「見原万智子」タグアーカイブ

11月12 日 句会報告 

冬木のみ触れて一日のたなごころ

2023年11月12日 樸句会報 【第134号】  記録的な猛暑だった今年、借り地の菜園は夏野菜のみならず冬野菜の生育もさっぱりです。視線を落とせばノジスミレやホトケノザの返り花。つくづく季節をつかみにくくなったと感じます。  しょんぼり日々を送るなか、樸zoom句会が開催されました。やれ嬉しやとパソコンの画面の中へ飛び込みたいような気持ちで参加しました。  兼題は「ばつた」「障子洗ふ」「柚子」。  特選2句、入選2句、△4句、レ11句、・11句。恩田先生が「切れの余白がゆたかで、調べもよく、多様で面白い俳句がそろった」と評した豊作の会となりました。          ◎ 特選  形見分くすつからかんの菊日和            見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「菊日和」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ◎ 特選  切り貼りは手鞠のかたち障子貼る            都築しづ子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「障子貼る」をご覧ください。             ↑         クリックしてください   ○入選  疵あまた無骨な柚子よ宛名書く                佐藤錦子 【恩田侑布子評】  健康な生活実感があふれる俳句だ。庭の柚子はたくさんなるが店頭に並ぶピカピカの別嬪さんではない。疵やシミや凹みがあちこちにある。でもいいじゃん。早速あの人に送ろう!茎を切っただけで芳しく匂う。料理にかければ魔法の調味料、一瞬で高級になる。お風呂にもプカプカ浮かべてもらおう。なんともいい香り。「無骨な柚子」に新しみがあり、「宛名書く」の動詞にも勢いがある。         ○入選  柚子青し手帳今日より新しく                成松聡美 【恩田侑布子評】  気がつくと庭の柚子が葉影に大きく実っている。まだ青々として、もぐには早いが、黄色いひかりの珠になって、清らかな香りが初卓や湯殿にあふれる日は近い。そうだ、新しい手帳を下ろそう。そう思わせるときめきは、軽快な調べを奏でる定型感覚のよろしさと、上五のキッパリした切れから来ている。         【後記】  季節以外にも実感をつかみにくくなったものがあります。いくつかの動作です。 ちなみに今回の季語「障子洗ふ」のかんれん季語「障子貼る」とほぼ同じ「障子を貼る」が、『絶滅危惧動作図鑑』(祥伝社、藪本晶子)という本に収められています。「障子を貼る」は絶滅危惧レベル全5段階のうちレベル4「ちいさい頃に何度かやったことがある動作」。今ではあまり見かけないということでしょう。  かく言う私も、破れないグラスファイバー入り障子紙なるものを購入してから、洗うどころか張り替えすらやっていません。  しかしひとたび季語として作句を試みれば、障子紙を寸法に合わせて切る者、刷毛で桟に糊を塗る者、自分が開けてしまった穴を切り貼りする子ども、夕暮れが迫り七輪で魚を焼く祖母、薪で風呂を沸かす祖父など、懐かしい光景が立ちどころに蘇ります。俳句には絶滅の危機に瀕したことばの保護という側面があるような気がします。  単に動作のさまを伝えるだけではないでしょう。  たとえば今回の特選句「切り貼りは手鞠のかたち障子貼る」から連想されるのは、まず、丸く切って手毬に見立てた千代紙。次に、暮らしを機能一辺倒に終わらせない作者の美意識やお人柄です。創意工夫を凝らした衣食住のあれこれが次々と目に浮かび、しみじみと、私もこの人のように生きてみたいという思いに駆られます。俳句には作者の心の持ちようを共同体に伝播させ継承させ得るはたらきがあると感じました。  これは恩田先生の超人的なご鑑賞をお聞きし、連衆の忖度のない議論に参加して初めて湧いてきた思いであり、数年前にひとりで何となく十七音を並べていた頃には想像もつかなかった気づきです。俳句は句座を囲む文芸、囲むことで完結する文芸であると改めて感じた句会でした。  この日を境に、季節は駆け足で冬へと向かっていきました。 (見原万智子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ==================== 11月23日 樸俳句会 兼題は「七五三」「木の葉髪」「柊の花」です。 入選1句、原石賞4句を紹介します。         ○入選  乾杯の音頭決まりて木の葉髪                岸裕之 【恩田侑布子評】  大勢の集まりでは、まず司会者から指名を受けた人が乾杯の音頭を取ります。 挨拶、自己紹介、会の趣旨を手短かに話し、「乾杯!」の斉唱でグラスを合わす瞬間です。若い頃は音頭をとる人のテキパキと堂に行った采配に憧れたものですが、いざやらされる年代になってみると、なにげない手櫛にもはらりと髪が纏いつきます。会場の華やかな席に明るい声が響くだけに、昔日の若さを失った実感が迫ります。ペーソスある俳句です。           【原石賞】柊の花の家遠し跨線橋               見原万智子   【恩田侑布子評・添削】  いま歩いている「跨線橋」から、かつての家、それも柊の花の記憶を蘇らせた感性が素晴らしいです。ただ「ハナノイエトオシ」という中七字余りはいただけません。もたつきます。素直な定型に調べるだけで、ぐっと格調の高い句になります。 【添削例】柊の咲く家遠し跨線橋     【原石賞】吾娘もまた母の顔せり七五三               小松浩   【恩田侑布子評・添削】  孫の七五三でようやく我が娘が、一人前の母親らしい顔つきになったことに気づいた作者です。自身にも、祖父になった実感が迫ります。ただ、「もまた」の説明臭を刈り込みたいです。世代交代のめでたさと、着実な継承を印象付けるため、省略を効かせ、かつての娘の七五三もダブルイメージさせましょう。 【添削例】母の顔になりし娘や七五三      【原石賞】旅の荷は下着二枚や小春富士               古田秀   【恩田侑布子評・添削】  旅荷が「下着」だけというのはさっぱりと気持ちがいいです。このままでもなかなかの句ですが、さらに水準を高めるならば、「二枚」と「小春」の甘さを消して「一組」「冬の富士」にすれば気持ちも調子も引き緊ります。 【添削例】旅の荷は下着一組冬の富士     【原石賞】すきま風指輪リングを見遣る銀婚日               林彰   【恩田侑布子評・添削】  戸障子を吹き込む冬の季語の「隙間風」を心象に転じた着眼が面白いです。「指輪」にリングのルビを振ったことで、エンゲージリングとわかり、結婚式から二十五年経って、ぷっくりしていた指がやつれたことまで想像させます。ただ、銀婚式の日を縮めて「銀婚日」というのはやや無理がありましょう。 【添削例】銀婚の指輪リングを見遣るすきま風      

あらき歳時記 菊日和

菊日和_候補2

2023年11月12日 樸句会特選句  形見分くすつからかんの菊日和                   見原万智子  御母堂を亡くされ、まだそれほど月日が経っていない。作者は周りには明るくふるまう人だ。でも、内心の悲しみは、言葉の意味ではなく、調べが語ってしまう。三年も経てば「形見分すつからかんの菊日和」となったかもしれないから。上五「カタミワク」の「ク」の切れと、下五「キクビヨリ」の「ク」がそのまま深い悼みと喪失感を伝える。さらに全体に散るカ行六音は、思い出を振り切ろうとあらがう姿勢そのものとして健気に響く。ふり仰げば秋晴れは「すつからかん」。庭には故人が愛した菊が端正に咲き誇っている。形見を親戚や友人にすべて分けきって、家じゅうをすっからかんにしてしまおう。空っぽになった座敷に、亡き母のやさしい笑顔がしずまるよう。                                                  (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

句会報告 8月6日

IMG_8147

2023年8月6日 樸句会報 【第131号】  口をついて出てくる言葉は、「暑い、暑い」。先回のリアル句会、日傘に帽子、アームカバーといういでたちで出かけた。久々にみなさんに会えたのは嬉しかったのですが、熱中症警戒アラートが出されているこの時期、クーラーの効いた部屋でのZoom 句会はありがたい。今回も高成績。 ◎2句 ○3句 △3句 ✓14句 •8句でした。  兼題は「極暑」「帰省」「病葉」です。             ◎ 特選  病葉の猩々みだれ舞ふ水面            岸裕之 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「病葉」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選     竹生島  夏の月うさぎも湖上走りけり            中山湖望子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「夏の月」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな                天野智美 【恩田侑布子評】  江戸時代は怪談や「百物語」が流行り、そうした浮世絵の名作も生まれた。この句はお化け屋敷のお化けのみならず現代の「妖怪」を背負っている。そこに新しみがある。二十一世紀の妖怪は、侵略戦争、核兵器、地球温暖化、AIシンギュラリティ、格差分断社会、特に日本の少子社会と男女不平等。それらの袋小路めいた重圧が「べつたりと」背中に張り付き「酷暑」を益々息苦しくしている。批評精神が詩と結婚した俳句である。       ○入選  フライパン買はむ極暑の誕生日                見原万智子 【恩田侑布子評】  おかしい、思わず笑ってほっこりしてしまう。作者は極暑の日に生まれた。毎年誕生日が来るたび、それを痛感する。昔は、なぜ気持ちの良い春や秋じゃなかったんだろうと思ったこともあった。が、今は違う。私は「極暑」の人間なのだ。そうだ、いっそ、新しいフライパンを自分のために奮発しちゃおう。そしてこの気狂いじみた暑さも汗も、何もかも豪快に炒めまくってやれ。       ○入選  地球ごと水に浸けたき極暑かな                小松浩 【恩田侑布子評】  地球に網をかけ、西瓜のように捕縛して冷水にざぶんと漬けてやりたい。「地球ごと」が愉快で大胆な発想。異常気象の常態化は、局地的なゲリラ豪雨をもたらしても、一般に潤う雨は少なく、今夏は静岡も旱川が多い。ただならぬ連日の暑熱に命の危機を感じ、南欧では山火事が頻発している。極暑の「極」に実感がある。         【後記】  私はタブレットでZoom句会に参加しています。お話されている方一人一人が画面いっぱい大写しされ、目を見てお話を聞いているようでリアルです。  今回もいい句がたくさん。特に新入生の方々の目ざましい進歩に圧倒され身の引き締まる思いでしたし、先生の特選句の講評を聞いていて、読み手によっていい句がますますよくなるということを、つくづく感じました。又、中村草田男についての話もあり、聞いているうちに草田男の句を読んでみたくなり、スルーしていた「俳句」八月号の特集を読んでみました。  そして再度肝に銘じたことがあります。忌日の句を作るにあたり、先生のことばをお借りしますが「故人への敬虔な気持ちと深い理解(学び)」の大切さ。私も心している、「継続は力なり」の大切さです。  今回はいつも以上に熱の入った、充実した句会でした。 (前島裕子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 8月20日 樸俳句会 兼題は「終戦記念日」「盂蘭盆」「西瓜」です。 原石賞3句を紹介します。       【原石賞】俎板に身を長々と生身魂               上村正明 【恩田侑布子評・添削】  なんとなく手術のことかとは思いますが、原句のままでは今ひとつスッキリしません。原因は「俎板」という措辞にあります。「俎の上の鯉」という慣用句を思い出させ、手術台の上で運命は医者任せ、という受動的な意味あいになってしまいます。こういう時こそ、俳諧精神の振るいどころ。この句の良さは自分自身を「生身魂」といったことにあるので、あくまで思い切り良く手術台に上る方が、一句の背筋が通りましょう。同じ慣用句でも、「俎の上の鯉」より理知的に乾いた「俎上に載せる」を選ぶべきです。長身を手術台に横たえる即物描写がそのまま、一身にさまざまの体験をたたみ込んだ星霜のダブルミーニングと化し、より奥行きの深い俳味をかもします。一生にそうそうあることではないので、簡潔な前書きがあればさらに堂々とした俳句になります。   【添削例】    手術宣告 長々と俎上に載せん生身霊       【原石賞】    類焼により自宅全焼に二句 焼け出され眠れぬ油汗の首               海野二美   【恩田侑布子評・添削】    家族に何の落ち度もなく、一方的に隣家からの火で丸焼けになって焼け出されてしまいました。人生でこれほど理不尽極まることはありません。「焼け出され」た直後からの過酷な肉体的過労の上に、これからのことを思って「眠れない」夜が続きます。精神的疲労は募るばかり。中七を「眠れぬ油汗」と一塊にしないで、切れを作ると、句跨りの「油汗の首」が凄まじいほど引き立ちます。 【添削例】焼け出され眠れず油汗の首       【原石賞】水茎のそのれんめんや水馬               益田隆久   【恩田侑布子評・添削】  発想が非常に面白いぶん、表現が未だしです。まず、中七の「その」は余分です。さらに「れんめん」だけでは物事が長く絶え間なく続いている様子にとどまります。あめんぼうの水上の動きを、ひらがなの連綿体とはっきりと言い切ることで、能筆によってしたためられた古歌や、歌切れまでもが水面に彷彿と浮かび上がります。 【添削例】水茎のれんめん体を水馬      

句会報告 6月4日

IMG_0077

2023年6月4日 樸句会報 【第129号】  九州から東海地方では、例年より1週間以上早い5月29日ごろに梅雨入りしたとみられると、気象庁が発表した直後の6月第1週。早くも台風2号が日本列島に接近、梅雨前線を刺激して、各地に甚大な被害をもたらしました。樸でも、代表の恩田先生が避難所で不安な数時間を過ごされ、会員の中にも菜園の片付けを余儀なくされる方がいらっしゃいました。一方、句会は4月1日の吟行以降、豊作が続き、今回も特選3句・入選2句が生まれました。以下、紹介いたします。  兼題は「五月雨」「草取」「萍」です。         ◎ 特選  人類に忘却の銅羅水海月            田中泥炭 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「海月」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  隠沼こもりぬにあすを誘ふ栗の花            田中泥炭 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「栗の花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください        ◎ 特選  空蟬はゆびきり拳万の記憶            益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「空蝉」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  五月雨や猫の遺ししアルミ皿                活洲みな子 【恩田侑布子評】  少しも止む気配のない五月雨。長梅雨です。ついこの間まで一緒にいた愛猫が、いまはもう、影も形もなくなってしまいました。ただ部屋の片隅に、いつも餌をよそっていたお皿がそのままになっています。改めて気づくと、ペラペラの銀色のアルミ皿でした。そうか、みゃーちゃんは一生この薄い銀色のお皿で食事をしたんだなぁと胸に迫ります。五月雨はただ家を包んで降り続くだけ。さ行音が内容にふさわしいやさしいリズムを醸す可憐な愛に満ちた作品です。       ○入選  五月雨の垂直に落つ摩天楼                岸裕之 【恩田侑布子評】  ふつう雨はまっ直ぐ落ちます。しかし、五月雨が摩天楼の壁面スレスレを垂直に落ちる、それだけを改めて提示されると、日常空間が変容し出すから不思議です。高層ビルの千余の窓を擦過することもない無数の雨筋が、無機質の永遠を暗示し、非日常の静寂を幻出しています。省略の効いたミニマルアートを思わせます。         【後記】  樸の句会の楽しみ、奥深さは、特選や入選に選ばれる句を作れるようになるかということとともに、優秀な句を挙げる選句眼を養うことにもあります。初心者はまず作句よりも選句の力を身につけることが大切であるとの指導が毎回繰り返しなされています。作句の基礎をたたきこまれながら、選句にも真剣に臨み、先輩姉兄についていきたいと考えています。 (鈴置昌裕) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 6月18日 樸俳句会 兼題は「誘蛾灯」「河鹿」「南天の花」です。 特選3句、入選1句、原石賞1句を紹介します。       ◎ 特選  寝袋の中の寝返り河鹿鳴く            活洲みな子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「河鹿」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  待ち人にもはや貌無し誘蛾灯            見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「誘蛾灯」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  花南天兄にないしょの素甘かな            島田淳 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「南天の花」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  梅雨鯰南海トラフ揺さぶるや                林彰 【恩田侑布子評】  ひとたび南海トラフ地震が起これば、静岡以西に震度7、関東以西に大津波をもたらし、被害甚大な巨大地震となるそうだ。その原因が、あの太くて長い髭を持つ、もっさりおじさんのような「梅雨鯰」の動きにあるというから愉快だ。いや、震源近くになるかもしれないのに、面白いなんて言っていられない。恐ろしい。「揺さぶるや」という下五の問いかけが、梅雨鯰にも、日本全体にも向かっていて、結論を出さず、反響し続けるところがいい。       【原石賞】奔流は日を抱きこめり揚羽蝶               古田秀 【恩田侑布子評・添削】  言わんとするところにポエジーがあるが、やや隔靴掻痒の感。原句を読み下すと、座五のリズムがもったりし、「奔流」の勢いが死んでしまう。また「揚羽蝶」は黄色が目立つので、奔流と日にまぎれ、ぼやける。奔流の勢いを生かし、真夏の蝶の狂おしさを出すには、白波と対比的な「烏蝶」がいいのでは。   【添削例】烏蝶奔流は日を抱きこめり      

あらき歳時記 誘蛾灯

IMG_3882

2023年6月18日 樸句会特選句  待ち人にもはや貌無し誘蛾灯                   見原万智子  誘蛾灯の下で、ずっと待った、待ち続けた。貴方を。見つめられたかった瞳も、奪いたかった唇も、あまりに思いすぎて、今はもう闇に溶けてしまった。あんなに愛しい顔がはっきりとは思い出せない。誘蛾灯におびき寄せられて一瞬で死ぬ羽虫のように、私も貴方を一瞬で電撃のように殺してしまいたい。愛が憎しみに裏返る間際の、狂おしい恋。エロスの痙攣。                         (選 ・鑑賞   恩田侑布子)

句会報告 5月7日

IMG_7012

2023年5月7日 樸句会報 【第128号】  太陽暦5月、[さつき]です。今回から季語が[夏]になりました。歳時記の冊が改まりました。実感としては まだ[夏]には早い感もありましたが、季節感は捉え直すものと思い直しました。  兼題は「立夏」「葉桜」「柏餅」です。特選2句、入選2句、原石賞3句を紹介します。         ◎ 特選  父母は茅花流しの向かう岸            活洲みな子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「茅花流し」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ◎ 特選  紙兜脱ぎて休戦柏餅            上村正明 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「柏餅」をご覧ください。             ↑         クリックしてください        ○入選  初夏やタンクトップにビーズ植う                都築しづ子 【恩田侑布子評】  なんの飾りもないタンクトップに、細やかなビーズの光を添える。一人の手芸の時間を楽しむ作者に、心ときめく夏の日々の予定が想像される。ことに、句末の「植う」は秀逸。たんなるおしゃれさんではない聡明な作者の横顔が目に浮かぶよう。       ○入選  葉桜の校庭脇の土俵かな                都築しづ子 【恩田侑布子評】  相撲部のために校庭の隅に「土俵」がこしらえてある。すべすべして白い土俵の土と葉桜の配合がいかにも初夏の涼風を感じさせる。ひとけがなく静まっている土俵というものはいいもの。       【原石賞】真新しちちの墓石に緑さす                前島裕子 【恩田侑布子評・添削】  ついこの間まで肉体があって手に触れられた父が、墓石になってしまった。「真新しい」という句頭に思いが溢れる。おりしも白御影と思われる石に若葉のかげがさしている。墓石になった父が、地中から自分を励ましてくれるようだ。「生きているうちはしっかり前を見て歩きなさいよ」。原句は、「真新し」の終止形で上五に切れが生じ、中七の「ぼせきに」も軽い一呼吸があり、リズムがややたどたどしい。「真新しき」と打ち出したいが字余りになるので、上五は「真新まつさらな」として感動の焦点を絞り、「ぼせき」は「はかいし」とやわらかい調べにしたい。悲しみが言外に伝わるとともに作者の決意が感じられてくる。   【添削例】真新なちちの墓石緑さす       【原石賞】スマホおす付け爪のゆび薄暑光                前島裕子 【恩田侑布子評・添削】  現代の若い女性は爪先に凝る人が多い。ネイルアートや付け爪まで。それをスマホと取り合わせた動きのある光景がいい。ただし、「おす」は鈍い感じ。「すべる」にすれば、上滑りの生の在り方まで暗に感じられ、現代人の表層的な生の哀しみも微かににじむ。   【添削例】スマホすべる付け爪のゆび薄暑光       【原石賞】黒々と命名の「郎」の柏餅               都築しづ子 【恩田侑布子評・添削】  生まれてまず子供に名前をつける。この時の高揚感は生涯忘れられないもの。うやうやしく墨を摺り、真っ白な奉書紙にその名を大きく記す。親になった確かな感慨が迫る。原句はこうしたゆたかな内容に、のんべんだらりとしたリズムがそぐわずもったいない。「黒々と」ではマジックペンもあり得る。墨書であることを打ち出せばさらに格調が生まれよう。   【添削例】命名の「郎」の墨痕柏餅     【後記】  Zoom句会は毎回、参加者の一人か二人に小さな機械トラブルがありますが、「PCを買い替えた」「これを買い足した」とのご報告が相次ぎました。すっかり安定したという報告の方もあり、少しずつ安心しています。句会は、先生から「今回は好句が多かった」とのお言葉で、お点を頂戴した者も嬉しかったことでした。  私事ですが、坂井は東京で務めた新聞の後の地元紙での勤務も期限となり、ほぼ隠棲の身になりました。今後とも一層、よろしくお願いします。 (坂井則之) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 5月21日 樸俳句会 兼題は「卯波」「蜥蜴」「新樹」です。 特選1句、入選1句、原石賞4句を紹介します。             ◎ 特選  卯波立つ廃炉作業の発電所            猪狩みき 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「卯波」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       ○入選  碌山の≪女≫漆黒新樹光                岸裕之 【恩田侑布子評】  長野県の碌山記念館は新樹の木立に包まれている。天井のステンドグラスから緑のひかりがさす。安曇野を生地とする夭折の彫刻家、荻原守衛(号・碌山)の代表作にして遺作「女」は、作者自身の、叶うはずもなかった片恋に発した、憧憬と懊悩を体現している。裸婦の漆黒の肌に移ろってやまない初夏の碧いひかりに魅せられる。       【原石賞】囀りに絢爛湧きぬ身内かな               見原万智子 【恩田侑布子評・添削】  「囀り」は春の季語で、五月下旬の句会投句には不適切。とはいえ、発想にめざましい詩がある。自然のなかで春鳥の豊潤な囀りに包まれていると、わが身の裡からも「絢爛」たるものが湧き立ってくるようだ。原句は中七の「湧きぬ」で切れ、囀りと自分の身とが分断されてしまった。句末の切字「かな」もはたらいていない。沸き立つ思いは一挙に書き下ろすべき。   【添削例】囀りに身の絢爛の湧き立ちぬ       【原石賞】寄せ返す頭痛卯の花腐しかな                古田秀 【恩田侑布子評・添削】  新緑は美しいが、神経の繊細なひとにはつらい時期でもある。朝から頭痛が寄せては返す波のよう。卯の花腐しの雨も降っていて、やるせない。暖かくなったとはいえ、足元や首筋は若葉寒である。原句は、「寄せ返す」が、やや辿々しい。「さざなみの」とすれば、「卯の花」の細やかな白い花ともひびき、愛誦性も増しそうだ。   【添削例】さざなみの頭痛卯の花腐しかな        【原石賞】緑蔭に水滴の兎と居れり                益田隆久 【恩田侑布子評・添削】  山居の新緑の木立に文房四宝の白兎の水滴。美しい光景である。とはいえ、内容は詩、読み下すと散文。句末の「居れり」は取ってつけたよう。つまり、原句は「緑蔭に水滴の兎」。ここまでで見事に完成した短詩、あるいは短律になっている。個人的には短律もいいと思うが、作者が定型の俳句にしたいなら、さらに「水滴の兎」の焦点を絞りたい。   【添削例】緑蔭にみみたて水滴の兎       【原石賞】沖の卯波海道の名はストロベリー               都築しづ子 【恩田侑布子評・添削】  言わんとするところは面白い。原句の「海道の名はストロベリー」は説明っぽいので、いっそ、ひと塊の固有名詞、「ストロベリー海道」にしてしまおう。いちごの赤い色の点在と、白い卯波とが引き立て合い、調べも軽快になる。   【添削例】ストロベリー海道よする卯波かな      

3月5日 句会報告

march_top

2023年3月5日 樸句会報 【第126号】  1年の区切りはいつ?と考えると、お正月より3月、4月が相応しい気がします。卒業、入学、転勤、退職、新社会人。たくさんの別れと出会いが、冬から春への季節替わりとともに、再出発にふさわしい雰囲気を生み出してくれるからでしょうか。樸にもさらに新しい会員の方々が加わり、春爛漫。4月吟行会をステップに、完成した規約の下で、恩田代表と樸の仲間が理想とする俳句の会へといっそう邁進していきたいものです。  兼題は「山笑ふ」「春の鳥」「菜の花」。特選1句、原石賞5句を紹介します。         ◎ 特選  春の鳥五体投地の背に肩に            芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春の鳥」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       【原石賞】菜の花の果てを見つけて人心地                島田淳 【恩田侑布子評・添削】  いちめんのなのはな いちめんのなのはな が七行続き、かすかなるむぎぶえ いちめんのなのはな で、詩の一聯が終わる山村暮鳥の詩を思い出します。  たしかに一見明るい「菜の花」ですが、あぶら臭い匂いと、黄と緑葉の対比に、繊細な作者はふっとひかりの牢獄めくものを感じたのかもしれません。「菜の花の果て」に「人心地」を見つけたのは詩の発見です。ただ、中七で「見つけ」たよと手の内を明かしてしまったことは惜しまれます。 【添削例】菜の花の果てに来りぬ人心地        【原石賞】もふ泣くなもふ菜の花を摘みにゆけ               見原万智子 【恩田侑布子評・添削】  歴史的仮名遣いを選んだ方は、投句する前に、面倒くさがらず辞書に当たって、自分の表記が正しいか、いちいち確かめてみましょう。「もふ」は古文では「思ふ」になります。正しい表記にすると、春のひかりに肉親の情が溶けあう素晴らしい俳句になります。   【添削例】もう泣くなもう菜の花を摘みにゆけ          【原石賞】ヤングケアラア菜の花の群れ見つめをり               金森三夢 【恩田侑布子評・添削】  菜の花は通常は一本では咲かないので「群れ」は言わでもがなの措辞です。代わりに場所を入れると句が締まります。「畦」でも放心のさまは表せますが、「土手」とすることで、健気なヤングケアラーの家庭内に立ち塞がる鬱屈と、堤防の向こうの緩やかな川の流れまでが想像されてきます。   【添削例】ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる       【原石賞】潮風ビル風菜の花に揉みあへり               古田秀 【恩田侑布子評・添削】  言わんとするところは面白いです。ただなんとかしたいのは、字面と調べのごちゃつき感です。たった漢字一字を変えるだけで、都会の海浜部の春風を活写でき、水上都市、東京が浮かび上がります。   【添削例】海風ビル風菜の花に揉みあへり       【原石賞】仕送りのこれが終わりと花菜道               活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】  学生時代の終わりでしょう。親からしたら長い仕送りの日々が、子としてはあっけなく終わるもの。子の立場から詠んだ句として、放り出されることの不安と解放感を口語の「これつきり」に託してみましょう。しばらく倹約しないとやっていけないけど、まあなんとかなるさ、という朗らかな現実肯定のにじむ俳句になります。 【添削例】仕送りのこれつきりよと花菜道       【後記】  春は兼題の季語も、どこかのんびり穏やかなものが多いように感じました。この季語というもの、そこに包まれる様々なイメージをたった一語で語ることができるものなのですね。俳句の専門用語で言えば「本意」「本情」。いくら調べやリズムが整っていても、季語が1句のなかで孤立して見えるような俳句は良い俳句ではない———。それが少しわかりかけてきただけでも、この半年の悪戦苦闘は無駄ではなかったかな、と思っています。前途遼遠ではありますが…。 (小松浩) 今回は、◎特選1句、○入選0句、原石賞5句、△4句、✓シルシ5句、・9句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 3月19日 樸俳句会 兼題は「霞」「海苔」「雉」です。 入選1句、原石賞2句を紹介します。       ○入選  選挙カーにはか鎮まり雉走る                山田とも恵 【恩田侑布子評】  山村にやってきた市議か町議の選挙カーでしょう。まばらな人家に向かって名前を連呼していた大声が突然途切れます。オヤッ。鍬の手を止めると、トトトトツ。赤い頭に深緑の羽をかがやかせ、大きな雉が道をよぎってゆきます。「桃太郎」に出てくる国鳥は不変でも、日本は少子社会で衰退の一途。十年もせずに、この谷も廃村になりかねません。日本固有種の雉の羽が春を鮮やかに印象させ、思わず見惚れた放心の春昼。面白くて、やがてそのあとが怖くなります。       【原石賞】海苔炙る有明海を解き放て                林彰 【恩田侑布子評・添削】  諫早湾の開門問題は地元漁業者のみならず、全国民の長年の関心事でした。このたび、最高裁の「開けない」判決を知った作者は義憤を覚えています。ただ、原句は勇ましすぎます。俳句はプロパガンダでもスローガンでもありません。作者のせっかくの切実な思いを生かすには、語調は逆に静める方がいいのです。鎮めて祈りのかたちにしましょう。 【添削例】有明海解き放てよと海苔炙る       【原石賞】板海苔や波わかつよにはさみ入れ                山田とも恵 【恩田侑布子評・添削】  照り、コク、香りの揃った上等の海苔でしょう。手にとってつぶさに見ると、細かい繊維はたしかに夜の海原を思わせ、下半分のひらかな表記もさざなみのようです。そこに料理鋏を入れる。それだけのことですが、「波わかつよに」に詩の発見があります。上五を「や」の切字で切っているので、終止形にするとさらに句が引き緊まります。 【添削例】板海苔や波わかつよにはさみ入る     

波の向こうへ

mihara_top

波の向こうへ 見原万智子  恩田侑布子の第五句集『はだかむし』は、できれば一気に三七一句を読みたい句集である。  処女句集『イワンの馬鹿の恋』と出会ったころ、知人たちを前に恩田の俳句世界を「ひと言で表すなら万華鏡」と話したのを思い出す。  当時の私にとって恩田は桜よりも牡丹に近い紅色のひと。そう、「接吻はわたつみの黙夕牡丹」の牡丹だ。「うしろより抱くいつぽんの瀧なるを」の瀧の轟々たる白と背景に広がる群青の闇は、牡丹の紅と鮮やかにコントラストをなし交わることがない。水に溶けない顔料で描いた日本画のような。一句の中に異世界と現実が、骸と赤子が、死と官能が混在し、さらに句集全体でひとつの恋愛小説のような印象を残す。  それを万華鏡と言えば言えるかもしれないが、いま思えば万華鏡は外から「内側」を覗くものであった。  『はだかむし』もまた、異世界と現実を自在に往還する作品集であることは間違いない。しかし『イワンの馬鹿の恋』から感じたコントラストは抑制されている。というより、この世に存在する全てのものに輪郭線はありませんと言われたような、まるで朦朧体の絵のような。  朦朧体と言っても、色彩が失われたわけではない。頁をめくるうちに、初めて透明水彩絵具を水に溶いた時の感激が蘇ってきた。あとから塗った色の下に、さきに塗った色が透けて見えている。何て綺麗なのだろう。  輪郭がぼんやりにじんでいるこの感じ、見覚えがある。そうだ、『はだかむし』をひと言で表すなら、回り燈籠だ。  ところがこの回り燈籠は、夜店のそぞろ歩きのついでに「外」から眺めるような、なまやさしい代物ではない。私自身が巨大な回り燈籠の「内側」にいて、次々に現れる幻像にからだごと持ち去られていく。いつの間にか五大陸がひとつに繋がっていた原初の地球へ。かと思えばいきなり、硝煙のきつい匂いが鼻を突く強者どもが夢のあと先へ。  NHKの科学番組で、「文字というものは『あ』を『あ』と読むように、一対一対応であり、確実に正解、不正解がある」という説が紹介された。文字を組み合わせてできる単語も基本的には同じだろう。「りんご」は「りんご」と読み、みかんを指してはいない、と我々は理解している。  『はだかむし』の作品はそのような説をたやすく飛び越えてしまう。理解していると思っていたものは単なる決めごとに過ぎなかったと思い知る。どの句にも隠された仕掛けがある。いや何もないかもしれない。幻惑の異空間にからめ取られる。これはもう文字のゲシュタルト崩壊どころではなく、私の思考言語の崩壊である。その崩壊を、喜べ。楽しめ。これはそういう句集だと思う。だからこそ、一気に読んでほしい。 そゝり立つ北斎の波去年今年   『枕草子』「森はこがらし」の辺に骨を埋めんと   木枯森こがらしのもりへ石ころ無尽蔵 口紅をさして迎火焚きにゆく 鬩ぎあふ四大プレート龍天に 死んでから好きになる父母合歓の花  昨年刊行された『渾沌の恋人ラマン 北斎の波、芭蕉の興』で恩田が明らかにした、俳句における「時空の入れ子構造」が、『神奈川沖浪裏』へのオマージュにも見られる。地獄へ真っ逆さまになりそうな三艘の小舟と極楽浄土の象徴である遠景の富士を、大波が隔てている。寿ぎは呪言とも書くから、新年の季語「去年今年」は、そそり立つ大波と相似形をなすに違いない。大波の手前に描かれているもうひとつの波が富士と相似形をなすように。    安倍川の支流 藁科川上流の中洲にある木枯の森。その中に小さな神社が佇む。幼い日、うっかり田んぼ脇の石ころを踏んだら「だめだめ、それはご先祖様の墓石だから」と親戚に叱られたのを思い出す。  亡き人のためにさす口紅。きっとベニバナで作られていて、唇のぬくもりによって発色が変化する。その哀しみと慰め。  日本列島が乗っている四大プレートは、それぞれどこからどこまで? 地図を広げれば、各地で続く紛争・戦争を思わずにいられない。龍は日本列島の比喩でもあろう。  終盤、私が大好きな合歓の花の一句が登場する。お父さん、お母さん、生きておられた時は反発しましたが、会えなくなった今の方が、私はあなたたちを好きになっていますよという、両親を偲び慕う句、と解釈できよう。しかし誤読を恐れず次のようにも考えたい。  この世では諍いもすれ違いもあったお父さんとお母さん、今ごろ浄土できっとお互いに慈しみ合っていることでしょう。いつの日か、私がそちらへまいりますときには、お二人でお迎えください…いやひょっとして、私が死んだら父母をいまよりもっと好きになるでしょう、という解釈もあり得るだろうか…  ふと、大浜海岸の寂しい砂浜に立ち尽くしている自分に気づいた。ぽつねんとひとり、素裸で。  恩田が天空の書斎と呼ぶ「藁科庵」の北は南アルプス、南は駿河湾。そのほぼ中心部が大浜海岸である。  私が幼い頃、父親は陸上自衛隊 東富士演習場に勤務していた。標高は霊峰富士の三号目あたりだろうか、夏には列をなして斜面を歩く登山客が肉眼で見えた。当時は米軍との合同演習が日常的に実施されていたのか、様々な肌の色の、日本語と全く違う言葉を話す人々をふだんから目にしていた。海の彼方に、親たちが「向こう」と呼ぶ彼らの国があると聞かされて育った。  その後、父の転勤に伴い静岡市に引っ越した私は、小学校一年生の春の遠足で生まれて初めて海に出た。大浜海岸だ。地形的に砂浜に打ち寄せる波即、太平洋。水平線は絵本で見たとおりわずかに弧を描いている。それ以外、何も見えない。この海さえ越えれば「向こう」だと強く思った。  それから何十年も経ったが、私は「向こう」と「こちら」について少しでも知り得ただろうか。何度か「向こう(欧米)」の土を踏みつつも、「この目で観る『向こう』はやはり進んでいる。学ぶことが多いなぁ」という先入観が抜けきらないままだったように思う。  この世に存在する全てのものに、輪郭線はない。国境も文化の壁とやらも、私の思考の内側にあったに過ぎない。いっさいは崩壊し、いま私は素裸だ。