10月1回目の句会。この時期、句会の催される「アイセル」から北方向にある「城北公園」(旧制静岡高校跡地)は金木犀の香りで満たされます。 入選2句、原石賞1句、△4句、シルシ4句、・2句。特選句はありませんでした。 兼題は「コスモス」と「案山子」です。 入選句および話題句を紹介します。 〇案山子立てん母の帽子に父のシャツ 山本正幸 合評では、 「案山子は句作に苦労する兼題だった。過去の風物であり、昔と違ってそんなに立っていない。“母の帽子に父のシャツ”というのが具体的で俳味もある。両親の仲睦まじさも思われる」 「作者はお茶目な人なのでは?面白い発想だ。ほのぼのとした作者の人柄が匂う」 という共感の声の一方で、 「“立てん”が気になった。むしろ“古案山子”などとしたほうが良かったのでは?」 「作者の“意志”は俳句にならないのではないかと思う。これだと標語になってしまう。“案山子立つ”で良いのでは?」 という意見もありました。 恩田侑布子は、 「古着で案山子の衣装を間に合わせるのだが、“母の帽子に父のシャツ”とはっきり特定したことで情景が鮮明に浮かび上がった。案山子を立てる人の両親が存命かどうかはわからないけれど、家中の古着を探して案山子によそおわせる気持ちが温かい。“案山子立てん”という意思表示で始まる元気のよさに、豊作への明るい祈りもこもっている」 と講評しました。 〇原子炉は草木を残し秋夕焼 松井誠司 「福島の原発事故を想起させる。人は退去させられて、残ったのは草木だけ。夕焼けを見る人もおらず、淋しい風景である。原発問題へのメッセージもこもる」 との感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「福島第一原発の風下になった汚染区域は今も人が住めず村落が消失、もしくは崩壊してしまった。当原子炉の直近は万年の単位で人が住めないだろう。草木だけは無心に生えひろがり、夕焼けはいつにも増してすごく美しい。地を覆う草木と夕焼けだけの風景は、人間の罪業ということを考えさせずにはおかない」 と講評しました。 ゝ遠く案山子そのまた遠く磐梯山 佐藤宣雄 本日の話題句。 合評では、「昔何回か行った裏磐梯を思い出した。なつかしい情景。郷愁を感じる」という共感の声。 投句の合評と講評のあと、鈴木太郎氏の俳句(句集『花朝』より21句抄出)を読みました。 恩田侑布子が朝日新聞紙面の「俳句時評」に取り上げた俳人です。 前回の句会で読んだ田島健一氏の句と違って、多くの連衆に共感を持たれました。作者と連衆の年齢が比較的近いことも関係しているのでしょうか。 特に点が集まった共鳴句は次の二句でした。 亡きものに手のひらみせて盆踊 鈴木太郎 母死にき寒中の息使ひきり 鈴木太郎 [後記] 本日の句会で配布されたプリントに恩田侑布子は次のように書いています。 「日常そのマンマや観念や雰囲気ではなく、一歩踏み込んだ具象化、詩の結晶化を!」 日頃見慣れた風景でも一歩踏み込むことや視点を変えることによって、見え方が違ってくるのでしょう。その昔読んだリルケの一行「僕は見ることを学んでいる」(『マルテの手記』)にも通ずるところがあるように思われます。 次回兼題は、「酒」です。燗酒が心身に沁みる季節となってまいりました。(山本正幸)
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10月21日 句会報告と特選句
10月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「花野」「運動会」でした。 「運動会」は昔、春の季語だったそうですが、現在は秋の季語です。しかし昨今熱中症対策などで春に運動会を行う学校も増えているので、あと数年したら春の季語に戻るかもしれない、ということが話題に上がりました。世相に影響される季語もあるのだと興味深く聞いていました。 また今回より、怪我をされ休まれていた話題豊富な長老(!?)が元気に復帰され、どこか沈んだ雰囲気の句会に活気が戻りうれしい日となりました! さて、今回の高得点句から。 父は砲兵 大陸の花野駆けたる足といふ 山本正幸 「大陸→花野→足とズームインしていくようでおもしろい。」 「“花野”が“戦争”と対比されていて、より残酷さが際立つ」 「カラー映像としてあまり残っていない戦争はどこかフィクションのようだが、花野という言葉が入ると鮮やかになり途端に生々しく感じる」 という意見が出る一方、 恩田侑布子からは「戦争に絡む句は伝えたいことを明瞭にしないと、意図しない形で取られてしまう危険性がある。」と指摘がありました。 恩田の指摘を受け、一同、句における戦争や時事問題の描き方を再考するいい機会となりました。 また、今回は説明過多の句が多かったと恩田より講評ありました。 「説明過多」というのは「自分の中に伝えたいことがそんなにない」時に生まれやすく、反対に「伝えたいことがたくさんある」場合は削っていく作業なので、自然と説明を省いていくので過多にはなりにくいということです。 例)陽を留む金木犀のしたの夜 山田とも恵(10月21日句会より) 上記の例句では、「金木犀のしたの夜」が余分で、いらない説明。推敲の余地あり。 次回の兼題は「小春日・大根」です。 いよいよ冬の季語の到来です。寒さに負けず、紅く染まる季節を楽しみたいと思います。(山田とも恵) 特選 鈴虫を貰いし夜の不眠かな 久保田利昭 なにげなくもらった鈴虫だったのに、ただ風流な声を聴こうと思っただけなのに。寝室の窓際に置いた虫籠から澄み切った音色がきこえる。うすい羽をこすり合わせて出しているとは思えない。その声に思わず引き込まれてゆく。思い出さなくてもいいことまで、ついつい糸を手繰るように思い出されてキリがない。なんと、すっかり夜明け近くになってしまった。一匹の鈴虫がもたらした心理のドラマは、人生行路の凝縮そのもののようであった。非常に実感がこもる句で、不眠が感染してしまいそう。 (選句・鑑賞 恩田侑布子)
10月7日 句会報告
10月1回目の句会が行われました。今回の兼題は「蟲」「秋の七草」でした。 秋の七草といえば「女郎花(おみなえし)」「尾花(おばな)」「桔梗(ききょう)」「撫子(なでしこ)」「藤袴(ふじばかま)」「葛(くず)」「萩(はぎ)」です。“といえば”などと知った風ですが、春の七草は言えても秋の七草は言えませんでした。無知というのは恥ずかしいものですが、知識が増えるというのは嬉しいものです。 さて、まずは今回の高得点句から。 虫の音や開いたまゝの方丈記 松井誠司 「無常観を感じる。」 「“開いたまま”というところに、“人の気配があるが不在”という雰囲気が出ていて面白い。」 一方で「無常観を表わすものなら『方丈記』ではない本でも成り立つのでは?」「ツキすぎの感じがする。」 というような意見も出ました。 恩田侑布子は 「句として綺麗だが、“開いたまま”というところに既視感を感じ、雰囲気になってしまっている。いい俳句だけにもったいない。この風景に作者ならではの発見があるはずだから、そこを中七にして推敲てみてはどうか」と鑑賞しました。 続いて、想像力を掻き立てられた話題句です。 虫時雨彼岸此岸の湯あみせし 藤田まゆみ 「秋の夜長にお風呂に入り気持ちよくなって、あの世とこの世を行ったり来たりしているイメージ。」 「仏事のことかと思った。お彼岸にお墓を洗っている?」 という意見が出ました。 恩田侑布子は「“彼岸此岸(ひがんしがん)”という言葉が強すぎて、句が上ずってしまっているように感じた。重い言葉に感動が見合っていない。」 とい感想を述べました。 次回の兼題は「団栗(どんぐり)・~寒」です。秋空を満喫する暇もなく、今年は寒さがやってきそうですね。寒いのは大嫌いですが、寒さの中に俳句の尻尾を探せると思えば外に出ていけるでしょうか?! 正直、団栗を頬張って冬眠の準備に入りたい気持ちでいっぱいです…(山田とも恵)