ取り集めするものにあらず。金(こがね)を打延べたる如くなるべし、と也。(『去来抄』)     [後記] 季語をどう斡旋するか、季語の本意をわきまえて使うことの重要性も合評の中で話題になりました。季語を自分の中でどう実感のあるものにしていくかが大事だということをあらためて感じました。「題を出されてそれに合わせて句を作るだけでなく、自分の表現したいものをその時々の季語を選んで作句するという主体的な句作りも大事に大切に育てていってほしい」という恩田先生の言葉を心にとめておきたいと思います。 次回兼題は、「鰹」と「‟水“の文字を使った句」です。(猪狩みき) 今回は、入選1句、△3句、シルシ4句、・15句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

3月31日 句会報告と特選句

20190331 花の世へ-1

平成31年3月31日 樸句会報【第67号】 駿府城址公園の花が四分咲きの弥生尽。静岡にはめずらしい春疾風に「自転車を漕いで来るのたーいへん」といいながら集まったら、ちょっとドラマチックな句会になりました。 兼題は「花」と‟色名‟を入れた句でした。 ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。                         ◎特選    花の世へ公衆電話が鳴つてゐる                村松なつを    一読、凶々しい句です。「花の世へ」という大胆で巨視的な掴みにインパクトがあります。対比的に「公衆電話が鳴つてゐる」という小さな個人的な緊急事態の逼迫感は切実です。「悲鳴が上がつてゐる」と書かれるよりずっとナマナマしい存在感です。警察からの電話でしょうか。それとも消防署からの折返しなのか。いずれにしろ直面したくない非日常の事態が、血を噴くように、花の世と対置されています。事実だけを投げ出している口語調が効果的です。無表情の恐ろしさといっていいでしょう。わたしたちが安閑と過ごしているこの俗世間の日常の危うさ、脆さをけたたましくあぶり出しています。心ここに切なるものがあり、表現技法上も間然するところのない一句です。          (選 ・鑑賞   恩田侑布子)       ○入選  色抜きのジーンズ洗ふ花の昼                萩倉 誠    合評では、「‟色抜きのジーンズ‟と‟花の昼‟がとてもよく合っている」「色の組み合わせにさわやかさを感じる」「若さを感じる気持ちのいい句」などの感想がありました。  恩田侑布子は 「ブリーチアウトジーンズを、“色抜きのジーンズ”と言い換えただけで、見違えるような含蓄と含羞が生まれたことに驚かされます。いろはうたに始まって、色どり、色好み、色気、色欲などなど、“色”の一文字がひろげる連想はかぎりないものがあります。日本語に熏習されたそれこそいろつや(❜ ❜ ❜ ❜)でしょう。灰味がかったうすい水色のジーンズの向こうに、かがやかしい薄桃色の花の枝が見えて来ます」 と評しました。       ○入選  花予報線量数値一画面                猪狩みき    恩田だけが採った句でした。  「桜の開花情報と地域別の放射線量の数値が、同じ画面に並んでいます。福島県のテレビは、今も天気予報の時に放射線量の数値を知らせるのでしょう。極めて現代的な日常風景を情緒のつけ入る隙なく、すべて漢字で表現しています。除染水も汚染袋も累々と遺跡を築きつつある重苦しく、行き詰まった状況のそばで生活をしていかなければならない現実の重みがあります」 と評しました。       【原】茶色の斑浮きて安堵も白木蓮                天野智美    恩田は 「無傷のはくれんの清らかさ、美しさを謳う俳句はたくさんありますが、茶色の斑に安堵するはくれんの句は初めて見ました。着眼に詩があります。ただ、このままではリズムが悪いですし、“も”がネバリます。せっかくの作者の独自な感受性を活かしてみましょう」 と評し、次のように添削しました。   【改】安堵せりはくれんに斑の浮き立ちて       今回の兼題の例句として、恩田が以下の句を紹介しました。   <花>  火を仕舞ひ水を仕舞ひし夜の桜               山尾玉藻  古稀といふ発心のとき花あらし               野沢節子  さくらさくらわが不知火はひかり凪              石牟礼道子  西行忌花と死の文字相似たり               中嶋鬼谷  紙の桜黒人悲歌は地に沈む               西東三鬼  老眼や埃のごとく桜ちる               西東三鬼 <色を使った句>  赤き火事哄笑せしが今日黒し               西東三鬼  元日を白く寒しと昼寝たり               西東三鬼       合評の後は、現代詩で色をテーマとした作品として、石牟礼道子の『紅葉 』を読みました。さらに、石牟礼道子の研究家でもある岩岡中正氏(「阿蘇」主宰)の「心の種をのこすことの葉」という題のエッセイと近詠句を皆で味わいました。                 次回は、駿府城公園や浅間神社、谷津山など、市内中心地の緑ゆたかな場所で自由に俳句をつくる吟行句会です。静岡駅から徒歩十分の「もくせい会館」(静岡県職員会館)が句会場です。           (恩田侑布子・猪狩みき) [後記] 「花」と「色」という大きなお題の今回。それぞれの視点のおもしろさを感じることができた句会でした。「色」からイメージできることの大きさ、広さ、深みを表現に活かしていくようなことを意識して句を作りたいと思わされました。(猪狩みき) 今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ9句、でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) なお、3月8日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。

1月25日 句会報告

20190125 句会報用1-1

平成31年1月25日 樸句会報【第64号】 新年第二回目の句会です。 兼題は「水仙」と「“寒”のつく季語」。       ○入選  足先に闇すでにあり寒茜                松井誠司 合評では 「たしかに寒茜はすぐに暗くなってしまいます」 「闇が来ている、という作者の気づきがいい」 「夕刻の時間の経過とともにあたりの色の変化も感じさせます」 「“足元”ではなく“足先”にしたのがよいのでは」 などの感想が述べられました。   恩田侑布子は 「“すでにあり”という措辞を俳句に活かすのは難しいが、この句ではよく効いています。“足先”という語におのれの行方を重ねている。真っ暗になっていく情景に自分が進んでいく先のことを想っているのです。晩年や死のことも見据えた心象がよく描けており、実感のある句です。昔、連句をおそわった草間時彦先生の代表句のひとつに“足もとはもうまつくらや秋の暮”があります。でも季節も違いますし、足もとは佇む感じ、足先は行く末を暗示しますから類句とはいえないでしょう。いい句です」 と講評しました。         ○入選  わしわしと湯気もろともにもつ煮込み                萩倉 誠 合評では 「“わしわしと”がいい感じ。もつ煮込を食べている実感がある」 と共感の声。 恩田は 「オノマトペが素晴らしく効いていて、“もつ煮込み”を引き立てています。庶民の生活のエネルギーを感じます。ガッツある主婦が大家族のために厨房でもつを煮込んでいる姿でしょうか。煮ているのではなく、食べている情景ならば“み”は不要です。もつ煮込みそのもののリズム感で愛誦性もありますね」 と評しました。     【原】海風と香もかけのぼる野水仙                松井誠司   合評では 「斜面に群れて咲く水仙の光景が目に浮かぶ」 「“かけのぼる”という擬人化がどうでしょうか」 と感想や疑問がありました。 恩田は 「“海”と“野”がわずらわしい。海というからには野にある水仙に決まっています。“かけのぼる”はいいですね。青空が余白に広がっていきます。“と”も推敲したい」と述べ、次のように添削しました。   【改】海風に香もかけのぼり水仙花         【原】喪の帯をとくや水仙香をほどく               村松なつを   合評では 「女性の喪服には魅力があります。行事が一段落し、ふっと気持ちにゆとりが出たときに水仙の香に気付いた」 「色っぽさに負けて・・(思わず採りました)」(ここまで評者は男性) 「えーっ!色っぽさなんて感じませんよ。ひとつの儀式の緊張感が取れて、水仙のかおりに気がついた瞬間を詠んだのでしょう」(と、女性の評者) 「“香をほどく”という言い方があるのか」 「いや“ほどく”は新鮮ですよ」 「“とくや”と“ほどく”がいかがなものか。“匂ひたつ”くらいのほうがいいのでは」 と感想・意見が飛び交いました。   恩田は 「“香をほどく”は鮮度があっていいです。問題は“とくや”の勇ましいリズムに句の内容が合わないことです。杉田久女の代表句(花衣ぬぐや・・)にインスパイアーされたのでしょうか。もう少し力を抜いて、おだやかな表現にしたい。“香をほどく”に焦点を当てましょう」と評し、下記のように添削しました。                 【改】喪の帯をとけば水仙香をほどき                                        今回の兼題の例句が恩田によって板書されました。 「松本たかしの句については、直喩はこれくらい飛躍しないと働かない。“水仙”と“古鏡”に橋を架けることによって詩の世界が現出している。また昨年逝去された宇佐美魚目の句は、作者の高潔な精神の佇まいまで描き切っています」と、解説がありました。  水仙の花のうしろの蕾かな               星野立子  水仙や古鏡の如く花をかゝぐ              松本たかし  水仙を巖場づたひにはこぶ夢              宇佐美魚目  極寒の塵もとゞめず巌ふすま               飯田蛇笏  寒の月白炎曳いて山をいづ               飯田蛇笏  涸れ瀧へ人を誘ふ極寒裡               飯田蛇笏  大寒の一戸もかくれなき故郷               飯田蛇笏  寒月や貴女のにはとり静かなり               攝津幸彦 合評のあと、注目の句集として宇多喜代子第八句集『森へ 』が紹介されました。 恩田は次の七句を佳句として挙げました。  透明の傘の八十八夜かな    白足袋の白にこころを従えて    つらなりて石鹸玉にもこの重さ    恩師みな骨格で立つ花野かな    春寒や正岡子規の大頭    永き昼硯の川を渡りゆく    夏木立先生のこと一入に                           [後記] 投句の不調もなんのその、合評は侃侃諤諤、丁丁発止。バレ句に近いものもあったりして、爆笑することも度々。句会が了ったのは会場の借用時間ギリギリの午后5時でした。今年も熱く和やかな樸俳句会です。 恩田は「今日は理屈の通った、頭でつくったような句がちょっと目立ちました。理屈から出てくる擬人化は句を安っぽくしてしまいます。理屈で意味は通っても、そのとき“詩”は消えます。また、季語と合っていない句や予定調和的な句も散見されました」と少々苦言を呈しました。 この指摘はまさに今回の筆者の投句に当てはまり、自らの句作と選句を省みながら帰途につきました。 次回兼題は、「下萌」と「梅」です。(山本正幸)   今回は、○入選2句、原石賞2句、△2句、ゝシルシ10句とやや低調でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

11月16日 句会報告

20181116 句会報用1

平成30年11月16日 樸句会報【第60号】 十一月第2回、暖かさが続き秋の訪れの遅い今年ですが、陽を受ける樹に秋らしさが感じられた日でした。 今回は、入選2句、原石1句、△4句、シルシ10句でした。 兼題は「枯葉」と「鍋」。入選句を紹介します。(◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ ・シルシと無印の中間) 〇枯葉にも生命線や空真青              山本正幸  合評では、「枯葉の葉脈を生命線とみた目のつけどころが良い」「枯葉は土になって次の命を育むことに役立ったり、葉を広げて虫を温めるなどの生命力を持っている。ただ枯れてもう何もないというのではなく、枯葉の持つ生命力を見つけたことがよい」などが出されました。 「枯葉はどこにあるのか?作者はどこにいて見ているのか?」という問いがありました。空を見ることとの関連から、土に落ちた枯葉という見方と枝にしがみついて残っている枯葉という見方ができるのではという意見が交わされましたが、近くにある枯葉を手に取って、あるいは手に取らずとも近くで見ているととらえるのが自然なのではないかという意見にまとまりました。  恩田侑布子は、「近くの枯葉から空という大景に拡げている達者な句。枯葉がその命を精一杯生き抜いた感じを表現した優れた句である」と評しました。          〇つゆだくの牛丼すする寒昴              萩倉 誠  恩田だけが採りました。 「“つゆだく”という措辞がいいです。寒い中、チェーン店と思われる安いびしょびしょした牛丼をすすっている。とても俗っぽい前半と、店を出て振り仰いだ俗でない宇宙との取り合わせが良い」と講評しました。                      【原】悲しきは枯葉と踊る馬券かな              萩倉 誠  この句も恩田だけが採りました。  「おもしろい句です。上五を変えると見違えるように良くなります。たとえば“武蔵野の”とすると、歌枕でもある“武蔵野”と“馬券”の取り合わせになって俳味が出るのではないかしら」との評でした。                 俳味という点では △もう少し太れといはれ焼き芋よ             藤田まゆみ   もおもしろい句と恩田が評しました。「女性が好きな美味しいけど太る焼き芋が、“太れ”と言われる視点の逆転がいいですね。諧謔が効いています」とのことでした。                                [後記]  今回も様々な味わいの句を楽しむことができました。私は「形にすること、何とか俳句らしくすること」に必死で、楽しさや諧謔というものを表現する余裕がまだありませんが、広く深く表現をとらえて作っていくことができればと思います。「上手くなることを第一目標にしないほうが良い。自分という底知れぬ井戸から汲みあげてくる自分なりの表現、その人の気息が通う生きた俳句を作ってほしい。そして句会は、自分の表現を他の人と共感、共振、交響することで自分を高めていく場であってほしい」との恩田の言葉に力づけられました。  次回兼題は、「冬木立」と「鴨」です。    (猪狩みき)