平成30年7月1日 樸句会報【第52号】 例年より早い梅雨明け後の、七月第1回の句会です。 入選2句、原石賞3句、シルシ1句、・7句という結果でした。 兼題は「夏の燈」と「葛切または葛桜」です。 入選句と原石句から1句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇夏ともし母が箪笥を閉める音 芹沢雄太郎 合評では、 「涼しさと静けさのなかの音と。静かで寂しい感じでもあり、静かで平穏な幸せを感じでもある」 「涼しい感じ、夏痩せした母だろうか、ちょっとさみしげな句」 「老いた母の立てる音、さみしい感じが表されている」 というような老いた母をイメージさせるという評がある一方、 「あまり寂しい感じはしない。リズム感のある句で日常のいろいろな場面が想像できる」 との感想もありました。 恩田侑布子は、 「老いた母とは思いませんでした。子どものころ、夏蒲団の上でうとうとしていると、几帳面な母がたたんだ衣服を箪笥にしまう音がするといった光景でしょう。夏灯の持っている庶民的な生活のふくよかさと同時に昭和の簡素な暮らしの匂いも感じる。読み下すと響きも良い。夏灯に涼しい透明感があります。箪笥を閉める静かな音に一句が収斂していくところがいい。つつましくも清潔なくらし。ほのぼのとした句ですね」 と講評しました。 〇岬まで歩いてみよか夏灯 天野智美 合評では、 「“夏灯”と上五・中七が合っている、風を感じられる句」 「涼風!が吹いている」との感想がありました。 恩田侑布子は、 「小さな岬に行く道の途中に夏灯がポツンポツンとある情景が浮かび、涼しさが伝わってくる。西伊豆に多い30分で行って戻れるような岬でしょうか?単純化された良さがあり、また軽快な口語がシンプルな内容とあっている。夏灯の季語が生き生きと感じられる愛すべき句」 と講評しました。 【原】梅雨の月太り肉な背白濁湯 藤田まゆみ 恩田侑布子は、 「よくある温泉俳句だが、平凡を免れている。五・七・五がすべて名詞で、そこから今にも降り出しそうなふくらんだ月、白濁した露天の湯、脂ののった女体、という存在感が迫る厚みのある描写である。中七の“な”が口語っぽいのが問題。“太り肉な背”→“せな太り肉(じし)”にしましょう。 〈 梅雨の月せな太り肉白濁湯 〉となり、これなら文句なく◯入選句でした」 と講評しました。 投句の合評と講評のあと、本年2月10日90歳で逝去された石牟礼道子の句集『天』の俳句を鑑賞しました。 当日のレジュメです。クリックすると拡大します。 ↓ 椿落ちて狂女が作る泥仏 わが酔えば花のようなる雪月夜 常世なる海の平(たいら)の石一つ などが連衆の共感を呼びました。 「子規以降、近代以降の俳句とは違うところから書かれている。“写生”という姿勢から出発していない俳句。専門俳人の高度な技術とは違う次元、別の土俵から立ち上がっている句である。子規の写生がすべてではない。“俳句という文芸の広さゆたかさ”を意識していたい」 と恩田が話しました。 〔後記〕 俳句初心者には、鑑賞、合評でかわされる感想がとても興味深いです。入選句の母の年齢をどうイメージするかのそれぞれのとらえ方の違いを楽しみました。 次回兼題は「山開き」「夏越」です。 (猪狩みき)
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6月22日 句会報告
平成30年6月22日 樸句会報【第51号】 六月第2回の句会です。句会場に近い駿府城公園内に「劇団唐組」の紅テントが設置されました。本日と明日の夜、『吸血姫』の公演が行われます。 入選2句、△2句、シルシ7句という結果でした。兼題は「立葵」と「蝸牛」です。 〇 入選句を紹介します。 〇大御所の天晴聞こゆ立葵 海野二美 この句を採ったのは恩田侑布子のみ。 合評では、 「大御所(家康)と葵(徳川家の紋章)はいかにも近くないですか?」 との意見も。 恩田侑布子は、 「“聞こゆ”で切れています。駿府城公園に家康像が建っていますが、訪れた人でないと分からないかもしれません。また、徳川家の葵は京都の葵祭の双葉葵と同系の“三つ葉葵”で“立葵”とは種類が違うので、徳川の紋章と近いとの指摘は当たりません。 “あっぱれ! でかした!”と臣下を褒めたたえている大御所家康が、少しも公家風でなく、三河の田舎臭さをとどめているところが、立葵の季語の本意に合っています。“天晴”が、褒めことばであるとともに、梅雨晴れ間の真っ青な空も連想させて勢いがあります。視点が斬新。手垢のついていない俳句です」 と講評しました。 〇雲に名を附けて遊ぶ子たちあふひ 伊藤重之 合評では、 「広い空間の感じられる句。立葵が咲いていて、空を見上げると雲があって、それに動物などの名前をつけて遊んでいる子供たちの声が聞こえてくるようです」 との共感の声。 恩田侑布子は、 「ほのぼのとした句。作者も子どもの視点になって、立葵越しに空を見上げているのがいいです。画面構成が生き生きとしています。子どものエネルギーと躍動感が感じられ、立葵がみずみずしく鮮明に見えてきます」 と講評しました。 ===== 金曜日の句会の定番となった、芭蕉の『野ざらし紀行』講義の三回目です。恩田の詳しい講義がありました。 今日は富士川を出て、小夜の中山まで。何とこの紀行文で静岡(府中)は残念ながらスルーされています。 「唯是天にして、汝の性のつたなきをなけ」は 富士川の辺で捨子を見ての言葉ですね。『莊子』を踏まえているという国文学者の見解がありますが、もんだいの大きなところで注意を要します。『莊子』内篇「大宗師」に「死生は命なり。其の夜旦の常有るは、天なり」が出てきて、それは「道」を意味します。ですが「性」は大宗師篇のある内篇では一度も出て来ません。外篇の「駢拇」になって、初めて出てくる語なのです。そこでは、生まれつきやもってうまれた本性を意味し、芭蕉のここでいう「運命」とは微妙なずれがあります。つまり『莊子』の説く「性」よりも矮小化した宋学的な使われ方であることに注意すべきです。 道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれ鳧(けり) この句についてはいろいろな解があります。①白楽天からとった、槿花一日の栄を詠んだもの、②出る杭は打たれる式の理屈。現在は③嘱目というのが定説です。素直な眼前の写生ですね。古典にがんじがらめになるのではなく、ただ馬がぱくっと食べたととりたい。蕉風を樹立した直後の41歳の芭蕉が、「白氏」の古典を踏まえつつも風狂の世界へ踏み出しています。後年の軽みへ至る原点ともいえる句です。白い木槿だととても美しいですね。初秋の清らかな感じがします。手垢のついていない俳諧自由を打ち開いた一句といえるでしょう。 馬に寢て殘夢月(つき)遠しちやのけぶり 夜明けに宿を発ったので、馬上でうつらうつらと夢の行方を追っている。麓ではお茶を煮ている煙(ちやのけぶり)が立ち上っています。「小夜の中山」という地名はまさに「夜中」をさしているわけですから、暁闇の取り合わせで、ここに俳味、おどけがあります。 地の文は巻頭から引き続き中国古典を下敷きにした格調の高い文ですね。これから『野ざらし紀行』には、『奥の細道』に匹敵する名句が出て来ます。 一歩もとどまらず、死の日まで脱皮していく芭蕉。密度の濃い脱皮に感嘆します。 [後記] 句会の翌日、冒頭でもふれた唐組の『吸血姫』公演を観ました。筆者がこの奇想天外な前衛劇をはじめて観たのは1971年6月。京都・出町柳三角州でした(当時は“状況劇場”)。懐かしい紅テント内の桟敷は200人の観客で身動きもできないほど。劇の舞台は、江ノ島の愛染病院です。公演会場から濠を挟んで向かいにある市立静岡病院に入る救急車の音が聞こえてきたりして臨場感が高まります。47年前の感動が蘇りました。恩田侑布子を俳句同人誌「豈」に誘った攝津幸彦さんも、きっとこのような演劇空間に惹かれていただろうと、49歳で夭折された<前衛>俳人にしばし想いを馳せました。(攝津さんについては恩田がその評論集『余白の祭』で一章を割いて論じています。) 次回兼題は「夏の燈」と「葛切または葛桜」です。(山本正幸)
山梨の丸石信仰
2017年6月4日の日曜日、独りで車に乗り、桃畑とさくらんぼ畑が広がる甲府盆地を走っていた。 中沢新一さんと小澤實さんの共著『俳句の海に潜る』(※1)で二人が訪れていた、甲州の丸石をこの目で確かめてみたかったからである。同著によると丸石とは道祖神のひとつで、峠や辻、村境などの道端にあって悪霊や疫病などが外から入るのを防ぐ役目を果たしており、甲州に広く分布しているのだそうだ。 その特徴は何といっても石の丸い形にあり、ある美術評論家は「ブランクーシを超えてる」とまで言ったという。 丸石は単独で祀られていたり、複数個が無作為に並べられていたり、基壇の有無や形状も様々である。 また歴史は古く、縄文時代から存在している可能性があり、石の形状は自然に生まれたのか、人工的なものなのか諸説あるという。 現存する丸石を示す地図等がない為、私はカーナビから、直観的に古い道や川、町の境界と思われる所にあたりをつけ車を走らせてみた。 たった2時間の間に6カ所の丸石に出会うことが出来た。 訪ねたのが晴れた夏の午後だった為か、影が真下に落ちた丸石は、眩しさと不思議な静けさを身に纏っていた。 私は丸石に手を触れ、耳を当て、一礼してからスケッチブックにフロッタージュ(※2)を行い、太古の人と風景に思いを巡らせてみた。 すると、この丸石に屋根を架けてあげたいという思いが私の中で沸き起こってきた。 あるいは、かつてここには実際に屋根が架かっていたが、時の流れの中で屋根が風化し、石だけが残ったのではないだろうかと思えてきたのである。 もしそうだとしたら、そこには道行く人が立ち寄り、憩い、祈る場所になっていたのではないか。 中沢新一さんは俳句について「作られた時代は新しいにもかかわらず、本質が古代的」(『俳句の海に潜る』より)と語っている。 自然に対して素直に向き合えば、現代においても、ふさわしい場所へ、ふさわしい石を配置し、新しさと古さとが共存する屋根を架けることが出来るのだと、丸石が語っているような気がした。 (文・芹沢雄太郎) 日盛や擦り出したる石の肌 雄太郎 (※1)中沢新一 小澤實『俳句の海に潜る』 (2016年12月 KADOKAWA刊) (※2)フロッタージュ: <摩擦の意>石・木片・織目の粗い布などに紙を当てて木炭・鉛筆などでこすることで絵画的効果を得る方法。(出典:広辞苑)
恩田侑布子詞花集 冬のうた
ひたちなか市の登坂雅志様からご寄稿いただきましたので掲載させていただきます。登坂様、ありがとうございます。 空谷に何を燃やしぬ火焚鳥 恩田侑布子 冬のうた 空谷に何を燃やしぬ火焚鳥 登坂雅志 晩秋から冬にかけて、北関東の平野部にある田園と疎林の間を時々歩いている。家から近いこともあるし、陽あたりもよいからである。時折、カチッ カチッと火打石を打つような音がし、小鳥が枝木を撥ねるようにして伝っている。黒い翼に白斑があり、腹部が黄褐色の「じょうびたき」だ。師走も暮れに近づくころになると、わが家の小さな庭にも、カチカチと火の用心ならぬ火焚きの音が時たま訪れてくる。 空谷に何を燃やしぬ火焚鳥 恩田 侑布子 恩田氏は1956年生まれの、第一線で活躍されている俳人である。恩田氏の句集『夢洗ひ』所収の掲句は秋の句なのだろうが、句柄の大きいこの句をわたしは秋から冬への拡がりの中に置いてみたい。作者は<火焚鳥>(何と美しい漢字!)に<空谷>という語を組み合わせたことで大きな景を得ることになった。渓谷には人気もなく、寂れた景色が広がっている。<空谷>という字面や「か」行の音(く・う・こ・く)がいかにも乾き、茫漠とし、からんとした印象を与える。標高千メートル以上の信州の渓流沿いを四季を通じわたしは歩くことがあるが、晩秋から初冬の荒涼とした渓も好きである。<空谷>とは言い得て妙な言葉だ。 <火焚鳥>の燃やした火は、巡る命を言祝(ことほ)いでいたのか、冬枯れた谷に創造の火種を播いていたのか、あるいは宇宙の運行の脈動なのだろうか。はたまた掲句は静と動、終わりと始まり、物質と精神、死と生、無と有、の循環しているひとつの世界を表しているのであろうか。 わたしは句作もしておらず、俳句の知識も乏しいのだが、掲出句などをみて、字数の多い詩や短歌よりも五・七・五という制約を受けることによって、俳句というのはかえって大きな器となり得るのだなと思う。そして、哲学者のハイデガーの好きな句という芭蕉の<よくみれば薺(なずな)花さく垣ねかな>のような微細な句も詠みこめる。 晩秋から初冬へ向かって、もうひとつの「火焚」が始まる。薪ストーブに火を焚きつけ、揺らぐ炎をみつめ、爆ぜる音に耳翼を傾ける季節である。冬から春先にかけて集めておいた白樺や岳樺の樹皮を取り出し、白樺の赤紫の小枝を拾い、骨のような榾木を日に晒す作業もたまには一興である。両樺の木皮は蝋分に富んでおり、よく燃えるのだ。恩田氏の同じ句集に <春浅く白樺の皮火口(ほくち)とす>という句がある。 そして、足を少し不自由にしているが、少年のようになって焚火にはげむ八十歳のKさんと、またザックを背負い、信州か会津の森へ行きたいものだ。焚火に顔を火照らせながら、互いのとりとめのない話しにケミストリー(chemistry-化学反応)が起きれば楽しいし、沈黙と闇と焔からは原初の匂いが立ってくるかもしれない。
恩田侑布子詞花集 白シャツ
長城に白シャツを上げ授乳せり 恩田侑布子 長城に白シャツを上げ授乳せり (『夢洗ひ』所収、2016年8月出版) 一読、万里の長城の壁にもたれ、大胆にも白シャツを上げて赤子に授乳している逞しい母親の姿が目に浮かぶ。私は観光客を相手に土産を売っている地元の女であると想像した。まだ若く、乳がすぐに張ってしまうのかもしれない。暑さと疲れに、少しでも風を感じたくて登ってきたのだろう。この母親にとって万里の長城は歴史的建造物でもユネスコ世界遺産でもなく、単に生活の糧を得て子を育てるための場でしかないのだ。そのしたたかさこそが女であると思えば、人前での授乳など恥じるべきことではない。母親と赤子が一体となって生きることに没頭する姿は崇高ですらある。非常にリアルで写実的でありながら、どこかなつかしい。はるか昔から中国に限らず女性たちが累累と命を繋いできた歴史、強さを感じさせる雄大でエネルギーに満ち溢れた句である。 掲句は句集『夢洗ひ』の中の一句。言葉のその奥にあるものを掴み取ろうとする気迫に圧倒される。 (鑑賞・黒澤麻生子) 黒澤麻生子さん(「未来図」、「秋麗」同人。第一句集『金魚玉』で第41回俳人協会新人賞を受賞)が俳誌「小熊座」(2018年7月号)に「感銘句」として書かれたものを許可の上、転載させていただきました。記してお礼申し上げます。 「掲句を授かった日。万里の長城にて2012年 恩田侑布子」
シンポジウム クローデル『百扇帖』をめぐって(下)
「今に生きる前衛としての古典― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」 ・日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演 ・会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール ・コーディネーター 芳賀徹 ・パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子 川面忠男様のご寄稿の(下)を掲載します。 シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (4) 日常の風景と深読みの詩句 恩田侑布子さん、夏石番矢さんに続き金子美都子さん(聖心女子大名誉教授)がパネラーとなり「クローデルは物真似をしなかった。そこがいいところだ」と話し出した。「生命力が豊か」と感じさせる詩がクローデルの特徴という。金子さんは欧州の短詩を研究してきた学者だ。 金子さんは『百扇帖』をめくっていると、ふと金魚と猫を題材にした以下の詩句が目に入ったという。仏文学者の山内義雄先生の訳だ。 鉢のそばにうづくまった猫どの 薄目をあけて日(のたま)はく「私は金魚がきらひです」 金子さん(写真)は「一風変わった詩篇だが、日常的でわかりやすい光景を詠んでいる」と言ったうえフランス語で読み、以下のように解説した。 「夏の昼間、金魚鉢の中で金魚が泳いでいる。傍らでうずくまった猫が薄目で見るともなく『金魚など嫌い』と言っているようだ。しかし、実は幼い頃よく目にした光景だ。クローデルは『百扇帖』に生き物を詠んだこんなコミカルな鑑賞もあるということを示したかったのだ。 フランス近代詩で猫を謳ったのはボードレール。猫に託した恋人の詩などがある。クローデルの詩とは違う。ボードレールの詩では猫と詩人の関係が猫は恋人、女性への微妙な愛情のシンボルになっている。 クローデルの詩の中では人と猫とが接近している。クローデルが俳句を理解しようと思っていたことの表れだ。日本の俳句は発生の根底に諧謔がある。万葉集や古今集は身体表現の豊かな、また滑稽な動作を詠んだ笑いの歌が認められ、そこには動植物を擬人化した動作が詠み込まれている。 クローデルは、明治後半に東大法学部の外国人教師として教えていたミシェル・ルボンの日本文学詩歌集を参照している。その中に芭蕉の〈麦飯にやつるる恋か猫の妻〉という句が載っている。それについてルボンが麦飯は白米より栄養が少ないとか、猫の恋は俳諧として好まれた題材であると注を付けている。古典詩歌の気品や威厳に全く反するものではないとも。クローデルは動物も人間と同列に扱われる題材だと思ったのではないか。」 次に金子さんは同じようにクローデルが身近なことを詠んだ句として「紙鳶」を紹介した。芳賀徹さん訳だ。 小柄なお母さん 小走りで 凧を舞いあがらせる いや、それは子ども 母さんの背で口を ぽ かんとあけて 凧あげしてる 金子さんは「微笑ましい短抄。〈ぽ〉で切るのはクローデルの手法であって『意味の出血』と言っている」と述べた。「意味があふれて出てしまう」のだ。 続いて金子さんは「影月」と「陰墨」というクローデルの二つの詩句をフランス語と日本訳で紹介した。どちらも有名だという。 まず山内義雄先生訳の「影月」。 今宵床上にあって 手 壁面にものの影をゑがく 月出でぬ また「陰墨」(栗村道夫訳)も似たような秋の詩句だ。 月のわれに与ふる此の陰 此の世のものならぬ 墨の如し これらの詩句について以下のように解説した。 「秋のひんやりした空気、十五夜を過ぎた月が上っている。〈名月や畳の上に松の影〉という其角の句があるが、影をつくっているのは〈手〉、そこで切っている。クローデルが得意な表現だ。手から出た息吹がとどける無言の言葉を君も心の耳に受けよ、という文言があるが、手から自分の持っている思想、考えが最終的には手という身体から相手の心に伝わるという大事なものになるわけだ。それを出せる空間を十分にとっている。 壁の上に陰をつくる手は、存在するすべてが至るところで自分がそれなしには存在しえなかったものを指示している。そこで月が隠れた意味を示している。陰は月が与えた墨にもなっている。ここで見えない世界というか、現実の世界にないものを表している。」 クローデルも実と虚の間を行き来する詩人だと思う。 (川面忠男 2018・6・28) シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (5) 芭蕉を超える?句もあり 恩田侑布子さん、夏石番矢さん、金子美都子さんという3人のパネラーの発言の後、司会の芳賀徹さん自身がパネラーになってポール・クローデルの詩を鑑賞、解説した。それらの詩句は「日本――神話的ヴィジョン」、「牡丹と月――自然のエロス」、「魂のうるほひ」と芳賀さんの言葉で分類している。 まず「神話的ヴィジョンの句」。 日本 長き琴のごと 出づる日の一指のもとに いまをののく まずこの詩句について芳賀さん(写真)は「クローデルは日本史を知っている。古代の神話にも興味を持っている。太平洋のいちばん東に上ったばかりの朝日、その光を浴びて日本列島は琴のように張っている。クローデルが作り上げた神話的日本のヴィジョンだ」とコメントした。 続いて以下の詩句。 夜明け 男体(なんたい)は白根に放つ 大いなる金の矢 芳賀さんは「男体山の山頂の日の光がさらに下にある白根山に。これもダイナミックな日本神話の世界。クローデルの中には神話的ヴィジョンがあり、それが百扇帖の骨格をなしている」と言った。 また同じような詩句の紹介。 緑の森の 動かぬ闇のなかから 緋いろのどよめき 芳賀さんはこう解説した。 「男体山の上から山麓の緑の広がりを見ると、その一個所に朝日が当たり明るくなっている。芭蕉の〈あらたふと青葉若葉の日の光〉を受けているが、芭蕉よりいいかもしれない。神話的ヴィジョンを凝縮し自分の詩として俳句の中に詠んだ。」 次は「牡丹と月――自然のエロスの詩句」。 白牡丹の 芯にあるのは 色ならぬ 色の思ひ出 香りならぬ 香りの思ひ出 さらにもう1篇。 牡丹 思ひに先立って わがうちに萌(きざ)す この紅(くれなゐ) 芳賀さんは「〈白牡丹といふといへども紅ほのか〉、という高浜虚子の句よりはいい。牡丹が好きな蕪村は〈牡丹切て気のおとろひし夕かな〉と牡丹と一体になっている素晴らしい句を作ったが、これに匹敵する」と評した。 そして「魂のうるほひ」の句。「何と言っても『百扇帖』の中で最もいいのは」と以下の詩句に言及した。「山内先生の訳もいい」と訳は山内義雄先生のものだ。 水の上(へ)に 水のひびき 葉のうへに さらに葉のかげ 「これは百扇帖の最高峰。これには芭蕉も及ばないのではないか。〈水のひびき〉と〈葉のかげ〉だけで成り立っている詩。ひっそりとしてまさに幽玄の世界。これ以上ない静寂、水の響きがあるからいっそう静寂が深まる。 芭蕉の〈閑さや岩にしみいる入る蝉の声〉も蝉の声があるから閑さが増すが、具象的過ぎる。クローデルの詩は音や色のない世界に入っている。 葉は竹の葉、かすかに揺れている。水は京都の寺の庭の池の隅でちょろっ、と落ちている。葉のかげは太陽ではなく月の陰だろう。フランス人の詩がここまで行ったのは驚嘆すべきだと思う。」 芳賀さんが言うようにクローデルの詩が芭蕉よりいいかどうかはわからないが、日本の美の真髄をつかんでいたことは確かだと感じた。 (川面忠男 2018・6・29) シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (6) 「余白」に気づいた西洋人 シンポジウムの司会者、芳賀徹さんは恩田侑布子さん、夏石番矢さん、金子美都子さんの3人のパネラーに追加の発言を求めた。それぞれの発言について芳賀さんはコメントしたが、ここではパネラーの発言のみ以下の通り要約する。 まず恩田さんは「ポール・クローデルは西洋人として初めて東洋の余白ということに気づいて実験した詩人だった」と以下の通り述べた。 「ジャポニスム(日本趣味)の影響を受けたのは二十歳の頃だ。ジャポニスムの影響を受けた画家としてモネがいる。移ろう光と雲と水の色、ジャポニスムを自家薬籠中のものにしたと言ってみることができると思う。しかし、描きつくしたいという西洋的感性による巨大な絵が自分の胸の中でどんどん縮んでいく。一方、雪舟の『秋冬山水図』は、見ている時よりも離れている時に絵がどんどん大きくなる。なぜかと言えば、余白があるからだ。 モネは余白を理解できなかった。ロートレック、ゴッホもジャポニスムは取り入れていたが、余白については理解していなかった。小石を一つ投げてそこに広がりができるようなものが余白だ。目に見えるすべてを表現することではなく、写実主義ではなく、余分なものは省いて、肝心なものだけを描く。写実主義では本当の美の秘密は描けない。 クローデルは省略して凝縮することに気がついた初めての人ではないかと思う。まさに俳句の精神、深いもの、無への接近ができた。クローデルの脳裏には北斎があった。『百扇帖はクローデルが描いた北斎漫画』ではなかったか、と言いたい。」 続いて司会の芳賀さんに声をかけられて金子さんが以下の通り発言した。 「〈水の上に 水のひびき〉の句のように日本人が感じることができるような詩句をつくることがクローデルの素晴らしいところだが、クローデルの全体を見ると、日本にだけ入り込もうとはしていない。 筆を使っているのは大きい。中国や日本にいたことから全てが始まっているように思える。墨を使うと自分が書きながら画家と同じようになる。作者であるだけでなく作品の鑑賞者、批評家にもなれる。墨を使って書いたことが実験的であり、前衛的なことであった。 クローデルは1980年代以降、日本の詩とか東洋の詩を考えている。その余白は前衛的なことであった。 シュールレアリスト(超現実主義者)のアンドレ・ブルドンが初期の作品の『黒い森』という詩篇に何秒かの空白を入れた。その何秒かの空白が信じがたいほどの効果を出した。語と言うものの周りに置かれた空白のゆえに、またその後に書かなかった他の無数の語と接触するゆえに、とシュールレアリスム宣言に書いている。書かれること書かれないこと、無言の言葉、短縮ということがフランスでは前衛的なことと思う。 その余白の使い方はクローデルとは全然違う。クローデルの場合は象徴詩であると思う。ブルトンの場合は象徴であったならばシュールレアリズムにならないわけだ。その余白のくくり方が違う。クローデルは(〈かあさんの背で口を〉の後、空白をつくり〈ぽ〉と置き、改行して〈かんとあけて〉と続く、といった)『意味の出血』もだいぶ前から『百扇帖』に練り込んでいる。 句読点の廃止は、アポリネールが1913年の作品「アルコール」で初めて試みた。その中でマリーランサー(画家)との恋で有名なミラボー橋を詠んでいるが、そこで初めて句読点を廃止した。句読点は『百扇帖』にも全く入っていない。」 夏石さんが司会の芳賀さんに発言を促がされ、以下の通り述べた。 「(クローデルは)リズムも、書き方も、まっさらなところから書いている。パターンから書かない。日本に迫るとき、詩的な部分とナイーブな感性がうまくからまっている。 日本の中でいろんなものに着目するが、最後は水滴に集約していく。水、太陽、植物とかなりテーマがあるが、水滴に集約していくところがおもしろい。 山頭火も最終的には水を様々な角度から詠んでいる。クローデルも(山頭火と)接触はなかったが、日本は水というものに注目せざるを得ない環境にある。」 再び金子さんが発言、クローデルの『日本文学散歩』(芳賀訳)の以下の文言を紹介した。 「いいハイカイというものは、本質的に、一つの中心となる映像と、その映像 が心の中によびおこす反響、つまりはっきりと言いあらわされたものであれ、言外のものであれ、その映像をとりかこんで生じる一種の霊的精神的な暈(かさ)とからなっている、といえましょう。」 そして金子さんは「クローデルは大胆にいろいろなことをやろうする意思が強 くて、自分が吐く息のリズムに合うような詩づくりを貫き通していた。文体を省略し、自分の詩を作っていた。」とも述べた。 最後に芳賀さんが「クローデルは、もののあわれがわかっており、これからも日本人が読んで面白がり、さらに解釈してゆきたい詩人だ」と締めくくった。 (川面忠男 2018・6・30)
シンポジウム クローデル 『百扇帖』をめぐって(上)
「今に生きる前衛としての古典― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」 ・日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演 ・会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール ・コーディネーター 芳賀徹 ・パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子 このシンポジウムを聴講された川面忠男様からご寄稿いただきましたので、(上)(下)二回に分けて掲載させていただきます。川面様、ありがとうございます。 シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (1) 息がとどける無言の言葉 横浜の神奈川近代文学館で「ポール・クローデル展」が開催されているが、6月17日午後1時半から4時まで記念イベントの一つとしてシンポジウムが行われた。「今に生きる前衛としての古典――詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」というのが演題である。 シンポジウムでは左から司会の比較文学者の芳賀徹・東大名誉教授、3人のパネラーが俳人の恩田侑布子さん、同じく夏石番矢さん、聖心女子大名誉教授の金子美都子さんという順で着席した(写真)。 最初に芳賀さんがクローデルという人物についてあらまし以下のように語った。 クローデル(1868~1955)はフランスの駐日大使だったが、外交官としてだけでなく劇作家、詩人としても優れていた。日本の文化をフランスに伝えた最も重要な人である。昭和2年(1927)に大正天皇の大喪儀に参列後、離日し駐米大使になった。 シンポジウムではフランス文学の側からではなくて日本側からクローデルの俳句集『百扇帖』を見た。1942年、フランスのガリマール書店から初版本が出た時に序文の中に「日本の俳句に倣って俳句というミツバチの中に私がそっと捧げた贈り物である」と書いている。芳賀さんは、これが俳句と言えるかどうかと述べ、クローデルと親しかった山内義雄(フランス文学者)は短唱と言っていると紹介した。そのうえで「短歌とか俳句と決めつけることはない。最も鋭く強く深い詩魂を押し込めたのが『百扇帖』」と言う。 『百扇帖』はフランス側から研究されていないという。日本の詩がフランスの近代詩にどういう影響を与えたのか。そういう評価は未だ何もない。日本の俳人もフランス語を読める人が少ない。シンポジウムで「百扇帖」がどういうものか明らかにしていく意味は大きいと芳賀さんは述べた。恩田さんはフランス語が読める。夏石さん、金子さんはフランス文学の先生だ。 序文の一部に次の件がある。「扇子というあの翼、すぐにも風のそよぎをひろげるあの翼の上だ。君のこころの耳に、手から出た息がとどけるこの無言の言葉を、どうか迎え入れてくれたまえ」。これを紹介して芳賀さんは「いい言葉ですねえ」、「こういう言葉を言える人は他にいない」と述べた。 続いて3人のパネラーが『百扇帖』について鑑賞した。 (川面忠男 2018・6・25) シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (2) 雪になる雨金になる泥ありぬ ポール・クローデルの『百扇帖』にある172篇のうちシンポジウムのパネラーが3篇を選んだうえフランス語で読み、自分なりに鑑賞した。最初が恩田侑布子さん(写真)、静岡市の樸俳句会の代表者、昨年は現代俳句協会賞、今年は桂信子賞を受賞した俳人だ。恩田さんは自分が訳した詩を紹介、解説した。以下、要約しよう。 172篇を読むと短詩、短歌、俳句に分かれたという。172編がすべてエロス的言葉であって散文とは全く違うという印象、翻訳もエロス的体験だった。 最初は巻頭の詩。クローデルが31歳で出会った運命の女性、ロザリーとの愛の詩だ。息吹の交歓を感じてしまったと言い、このように訳した。 あたしのいいひと 薔薇 薔薇って ささやく人よ でも もしも ほんとの名前 知られたら あたし たちまちしぼんじやう 「薔薇」には「ローザ」とルビが振られている。司会の芳賀徹さんが「上手い」と言った。 続いて恩田さんは短歌に訳した五行詩を紹介した。 長谷寺の白き牡丹の奥処なる朱鷺いろを恋ひ地の涯来る 〈奥処〉には「おくが」とルビ。 こう解説した。「わたしはとうとうやってきたという感慨を込めている。それは日本という海の中の島国を暗示しているようだ。主題の白牡丹の芯にひそんでいる薄桃色が造形的にも5行の詩句の真ん中に置かれている。あたかも牡丹の花びらを分けるように置かれている。」 三つめの訳の紹介は〈雪になる雨金になる泥ありぬ〉と俳句になった。そして以下のように解説した。 「省略のきいた単純化された対句構造の詩だ。最初は〈雨しづしづと雪になり 泥しづしづと雪になる〉と直訳体を考えた。しかし、エロス的体験からすると落ち着かない。詩の凝縮度の高いのは俳句だと直感した。そこで〈雪になる雨金になる泥ありぬ〉と訳した。雨が雪になるのは当り前だが、泥が金になるのは当り前ではない。 詩人クローデルは詩人としての大きな翼があって飛躍がある。泉のように湧くイメージがある。日本人が泥で思い出すのは田の泥土だが、クローデルは大使として赴任した中国で大河の泥を見ている。私たちの息吹は泥から芽生え、やがて泥に帰る命の循環の泥でもある。」 さらに恩田さんの解説は中学の教科書で見たという俵屋宗達の絵に飛んだ。 「『伊勢物語』の芥川の場面を描いた絵では、在原業平とみられる男が高貴な女性を盗み得て芥川の畔に出る。女が草の露を目にして「あれは何か」と訊ねる。やがて、その女が鬼に食われてしまう、という話になり、〈白玉か何ぞと人の問ひしとき露とこたへて消えなましものを〉という歌になる。俵屋宗達はそんな恋を金泥の絵の中に閉じ込めたわけだ。金泥はエロチック、この世との境目にあるようなものと思う。金になる泥の雨という発見は、クローデルが日本文化、東洋の文化に対して深い体験をし、自家薬籠中のものにした。知識ではなくて、自分が東洋人になって読まれた句と思った。 中東は砂の文明、西洋は石の文明、東洋は泥の文明という言葉もある。この句は、ポール・クローデルが肺腑の底から捧げた日本と東洋のオマージュ(賛辞)と言えるのではないだろうか。」 シンポジウムでは言及されなかったが、恩田さんの『百扇帖』の訳が他にも資料に載っている。俳句となったものを列挙してみよう。 ふかむらさき金の鈴より幽(かそ)かなり 詩よ薫れ灰と烟のそのはざま 秋麗に生(あ)れし漆の眸かな 無何有(むかいう)のさとの風汲む扇かな 無始なるへ身を投げつづけ瀧の音 万物や瞑(めつむ)りてきく瀧の音 みづの上(へ)に水のはしれり若楓 さよなら日本 すやり霞の金砂子 (川面忠男 2018・6・26) シンポジウム「クローデルの『百扇帖』をめぐって」 (3) 日本への肉薄と東西の対比 ポール・クローデルの『百扇帖』をめぐり俳人、恩田侑布子さんに続いて俳人でフランス文学者の夏石番矢さんが発言した。流暢なフランス語でクローデルの詩を読み自分の言葉で訳し解説した。「テーマの切り口はいろいろだが、一つは牡丹と薔薇を読みながら東洋と西洋の違い、それを短い詩の中に詰めている。クローデルが自分を縛り付けているカトリシズム、あるいは日本の白、これは神道につながってゆく」。これがイントロダクションだった。 夏石さんはシンポジウムに間に合わせて京都の職人に扇を作ってもらい、扇に墨で二文字の詩の題、クローデルの詩、その日本語訳を書いた。夏石さんが好きな2篇を『百扇帖』と同じように仕立てたのだ。 その一篇は「紅白」で夏石さんは扇(写真)を手にしながら話を続けた。日本語訳は〈牡丹 血が赤いように 白い〉。これは俳句と思ったようで以下のように説明した。 「文語訳にすれば詩になるという錯覚があるが、それはちょっと違うと思う。それまでの日本の詩歌の日本語に比べれば現代語は成熟していないが、古い綺麗な言葉をつかっていればいいという問題ではない。」 夏石さんの詩の解釈は以下の通り深い。 「牡丹を見ながら薔薇が出てきたり、薔薇を見ながら牡丹を見ていたりという入れ子状になっている、長谷寺の牡丹は必ずしも白ではないようだが、白い牡丹を見た時には死、つまりキリスト教の磔刑、キリストが流した血をイメージする。あるいは最後の晩餐のイエス・キリストが赤葡萄酒を自分の血だと思って教えを憶えているようにと弟子たちに。血が赤いように牡丹が白いという。白さの凝縮と赤さの凝縮がここで出てきて東西の世界観、宗教観と言うものが短い詩に単純だが、さりげなく書かれている。 続いて「日本人が見慣れているものが小さな詩になっている」として「米㷔」という題の詩を挙げた。夏石さんの言葉をそのまま記そう。 「お米のところがおもしろい。たくあんと梅干が出て、それを綺麗な短詩にしている。米㷔〈この黄色く白い花 火と 光の 混合 のようだ〉。ありふれたことを簡単なフランス語に。稲の花の小さい雄蕊が出てきて、黄色い籾の部分があって、火と光の混合のようになっている。(クローデルは)稲妻と稲が結合することを知っているのかも知れないと言う気がした。単純な中に純粋な感受性が出ている。」 扇に仕立てた二篇目は「日蛇」という題で〈湖の一方より 朝日 もう一方に 七つ頭の 蛇到来〉という詩句。こう解説した。 「不思議な神話的な光景だ。東から朝日、もう一方は西になる。日本の朝日と西洋の人はとらえている。〈七つの頭の〉の解釈が難しいが、どうとるかは読者次第だ。 対極的なイメージとしてもおもしろい。ヨハネの黙示録(12章3節)はドラゴンだが、最後にラッパが鳴って七つ頭の蛇が出てくる。東アジアには龍とか八岐大蛇がいて、水の神様だ。両方に解釈できる。 不思議な曼陀羅、宇宙観、世界観を示す短詩としておもしろい。直感と知性で日本の本質、(ひいては)俳句に肉薄している。」 同時にクローデルはカトリックに縛られていると言い「葡萄」と題した詩句を紹介した。〈神曰く 私を締め付けうるのは 藤ではない 葡萄の木と 葡萄の実だ〉。日本の藤や花を見ていて葡萄の木と葡萄の実を題材にしたのは、キリスト教カトリックに意識が縛り付けられていると自覚しているからである。 ここで司会の芳賀徹さん(東大名誉教授)がこんなコメントをした。 「芭蕉に〈草臥(くた)びれて宿借るころや藤の花〉という素晴らしい句がある。芭蕉が一日歩いてきて藤の花を見てホッとする。その気分が藤の花に象徴されている。疲労感とそれを和らげるのが薄紫の藤の花である。クローデルはゆらゆらと揺れている。」 恩田さんも「たゆたいの感情」と補足、芳賀さんが「藤は疲れと安らぎの象徴」と言ったことで藤と葡萄を通じて東と西の違いが感じられた。 夏石さんは「謎の俳句です」と言って〈太陽の巫女 天秤の 皿の上に 座っている〉という詩句も最後にコメントした。 「不思議なイメージ。天秤ですからバランスをとる。片一方の皿に太陽の巫女が座り、もう一方に何かがあるが、書いてない。たぶん月の女神ではないかと言う気がした。」 これについて芳賀さんが「月と太陽は陳腐。クローデルが座っているのか、地球ではが大きすぎる」と評した。恩田さんも「今生きている私たち、天照と私たち」と言ってシンポジウムらしくなった。 夏石さんは言及しなかったが、資料に〈私は来た 世界の果てから 長谷寺の 白牡丹の奥に 隠れている薔薇色のものを 知るために〉という訳の詩句がある。これは恩田さんが〈長谷寺の白き牡丹の奥処(おくが)なる朱鷺色を恋ひ地の涯来る〉と短歌に訳したものだ。受け止め方は趣味の問題だが、私には短歌の響きが心地いい。 (川面忠男 2018・6・27)
ポール・クローデル『百扇帖』恩田侑布子訳 33作品抄出
「ポール・クローデル展記念シンポジウム」(2018年6月17日(日)神奈川近代文学館)で配布された恩田侑布子訳・ポール・クローデル『百扇帖』のレジュメを掲載いたします。 『百扇帖』百七十二篇の完訳をしてみました。その中から三十三篇をご紹介いたします。 翻訳はクローデルの原詩の熱く大きな息とうねりに身を任せるエロス的な体験でした。願ったのは、意味の直訳ではなく、日本語の詩歌として自立できるものであり、日本の風土と文化の伝統に根の生えた表現です。果たしてそれがどこまで達成できているでしょうか。お読みいただくお一人お一人の御胸に、ひとつでもぽおっと灯ることができれば嬉しく存じます。 恩田侑布子 ↓ クリックすると拡大します 「今に生きる前衛としての古典―― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」 日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演 会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール コーディネーター 芳賀徹 シンポジスト 夏石番矢 恩田侑布子 金子美都子