
令和2年6月7日 樸句会報【第92号】 コロナによる自粛生活から徐々に活動も戻り始めていますが、会場のアイセルが休館中のため、今回もネット句会となりました。
兼題は、「早苗」と「五月闇」です。陽と陰、対極にある季語でしたが、どちらも独自の視点に立つ感性豊かな句が多く寄せられました。 特選1句、入選2句、そして△6句の中から1句を紹介します。
◎ 特選
早苗田は空に宛てたる手紙かな
田村千春 特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています
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【合評】 根付きのびはじめた早苗が風にそよいでいるさまはまるで仮名文字、田をうめている。それは、田の神様が空に宛てた手紙のよう。なんて素敵な着眼。
なるほど、早苗が列をなしている田圃は空へ宛てた手紙なのか。とても納得させられる句です。その手紙を読んだ空は、「よしわかった。しっかりお日さまのひかりを浴びてもらうよ、たっぷり雨を降らせるぞ」と決意したに違いありません。天も地も秋の稔りを待ち望んでいます。
○入選
早苗投ぐ水面の空の揺るるほど
島田 淳 うつくしい早苗田のうすみどりと、水色の空と白雲。そこに今どきの田植機ではなく、手ずから苗を植える早乙女の姿態まで、しなやかな光景が眼前します。丁寧に一株ずつ植えていくので、これは最後の仕上げでしょうか。全体を見渡して、植え残したところを補充するため、早苗を畦から放ったところでしょうか。「空の揺るるほど」が出色で、初夏の野山の青々としたいきおいまで感じられます。
(恩田侑布子)
【合評】
梅雨晴れの朝、黄緑色の早苗が熟練の手で水田に投げ入れられる。一見無造作に見える所作だが、そこに秋の実りへの期待感が伝わって来る。水面に映える青空の輝きと苗の緑の色彩感覚も見事。
懐かしい田植え作業の一コマを素直に切り取る。邪心のない句。
○入選
早苗舟登呂の残照負うてゆく
金森三夢 登呂遺跡の古代米の早苗を詠まれ、静岡の誇る地貌俳句になっています。「早苗舟」という傍題の選び方も的確です。「残照」が夕焼けの残んのひかりであるとともに、歴史の残照でもあり、千数百年の民族の旅路をはるばると感じさせてくれます。
(恩田侑布子)
【合評】 弥生時代にタイムスリップしたかのようです。登呂の緩やかな地形を感じます。水平方向の視線の先に早苗舟と夕陽が重なり、胸があつくなりました。
夕刻の光と早苗の青々とした色の対比がいいですね。登呂は弥生時代の農耕生活を伝える地。原初の夕映えのなかを早苗舟がすすんでいく光景はまさに一幅の絵です。
△ 来年のおととい君と苺月
見原万智子 六月の満月を「苺月」というのですね。今回初めて知りました。まだ国語辞書には載っていないようです。「来年のおととい」はけっして来ない夜でしょう。好きな相手、たぶん女性を思いながら報われない思いに小さくヤケになっている男心がいじらしいです。ストロベリー・ラブというのでしょうか?この句の作者がおっさんならいいのですが、もしも作者が女性だと、急にナルシシズムの匂いがしてきます。ふしぎですね。
(恩田侑布子)
【合評】 とるか迷いましたが、攻めてる姿勢に一票。「苺月」は先日のストロベリームーンことでしょうか。「来年のおととい君と」という表現が好きです。言語的には正しくないのかもしれませんが、こんな使い方をしたくなる時がある気がします。「来年の今日だと君と過ごしたい日は過ぎてしまっている」という切実さがあります。ただ苺月だと甘く見えすぎてしまうかなと思います。
今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の「神橋」12句(『俳句』2020年新年号)を読みました。
『神橋』12句および連衆の句評は恩田侑布子詞花集(←ここをクリック)に掲載しています。
[後記]
「今回はいつもにも増して、しなやかな感性の匂う素晴らしい作品が多かった」との総評を恩田からいただきましたが、筆者も締め切り時間ぎりぎりまで選句に迷いました。自分にはない発想、感性の句は大きな刺激になります。また、今回も恩田の全句講評および電話での懇切丁寧な個人指導もいただき、なんとも贅沢なネット句会でした。(天野智美)
次回の兼題は「青芒」「夏の蝶」です。 今回は、◎特選1句、○入選2句、△6句、ゝシルシ6句、・13句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

韻文への迷路
金森三夢 私の俳句との出会いは、小学校の国語。「万緑の中や吾子の歯はえそむる」という草田男の作品でした。緑と白の瑞々しい対比の素晴らしさに心を奪われました。そして俳句の奥行きの深さを知ったのが、高一の時に習った虚子の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」でした。日当たりながらという中七が、秋の日差しの中で桐の葉がゆっくりと落ちていく様子を適確に写生したものと、現国の担任で、かの石原慎太郎と芥川賞を争ったという豪傑・西山民雄先生に教えて戴き感銘を受けました。
俳句は散文的な要素を極端に嫌います。説明的な句は厳格にタブー視されます。私はこれまでほぼ散文一刀流。生まれて初めて活字にしていただいたのが小6の作文。初めて原稿料を戴いて全国の書店に並んだのもエッセイ、初めて印税を戴いたのは小説とすべて散文でした。十年ほど前、呆け防止のためNHKの俳句講座で独学を始め、ビギナーズラックで月刊角川やNHKテキストに四回載せて戴いた俳句も決して満足のいく作品ではありませんでした。独学の限界を感じた昨今、高校の先輩の三木卓氏から恩田侑布子氏を紹介され、講演会で恩田氏のお話を拝聴し感銘を受け、五ケ月前から樸の句会に入会させて戴きました。句会は自らの欠点を見つめ直す素晴らしい道場です。恩田代表から「こんな観念的な句は散文でも書ける。散文では表現できない機微を端的に17音で伝えるのが俳句」とのご指摘を受け、所謂「切れの余白」と「季語の本意」という考え方が朧げながら理解できるようになり、句会出席の楽しみが増して来たこの頃です。
恩田代表のひたむきで、ストイックな俳句への姿勢に驚きながら、自らは俳人の域に達するのは無理でも、一日一句を重ねつつ、日々高みを目指し、出来れば俳句富士山の五合目位まで登れればと念じて藻掻き苦しむ毎日です。 2020年3月 かなもりすりーむ(樸会員)

令和2年4月5日 樸句会報【第88号】 令和2年度最初の句会は、新型コロナの影響を受けて、樸はじまって以来のネット句会でした。
今回は若手大型俳人の生駒大祐さんが参加して新風を吹き込んでくださいました。
兼題は「鶯」と「風光る」です。
入選2句、原石賞3句および最高点句を紹介します。
○入選
千鳥ヶ淵桜かくしとなりにけり
前島裕子 桜の花に雪が降りこめてゆく美しさを、千鳥ヶ淵という固有名詞がいっそう引き立てています。
ら行の回転音四音も効果的です。完成度の高い俳句です。
(恩田侑布子)
【合評】
類想はあるように思うが、「桜かくし」という表現がよく効いている。「花」ではなく「桜」という言葉を用いることで、ベタベタの情緒ではなく現実に顔を出す異界の乾いた不気味さを詠み込むことに成功している。
○入選
赤べこの揺るる頭(かうべ)や風光る
金森三夢 風光るの兼題に、会津の郷土玩具の赤べこをもってきた技量に脱帽です。しかもいたって自然の作行。「赤べこ」は紅白のボディに黒い首輪のシンプルな造型のあたたかみのあるおもちゃです。
素朴で可愛い赤い牛の頭が上下に揺れるたびに春風が光ります。ここは「あたま」でなく「かうべ」としたことで、K音の五音が軽やかなリズムを刻み、牛のかれんさを実感させます。
福島の原発禍からの再生の祈りも力強く感じさせ、さっそく歳時記の例句にしたい俳句。
(恩田侑布子)
【合評】
お土産にもらった赤べこは多分どの家にもあったと思うが、その赤べこの頭の動きが「風光る」と組み合わさることで春らしいささやかな幸せを感じさせる句になっている。東北のふるさとのことを思っているのかとも想像される。
【原】青葉風鍾馗様似の子の泣けり
天野智美 たいへん面白い句になるダイヤモンド原石です。
句の下半身「の子の泣けり」が、上句十二音を受け止めきれず、よろめいてしまうのが惜しまれます。
【改】青葉風鍾馗様似のややこ泣く のほうが青葉風が生きてきませんか。
(恩田侑布子)
【原】鱗粉をつけて春昼夢を覚める
村松なつを
内容に詩があります。半ば蝶の気分で春昼の夢から覚めるとはゴージャスです。アンニュイとエロスも匂います。
残念なことに表現技法が内容を活かしきれていません。なにがなにしてどうなった、というまさに因果関係の叙述形態になってしまっています。
また、「つけて」という措辞はやや雑な感じ。
そこで添削例です。 華麗にしたければ、
【改1】鱗粉をまとひて覚むる春昼夢 抑えたければ、
【改2】鱗粉をまとひて覚めし春昼夢 など、いかがでしょうか。
(恩田侑布子)
【合評】 現実に体のどこかに鱗粉がついているのか、鱗粉がついてしまう夢を見ていたのか判然としない。「鱗粉をつけて」「覚める」と言い切ることによって、昼の夢から覚める瞬間のぼんやり感へ読み手を連れて行く。そうか、春のきらめきを鱗粉に例えたのだな、と考えるとますます散文に翻訳不能になり紛れもなく「詩」なので、特選で採らせていただきました。
「胡蝶の夢」の故事を踏まえた句だろうが、つきすぎや嫌みではないと感じた。それは「春昼夢」という造語めいた言葉が句の重心になっているからで、機知よりも虚構の構築に向けて言葉が機能している。
夢の中で蝶と戯れていた。いや自らが蝶になって自在に遊んでいたのでしょう。まさしく「胡蝶の夢」。春昼の夢から目覚めたら、おのれの体だけでなく心も鱗粉にまみれていたという驚き。官能性も感じられる句です。現実に還ればそこはコロナウイルスがじわりと侵攻している世界でした。
【原】花の雨火傷の痕のまた疼き
芹沢雄太郎 詩があり、情感がよく伝わってきます。
ただこのままですと表現がくどいです。
添削案として一例を示します。 【改】花の雨およびの火傷また疼き
(恩田侑布子)
※ 本日の最高点句 【・】風光るバイク降り立つ調律師
見原万智子 風光る と、調律師 の取り合わせは面白いですが、「降り立つ」でいいのでしょうか。
(恩田侑布子) 【合評】
「バイクを降り立つ」のが「調律師」であるという展開に、意外性が良いと思いつつ納得もしました。確かに家々を回る調律師の仕事にバイクはよく似合います。季語「風光る」が、バイクのエンジン音までリズミカルに、楽しげに聞こえさせているとともに、これから調律されるピアノの期待感を増幅しているように思います。
調律師がバイクで現れる意外性、その調律師の様子が「風光る」に表されている。
繊細な職業の方が颯爽とバイクから降り立つとは・・正に風が光りました。
言葉の選び方が素敵、「風光る」にふさわしい! 宮下奈都さんの『羊と鋼の森』を読んで、涙が出るほどの感動を覚えたのを、鮮やかに思い出しました。「ピアノを食べて生きていく」と決めた人を支える、調律師という仕事を選んだ若者の成長を描いた小説です。
風を切って疾走し、コンサートホールの前で停まるナナハン。調律するピアノの調べが春のイメージを乗せて聞こえてくるような句。ヘルメットを外すベテラン調律師のしゃんとした背筋が光る。
繊細な神経と技術を持つ調律師がバイクから降り立つ様が「風光る」によっていっそうきりっと浮かび上がる。しいて言うと、かっこよすぎて戯画調になっているきらいも。
[後記]
ネット句会をはじめて体験しました。このワクワクドキドキ感はなかなか味わえません。恩田代表や連衆の講評・感想、作者の自句自解が一覧でき、何度でもじっくり読み返すことができる大きなメリットがあります。とはいうものの、フェイス・トゥ・フェイスで口角泡を飛ばしての白熱した議論(今は泡をとばすとコロナ感染の恐れがありますが)こそが句会の醍醐味ではないでしょうか。新型コロナウイルスの収束を只管祈ります。
次回兼題は、「筍」と「浅蜊」です。
(山本正幸)
今回は、○入選2句、原石賞3句、△2句、ゝシルシ9句、・7句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
なお、3月25日の句会報は、特選、入選がなくお休みしました。
https://www.youtube.com/watch?v=NIwxvNW6MzE

樸俳句会の新会員・金森三夢さんの投稿をご紹介します。
ペットボトルと野遊び
金森三夢 水ぬるむ季節の到来です。年金生活者の私ですが、貧しき者も富む者も、自然は平等にその魅力を享受させてくれます。私はリュックにでっかい塩むすびをひとつと、ペットボトルに水道水を詰め凍らせスナフキンのカバーに入れ、句帳と歳時記とともに出発します。
自然からの瑞々しい息吹をキャッチし、絵描きさんがスケッチをするように、句帳に季節からのメッセージを自分だけの言の葉でデッサンしてゆきます。色付け(推敲)は帰ってからのお楽しみ。連れ歩くペットボトルはかの伊藤園さんから頂戴した愚生の句の載ったマイボトル。30年ほど前に公募がスタートした「おーいお茶」俳句の第一回に面白半分で投句し佳作の末席に胡坐をかいた
銀杏散る神宮の杜初デート
という迷句以来ご無沙汰していた投句を、呆け防止のためにNHKで句の独学を始めた10年前から再チャレンジ。ペットボトル掲載の確率は130分の1程度ですから、そんなに難しくはありませんね。NHKテキストに投句される方は真剣に俳句に精進されている方々ですが、「お茶」の方は初心者やお遊び気分の方もきっと多いので、掲載の確率はかなり高くなります。
ちなみに愚生の句でこれまでにボトルに載ったのは
また一年頼むぜ祖母の種袋
年金で十八切符山笑う
漂白を海月に習ふ余生かな
以上の3句。いずれもプレバトに出せば凡人第5位程度のものです。佳作特別賞になるとボトル1ケース(24本)がゲットできますので、自分のネーム入りのボトルをお供に彷徨するのも一興ですよ。次回は散文から韻文へをテーマに恩師の詩と俳句をご紹介致したいと存じます。 2020年3月 かなもりすりーむ(樸会員)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。