
2024年6月16日 樸句会報 【第141号】
六月は八日に東京吟行(浅草~隅田川~浜離宮)、十六日にZOOM句会。吟行はゲスト二名も加わって大変賑やかで楽しい催しとなったものの、残念ながら入選句なしという結果に。十六日は吟行から日数のない中、入選四句、原石賞一句が選ばれました。兼題は「鮎」そして「蛍」。吟行で着想を得たと思われる句も散見され、バラエティに富んだ五十八句が集まりました。
○ 入選
鮎天や上司の語りほろ苦く
中山湖望子
【恩田侑布子評】
稚鮎は塩焼きにできないので天ぷらにする。頭も腸も丸ごと食されて美味。はらわたのほろ苦い美味さが、乙な小料理屋での少し気のはる上司との会話を想像させる。上司みずからが体験してきた、宮仕えの気苦労や失敗譚が、婉曲表現で作者への諌めに重なってくる。その微妙な上下関係の人間の立場と感情が「鮎天や」の季語と切れによって無理なく表現されている。
○ 入選
節くれた祖父の手に入る夕螢
見原万智子
【恩田侑布子評】
手中の螢をうたった句としては山口誓子の「螢獲て少年の指みどりなり」が名高い。「みどりなり」とうたわれた少年の六十年後のような俳句。「節くれた」の措辞に血が通って温か。誓子は「獲て」で、主体的。こちらは「手に入る」と受身なのも、老いた心の柔らかさが自然に感じられる。まだ更け切っていない夕べの螢のやさしい手触りが伝わってくる。
○ 入選
万緑や大社造は屋根の反り
林彰
【恩田侑布子評】
大社造といえば、出雲大社が名高いが、国宝で日本最古のそれは、松江市街から緑濃い南に入った神魂(かもす)神社である。鳥居から本殿に至る擦り減った石段の鄙びた感じがじつにいい。山ふところに包まれて鎮座する切妻屋根の裾の抑制されたアウトカーブが奥ゆかしい。掲句によって、一人尋ねた昔日の光景の中へ、たちどころに招じこまれた。神奈備山と神籬(ひもろぎ)の織りなす万緑は、栩葺のやわらかく荘厳な屋根の「反り」と相まって、イザナミノミコトの神話時代へと想いを誘う。古建築と日本の風土への堂々たる讃歌。
○ 入選
大皿をすべりて鮎のかさならず
長倉尚世
【恩田侑布子評】
鮎の月光色の薄皮がカリッと炭火に香ばしく焼かれ、大皿に供されたのであろう。この皿は清流を連想させる青磁かもしれない。「すべりて」で、鮎の軽やかさが、「かさならず」で、その姿の美しさが際立った。大皿と鮎のみを漢字表記としたことで、清らかな川のほとりの涼風が吹きかよってくる。
【原石賞】応答なき骨董店の夏暖簾
長倉尚世
【恩田侑布子評・添削】
「ごめんください」。さっきから奥へ向かって何度か声をかけている。が、ちっとも返事のない骨董店の「夏暖簾」が印象的。店主が席を外すのだから、そうそう高価な時代物は並んでいなかろう。かといって、ただの我楽多屋でもない。染付の小皿や、澄泥硯が朱漆の函に収まっていたり。小味の利いた品々が、麻の暖簾の陰に微睡んでいそう。「応答なき」は宇宙船のようで遠すぎる。「応(いらへ)なき」が静かで涼しい。
【添削例】応なき骨董店の夏暖簾
【後記】
今月の兼題「蛍」は、夏を代表する人気季語の一つではないでしょうか。有名句の多い難敵とも言えます。作句前、自分の愛誦句帖を見直して深々と嘆息。これは素敵、心に届くと思って書き付けた蛍の句の多くが、現在の私には陳腐でありふれた十七音に見えるのです。句作を始めて僅か一年ほど、ものの見方感じ方はこれほど短期間に劇的な変化を遂げるのかと苦笑いするしかありません。自分は何を求めて、どんな十七音を表現したいと望んでいるのか。躓きながらの試行錯誤は、まだまだ続きそうです。
(成松聡美)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ====================
6月8日(土)の吟行会にゲスト参加された川面忠男様が、ご自身のブログで当日の様子をレポートしてくださいました。
ぜひご覧ください↓東京吟行会のレポートが届きました!

2024年3月17日 樸句会報 【第138号】
彼岸の入り、春うららかな昼下がり、副教材が要らないほどの大収穫と恩田侑布子が絶賛する句会となりました。兼題は「麗か」「春の波」「浅利」、特選1句、入選3句、原石賞3句をご紹介します。 ◎ 特選
澤瀉屋
千回の宙乗りの果て春夕焼
前島裕子
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春夕焼」をご覧ください。
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○入選
芽柳の雨垂れを見る一つ傘
活洲みな子
【恩田侑布子評】
「芽柳」だけで充分みずみずしいですが「芽柳の雨垂れ」はいっそう清らか。相合傘を「一つ傘」と言ったことで、透明感のある恋の句になりました。寄り添う二人が眼差しまで合わせて、芽吹いたばかりの柳の先に垂れる雨しづくの一粒をみつめています。鏑木清方の「築地明石町」に描かれた女人。その若かりし日の一コマを垣間見る心地がします。
○入選
暗がりに殺す息あり浅蜊桶
小松浩
【恩田侑布子評】
海水ほどの塩気の水に浸け、外し蓋をして砂を吐かせます。その暗がりを想いやっているのです。柔らかな肌色の身を貝からイキイキと伸ばすもの。潮を吹くもの。でもそれはみんな殺さなければならない息です。殺して食べるために、いましばらく生かしている後ろ暗さ。生きるために殺生戒を犯す、春陰ならではの一つの思いが刻まれました。
○入選
あさり吐く砂粒ほどのみそかごと
成松聡美
【恩田侑布子評】
浅蜊が蓋の下でザラザラした細かい砂つぶを音もなく吐いています。なんだか私の誰にも言えない秘密みたいだわ。一句の前半と後半で主体がねじれ入れ替わり、砂を吐く浅蜊と自分が一体化したよさ。
【原石賞】麗かや譲る日の来たワンピース
見原万智子
【恩田侑布子評・添削】
作者ご自慢のワンピースドレスでしょう。奮発して買ったか作らせたか、刺繍や細やかなレースの部分があったりして、贅を凝らした逸品です。少し派手になったかしらと娘に譲るところで、娘がよろこんで着てくれる満足感が「麗か」です。原句は「来た」で勇ましくなってしまいましたので、ドレッシーなワンピースに合わせ、調子をすこし可愛くしましょう。
【添削例】うららかや譲る日来るワンピース
【原石賞】泳げない母の見てゐた春の波
見原万智子
【恩田侑布子評・添削】
泳ぎが不得手で、海に水着で入ったことがない母。その母が眩しそうに春の波をいつまでも見つめていたあの日の記憶。どこか不器用で、そのぶんしとやかでおもいきりやさしかった母。母恋の情が自然に溢れた素直な俳句です。「泳げない」という否定形ではなく、はっきりと具象化しましょう。そうすることで俳句は勁く、味わいゆたかになります。この句の場合は「母の見てゐし春の波」と文語歴史的仮名遣いにする必要はないでしょう。発想自体が、口語現代仮名遣いだからです。
【添削例】かなづちの母の見ていた春の波
【原石賞】空のむかふ溶かして寄せ来春の波
佐藤錦子
【恩田侑布子評・添削】
海辺または大きな湖のほとりに出かけて、よく「春の波」を見つめ、季語と真っ向勝負した俳句です。春の波を見つめていると、ひとりでに空の向こうの沖に心を誘われます。原句で、一つだけ気になるところは中七のせせこましさです。溶かし、寄せる、来る、と三つもの動詞が畳み掛けられ、特に「来(く)」の固い音で、「春の波」の長閑さが半減してしまいました。ここは素直に「溶かして寄する」にすれば、おおらかな秀句になります。
【添削例】空のむかふ溶かして寄する春の波
【後記】
今回の句会では声に出しての推敲、「舌頭に千転」することの重要性と、俳句には調べが大切ということが再確認できました。特選、入選の句はどれも、その作者にしか詠めない作者らしさが光る句でした。季語の温かさが句を広げたスケールの大きな句、透明感が溢れる瑞々しく眼差しにロマンを感じさせる句、語感が良く春ならではの句、季語とまっこう勝負した詩情溢れる句などなど・・・。原石賞の添削でも一文字に拘ることの大切さを改めて痛感する、実り多き心躍る句会となりました。次回の兼題は手強いものばかりですが、逃げることなくチャレンジしたいものです。
(金森三夢)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ====================
3月3日 樸俳句会
兼題は「朧月」「耕す」「菠薐草」です。
特選1句、入選3句、原石賞1句を紹介します。
◎ 特選
書き込みに若き日のわれ朧月
小松浩
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「朧月」をご覧ください。
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○入選
岩手県立図書館
雪解しづく青邨句集繙けり
前島裕子
【恩田侑布子評】
山口青邨の句集を青邨のふるさとでもあり、作者のふるさとでもある岩手県立図書館で読んでいます。窓辺にポトッポトッときらめく雪解しづく。早春の透明な光は、鉱物学者でもあった青邨の佇まいに通い、その廉潔な人柄まで偲ばせます。前書きはなくても自立できる俳句です。「雪解しづく」は、山口青邨の魂に捧げられた慎ましい供物であり、清楚な詩(うた)をうたい続けるようです。
○入選
男女にも友情有りや朧月
金森三夢
【恩田侑布子評】
果たして「男女にも友情」というものがあるのだろうか、と「朧月」に問いかけています。そのつけ味が面白い。作者の心は、すでに半分は恋に傾いているのかもしれません。そう想像させるところが危うげで、ロマンチックです。春の朧月のやさしさにふさわしい問いかけでしょう。
○入選
月おぼろ話し足りなきことばかり
田中優美子
【恩田侑布子評】
もっともっと話していたかったのに、時間が来てさようならをします。帰り道、あれも話したかった、これも聞いてみたかったと、相手との歓談を思い返します。中天にはなんとも馥郁とした朧月がかかって。「月おぼろ」「足り」「ばかり」のR音の脚韻がリズミカルで、調べの美しい俳句です。「話し足りない」といいつつ、二人の心はすでに、霞む春月のひかりのなかにやさしく溶け合っているのではありませんか。
【原石賞】耕すや吾が幸四五歩四方なり
佐藤錦子
【恩田侑布子評・添削】
「耕」に正面から迫った独自色のある句です。わずか二、三坪の土地でも、鋤だけで耕すのはたいへんな手間ひまを要します。それを「我が幸」といったのが出色。ただ、「や」「なり」の切れ字の重なりは気になるところです。そこで、句のキモの「吾が幸」を、漢字をひらいて柔らかくした上で、倒置法によって強調すると、さらに生き生きします。
【添削例】耕すや四五歩四方のわが幸を

2023 樸・珠玉作品集 (五十音順)
いつぽんの草木 俳句というゆたかな山に登ろうとするとき、一人では薮に突っ込んだり、ふもとの出湯に浸かりっぱなしになったりしがちです。私は、それぞれの脚力を信じて、「俳句山岳ガイド」をさせていただいております。
「樸」はしらき。山から伐り出した原木です。何にでもなれる可能性のかたまりです。樸の連衆は、生い育った環境、精一杯努めている仕事や家庭、愛好する書物や芸術、そうしたみずからの豊穣の根もとを踏まえて、たったいま出会う風光と火花を散らし、一句をひと茎の草花やいっぽんの木のように、大空の下に立たせようとします。
樸から生まれた俳句が、まだ見ぬやさしい人に迎えられ、ほのかなぬくもりでつながれますように。今年も胸ときめかせ、深い山に登ることができますように。恩田侑布子(2024年1月15日)
天野智美 花朧坂の上なる目の薬師 べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな 秋の苔弱き光をこはさぬやう 《二年ぶりに樸に復帰して》
好きなことや逃げ場はたくさんあればあるほどいいというが、家族の問題に振り回され不安を感じない日がないこの一年、なんとかこちら側に踏みとどまっていられたのは、俳句が知らず知らずのうちに足首を掴んでいてくれたからかもしれない。樸に復帰しなかったら、ささやかでも心震わせてくれるものにこんなに目を向けられただろうか。綱を投げてくれた俳句と樸に感謝を。
猪狩みき しめ縄の低き鳥居に春の風 卯波立つ廃炉作業の発電所 楡新樹望みを抱くといふ勇気 《興味のありか》
植物や動物の兼題が出るたびに、自分が動植物にほとんど興味を持たずに生きてきたことをつくづく思い知らされる。海も山もごく近い田舎に育ったのに、なぜかそうなのだ。(例外は「木」。木の姿かたちと木の奏でる音が好きで興味あり。)俳句の楽しみを増やすためにも、動植物と、もっと親しくつきあえたらいい。と同時に、これまで自分が興味をもって向かい合ってきたもの、ことを俳句につなげられたら、とも思っている。
活洲みな子 父母は茅花流しの向かう岸 読み耽る昭和日本史虫の闇 枇杷の花いつか一人となる家族 《旅と私》
私はよく旅をする。所々に拠点を置いて、ゆったりと旅をするのが好きだ。俳句を学ぶようになり、旅の楽しみがさらに広がった。九州では祖母山の雄大さと神聖な雰囲気に息をのみ、東北では何もない淋代の浜に佇んで句に想いを馳せた。四国遍路の難所二十一番札所へ向かうロープウェイからは、修験の場である山々を眼下に見て、場所は違えどなぜか「葛城の山懐に寝釈迦かな(青畝)」の句が頭を離れなかった。
それでも私は、旅行中は句を作らない。目の前にある今を百パーセント楽しむのが私の遊びの流儀…なぁんて、まだまだ未熟者ということですが。
海野二美 在の春すする十割そば固め お薬師様見下ろす村に花吹雪 長旅の蝶の夢かや藤袴 《強さとは・・》
皆様にお見舞いいただきました類焼から4カ月。穏やかに元気に過ごしてまいりましたが、食欲も出て抜け毛も収まって来た3カ月過ぎた頃から、感情が元通りに癒えて来たせいなのか、悔しく悲しく、酷く落ち込んでおりました。しかし、くよくよしていても一日、明るくしていても一日と自分を励まし続け、何とか立ち直りました。まだまだ落ち着かない日々が続きますが、これからも自分の強さを信じ、前に進もうと思っています。隣りにはいつも俳句を携えながら・・。
金森三夢 鑑真の翳む眼や冬の海 枯れ尾花わたしのことといふ佳人 ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる 《出戻り致します》
「出戻りは三文の価値なし」と言われます。愚生恥ずかしながら新年より句会に戻らせて戴きます。
八月の手術前から『永遠』の二文字が出来損ないの心と頭に浮遊しています。青空を見つめながら「この空をネアンデルタール人も眺めていたのか? 私の死後の未来人も・・・」。少しずつ肩慣らしするつもりです。ウォーミング・ダウンになりませぬよう、何卒宜しくお願い致します。
岸裕之 五月雨の垂直に落つ摩天楼 碌山の≪女≫漆黒新樹光 病葉の猩々みだれ舞ふ水面 《今思ふこと》
私の先祖は秀忠・家光の久能山東照宮、静岡浅間神社造営の際、全国から優秀な職人を集め、気候が良いので、住み着いた漆塗りの職人の末裔と伝わってます。私で八代目ですが、初代は町奴でもあり、眉間に傷があり、岸権次郎こと「向こう傷の権さん」といったそうな。この権さん、坊さんの女関係のトラブルを纏めて一人だけ戒名が良いと伝わっている。で、職人を継がなかった負い目があるので、せめて俳句は職人の美学である「粋」な俳句でも作ろうと今思いました次第です。
小松 浩 酢もづくの小鉢に海の遠さかな 銀漢や調律終へし小ホール 警笛に長き尾ひれや熊渡る 《大リーグボール養成ギブス》
入会して1年余、たくさん基本を教わった。「知識で作るな」「報告句や説明句はだめ」「季語の本意を大切に」「時間の経過ではなく一瞬を詠む」「気持ちをモノに託せ」云々、云々。いちいち照合しながら俳句を作ろうとすると、大リーグボール養成ギブス(ご存知ない方は「巨人の星」「星飛雄馬」で検索を)をはめたようで、頭はギクシャク、指先はがんじがらめになってしまう。かといってこれらを脇に置けば、やっぱり駄句しかできない。
心を自由に飛翔させ、それでいて基本のしっかり染み込んだ句。そういうものをいつか作れたらいいなあ。
坂井則之 家継げり障子洗ひも知らぬまま 二親の去りし我が家に帰省せり あし鍛ふいま一度富士登らんと 《初心者の苦弁》
2023年春から参加させていただきました。
その暫く前、恩田先生の一つ前の評論集(2022年刊)の校正をお手伝いさせて戴いてからのご縁でした。
(私は先生の高校の4年後輩に当たります)
今は年金給付を待つ隠退者ですが、現役時代の殆どは新聞社で編集部門、原稿内容や紙面を点検する校閲の現場にいました。経験がご著書のお役に立てたならとても光栄なことだと思ったことでした。
いま[樸]に入れて戴いた後、俳句とも言えないものしか書けていません。先生から「(お前は)頭が散文支配になっている。俳句にはそれと異なる韻文の感覚が要る」との叱責を、何度頂戴したか判りません。句会でも、先生からお点を戴けたものは幾つもありません。我が身を省み、先の厳しさ感が拭えないのが現状です。[自選]は、お点を辛うじて頂戴できたものから挙げさせて戴きました。(先生添削あり)
佐藤錦子 蜜月も悲嘆も誰も往く銀河 秋うらら桂花の菓子を頬張れば 疵あまた無骨な柚子よ宛名書く 《旅の途中》
歩く旅が好きだ。歩けば元気。そう信じ背中を突き飛ばし自分を外へと送り出す。パルシェの講座もばしんと背を叩き今春より受講のち樸の会員に加えて頂いた。出会いに恵まれ有難く思う。
句会では、分からない用語が行き交う。感覚をどう掴み自家薬籠中のものとするか。苦悶が始まったところだ。
歩く旅なら3日目あたり、足裏にまめの出来た頃。今しばらくはその痛い足で歩み続けようと思う。
樸の皆さまどうぞよろしくお願い致します。
島田 淳 花南天兄にないしょの素甘かな 引越の最後に包む布団かな 菜の花の果てを見つけて人心地 《鑑賞という名の対話》
恩田代表の鑑賞文を読むと、自分では思いもしなかった指摘にギクッとすることがある。
愚句に対しても、他の方の句に対しても、作者すら自覚出来ていなかった意味や思いを掬い取って、より明確な表現で提示してくれる。
それは、『渾沌の恋人(ラマン)』や『久保田万太郎俳句集』でも見られたものであり、句だけでなく社会的背景や境遇にまで気を配った鑑賞である。
最初の句では、慎ましく地味な南天の花と庶民的な菓子である素甘、それをこっそり食べる小さな背徳が響き合う様を鑑賞文の中で描き出していただいた。
「お兄さんばっかりずるい!」という被害感情を常に秘めている末っ子の気分を、句の中から見事に掬い取ってくださった。
二番目の句は、愚句「転居の日蒲団最後に包みけり」を恩田代表が直してくださった。布団を包むという動作ではなく、梱包された布団そのものにフォーカスを当てることで、引越準備が完了したことをより明らかに示している。「うむ、準備完了」と言う自分の感慨が甦るようである。
最後の句は、愚句をそのまま掲句とした。恩田代表には、添削例として「菜の花の果てに来りぬ人心地」と直していただいた。
これは、俳句の問題ではなく人生観の問題なのだろう。延々と続く菜の花畑の果てらしきものが見えたくらいで気を抜いてはいけないという戒めなのかと受け止めた。果てまで辿り着いて初めて、ある意味病的なモノトーンの世界から人間らしい生の実感を取り戻せるのかも知れない。
私が定年を迎えるのは、来年の夏である。
芹沢雄太郎 春の鳥五体投地の背に肩に 磔の案山子の頭ココナッツ 道迷ふたびあらはるるうさぎかな 《インドのひかり/日本のひかり》
インドで暮らし始めてもう少しで2年になります。季節を二回廻ったことで、だんだんとインドの微妙なひかりの移ろいと、日本のひかりとの違いを感じるようになってきました。今年はそのひかりをこの手で掬い取り、句という形にとどめてみたいです。
田中泥炭 人類に忘却の銅羅水海月 耳鳴のいつでも聴けて稲の花 隠沼にあすを誘ふ栗の花 《実戦の年に》
普段色々な事を考えているはずだが、いざ書くとなると全く思いつかない。そこで昨年は何を…と覗いてみると「書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ」と書いていた。なんと肩に力の入った内容だと我ながら思うが、この内容を今でも信頼できるのは良い事だろう。来年は実践の年にしたい
都築しづ子 切り貼りは手鞠のかたち障子貼る 初夏やタンクトップにビーズ植う 牡蠣フライ妻と一男一女居て
《師の事 樸句会の事》
いつも思う事だが 師の選評により句に新しい世界が生まれる。平凡な句に詩が生まれる。こんな師にめぐり会えた幸運に感謝、感謝である。
そして、樸の会員の皆様の感性溢れる句に老体は打ちのめされる。しかし、しかし、私はまだ俳句をあきらめられ無い。病と折り合いをつけながら 此れからも作句を続けたい・・・。
この文を記しているうちになんだか元気になってきた!
中山湖望子 鴨鍋や湖北の風が鼻を刺す 夏の月うさぎも湖上走りけり 仏壇に手合わす子らや柏餅 《俳句〜日本という方法の神髄》
俳句は手ごわい。ゴーリ合理で進めてきた私はグローバル資本主義とコンプライアンスに絡まった社会にどう考えても行き詰まってしまい、辿り着いた一つが俳句だ。
観察、見立て、連想や影向などを駆使しようとするのだがまったく心が固まってしまってイメージが動かない。散文になったりくっつきすぎたり、ぽちょんすら一つも付かない句会のなんと多いことか。そのたび感性の無さに、言語表現の貧相さに呆れてしまうのだが、石の上にも3年。五感で取り込んだ電気信号が通う脳内ニューロンの新たな回路ができるまでは粘り続ける覚悟です。
成松聡美 柚子青し手帳今日より新しく きれぎれに防災無線山眠る 鍋焼吹く映画の話そつちのけ
《初心者を楽しむ》
句集などめくったことすらなかった私が、ふと思い立って俳句を学び始めて九か月。樸に入会して三か月。現在、自分がどちらを向いているかも不確かな迷路にいる。何事にも始まりと終わりがあり、この頼りなさもいずれ消えてしまうのだとすれば、今は『初めて』を存分に満喫したい。初学者ゆえに許される無知や無作法をくぐり抜けた先に何が待っているのかは知らない。ただ、少しずつ増えていく本棚の句集や月二回の句会が生活の句読点になりつつあるのは確かだ。初心者である自分を面白がりながら、行けるところまでのろのろ走ろう。そう決めている。
林彰 最高裁「諫早湾開門せず」
海苔炙る有明海を解き放て 沢登り桃源郷あり幣辛夷 深く吸ひゆっくりと吐く去年今年
古田秀 シャンデリア真下の席の余寒かな うぐひすや渦を幾重に木魚の目 テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬 《融》
冬の初めに金沢へ旅行に行った。輪島漆芸美術館で出会った鵜飼康平さんの『融』に目を奪われた。真柏の湾曲した枝に朱の髹漆を施し、異なる質感が融けあいながらも互いに存在を強めている。俳句は徹頭徹尾言葉しかないから、どんなモノでも提示して操作可能だ。その一方でモノを強く存在せしめている俳句がどれほどあるだろう。来年もそんな俳句を希求したい。
前島裕子 菜の花や家々ささふ野面積 スマホすべる付爪のゆび薄暑光
岡部町、大龍勢
先駆けの子らの口上天高し 《外にとびだそう》
私の干支、卯年も残すところわずか。
少しはとびはねようとしたのですが、思うようにはいかないものです。
Zoom中心の句会でしたが、吟行会が春と秋二回行なわれた。大空の下、ゆったりとよく観、想像をふくらませて、作句。句会でしか会ったことのない仲間と、自然のなかでの交流。いい時間を過ごすことができました。
コロナも一段落した様子、家にこもっていないで、外にとびだし新しい発見をしよう。
益田隆久 露の玉点字の句碑に目をとづる 空蝉はゆびきり拳万の記憶 冬ごもり硯にとかす鐘のおと 《村越化石さんの原稿用紙》
藤枝市蓮華寺池公園の文学館に、村越化石さんの手書きの原稿が展示されている。
既に両目共失明していた。原稿用紙の升目を決してはみ出さない。一文字ごとに正確に丁寧に書かれている。見ていて泣きたい気持ちになる。一つ一つの文字に命が宿っている。俳人とは文字を大切にする人ではないか。永田耕衣さんは、労災事故で右手を損傷し左手で書いていた。棟方志功画伯は絵に入れる文字は永田耕衣さんに頼んだ。上手い下手を超越した何かを感じたのだろうか。村越化石さんの手書きの原稿を見てそのことを思い出した。
見原万智子 フライパン買はむ極暑の誕生日 形見分くすつからかんの菊日和 星なき夜熊よりも身を寄せ合はす 《穴があったら入りたい》
涙が出るほど心が動いた誰かとの会話を俳句にしたとする。しばらくして季語が動くと気づく。だが、会話した季節の季語なので大切にしたい。
しばらくしてまた気づく。相手は話を切り出すまで何ヶ月も前、別の季節の頃から逡巡していたかもしれない。長い間、季節があってないような気持ちだったかもしれないではないか。最初の涙は心が動いたことへの自己陶酔?
穴があったら入りたいが、俳句に出会わなかったら、自分は恥ずかしい奴だと気づきもしなかった。
上村正明 もづく酢や昭和を生きて老い未だ 紙兜脱ぎて休戦柏餅 手術宣告
長々と俎上にのせん生身魂
上村正明さんは二〇二三年角川「俳句」三月号の恩田作品に共感され、「少しでも高みを目指したい、少しでも「俳句の三福」を味わってみたい」と、同月十九日入会。八月二〇日までめきめき腕を上げられ、闊達な座談でも周囲を魅了しました。腹部大動脈瘤の手術から回復されることなく、最後の句会から旬日にして他界されたとは言葉を失います。
これから菖蒲の節句が来るたび、仲良し兄弟が紙兜と紙太刀を放って「柏餅」の葉を剥がす勢いを想像し、思わず微笑むことでしょう。墨痕あざやかに八十六年を生き切られた最晩年の俳縁に感謝し、深悼を捧げます。 (樸代表 恩田侑布子)
後記
樸会員による2023年の自選3句集をお届けします。1年間、恩田代表の厳しくも愛情あふれる指導を受け、それぞれの感性や人生観などを踏まえた、俳句に対する向き合い方のうかがえる作品集になりました。(自選3句の後のエッセーは昨年末時点で書かれたものです)。
俳句は世界一短い詩と言われます。この十七音に想いを込めようと四苦八苦していると、ふと、短歌の三十一文字がなんと長いことか、と驚く自分がいます。もちろん短歌も十分に短いのですが、言葉を極限まで削る俳句が、そんな不思議な感覚をもたらすのでしょう。饒舌で大袈裟で無意味な言葉が大手を振って歩いている喧騒の時代に、最小限の言葉で最大限の世界を生み出す俳句の素晴らしさを、今年も樸俳句会で体験していきたいものです。
(小松)

2023年12月23日 樸句会報 【第135号】 暖かな日が続いていた後にやってきた寒波で、空気がピンと張った冬晴れの日。今年最後の句会がありました。
兼題は「数へ日」「鍋焼」「熊」。
特選2句、入選4句、△4句、レ4句、・8句。高点句と高評価の句があまり重ならなかったことから、それぞれの読みをめぐって活発に意見が交わされました。「鍋焼」の食べ方談義も楽しい時間でした。
◎ 特選
斎場のチラシかしまし冬の朝
林彰 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「冬の朝」をご覧ください。
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◎ 特選
警笛に長き尾ひれや熊渡る
小松浩 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「熊」をご覧ください。
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○入選
数へ日やかき抱きたき犬のなし
天野智美 【恩田侑布子評】 「かき抱きたき人」ではなく「かき抱きたき犬」で、とたんに俳諧になった。いつも一緒にいた小柄なお座敷犬が想像される。その愛らしかった瞳やら毛並みやら。もう一緒に迎えるお正月は来ない。「数へ日」が切実である。
○入選
星なき夜熊よりも身を寄せ合はす
見原万智子 【恩田侑布子評】 「星なき夜」でなければならない。一粒でも星が瞬けば童話になってしまうから。月もない真っ暗な夜。希望もない。声もない。が、「身を寄せ合はす」人がいる。飢えかけているときに一番食べものが美味しいように、絶望しかけている時ほど、愛する人がいる幸せを感じる。居ないはずの熊を感じるのは、作者が熊になりかわっているから。
○入選
数へ日の日毎重たくなりにけり
海野二美 【恩田侑布子評】 毎日は二十四時間で変化がないはずなのに、年が詰まり、あとわずかになると、言われるように一日が沈殿するように「重たくなる」。あれもしていない。こっちの片付けもまだ何もやっていない。どうしよう。日数が足りない。途方に暮れても、時間の流れは容赦ない。省略が効いていて、覚えやすい良さもある句。
○入選
鍋焼吹く映画の話そっちのけ
成松聡美 【恩田侑布子評】 映画の帰りに店に寄ったのだろう。今まで夢中で主人公や脇役の話をしていたのに、「鍋焼」が湯気を立てて運ばれてきた途端、もう映画なぞ「そっちのけ」。ふーふー。ずるずる。アッチッチと言ったかどうか知らないが、美味しく楽しく夜はふけてゆく。
【後記】
年末のあわただしい気分がありながら、句会の間は別の時間が流れているような気持ちにもなりました。
「“発見”が大事といつも言っているけれども、それは“知”“頭だけ”での発見ではなくて“知・情・意”があるものでなければ」との恩田先生の言葉に、詩的な発見のための構えについてあらためて感じるところがありました。また、「情、気持ちの切実さは十分に持ちつつそれに耽溺せず表現するのが俳句」との言葉も。難しい、ですが、その難しさを楽しむ気持ちで新年に向かえたらと思っています。 (猪狩みき) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
==================== 12月12日 樸俳句会
兼題は「冬ざれ」「山眠る」「枇杷の花」です。
特選2句、入選3句を紹介します。
◎ 特選
テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬
古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「冬」をご覧ください。
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◎ 特選
枇杷の花サクソフォーンの貝ボタン
益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「枇杷の花」をご覧ください。
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○入選
枇杷の花いつか一人となる家族
活洲みな子 【恩田侑布子評】 枇杷はしめやかな花。半日陰を好むようで、遠目にはそれと知れない。トーンの低い冬の日差しに似合う。大きな濃緑の葉影に静まって地味に群れ咲く。「いつか一人となる家族」。この感慨にこれほどピッタリと収まる花は他にはないだろうと思わせる。
○入選
磔の案山子の頭ココナッツ
芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 案山子は秋の季語。ココナッツの頭はエキゾチック。作者は南インド在住の芹沢さんと想定して入選に。
まず案山子を「磔」とみたことに驚かされる。今まで衣紋掛けは連想しても、キリストの磔刑など、夢にも想わなかった。言われてみれば、案山子が痩せこけた磔刑像のキッチュなポップアートのように思えてくる。そこら辺のココナッツで無造作に頭を代用しているとなればなおさら。インドの原色の服装も見えてくる。名詞をつないで勢いのある面白い俳句だ。
○入選
きれぎれに防災無線山眠る
成松聡美 【恩田侑布子評】 よくある山村が目に浮かぶ。限界集落ともいわれる山間地の寒村だろう。「きれぎれに」の措辞がリアル。谷住まいの評者も日々経験しているが、山や木や風に遮られて明瞭には聞こえてこないもの。ばかばかしいほどゆっくりとした広報の声が風に乗って、だいたい何を伝えたいかだけはわかる、あいまいの国、日本。「空気が乾燥しているので火の元に気をつけましょう」とか。大したことは言っていなそう。山は安堵して眠りについている。

2023年11月12日 樸句会報 【第134号】 記録的な猛暑だった今年、借り地の菜園は夏野菜のみならず冬野菜の生育もさっぱりです。視線を落とせばノジスミレやホトケノザの返り花。つくづく季節をつかみにくくなったと感じます。
しょんぼり日々を送るなか、樸zoom句会が開催されました。やれ嬉しやとパソコンの画面の中へ飛び込みたいような気持ちで参加しました。
兼題は「ばつた」「障子洗ふ」「柚子」。
特選2句、入選2句、△4句、レ11句、・11句。恩田先生が「切れの余白がゆたかで、調べもよく、多様で面白い俳句がそろった」と評した豊作の会となりました。
◎ 特選
形見分くすつからかんの菊日和
見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「菊日和」をご覧ください。
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◎ 特選
切り貼りは手鞠のかたち障子貼る
都築しづ子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「障子貼る」をご覧ください。
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○入選
疵あまた無骨な柚子よ宛名書く
佐藤錦子 【恩田侑布子評】 健康な生活実感があふれる俳句だ。庭の柚子はたくさんなるが店頭に並ぶピカピカの別嬪さんではない。疵やシミや凹みがあちこちにある。でもいいじゃん。早速あの人に送ろう!茎を切っただけで芳しく匂う。料理にかければ魔法の調味料、一瞬で高級になる。お風呂にもプカプカ浮かべてもらおう。なんともいい香り。「無骨な柚子」に新しみがあり、「宛名書く」の動詞にも勢いがある。
○入選
柚子青し手帳今日より新しく
成松聡美 【恩田侑布子評】 気がつくと庭の柚子が葉影に大きく実っている。まだ青々として、もぐには早いが、黄色いひかりの珠になって、清らかな香りが初卓や湯殿にあふれる日は近い。そうだ、新しい手帳を下ろそう。そう思わせるときめきは、軽快な調べを奏でる定型感覚のよろしさと、上五のキッパリした切れから来ている。
【後記】
季節以外にも実感をつかみにくくなったものがあります。いくつかの動作です。
ちなみに今回の季語「障子洗ふ」のかんれん季語「障子貼る」とほぼ同じ「障子を貼る」が、『絶滅危惧動作図鑑』(祥伝社、藪本晶子)という本に収められています。「障子を貼る」は絶滅危惧レベル全5段階のうちレベル4「ちいさい頃に何度かやったことがある動作」。今ではあまり見かけないということでしょう。
かく言う私も、破れないグラスファイバー入り障子紙なるものを購入してから、洗うどころか張り替えすらやっていません。
しかしひとたび季語として作句を試みれば、障子紙を寸法に合わせて切る者、刷毛で桟に糊を塗る者、自分が開けてしまった穴を切り貼りする子ども、夕暮れが迫り七輪で魚を焼く祖母、薪で風呂を沸かす祖父など、懐かしい光景が立ちどころに蘇ります。俳句には絶滅の危機に瀕したことばの保護という側面があるような気がします。
単に動作のさまを伝えるだけではないでしょう。
たとえば今回の特選句「切り貼りは手鞠のかたち障子貼る」から連想されるのは、まず、丸く切って手毬に見立てた千代紙。次に、暮らしを機能一辺倒に終わらせない作者の美意識やお人柄です。創意工夫を凝らした衣食住のあれこれが次々と目に浮かび、しみじみと、私もこの人のように生きてみたいという思いに駆られます。俳句には作者の心の持ちようを共同体に伝播させ継承させ得るはたらきがあると感じました。
これは恩田先生の超人的なご鑑賞をお聞きし、連衆の忖度のない議論に参加して初めて湧いてきた思いであり、数年前にひとりで何となく十七音を並べていた頃には想像もつかなかった気づきです。俳句は句座を囲む文芸、囲むことで完結する文芸であると改めて感じた句会でした。
この日を境に、季節は駆け足で冬へと向かっていきました。 (見原万智子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
==================== 11月23日 樸俳句会
兼題は「七五三」「木の葉髪」「柊の花」です。
入選1句、原石賞4句を紹介します。
○入選
乾杯の音頭決まりて木の葉髪
岸裕之 【恩田侑布子評】 大勢の集まりでは、まず司会者から指名を受けた人が乾杯の音頭を取ります。 挨拶、自己紹介、会の趣旨を手短かに話し、「乾杯!」の斉唱でグラスを合わす瞬間です。若い頃は音頭をとる人のテキパキと堂に行った采配に憧れたものですが、いざやらされる年代になってみると、なにげない手櫛にもはらりと髪が纏いつきます。会場の華やかな席に明るい声が響くだけに、昔日の若さを失った実感が迫ります。ペーソスある俳句です。
【原石賞】柊の花の家遠し跨線橋
見原万智子
【恩田侑布子評・添削】 いま歩いている「跨線橋」から、かつての家、それも柊の花の記憶を蘇らせた感性が素晴らしいです。ただ「ハナノイエトオシ」という中七字余りはいただけません。もたつきます。素直な定型に調べるだけで、ぐっと格調の高い句になります。 【添削例】柊の咲く家遠し跨線橋
【原石賞】吾娘もまた母の顔せり七五三
小松浩
【恩田侑布子評・添削】 孫の七五三でようやく我が娘が、一人前の母親らしい顔つきになったことに気づいた作者です。自身にも、祖父になった実感が迫ります。ただ、「もまた」の説明臭を刈り込みたいです。世代交代のめでたさと、着実な継承を印象付けるため、省略を効かせ、かつての娘の七五三もダブルイメージさせましょう。 【添削例】母の顔になりし娘や七五三
【原石賞】旅の荷は下着二枚や小春富士
古田秀
【恩田侑布子評・添削】 旅荷が「下着」だけというのはさっぱりと気持ちがいいです。このままでもなかなかの句ですが、さらに水準を高めるならば、「二枚」と「小春」の甘さを消して「一組」「冬の富士」にすれば気持ちも調子も引き緊ります。 【添削例】旅の荷は下着一組冬の富士
【原石賞】すきま風指輪リングを見遣る銀婚日
林彰
【恩田侑布子評・添削】 戸障子を吹き込む冬の季語の「隙間風」を心象に転じた着眼が面白いです。「指輪」にリングのルビを振ったことで、エンゲージリングとわかり、結婚式から二十五年経って、ぷっくりしていた指がやつれたことまで想像させます。ただ、銀婚式の日を縮めて「銀婚日」というのはやや無理がありましょう。 【添削例】銀婚の指輪リングを見遣るすきま風

2023年11月12日 樸句会特選句 形見分くすつからかんの菊日和 見原万智子
御母堂を亡くされ、まだそれほど月日が経っていない。作者は周りには明るくふるまう人だ。でも、内心の悲しみは、言葉の意味ではなく、調べが語ってしまう。三年も経てば「形見分すつからかんの菊日和」となったかもしれないから。上五「カタミワク」の「ク」の切れと、下五「キクビヨリ」の「ク」がそのまま深い悼みと喪失感を伝える。さらに全体に散るカ行六音は、思い出を振り切ろうとあらがう姿勢そのものとして健気に響く。ふり仰げば秋晴れは「すつからかん」。庭には故人が愛した菊が端正に咲き誇っている。形見を親戚や友人にすべて分けきって、家じゅうをすっからかんにしてしまおう。空っぽになった座敷に、亡き母のやさしい笑顔がしずまるよう。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)

2023年8月6日 樸句会報 【第131号】 口をついて出てくる言葉は、「暑い、暑い」。先回のリアル句会、日傘に帽子、アームカバーといういでたちで出かけた。久々にみなさんに会えたのは嬉しかったのですが、熱中症警戒アラートが出されているこの時期、クーラーの効いた部屋でのZoom 句会はありがたい。今回も高成績。 ◎2句 ○3句 △3句 ✓14句 •8句でした。
兼題は「極暑」「帰省」「病葉」です。
◎ 特選
病葉の猩々みだれ舞ふ水面
岸裕之 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「病葉」をご覧ください。
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◎ 特選
竹生島
夏の月うさぎも湖上走りけり
中山湖望子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「夏の月」をご覧ください。
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○入選
べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな
天野智美 【恩田侑布子評】 江戸時代は怪談や「百物語」が流行り、そうした浮世絵の名作も生まれた。この句はお化け屋敷のお化けのみならず現代の「妖怪」を背負っている。そこに新しみがある。二十一世紀の妖怪は、侵略戦争、核兵器、地球温暖化、AIシンギュラリティ、格差分断社会、特に日本の少子社会と男女不平等。それらの袋小路めいた重圧が「べつたりと」背中に張り付き「酷暑」を益々息苦しくしている。批評精神が詩と結婚した俳句である。
○入選
フライパン買はむ極暑の誕生日
見原万智子 【恩田侑布子評】 おかしい、思わず笑ってほっこりしてしまう。作者は極暑の日に生まれた。毎年誕生日が来るたび、それを痛感する。昔は、なぜ気持ちの良い春や秋じゃなかったんだろうと思ったこともあった。が、今は違う。私は「極暑」の人間なのだ。そうだ、いっそ、新しいフライパンを自分のために奮発しちゃおう。そしてこの気狂いじみた暑さも汗も、何もかも豪快に炒めまくってやれ。
○入選
地球ごと水に浸けたき極暑かな
小松浩 【恩田侑布子評】 地球に網をかけ、西瓜のように捕縛して冷水にざぶんと漬けてやりたい。「地球ごと」が愉快で大胆な発想。異常気象の常態化は、局地的なゲリラ豪雨をもたらしても、一般に潤う雨は少なく、今夏は静岡も旱川が多い。ただならぬ連日の暑熱に命の危機を感じ、南欧では山火事が頻発している。極暑の「極」に実感がある。
【後記】
私はタブレットでZoom句会に参加しています。お話されている方一人一人が画面いっぱい大写しされ、目を見てお話を聞いているようでリアルです。
今回もいい句がたくさん。特に新入生の方々の目ざましい進歩に圧倒され身の引き締まる思いでしたし、先生の特選句の講評を聞いていて、読み手によっていい句がますますよくなるということを、つくづく感じました。又、中村草田男についての話もあり、聞いているうちに草田男の句を読んでみたくなり、スルーしていた「俳句」八月号の特集を読んでみました。
そして再度肝に銘じたことがあります。忌日の句を作るにあたり、先生のことばをお借りしますが「故人への敬虔な気持ちと深い理解(学び)」の大切さ。私も心している、「継続は力なり」の大切さです。
今回はいつも以上に熱の入った、充実した句会でした。
(前島裕子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 8月20日 樸俳句会
兼題は「終戦記念日」「盂蘭盆」「西瓜」です。
原石賞3句を紹介します。
【原石賞】俎板に身を長々と生身魂
上村正明 【恩田侑布子評・添削】 なんとなく手術のことかとは思いますが、原句のままでは今ひとつスッキリしません。原因は「俎板」という措辞にあります。「俎の上の鯉」という慣用句を思い出させ、手術台の上で運命は医者任せ、という受動的な意味あいになってしまいます。こういう時こそ、俳諧精神の振るいどころ。この句の良さは自分自身を「生身魂」といったことにあるので、あくまで思い切り良く手術台に上る方が、一句の背筋が通りましょう。同じ慣用句でも、「俎の上の鯉」より理知的に乾いた「俎上に載せる」を選ぶべきです。長身を手術台に横たえる即物描写がそのまま、一身にさまざまの体験をたたみ込んだ星霜のダブルミーニングと化し、より奥行きの深い俳味をかもします。一生にそうそうあることではないので、簡潔な前書きがあればさらに堂々とした俳句になります。
【添削例】
手術宣告
長々と俎上に載せん生身霊
【原石賞】
類焼により自宅全焼に二句
焼け出され眠れぬ油汗の首
海野二美
【恩田侑布子評・添削】
家族に何の落ち度もなく、一方的に隣家からの火で丸焼けになって焼け出されてしまいました。人生でこれほど理不尽極まることはありません。「焼け出され」た直後からの過酷な肉体的過労の上に、これからのことを思って「眠れない」夜が続きます。精神的疲労は募るばかり。中七を「眠れぬ油汗」と一塊にしないで、切れを作ると、句跨りの「油汗の首」が凄まじいほど引き立ちます。 【添削例】焼け出され眠れず油汗の首
【原石賞】水茎のそのれんめんや水馬
益田隆久
【恩田侑布子評・添削】 発想が非常に面白いぶん、表現が未だしです。まず、中七の「その」は余分です。さらに「れんめん」だけでは物事が長く絶え間なく続いている様子にとどまります。あめんぼうの水上の動きを、ひらがなの連綿体とはっきりと言い切ることで、能筆によってしたためられた古歌や、歌切れまでもが水面に彷彿と浮かび上がります。 【添削例】水茎のれんめん体を水馬

2023年6月4日 樸句会報 【第129号】 九州から東海地方では、例年より1週間以上早い5月29日ごろに梅雨入りしたとみられると、気象庁が発表した直後の6月第1週。早くも台風2号が日本列島に接近、梅雨前線を刺激して、各地に甚大な被害をもたらしました。樸でも、代表の恩田先生が避難所で不安な数時間を過ごされ、会員の中にも菜園の片付けを余儀なくされる方がいらっしゃいました。一方、句会は4月1日の吟行以降、豊作が続き、今回も特選3句・入選2句が生まれました。以下、紹介いたします。
兼題は「五月雨」「草取」「萍」です。
◎ 特選
人類に忘却の銅羅水海月
田中泥炭 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「海月」をご覧ください。
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◎ 特選
隠沼こもりぬにあすを誘ふ栗の花
田中泥炭 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「栗の花」をご覧ください。
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◎ 特選
空蟬はゆびきり拳万の記憶
益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「空蝉」をご覧ください。
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○入選
五月雨や猫の遺ししアルミ皿
活洲みな子 【恩田侑布子評】 少しも止む気配のない五月雨。長梅雨です。ついこの間まで一緒にいた愛猫が、いまはもう、影も形もなくなってしまいました。ただ部屋の片隅に、いつも餌をよそっていたお皿がそのままになっています。改めて気づくと、ペラペラの銀色のアルミ皿でした。そうか、みゃーちゃんは一生この薄い銀色のお皿で食事をしたんだなぁと胸に迫ります。五月雨はただ家を包んで降り続くだけ。さ行音が内容にふさわしいやさしいリズムを醸す可憐な愛に満ちた作品です。
○入選
五月雨の垂直に落つ摩天楼
岸裕之 【恩田侑布子評】 ふつう雨はまっ直ぐ落ちます。しかし、五月雨が摩天楼の壁面スレスレを垂直に落ちる、それだけを改めて提示されると、日常空間が変容し出すから不思議です。高層ビルの千余の窓を擦過することもない無数の雨筋が、無機質の永遠を暗示し、非日常の静寂を幻出しています。省略の効いたミニマルアートを思わせます。
【後記】
樸の句会の楽しみ、奥深さは、特選や入選に選ばれる句を作れるようになるかということとともに、優秀な句を挙げる選句眼を養うことにもあります。初心者はまず作句よりも選句の力を身につけることが大切であるとの指導が毎回繰り返しなされています。作句の基礎をたたきこまれながら、選句にも真剣に臨み、先輩姉兄についていきたいと考えています。
(鈴置昌裕) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 6月18日 樸俳句会
兼題は「誘蛾灯」「河鹿」「南天の花」です。
特選3句、入選1句、原石賞1句を紹介します。
◎ 特選
寝袋の中の寝返り河鹿鳴く
活洲みな子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「河鹿」をご覧ください。
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◎ 特選
待ち人にもはや貌無し誘蛾灯
見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「誘蛾灯」をご覧ください。
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◎ 特選
花南天兄にないしょの素甘かな
島田淳 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「南天の花」をご覧ください。
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○入選
梅雨鯰南海トラフ揺さぶるや
林彰 【恩田侑布子評】 ひとたび南海トラフ地震が起これば、静岡以西に震度7、関東以西に大津波をもたらし、被害甚大な巨大地震となるそうだ。その原因が、あの太くて長い髭を持つ、もっさりおじさんのような「梅雨鯰」の動きにあるというから愉快だ。いや、震源近くになるかもしれないのに、面白いなんて言っていられない。恐ろしい。「揺さぶるや」という下五の問いかけが、梅雨鯰にも、日本全体にも向かっていて、結論を出さず、反響し続けるところがいい。
【原石賞】奔流は日を抱きこめり揚羽蝶
古田秀 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところにポエジーがあるが、やや隔靴掻痒の感。原句を読み下すと、座五のリズムがもったりし、「奔流」の勢いが死んでしまう。また「揚羽蝶」は黄色が目立つので、奔流と日にまぎれ、ぼやける。奔流の勢いを生かし、真夏の蝶の狂おしさを出すには、白波と対比的な「烏蝶」がいいのでは。
【添削例】烏蝶奔流は日を抱きこめり
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。