2024年4月7日 樸句会報 【第139号】 4月7日は静岡では丁度桜が満開で、句会も花の下一杯やりながらといきたいところだが、案の定参加者がいつもより少なく残念でした。というのは、俳句は一方的に作るのでなく、作者と鑑賞者が一句独特の魅力です。省略とか余白は、より鑑賞者の自由な解釈ができるためのツールとしてあるのではないでしょうか。今まで句会において何気ない良句が、鑑賞というフィルターを通して、名句へと旅立っていくのを目の当たりにしました。ここに、投句だけでなく、句会に参加すべき意義があるのでないでしょうか。 今回の兼題は「鴉の巣」「古草」「花」です。入選4句を紹介します。 ○入選 ファインダー花冷の都市無音なり 古田秀 【恩田侑布子評】 高階からカメラのファインダーを覗くと、「花冷の都市」は思わぬ静まりようです。まるで無人都市のよう。にわかに現実とVRが溶け合い、すべての肌触りが遠ざかります。薄い灰色と桜色の雨もよいの都市そのものが非日常の空間としてデジタル画素の網に浮かび上がるハードボイルドな都会詠です。 ○入選 春雨か微睡のなか聴く霧笛 星野光慶 【恩田侑布子評】 「霧笛」なので、大きな港湾の近くの住まいが想像されます。うつらうつらした心地よい「微睡のなか」で、外国船の霧笛が遠く聞こえ、その潤みようから、ああ外は「春雨」が降っているのかなと思います。この上五の「か」の切れ字、よく出ました。しかも自然です。「や」なら平凡な句になったものを、「か」の問いかけの一字が救っています。音楽的にも「か」行の脚韻の効果が、春雨のしっとりしていながら、そこはかとなく明るい春光を句全体ににじませています。 ○入選 古草や読み続けゐる文庫本 猪狩みき 【恩田侑布子評】 「古草」の季語の本意を深く自分のものとした実直な俳句です。古草は春になっても野山や空き地に残り、誰にも顧みられなくなりますが、一年前には芽吹きも成長もあり、緑の葉の茂みもありました。花も咲かせました。今は、色の抜けた柔らかなわら色の光を投げかけるばかり。「読み続けゐる文庫本」はきっと古典でしょう。なんべん繙いても、前には気づけなかった角度から新しい泉が湧いてきます。人間の精神の財産は一人ひとりの真摯な感受があって、初めて継承され生かされてゆくのだと、静かに襟を正される思いがする俳句です。 ○入選 痛む身の杖の先にも菫かな 都築しづ子 【恩田侑布子評】 「痛む身」をおして、春先の日光を全身に浴びようと、杖で歩かれる前向きの作者です。ふと、「杖の先に」すみれをみつけた瞬間のよろこび。足元からやさしく励まされる春ならではの光景のたしかさ。「杖と作者の身体はもはや一体と化しているようだ」という優れた鑑賞が句会でありました。 【後記】 私は昨年の秋あたりから、意識して選句に力を入れております。動機となったのは、いつも投句の際作った複数句から三句を選ぶのに苦労しているからです。自分の句の優劣も判らぬものが、ひと様の句を批評するなんておこがましいと思ったからです。たまたま恩田代表の「選句に力を注げよ」の檄に乗っかり、これはこれでよかったのですが、判定を代表の選句を正として照らし合わせると、惨たる現状に我ながら呆れかえります。で、他の人も似たかよったかだとの捨て台詞を封印して、「名句を作る近道は選句を磨くにあり」との言葉を信じ、もう少し真剣に取り組もうと思います。また、句作において伸びしろは期待できませんが、鑑賞において、若い方の飛躍の一助になるかも知れないという期待は持っています。 (岸 裕之) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 4月21日 樸俳句会 兼題は「春の雲 」「遠足 」「磯巾着 」です。 特選2句、入選4句を紹介します。 ◎ 特選 姉妹してイソギンチャクをつぼまする 猪狩みき 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「磯巾着」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ◎ 特選 街棄つるやうに遠足出発す 古田秀 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「遠足」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 遠足のキリンの舌のかく長き 小松浩 【恩田侑布子評】 麒麟は動物園でもひときわ印象的な美しい動物。その舌に魅入られていつまでも見惚れている子ども心が端的に表現されています。キリンというカタカナ表記が童心にふさわしく、その長い灰色の舌への驚きと、食べられて次々消えてゆく葉っぱの不思議さが伝わってきます。童心をつねに養っていないとつくれない俳句です。 ○入選 春の雲水子地蔵のまるい頬 ...
「都築しづ子」タグアーカイブ
2023 樸・珠玉作品集
2023 樸・珠玉作品集 (五十音順) いつぽんの草木 俳句というゆたかな山に登ろうとするとき、一人では薮に突っ込んだり、ふもとの出湯に浸かりっぱなしになったりしがちです。私は、それぞれの脚力を信じて、「俳句山岳ガイド」をさせていただいております。 「樸」はしらき。山から伐り出した原木です。何にでもなれる可能性のかたまりです。樸の連衆は、生い育った環境、精一杯努めている仕事や家庭、愛好する書物や芸術、そうしたみずからの豊穣の根もとを踏まえて、たったいま出会う風光と火花を散らし、一句をひと茎の草花やいっぽんの木のように、大空の下に立たせようとします。 樸から生まれた俳句が、まだ見ぬやさしい人に迎えられ、ほのかなぬくもりでつながれますように。今年も胸ときめかせ、深い山に登ることができますように。恩田侑布子(2024年1月15日) 天野智美 花朧坂の上なる目の薬師 べつたりと妖怪背負ふ酷暑かな 秋の苔弱き光をこはさぬやう 《二年ぶりに樸に復帰して》 好きなことや逃げ場はたくさんあればあるほどいいというが、家族の問題に振り回され不安を感じない日がないこの一年、なんとかこちら側に踏みとどまっていられたのは、俳句が知らず知らずのうちに足首を掴んでいてくれたからかもしれない。樸に復帰しなかったら、ささやかでも心震わせてくれるものにこんなに目を向けられただろうか。綱を投げてくれた俳句と樸に感謝を。 猪狩みき しめ縄の低き鳥居に春の風 卯波立つ廃炉作業の発電所 楡新樹望みを抱くといふ勇気 《興味のありか》 植物や動物の兼題が出るたびに、自分が動植物にほとんど興味を持たずに生きてきたことをつくづく思い知らされる。海も山もごく近い田舎に育ったのに、なぜかそうなのだ。(例外は「木」。木の姿かたちと木の奏でる音が好きで興味あり。)俳句の楽しみを増やすためにも、動植物と、もっと親しくつきあえたらいい。と同時に、これまで自分が興味をもって向かい合ってきたもの、ことを俳句につなげられたら、とも思っている。 活洲みな子 父母は茅花流しの向かう岸 読み耽る昭和日本史虫の闇 枇杷の花いつか一人となる家族 《旅と私》 私はよく旅をする。所々に拠点を置いて、ゆったりと旅をするのが好きだ。俳句を学ぶようになり、旅の楽しみがさらに広がった。九州では祖母山の雄大さと神聖な雰囲気に息をのみ、東北では何もない淋代の浜に佇んで句に想いを馳せた。四国遍路の難所二十一番札所へ向かうロープウェイからは、修験の場である山々を眼下に見て、場所は違えどなぜか「葛城の山懐に寝釈迦かな(青畝)」の句が頭を離れなかった。 それでも私は、旅行中は句を作らない。目の前にある今を百パーセント楽しむのが私の遊びの流儀…なぁんて、まだまだ未熟者ということですが。 海野二美 在の春すする十割そば固め お薬師様見下ろす村に花吹雪 長旅の蝶の夢かや藤袴 《強さとは・・》 皆様にお見舞いいただきました類焼から4カ月。穏やかに元気に過ごしてまいりましたが、食欲も出て抜け毛も収まって来た3カ月過ぎた頃から、感情が元通りに癒えて来たせいなのか、悔しく悲しく、酷く落ち込んでおりました。しかし、くよくよしていても一日、明るくしていても一日と自分を励まし続け、何とか立ち直りました。まだまだ落ち着かない日々が続きますが、これからも自分の強さを信じ、前に進もうと思っています。隣りにはいつも俳句を携えながら・・。 金森三夢 鑑真の翳む眼や冬の海 枯れ尾花わたしのことといふ佳人 ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる 《出戻り致します》 「出戻りは三文の価値なし」と言われます。愚生恥ずかしながら新年より句会に戻らせて戴きます。 八月の手術前から『永遠』の二文字が出来損ないの心と頭に浮遊しています。青空を見つめながら「この空をネアンデルタール人も眺めていたのか? 私の死後の未来人も・・・」。少しずつ肩慣らしするつもりです。ウォーミング・ダウンになりませぬよう、何卒宜しくお願い致します。 岸裕之 五月雨の垂直に落つ摩天楼 碌山の≪女≫漆黒新樹光 病葉の猩々みだれ舞ふ水面 《今思ふこと》 私の先祖は秀忠・家光の久能山東照宮、静岡浅間神社造営の際、全国から優秀な職人を集め、気候が良いので、住み着いた漆塗りの職人の末裔と伝わってます。私で八代目ですが、初代は町奴でもあり、眉間に傷があり、岸権次郎こと「向こう傷の権さん」といったそうな。この権さん、坊さんの女関係のトラブルを纏めて一人だけ戒名が良いと伝わっている。で、職人を継がなかった負い目があるので、せめて俳句は職人の美学である「粋」な俳句でも作ろうと今思いました次第です。 小松 浩 酢もづくの小鉢に海の遠さかな 銀漢や調律終へし小ホール 警笛に長き尾ひれや熊渡る 《大リーグボール養成ギブス》 入会して1年余、たくさん基本を教わった。「知識で作るな」「報告句や説明句はだめ」「季語の本意を大切に」「時間の経過ではなく一瞬を詠む」「気持ちをモノに託せ」云々、云々。いちいち照合しながら俳句を作ろうとすると、大リーグボール養成ギブス(ご存知ない方は「巨人の星」「星飛雄馬」で検索を)をはめたようで、頭はギクシャク、指先はがんじがらめになってしまう。かといってこれらを脇に置けば、やっぱり駄句しかできない。 心を自由に飛翔させ、それでいて基本のしっかり染み込んだ句。そういうものをいつか作れたらいいなあ。 坂井則之 家継げり障子洗ひも知らぬまま 二親の去りし我が家に帰省せり あし鍛ふいま一度富士登らんと 《初心者の苦弁》 2023年春から参加させていただきました。 その暫く前、恩田先生の一つ前の評論集(2022年刊)の校正をお手伝いさせて戴いてからのご縁でした。 (私は先生の高校の4年後輩に当たります) 今は年金給付を待つ隠退者ですが、現役時代の殆どは新聞社で編集部門、原稿内容や紙面を点検する校閲の現場にいました。経験がご著書のお役に立てたならとても光栄なことだと思ったことでした。 いま[樸]に入れて戴いた後、俳句とも言えないものしか書けていません。先生から「(お前は)頭が散文支配になっている。俳句にはそれと異なる韻文の感覚が要る」との叱責を、何度頂戴したか判りません。句会でも、先生からお点を戴けたものは幾つもありません。我が身を省み、先の厳しさ感が拭えないのが現状です。[自選]は、お点を辛うじて頂戴できたものから挙げさせて戴きました。(先生添削あり) 佐藤錦子 蜜月も悲嘆も誰も往く銀河 秋うらら桂花の菓子を頬張れば 疵あまた無骨な柚子よ宛名書く 《旅の途中》 歩く旅が好きだ。歩けば元気。そう信じ背中を突き飛ばし自分を外へと送り出す。パルシェの講座もばしんと背を叩き今春より受講のち樸の会員に加えて頂いた。出会いに恵まれ有難く思う。 句会では、分からない用語が行き交う。感覚をどう掴み自家薬籠中のものとするか。苦悶が始まったところだ。 歩く旅なら3日目あたり、足裏にまめの出来た頃。今しばらくはその痛い足で歩み続けようと思う。 樸の皆さまどうぞよろしくお願い致します。 島田 淳 花南天兄にないしょの素甘かな 引越の最後に包む布団かな 菜の花の果てを見つけて人心地 《鑑賞という名の対話》 恩田代表の鑑賞文を読むと、自分では思いもしなかった指摘にギクッとすることがある。 愚句に対しても、他の方の句に対しても、作者すら自覚出来ていなかった意味や思いを掬い取って、より明確な表現で提示してくれる。 それは、『渾沌の恋人(ラマン)』や『久保田万太郎俳句集』でも見られたものであり、句だけでなく社会的背景や境遇にまで気を配った鑑賞である。 最初の句では、慎ましく地味な南天の花と庶民的な菓子である素甘、それをこっそり食べる小さな背徳が響き合う様を鑑賞文の中で描き出していただいた。 「お兄さんばっかりずるい!」という被害感情を常に秘めている末っ子の気分を、句の中から見事に掬い取ってくださった。 二番目の句は、愚句「転居の日蒲団最後に包みけり」を恩田代表が直してくださった。布団を包むという動作ではなく、梱包された布団そのものにフォーカスを当てることで、引越準備が完了したことをより明らかに示している。「うむ、準備完了」と言う自分の感慨が甦るようである。 最後の句は、愚句をそのまま掲句とした。恩田代表には、添削例として「菜の花の果てに来りぬ人心地」と直していただいた。 これは、俳句の問題ではなく人生観の問題なのだろう。延々と続く菜の花畑の果てらしきものが見えたくらいで気を抜いてはいけないという戒めなのかと受け止めた。果てまで辿り着いて初めて、ある意味病的なモノトーンの世界から人間らしい生の実感を取り戻せるのかも知れない。 私が定年を迎えるのは、来年の夏である。 芹沢雄太郎 春の鳥五体投地の背に肩に 磔の案山子の頭ココナッツ 道迷ふたびあらはるるうさぎかな 《インドのひかり/日本のひかり》 インドで暮らし始めてもう少しで2年になります。季節を二回廻ったことで、だんだんとインドの微妙なひかりの移ろいと、日本のひかりとの違いを感じるようになってきました。今年はそのひかりをこの手で掬い取り、句という形にとどめてみたいです。 田中泥炭 人類に忘却の銅羅水海月 耳鳴のいつでも聴けて稲の花 隠沼にあすを誘ふ栗の花 《実戦の年に》 普段色々な事を考えているはずだが、いざ書くとなると全く思いつかない。そこで昨年は何を…と覗いてみると「書く前に措定される意味や内容を捨てず如何にそこから自由な空白地帯を精神的に持てるかが勝負だ」と書いていた。なんと肩に力の入った内容だと我ながら思うが、この内容を今でも信頼できるのは良い事だろう。来年は実践の年にしたい 都築しづ子 切り貼りは手鞠のかたち障子貼る 初夏やタンクトップにビーズ植う 牡蠣フライ妻と一男一女居て 《師の事 樸句会の事》 いつも思う事だが 師の選評により句に新しい世界が生まれる。平凡な句に詩が生まれる。こんな師にめぐり会えた幸運に感謝、感謝である。 そして、樸の会員の皆様の感性溢れる句に老体は打ちのめされる。しかし、しかし、私はまだ俳句をあきらめられ無い。病と折り合いをつけながら 此れからも作句を続けたい・・・。 この文を記しているうちになんだか元気になってきた! 中山湖望子 鴨鍋や湖北の風が鼻を刺す 夏の月うさぎも湖上走りけり 仏壇に手合わす子らや柏餅 《俳句〜日本という方法の神髄》 俳句は手ごわい。ゴーリ合理で進めてきた私はグローバル資本主義とコンプライアンスに絡まった社会にどう考えても行き詰まってしまい、辿り着いた一つが俳句だ。 観察、見立て、連想や影向などを駆使しようとするのだがまったく心が固まってしまってイメージが動かない。散文になったりくっつきすぎたり、ぽちょんすら一つも付かない句会のなんと多いことか。そのたび感性の無さに、言語表現の貧相さに呆れてしまうのだが、石の上にも3年。五感で取り込んだ電気信号が通う脳内ニューロンの新たな回路ができるまでは粘り続ける覚悟です。 成松聡美 柚子青し手帳今日より新しく きれぎれに防災無線山眠る 鍋焼吹く映画の話そつちのけ 《初心者を楽しむ》 句集などめくったことすらなかった私が、ふと思い立って俳句を学び始めて九か月。樸に入会して三か月。現在、自分がどちらを向いているかも不確かな迷路にいる。何事にも始まりと終わりがあり、この頼りなさもいずれ消えてしまうのだとすれば、今は『初めて』を存分に満喫したい。初学者ゆえに許される無知や無作法をくぐり抜けた先に何が待っているのかは知らない。ただ、少しずつ増えていく本棚の句集や月二回の句会が生活の句読点になりつつあるのは確かだ。初心者である自分を面白がりながら、行けるところまでのろのろ走ろう。そう決めている。 林彰 最高裁「諫早湾開門せず」 海苔炙る有明海を解き放て 沢登り桃源郷あり幣辛夷 深く吸ひゆっくりと吐く去年今年 古田秀 シャンデリア真下の席の余寒かな うぐひすや渦を幾重に木魚の目 テレビとは嵌め殺し窓ガザの冬 《融》 冬の初めに金沢へ旅行に行った。輪島漆芸美術館で出会った鵜飼康平さんの『融』に目を奪われた。真柏の湾曲した枝に朱の髹漆を施し、異なる質感が融けあいながらも互いに存在を強めている。俳句は徹頭徹尾言葉しかないから、どんなモノでも提示して操作可能だ。その一方でモノを強く存在せしめている俳句がどれほどあるだろう。来年もそんな俳句を希求したい。 前島裕子 菜の花や家々ささふ野面積 スマホすべる付爪のゆび薄暑光 岡部町、大龍勢 先駆けの子らの口上天高し 《外にとびだそう》 私の干支、卯年も残すところわずか。 少しはとびはねようとしたのですが、思うようにはいかないものです。 Zoom中心の句会でしたが、吟行会が春と秋二回行なわれた。大空の下、ゆったりとよく観、想像をふくらませて、作句。句会でしか会ったことのない仲間と、自然のなかでの交流。いい時間を過ごすことができました。 コロナも一段落した様子、家にこもっていないで、外にとびだし新しい発見をしよう。 益田隆久 露の玉点字の句碑に目をとづる 空蝉はゆびきり拳万の記憶 冬ごもり硯にとかす鐘のおと 《村越化石さんの原稿用紙》 藤枝市蓮華寺池公園の文学館に、村越化石さんの手書きの原稿が展示されている。 既に両目共失明していた。原稿用紙の升目を決してはみ出さない。一文字ごとに正確に丁寧に書かれている。見ていて泣きたい気持ちになる。一つ一つの文字に命が宿っている。俳人とは文字を大切にする人ではないか。永田耕衣さんは、労災事故で右手を損傷し左手で書いていた。棟方志功画伯は絵に入れる文字は永田耕衣さんに頼んだ。上手い下手を超越した何かを感じたのだろうか。村越化石さんの手書きの原稿を見てそのことを思い出した。 見原万智子 フライパン買はむ極暑の誕生日 形見分くすつからかんの菊日和 星なき夜熊よりも身を寄せ合はす 《穴があったら入りたい》 涙が出るほど心が動いた誰かとの会話を俳句にしたとする。しばらくして季語が動くと気づく。だが、会話した季節の季語なので大切にしたい。 しばらくしてまた気づく。相手は話を切り出すまで何ヶ月も前、別の季節の頃から逡巡していたかもしれない。長い間、季節があってないような気持ちだったかもしれないではないか。最初の涙は心が動いたことへの自己陶酔? 穴があったら入りたいが、俳句に出会わなかったら、自分は恥ずかしい奴だと気づきもしなかった。 上村正明 もづく酢や昭和を生きて老い未だ 紙兜脱ぎて休戦柏餅 手術宣告 長々と俎上にのせん生身魂 上村正明さんは二〇二三年角川「俳句」三月号の恩田作品に共感され、「少しでも高みを目指したい、少しでも「俳句の三福」を味わってみたい」と、同月十九日入会。八月二〇日までめきめき腕を上げられ、闊達な座談でも周囲を魅了しました。腹部大動脈瘤の手術から回復されることなく、最後の句会から旬日にして他界されたとは言葉を失います。 これから菖蒲の節句が来るたび、仲良し兄弟が紙兜と紙太刀を放って「柏餅」の葉を剥がす勢いを想像し、思わず微笑むことでしょう。墨痕あざやかに八十六年を生き切られた最晩年の俳縁に感謝し、深悼を捧げます。 (樸代表 恩田侑布子) 後記 樸会員による2023年の自選3句集をお届けします。1年間、恩田代表の厳しくも愛情あふれる指導を受け、それぞれの感性や人生観などを踏まえた、俳句に対する向き合い方のうかがえる作品集になりました。(自選3句の後のエッセーは昨年末時点で書かれたものです)。 俳句は世界一短い詩と言われます。この十七音に想いを込めようと四苦八苦していると、ふと、短歌の三十一文字がなんと長いことか、と驚く自分がいます。もちろん短歌も十分に短いのですが、言葉を極限まで削る俳句が、そんな不思議な感覚をもたらすのでしょう。饒舌で大袈裟で無意味な言葉が大手を振って歩いている喧騒の時代に、最小限の言葉で最大限の世界を生み出す俳句の素晴らしさを、今年も樸俳句会で体験していきたいものです。 (小松)
11月12 日 句会報告
2023年11月12日 樸句会報 【第134号】 記録的な猛暑だった今年、借り地の菜園は夏野菜のみならず冬野菜の生育もさっぱりです。視線を落とせばノジスミレやホトケノザの返り花。つくづく季節をつかみにくくなったと感じます。 しょんぼり日々を送るなか、樸zoom句会が開催されました。やれ嬉しやとパソコンの画面の中へ飛び込みたいような気持ちで参加しました。 兼題は「ばつた」「障子洗ふ」「柚子」。 特選2句、入選2句、△4句、レ11句、・11句。恩田先生が「切れの余白がゆたかで、調べもよく、多様で面白い俳句がそろった」と評した豊作の会となりました。 ◎ 特選 形見分くすつからかんの菊日和 見原万智子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「菊日和」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ◎ 特選 切り貼りは手鞠のかたち障子貼る 都築しづ子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「障子貼る」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 疵あまた無骨な柚子よ宛名書く 佐藤錦子 【恩田侑布子評】 健康な生活実感があふれる俳句だ。庭の柚子はたくさんなるが店頭に並ぶピカピカの別嬪さんではない。疵やシミや凹みがあちこちにある。でもいいじゃん。早速あの人に送ろう!茎を切っただけで芳しく匂う。料理にかければ魔法の調味料、一瞬で高級になる。お風呂にもプカプカ浮かべてもらおう。なんともいい香り。「無骨な柚子」に新しみがあり、「宛名書く」の動詞にも勢いがある。 ○入選 柚子青し手帳今日より新しく 成松聡美 【恩田侑布子評】 気がつくと庭の柚子が葉影に大きく実っている。まだ青々として、もぐには早いが、黄色いひかりの珠になって、清らかな香りが初卓や湯殿にあふれる日は近い。そうだ、新しい手帳を下ろそう。そう思わせるときめきは、軽快な調べを奏でる定型感覚のよろしさと、上五のキッパリした切れから来ている。 【後記】 季節以外にも実感をつかみにくくなったものがあります。いくつかの動作です。 ちなみに今回の季語「障子洗ふ」のかんれん季語「障子貼る」とほぼ同じ「障子を貼る」が、『絶滅危惧動作図鑑』(祥伝社、藪本晶子)という本に収められています。「障子を貼る」は絶滅危惧レベル全5段階のうちレベル4「ちいさい頃に何度かやったことがある動作」。今ではあまり見かけないということでしょう。 かく言う私も、破れないグラスファイバー入り障子紙なるものを購入してから、洗うどころか張り替えすらやっていません。 しかしひとたび季語として作句を試みれば、障子紙を寸法に合わせて切る者、刷毛で桟に糊を塗る者、自分が開けてしまった穴を切り貼りする子ども、夕暮れが迫り七輪で魚を焼く祖母、薪で風呂を沸かす祖父など、懐かしい光景が立ちどころに蘇ります。俳句には絶滅の危機に瀕したことばの保護という側面があるような気がします。 単に動作のさまを伝えるだけではないでしょう。 たとえば今回の特選句「切り貼りは手鞠のかたち障子貼る」から連想されるのは、まず、丸く切って手毬に見立てた千代紙。次に、暮らしを機能一辺倒に終わらせない作者の美意識やお人柄です。創意工夫を凝らした衣食住のあれこれが次々と目に浮かび、しみじみと、私もこの人のように生きてみたいという思いに駆られます。俳句には作者の心の持ちようを共同体に伝播させ継承させ得るはたらきがあると感じました。 これは恩田先生の超人的なご鑑賞をお聞きし、連衆の忖度のない議論に参加して初めて湧いてきた思いであり、数年前にひとりで何となく十七音を並べていた頃には想像もつかなかった気づきです。俳句は句座を囲む文芸、囲むことで完結する文芸であると改めて感じた句会でした。 この日を境に、季節は駆け足で冬へと向かっていきました。 (見原万智子) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 11月23日 樸俳句会 兼題は「七五三」「木の葉髪」「柊の花」です。 入選1句、原石賞4句を紹介します。 ○入選 乾杯の音頭決まりて木の葉髪 岸裕之 【恩田侑布子評】 大勢の集まりでは、まず司会者から指名を受けた人が乾杯の音頭を取ります。 挨拶、自己紹介、会の趣旨を手短かに話し、「乾杯!」の斉唱でグラスを合わす瞬間です。若い頃は音頭をとる人のテキパキと堂に行った采配に憧れたものですが、いざやらされる年代になってみると、なにげない手櫛にもはらりと髪が纏いつきます。会場の華やかな席に明るい声が響くだけに、昔日の若さを失った実感が迫ります。ペーソスある俳句です。 【原石賞】柊の花の家遠し跨線橋 見原万智子 【恩田侑布子評・添削】 いま歩いている「跨線橋」から、かつての家、それも柊の花の記憶を蘇らせた感性が素晴らしいです。ただ「ハナノイエトオシ」という中七字余りはいただけません。もたつきます。素直な定型に調べるだけで、ぐっと格調の高い句になります。 【添削例】柊の咲く家遠し跨線橋 【原石賞】吾娘もまた母の顔せり七五三 小松浩 【恩田侑布子評・添削】 孫の七五三でようやく我が娘が、一人前の母親らしい顔つきになったことに気づいた作者です。自身にも、祖父になった実感が迫ります。ただ、「もまた」の説明臭を刈り込みたいです。世代交代のめでたさと、着実な継承を印象付けるため、省略を効かせ、かつての娘の七五三もダブルイメージさせましょう。 【添削例】母の顔になりし娘や七五三 【原石賞】旅の荷は下着二枚や小春富士 古田秀 【恩田侑布子評・添削】 旅荷が「下着」だけというのはさっぱりと気持ちがいいです。このままでもなかなかの句ですが、さらに水準を高めるならば、「二枚」と「小春」の甘さを消して「一組」「冬の富士」にすれば気持ちも調子も引き緊ります。 【添削例】旅の荷は下着一組冬の富士 【原石賞】すきま風指輪リングを見遣る銀婚日 林彰 【恩田侑布子評・添削】 戸障子を吹き込む冬の季語の「隙間風」を心象に転じた着眼が面白いです。「指輪」にリングのルビを振ったことで、エンゲージリングとわかり、結婚式から二十五年経って、ぷっくりしていた指がやつれたことまで想像させます。ただ、銀婚式の日を縮めて「銀婚日」というのはやや無理がありましょう。 【添削例】銀婚の指輪リングを見遣るすきま風
あらき歳時記 障子貼る
句会報告 5月7日
2023年5月7日 樸句会報 【第128号】 太陽暦5月、[さつき]です。今回から季語が[夏]になりました。歳時記の冊が改まりました。実感としては まだ[夏]には早い感もありましたが、季節感は捉え直すものと思い直しました。 兼題は「立夏」「葉桜」「柏餅」です。特選2句、入選2句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選 父母は茅花流しの向かう岸 活洲みな子 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「茅花流し」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ◎ 特選 紙兜脱ぎて休戦柏餅 上村正明 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「柏餅」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 初夏やタンクトップにビーズ植う 都築しづ子 【恩田侑布子評】 なんの飾りもないタンクトップに、細やかなビーズの光を添える。一人の手芸の時間を楽しむ作者に、心ときめく夏の日々の予定が想像される。ことに、句末の「植う」は秀逸。たんなるおしゃれさんではない聡明な作者の横顔が目に浮かぶよう。 ○入選 葉桜の校庭脇の土俵かな 都築しづ子 【恩田侑布子評】 相撲部のために校庭の隅に「土俵」がこしらえてある。すべすべして白い土俵の土と葉桜の配合がいかにも初夏の涼風を感じさせる。ひとけがなく静まっている土俵というものはいいもの。 【原石賞】真新しちちの墓石に緑さす 前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 ついこの間まで肉体があって手に触れられた父が、墓石になってしまった。「真新しい」という句頭に思いが溢れる。おりしも白御影と思われる石に若葉のかげがさしている。墓石になった父が、地中から自分を励ましてくれるようだ。「生きているうちはしっかり前を見て歩きなさいよ」。原句は、「真新し」の終止形で上五に切れが生じ、中七の「ぼせきに」も軽い一呼吸があり、リズムがややたどたどしい。「真新しき」と打ち出したいが字余りになるので、上五は「真新まつさらな」として感動の焦点を絞り、「ぼせき」は「はかいし」とやわらかい調べにしたい。悲しみが言外に伝わるとともに作者の決意が感じられてくる。 【添削例】真新なちちの墓石緑さす 【原石賞】スマホおす付け爪のゆび薄暑光 前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 現代の若い女性は爪先に凝る人が多い。ネイルアートや付け爪まで。それをスマホと取り合わせた動きのある光景がいい。ただし、「おす」は鈍い感じ。「すべる」にすれば、上滑りの生の在り方まで暗に感じられ、現代人の表層的な生の哀しみも微かににじむ。 【添削例】スマホすべる付け爪のゆび薄暑光 【原石賞】黒々と命名の「郎」の柏餅 都築しづ子 【恩田侑布子評・添削】 生まれてまず子供に名前をつける。この時の高揚感は生涯忘れられないもの。うやうやしく墨を摺り、真っ白な奉書紙にその名を大きく記す。親になった確かな感慨が迫る。原句はこうしたゆたかな内容に、のんべんだらりとしたリズムがそぐわずもったいない。「黒々と」ではマジックペンもあり得る。墨書であることを打ち出せばさらに格調が生まれよう。 【添削例】命名の「郎」の墨痕柏餅 【後記】 Zoom句会は毎回、参加者の一人か二人に小さな機械トラブルがありますが、「PCを買い替えた」「これを買い足した」とのご報告が相次ぎました。すっかり安定したという報告の方もあり、少しずつ安心しています。句会は、先生から「今回は好句が多かった」とのお言葉で、お点を頂戴した者も嬉しかったことでした。 私事ですが、坂井は東京で務めた新聞の後の地元紙での勤務も期限となり、ほぼ隠棲の身になりました。今後とも一層、よろしくお願いします。 (坂井則之) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 5月21日 樸俳句会 兼題は「卯波」「蜥蜴」「新樹」です。 特選1句、入選1句、原石賞4句を紹介します。 ◎ 特選 卯波立つ廃炉作業の発電所 猪狩みき 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「卯波」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 碌山の≪女≫漆黒新樹光 岸裕之 【恩田侑布子評】 長野県の碌山記念館は新樹の木立に包まれている。天井のステンドグラスから緑のひかりがさす。安曇野を生地とする夭折の彫刻家、荻原守衛(号・碌山)の代表作にして遺作「女」は、作者自身の、叶うはずもなかった片恋に発した、憧憬と懊悩を体現している。裸婦の漆黒の肌に移ろってやまない初夏の碧いひかりに魅せられる。 【原石賞】囀りに絢爛湧きぬ身内かな 見原万智子 【恩田侑布子評・添削】 「囀り」は春の季語で、五月下旬の句会投句には不適切。とはいえ、発想にめざましい詩がある。自然のなかで春鳥の豊潤な囀りに包まれていると、わが身の裡からも「絢爛」たるものが湧き立ってくるようだ。原句は中七の「湧きぬ」で切れ、囀りと自分の身とが分断されてしまった。句末の切字「かな」もはたらいていない。沸き立つ思いは一挙に書き下ろすべき。 【添削例】囀りに身の絢爛の湧き立ちぬ 【原石賞】寄せ返す頭痛卯の花腐しかな 古田秀 【恩田侑布子評・添削】 新緑は美しいが、神経の繊細なひとにはつらい時期でもある。朝から頭痛が寄せては返す波のよう。卯の花腐しの雨も降っていて、やるせない。暖かくなったとはいえ、足元や首筋は若葉寒である。原句は、「寄せ返す」が、やや辿々しい。「さざなみの」とすれば、「卯の花」の細やかな白い花ともひびき、愛誦性も増しそうだ。 【添削例】さざなみの頭痛卯の花腐しかな 【原石賞】緑蔭に水滴の兎と居れり 益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 山居の新緑の木立に文房四宝の白兎の水滴。美しい光景である。とはいえ、内容は詩、読み下すと散文。句末の「居れり」は取ってつけたよう。つまり、原句は「緑蔭に水滴の兎」。ここまでで見事に完成した短詩、あるいは短律になっている。個人的には短律もいいと思うが、作者が定型の俳句にしたいなら、さらに「水滴の兎」の焦点を絞りたい。 【添削例】緑蔭にみみたて水滴の兎 【原石賞】沖の卯波海道の名はストロベリー 都築しづ子 【恩田侑布子評・添削】 言わんとするところは面白い。原句の「海道の名はストロベリー」は説明っぽいので、いっそ、ひと塊の固有名詞、「ストロベリー海道」にしてしまおう。いちごの赤い色の点在と、白い卯波とが引き立て合い、調べも軽快になる。 【添削例】ストロベリー海道よする卯波かな
2月5日 句会報告
2023年2月5日 樸句会報 【第125号】 新暦3月にあたる如月という和風月名の由来は「衣更着」厳しい寒さに備え重ね着をする季節という説、陽気が更に来る月だからという「気更来」説、春に向け草木が生え始めるからという「生更木」説などがある様です。俳句に親しみ歳時記と睨めっこしていると色々、面白い発見があります。2月1回目の句会の兼題は「牡蠣」「早梅」「蒲団」です。全国各地から豪雪の便りが届く中、今回も丁々発止の熱いZOOM句会となりました。 入選2句、原石賞3句を紹介します。 ○入選 ぽつてりと月を宿せる真牡蠣かな 古田秀 【恩田侑布子評】 大粒の生牡蠣。その透明感のある乳白色の腹に「月」をみたのは素晴らしい発見です。一物仕立ての俳句ならではの印象の鮮明さも魅力です。ただ私ならば、やわらかな生牡蠣の量感がより伝わるように、「ぽつてりと月やどしたる真牡蠣かな」としそうです。 ○入選 牡蠣フライ妻と一男一女居て 都築しづ子 【恩田侑布子評】 一見「ただごと俳句」ですが、案外そうでもありません。「牡蠣フライ」に「妻と一男一女」を取り合わせた境涯俳句です。これは自祝の俳句。幸福感の吐露です。あとほんの少しでスノビズムに陥りそうな土俵際にかろうじて踏みとどまったのは、季語の「牡蠣フライ」が衣の中にふくよかなエロティシズムを湛えているからです。そこがじつにユニーク。男性の俳句とばかり思っていましたので、作者を知って驚きました。天晴れです、都築しづ子さん。 【原石賞】転居の日蒲団最後に包みけり 島田淳 【恩田侑布子評・添削】 引越しの荷物をトラックに積みこむとき、最後に「蒲団」を包んだことだよ、というところに実直な詩情があります。今まで何年か過ごしてきた家で、馴染んできたもろもろの日常の肌合いがまるごと季語の「蒲団」に託されると素晴らしい俳句になります。座五を季語+切字の「かな」で詠嘆し、「転居の日」という状況説明を端的に「引越」にしてみましょう。 【添削例】引越の最後に包む布団かな 【原石賞】相応しく冷え早梅に触染めぬ 田中泥炭 【恩田侑布子評・添削】 しっかりと早梅を見て、そのいのちを感受している作者の真摯な努力に感心しました。そこから「相応しく冷え」という物我一如の感に至ったのは見事というほかありません。自分自身が早梅と同じように冷えて似つかわしい存在になったとは、非凡な感性です。ただ「染めぬ」はしつこくないですか。上五をひらき、下五を「初めぬ」とし、早梅の精と息を交わすようにしたいです。 【添削例】ふさはしく冷え早梅にふれ初めり 【原石賞】一望の君住む街や冬の梅 活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 小高い丘の上から初恋の人の住む町並みを眺めているのでしょうか。言葉の順序を逆にするだけで、自然で奥ゆかしい恋の思いがひそむいい俳句になります。近景の「冬の梅」が切なく香ります。 【添削例】冬の梅君住む街を一望に 【後記】 今回の句会では俳句は「凝縮」の美、「抑制の詩」という事が再確認できました。一番大切なものは言わぬが花です。愚生は毎回、季題に振り回されておりますが、4月に予定されている吟行句会では、何とか自分だけの春を見つけたいと念じております。 (金森三夢) 今回は、◎特選0句、○入選2句、原石賞3句、△4句、✓シルシ4句、・9句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 2月22日 樸俳句会 兼題は「余寒」「春雷」「椿」です。 入選1句、原石賞2句を紹介します。 ○入選 シャンデリア真下の席の余寒かな 古田秀 【恩田侑布子評】 洋館でしょうか。ホテルでしょうか。何かの集まりで大きな部屋の中央とおぼしきシャンデリアの真下へ案内されました。瓔珞のように垂れ下がるガラスの一片一片がキラキラと頭上にかがやいています。瞬時、身に刺さるような寒さ。初春の「余寒」は、「冴え返る」や「春寒」に近い季語ですが、微妙に違います。わけもなく瞬時に身に迫る寒さです。「席」まで焦点を絞ったことで、白い卓布までありありと見え、余寒の身体感覚が緊張感をもって伝わります。きっと会話も建前だけがゆき交ったことでしょう。 【原石賞】大津波あとに一山椿あり 小松浩 【恩田侑布子評・添削】 三・一一の凄まじい津波です。原句は「大津波あとに一山/椿あり」と、中七に切れがあります。一山と椿が寸断され、目の前には一輪の紅椿しかないように感じられます。助詞一字を入れ替えるだけで情景は一変します。 【添削例】大津波あと一山の椿かな 「津波がくるぞー」「津波だー」無我夢中でかけ上り、眼下を押し揺るがした大津波が退いてふと我にかえると、山肌に無数の椿が咲き揺らいでいます。藪椿は照葉樹林文化帯を象徴する花木で日本原産。父祖たちが縄文時代から親しんできた椿が、命からがらここまで上った人を見守っていました。静もりのあとの椿の慟哭。 【原石賞】春寒やモノクロームへ終列車 益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 作者は大切な人を見送った情景を描きたかったそうです。それで「モノクロームへ終列車」とし、闇「へ」の方向性を持たせたとのこと。物語を五七五に込めすぎると、季語のはたらきが弱まります。助詞一字を変え、色彩感のない終電車がホームにすっと入ってきた刹那の「春寒」にすれば、余韻が深まります。 【添削例】春寒やモノクロームの終列車
1月25日 句会報告
2023年1月25日 樸句会報 【第124号】 恩田先生の新しい句集『はだかむし』。ゆっくり、嚙み砕くように拝読しました。特に「山繭」の章に感動いたしました。 起ち上がる雲は密男みそかを夏の山 明るく力強いエロス・・こんな密男なら女はひれ伏すしかありません。恩田侑布子という俳人の凄みを感じ、背筋がぞくっとしました。 兼題は「冬籠」「寒鴉」「枯尾花」です。特選1句、入選2句、原石賞4句を紹介します。 ◎ 特選 冬ごもり硯にとかす鐘のおと 益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「冬籠」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 寒鴉父と娘は又口喧嘩 都築しづ子 【恩田侑布子評】 K音6音がけたたましいカラスの声のようです。我ながら親子のどうしようもない成り行きと、その末の近ごろの関係を心寒く思っています。それらが生き生きと実直に寒鴉の季語に託されました。一句を読み下すスピード感が冬の空気や風の寒さまで思わせます。 ○入選 道迷ふたびあらはるるうさぎかな 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 ひらがなの多用が夢魔の境を行き来するようで効果的です。メルヘンチックなようでいて、少し不気味な持ち味の句です。「うさぎ」は行く先を知っているのでしょうか。それとも、ますます迷わせるだけでしょうか。富士山の麓、御殿場で過ごした少年時代の原体験でしょうか。『不思議の国のアリス』の世界が背景に匂います。 【原石賞】寒鴉引揚船の忘れ物 海野二美 【恩田侑布子評・添削】 敗戦直後の情景を掬い上げたユニークな俳句です。侵略した大陸から命からがら日本に向かって引き揚げる船。港から離れようとするとき、寒鴉だけが喚くように鳴き立てます。あるいは寡黙に埠頭に立ち尽くします。このままでも悪くはないですが、「謂い応せて」しまった「忘れ物」の措辞を推敲すれば素晴らしい句になるでしょう。一例ですが、 【添削例】寒鴉引揚船に喚き翔つ 【原石賞】滑舌のわろわろしたる冬籠 田中泥炭 【恩田侑布子評・添削】 「わろわろ」は出色の擬態語です。ただ、このままでは中七までの十二音が季語の修飾になります。「の」に格助詞の切れを持たせ、リズムにも滑稽感をにじませると、非常にユニークな特選句になります。 【添削例】滑舌のはやわろわろと冬籠 【原石賞】花豆のふつふつ眠く冬籠 古田秀 【恩田侑布子評・添削】 トロ火の鍋に「ふつふつ」と花豆が煮含まってゆく擬音語が効果的です。ただ「眠く冬籠」とつなげてしまったのが惜しまれます。花豆と冬籠だけを漢字にして目立たせ、あとはひらがなでねむたくやさしくしましょう。中七を「ねむし」と切れば、冬の閑けさがひろがります。。 【添削例】花豆のふつふつねむし冬籠 【原石賞】枯尾花と自らを呼ぶ佳人かな 金森三夢 【恩田侑布子評・添削】 捻った句です。俳味があります。ただし季語がありません。人の喩えで、しかも自称「枯尾花」ですから、どこにも本当の枯尾花が存在しないのです。「枯れ尾花」があって、そのほとりで「私もそうよ」という情景にすれば面白い句になります。作者はこの佳人にどうも惚れかけています。 【添削例】枯尾花わたしのことといふ佳人 ...
5月8日 句会報告
2022年5月8日 樸句会報 【第116号】 ゴールデンウィーク後半は好天続き、駿府城公園を彩る木々の目映さに句会への期待がふくらみます。今回の兼題は「初夏」「柏餅」「薔薇」――これらを耀わせるのもまた新緑ですが、風土によって「みどり」のイメージには揺れが生じ得ます。さらに、その時の心持ちにより、感じ方は変わってくるでしょう。まず自らの心に映る色をみつめることが、季節の息吹を捉え、体験や実感を作品として結実させる大切な一歩になると思いました。 入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。 ○入選 睡蓮をよけ水牛の浸かりをり 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 まさに正統的インド詠。睡蓮と水牛が共生している大空と水と大地の匂いがします。日本ではとてもできない句。「をり」の措辞はおうおうにしてたるみをもたらしますが、ここでは水牛の体躯の量感と存在感を表して盤石です。作者自身の野生味も充分に発揮されています。 【合評】 大きな景色。睡蓮をよけるのがまさか「水牛」とは。一気に意識が異国へと飛ばされる。 芹沢さんの句でしょう。私もかつては仕事でインドを旅していました。睡蓮と来れば、北インドのルンビニ辺りを思い出します。 【原】初夏や青菜でくるむ握り飯 都築しづ子 【恩田侑布子評・添削】 塩漬けした青菜を広げてご飯を包む、シンプルな青と白の握り飯と、「初夏」の季語の颯爽とした健康感とが映発します。ただ一つ惜しいのは、「さあ、野山に出かけるぞ」という意気込みが、中七の「で」でくじけ、濁ってしまうことです。この一音を透き通らせましょう。 【改】初夏や青菜にくるむ握り飯 【合評】 いかにも美味しそう。 菜漬け(冬の季語)でくるむ熊野のめはりずしが浮かぶ。また「青菜」を春の季語としてとっている歳時記もあり、人によっては冬や春の句のほうがしっくり来るかもしれない。 今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。 初夏・初夏(はつなつ) 酔うて候鋲の如くに星座は初夏 楠本憲吉 はつなつの日蓮杉の匂いかな 夏石番矢 薔薇・薔薇(さうび) 風きよし薔薇咲くとよりほぐれそめ 久保田万太郎 星わかし薔薇のつぼみの一つづゝ 久保田万太郎 薄暮、微雨、而(しか)して薔薇(さうび)白きかな 久保田万太郎 まどろみにけり薔薇園に鉄の椅子 恩田侑布子 サンダルの紐喰ひ込んで薔薇の園 恩田侑布子 夜の薔薇指に弾いて帰らんか 恩田侑布子 瞑りても渦なすものを薔薇とよぶ 恩田侑布子 【後記】 句会に参加するうち、選句眼がだんだん磨かれてきたような気がします。とはいえ自分の句となると未だにわかりません。とりあえず気に入りの句を出し、師や句友に披露する喜びに浸っていたのですが、それだけで満足してはいけないという思いはありました。先月、その師匠による評論集『渾沌の恋人(ラマン)』が上梓されたことは僥倖でした。日本人の美意識の淵源を示す芸術作品と共に、究極の俳句が挙げられているから。その中に、芭蕉の次の名句があります。 馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉 「夏野」というのも「新緑」と同様、さまざまなイメージで詠まれている季語。これもとびきりユニークな作品といえます。学者の考証によれば、実は画賛の句であったとのこと。しかし、オノマトペに「蹄の音や馬上に揺れる動きを感じさせるリアルな身体感覚の裏打ち」を見出した恩田は、「草いきれの夏野をゆく田夫に自己を投影したところにあたたかな俳味がある」と述べ、先入観なしにこの句への解釈を加えており、共感を覚えました。俳聖は目線を低くしながら、のちの世の私たちに「夏野」の本意を伝えてくれたのですね。これから青々と広がる野に佇むたび、芭蕉翁の姿をさがしてしまう予感がします。 (田村千春) 今回は、入選1句、原石賞1句、△2句、ゝ6句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 5月25日 入選句紹介 ○入選 麻酔からとろり卯の花腐しかな 見原万智子 【恩田侑布子評】 麻酔から醒めて手術室から病室に戻ったところでしょうか。やれやれ無事に終わったなと安堵する一方で、身体にメスが入ったあとの微熱感や気だるさ。昨日も一昨日も降っていた雨が今も音もなく振りこめています。病窓から遠い垣根には白い花が咲いているような、いないような。ぼわわっと雨に煙っています。わけもなく茂りゆく新緑と、病にかかわる人間の時間とが、「とろり」の措辞でごく自然に卯の花につながれます。物憂い時間の谷間に、飛沫を思わせる白く粒立つ花が、雨の銀鈍色と緑の中に浮かび上がり、切字の「かな」をやさしく響かせています。