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11月18日 句会報告

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11月2回目の句会が行われました。今回の兼題は「小春」「大根」。 今年は秋があっという間に過ぎ去り、冬を感じることが多くなりました。寝て起きれば葉っぱの色が変わるこの忙しい景色を、寒さに負けずじっくり楽しみたいものです。 さて、まずは今回の高得点句から。   情念衰へ小春の為体(ていたらく)            伊藤重之    「欲望渦巻く世界に嫌気がさし、穏やかに生活している。でもそんなんでいいのか!?と嘆く日もあるよね」 「“情念衰へ”なんて言いながら、決して達観してるわけでなく、現世に未練がありそうなところが良い」 「自嘲気味に言っているが、それを楽しんでもいる句だ」 という意見が出ました。  恩田侑布子からは「破調のように見せて、十七音になっているところが面白い。吐き捨てるような調べが内容と合っている。でも、情念は歳とともに衰えるものでしょうか?」と参加者に問いかけがありました。 「歳とともに衰えるものだ」と言う参加者が多いようでしたが、 「ある情念は鋭くなる」という意見もありました。 恩田は草間時彦の≪色欲もいまは大切柚子の花≫という句を挙げ、正反対の位置から同じ状況を詠んでいる、と続けました。  情念が衰えている人は俳句なんか作れないはずだ!とこっそり思う、情念まみれの筆者でありました。  さて、続いて話題句です。   にぎやかや大根形体品評会            久保田利昭 「楽しい句。お化けカボチャのように、変な格好をした大根のコンテストがあったんだろうか?」 「“大根”という季語が持つ、どこかおどけた面白さが出ている」 「調べ、歯切れがよく、内容と合っている」 というような意見が出ました。 恩田侑布子は「日常の何気ない会話から面白い言葉を発見することがあるので、アンテナを張っておくと自分では思いつかない句が生まれることがありますよ」と、作者の着眼点に拍手していました。  次回の兼題は「冬の月・綿虫・湯冷め」です。11月に東京に雪が積もったのは史上初だそうです。駆け足の速い今年の冬と並走するためにも、風邪などひいてられません!(山田とも恵)

11月4日 句会報告と特選句

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秋晴の静岡市。折しも「大道芸ワールドカップ in 静岡 2016」が開催され、駿府城公園や繁華街など30か所以上でアーティストの妙技が披露されていました。 兼題は「団栗」と秋の季語の「・・寒」です。 高点句や話題句などを紹介していきましょう。 朝寒や佐渡への距離問ふ海の宿             松井誠司 恩田侑布子原石賞。 合評では、 「孤独な旅人の感じが出ている。しかし、”朝寒”が合わないのではないか。”朝寒し”のほうがいいと思う。」 「”朝寒”でいいだろう。朝起きたときに宿の人に問うたのである。」 恩田侑布子は、 「”朝寒”が効いていると思う。新潟平野、それも晩秋の海辺の光景が浮かぶ。中八の字余りを整理したい。 また、”海の宿”は説明過多で句が小さくなってしまった。」 と講評し、つぎのように添削しました。  朝寒や佐渡への距離を訊ける宿       団栗や三つ拾へば母の佇つ             伊藤重之 恩田侑布子入選。 恩田侑布子は、 「団栗を母と拾った遠い日が眼前に蘇る。調べもいい。 だが、”三つ”というのは寺山修司の句に「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」もあり、やや作為が感じられる。作為を消すにはどうしたらいいか、が課題。」 と講評しました。 合評のあと、「秋の寒ささまざま-体性感覚の季語」と題して、14の句を例に、恩田侑布子からレクチャーがありました。 参加者の共感を呼んだ句は、 ひややかに人住める地の起伏あり  飯田蛇笏 野ざらしを心に風のしむ身かな   芭蕉 などでした。 恩田侑布子は、 身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む   蕪村 について、高校時代にこの句から衝撃を受けた体験を語り、 「ここには詩的真実がある。自我の表現は近代以降だと言われているが、ヨーロッパの象徴派の詩人の感覚と比べても遜色がない。」 と評価しました。 [後記] 今回も盛り上がった句会でした。家族へのそれぞれの思いを託した句が多かったように思います。 蕪村を語った恩田侑布子ですが、その第四句集『夢洗ひ』にあるいくつかの句も、フランスの象徴派の詩と相通ずるものがあるのではないかと感じました。 次回の兼題は「水鳥(鴨、白鳥などでもよい)」「冬夕焼」です。(山本正幸) 特選    秋冷やライト鋭き対向車               久保田利昭  慣れっこになっている日常のひとこまを掬い取った良さ。 一義的には、対向車の白いヘッドライトに秋冷を感じた。何とも言えぬ突き刺さるものを感じたのである。二義的には、体性感覚を超えて、現代の文明を逆照射している。百年前まではあり得なかったこと。鋼鉄の車体に閉塞して、人 々 が冷たく擦れ違う現代をあぶり出している。一見すると目新しくはないが、揺るぎなく、切れ味鋭い手堅い句である。「秋冷」が動かない。「ライト鋭き」で、透き通るヘッドライトの無機質感が伝わってくる。 幼いころ祖父母の家に行くと、板壁に赤い提灯が畳んで架けられていた。油紙の手ざわりがやさしくて外して遊んだものだ。川端茅舎の句に「露散るや提灯の字のこんばんは」がある。提灯をかざして声を掛け合ってゆき合った夕闇からまだ百年も経っていないのに、なんと遠くに来てしまったことか。             (選評 恩田侑布子)