平成30年6月3日 樸句会報【第50号】 六月第1回の句会です。 特選1句、入選2句、原石賞1句、シルシ5句、・6句という結果でした。 兼題は「梅雨入り」と「ほととぎす」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎廃炉遠し野の白昼に蛇つるむ 山本正幸 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ) 〇梅雨めくや父の書棚に父を知る 石原あゆみ 合評では、 「父との会話はあまりないのだろう。言葉のやりとりはないけれど、父の本棚を見て父が分かったような気がした。“梅雨めく”がいいと思います」 「本棚を見ればその人となりが分かると言う。お父様がご存命かどうかは別として、ここには父の一面を知った発見があります」 「もういない父なのかもしれない。“こんな人だったんだ”という驚きがある」 「きっと俗世間では派手ではなく、出世や金儲けとは縁遠かった父。その父の深さを感じている」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「男の孤独まで感じさせるいい句だと思います。ついぞ父の本心を聞いていなかったなあ、あんなことも聞いてみたかった、という余韻が響きます。作者の中で父が大きな存在感を持っていることもわかります。書棚に梅雨どきの湿りや黴臭さ、そして過ぎ去った父の日々まで感じられる。季語の付け味がとてもいいです」 と講評しました。 〇梅雨ごもり使徒行伝にルビあまた 山本正幸 合評では、 「キリスト教の使徒行伝ですね。“梅雨ごもり”がなんとなく意味深」 「ルビとか注釈が多いんですね」 「“梅雨”は日本的なこと。“キリスト教”は西洋のこと。その対比が面白い」 などの感想。 恩田侑布子は、 「季語が面白い働きをしています。“梅雨”という日本の湿潤な風土の中、異国の聖書を読んでいる。使徒行伝は新約聖書の一部で、イエスが亡くなった後、弟子たちによって書かれたものですね。荘重な文語訳にびっしり振られたルビが目に見えるよう。異民族が西洋のものを読んでいる。“梅雨ごもり” がそれを際立たせている。理解したいけれど今ひとつしっくりこないというもどかしさが体感的に伝わってきます。本日紹介するクローデルもカトリックの信仰を持っていた人です。姉のカミーユ・クローデルの影響で少年時代から日本への強い憧れを持ち、50代になった大正10年から昭和2年まで駐日大使を務めました」 と講評しました。 投句の合評と講評のあと、ポール・クローデルの『百扇帖』を恩田侑布子が俳句と短歌の形に訳出したレジュメが副教材として配布されました。 ↑ クリックすると拡大します 連衆の点を集めた俳句と短歌は次のとおりです。 みづの上(へ)に水のはしれり若楓 秋麗に生(あ)れし漆の眸かな 無始なるへ身を投げつづけ瀧の音 万物や瞑りてきく瀧の音 長谷寺の白き牡丹の奥処(おくが)なる 朱鷺いろを恋ひ地の涯来たる 神鏡はおのが深みに璞(あらたま)の 水の一顆をあらはにしたり 日仏交流一六〇周年記念事業の一環として、神奈川近代文学館で開催された「ポール・クローデル展記念シンポジウム」に恩田侑布子がパネリストとして登壇しました。 「今に生きる前衛としての古典―― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」 日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演 会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール コーディネーター 芳賀徹 パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子 ※ シンポジウムの詳細はこちら [後記] 句会報が50号に達しました。 これまでの句会報を遡り、連衆それぞれの句と鑑賞を味わう事が、筆者の密かな楽しみとなっています。 自身の句作も句会報のように、日々継続することが大切であると、歳時記を捲りながら想う筆者であります。 次回兼題は「立葵」と「蝸牛」です。 (芹沢雄太郎) 特選 廃炉遠し野の白昼に蛇つるむ 山本正幸 福島第一原発の廃炉は万人に願われているものの道のりは遠い。メルトダウンした燃料デブリを取り出すことさえできないのだから。富岡町から飯館村まで「うつくしま」とも呼ばれた自然と調和した町 々は帰還困難区域となって7年が経った。今や、2階家まで青葛が茂り、スーパーや団地の駐車場のコンクリートの割れ目から青野が広がっている。「廃炉遠し」という字余りの上句の切れが遣る瀬ない。が、一転して、燦 々たる陽光の中で二匹の蛇が絡み合っている。人間の招いた放射線量など知らぬ。超然と、雌雄が命を交歓している。その白昼の讃歌は逆に、わたしたち人間の所業を炙り出してやまない。蝶などの昆虫や蜥蜴などの小動物の交尾だったらこの力強さは出なかった。蛇は、インドのナーガや中国の女媧や日本のしめ縄など世界中で太古から、いのちと豊穣のシンボルである。そのいのちの脈 々たるエネルギッシュな連鎖と見えない廃炉とが対比され、一種悪魔的な絵をみる思いがする。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
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2018年6月17日(日) 「ポール・クローデル展記念シンポジウム」に恩田侑布子登壇 (神奈川近代文学館)
日仏交流一六〇周年記念事業の一環として、神奈川近代文学館で開催される「ポール・クローデル展記念シンポジウム」に樸代表の恩田侑布子がパネリストとして登壇します。 一俳人として、いままでの山内義雄訳とは全く違うポール・クローデルを求め、『百扇帖』の日本語訳に取り組んでみました。それはクローデルの熱く大きな息とうねりに身を任せることでした。シンポジウムでは、拙訳の俳句・短歌・短詩のお披露目をしつつお話しさせていただきます。どうぞお誘い合わせて、港の見える丘公園のご散策がてらお立ち寄りいただければ光栄に存じます。 恩田侑布子 「今に生きる前衛としての古典―― 詩人大使クローデルの句集『百扇帖』をめぐって」 ・日 時 2018年6月17日(日)13時30分開演 (開場13時) ・会 場 神奈川近代文学館 展示館2階ホール(定員220名) ・コーディネーター 芳賀徹 ・パネリスト 夏石番矢・恩田侑布子・金子美都子 ・聴講料 無料 ※ ポール・クローデル展記念シンポジウムの詳細はこちら 【神奈川県立神奈川近代文学館】 〒231-0862 横浜市中区山手町110 TEL : 045-622-6666 FAX : 045-623-4841 みなとみらい線 元町・中華街駅下車 徒歩10分 JR京浜東北線(根岸線)石川町駅下車 徒歩20分
5月18日 句会報告
平成30年5月18日 樸句会報【第49号】 五月第2回の句会です。真夏日近い気温で、自転車で参加する会員は汗だくの様子。 入選2句、△3句、シルシ3句、・4句という結果でした。 兼題は「新緑」と「短夜」です。 入選句と△のうち1句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇新緑をみつむる瞳みつめけり 芹沢雄太郎 合評では、 「かわいいなと思った。少女の詠う句として受け止めた」 「こういう句は本能的にいただいてしまいます。青春の恋の真只中の句」 「新緑をきれいだなと見つめるような男に今まで会ったことがありません!(笑)」 「新緑の映っているその瞳を見ている。十代の瞳でしょう」 「田中英光の小説『オリンポスの果実』を思いました」 「吾子俳句ではないですか?身内のことを詠んだ」 などの感想・意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「清新な句です。黒い瞳に若葉がひかりとともに映っている情景は、相手が少女だろうが少年だろうが、あるいは赤ん坊だろうが、心惹かれるものがあります。ただ、“見る”という漢字が二回出てくるのがしつこくうるさいです」として、じつは原句が「見つめる瞳見つめけり」だったのを、上記のように直して入選句にしたのでした。 作者はお子さんが生まれたばかりの芹沢さん。赤ちゃんの瞳に新緑が映っているのを詠まれたのね、と納得し、「あらき」の仲間に新しい命が生まれたことを祝福し喜んだ連衆でした。 〇熱く読む兜太句集や明易し 山本正幸 合評では、 「“熱く”に共感した。俳句に通じている作者という感じがします」 「亡くなったばかりの金子兜太さんの句集を時間を忘れて読んだということ。句作に手馴れている」 という共感の声の一方で、 「訴えてくるものあまりない。今までもこういう感じの句はあったじゃないですか?」 「句だけみたときなぜ“金子兜太”なのか、よく分からない」 「“明易し”と“句集”の取り合わせはよくある。切り口が古臭い」 などの意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「“兜太句集”が動かない。南方戦線のトラック島で現場指揮を執った人。戦争末期で、餓死者が八割にのぼったという。すさまじい体験をしてきた。“私は聖人君子ではない”と自分でもおっしゃっています。金子兜太の句集に名句は少なく退屈なところがあるが、その本質は“熱さ”です。中村草田男も熱いが兜太の熱さとは違う。草田男にあるのは、炎天下のきらめき。中七を“草田男句集”とすると平凡になってしまいます。兜太は98歳まで枯淡とは無縁で、ふてぶてしく生き抜いた男。だが、やっぱり亡くなってしまった。“明易し”という感慨がある。それは平凡な人の死に覚える無常感よりも独特の濃厚さをもつのだろう」 と講評しました。 △万緑や我が笑へば母も笑ふ 天野智美 恩田侑布子は、 「実感があります。万緑の季語は、草田男の“吾子の歯”の赤ん坊のイメージが鮮烈ですが、ここでは我と老母の取り合わせがユニークです。素朴な親子の情愛が大自然に祝福されているよう。無心な笑顔に元気だった昔の母がよみがえるのですね」 と講評しました。 今年度からはじまった金曜日の「芭蕉の紀行文を読む」講義。『野ざらし紀行』を詳細に読み解いていきます。今日は富士川の辺まで。 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき この後につづく文章には『荘子』内篇と『論語』学而篇の引用がみられる。 また、芭蕉はすこぶる美しい富士を詠んでいない。富士の見えない日こそよいのだと。これは、吉田兼好の『徒然草』の「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」の美意識に通ずる。兼好も伝統的な美意識を転換させた。 猿をきく人すて子にあきのかぜいかに 芭蕉は捨子に対して、「露ばかりの命まつ間と捨置けむ」と、食べ物だけ与えてそのまま行ってしまう。死ぬことは必定。今の現代人の感覚とは違っているのである。 また、「猿をきく人」とは「哀猿断腸」の中国の旅愁を表現した詩書画のパターン。このようないわゆる風流からの脱却を指向した。ここにも古典文学に対する芭蕉の新し味への志向があらわれている。 [後記] 「野ざらし紀行」の二回目。冒頭をじっくり読みました。遅々とした歩みですが、そのゆっくりさには快感があります。 次回兼題は「ほととぎす」「梅雨入り」「走り梅雨」です。(山本正幸)
5月6日 句会報告
平成30年5月6日 樸句会報【第48号】 五月第1回の句会です。ゴールデンウイーク最終日とあって静岡市中心部にある駿府城公園にはどっと人出。今夜、公園内の特設会場で催される「ふじのくにせかい演劇祭2018『マハーバーラタ』」公演に参加される句会員もいるようです。 入選1句、原石賞3句、シルシ5句、・4句という結果でした。 兼題は「薄暑」「夏の飲料(ビール、ソーダ水等)」「香水」。 入選句及び原石賞の句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇サイダーの泡 生(あ)れやまず逢ひたかり 山本正幸 合評では、 「サイダーはまさに初夏。甘かったり、ちょっと酸っぱかったり。泡を見ているうちに恋人に逢いたい気持ちが募ってきたのでしょう」 「泡がどんどん生まれてくる動きの中に作者の気持ちが表現された。こちらも気持ちよく読めました」 「逢いたい気持ちがふつふつと湧いてくる。せつないですね」 「いいとは思うが、イマイチ強さが足りない。作ったような感じ」 「共感しませんでした。逢いたければ私はどんどん自分から行きます!」 などの感想・意見が述べられました。 恩田侑布子は、 「サイダーをグラスに注いだ瞬間、透明な泡が無数に涌き上がってくる。ああ、逢いたいなという瞬時に涌き上がった切なさがいいです。学生時代の恋人でしょうか。なつかしさと一緒になった切ない思慕。中七の切れ“泡生れやまず”がうまいですね」 と講評しました。 【原】香水に閉じこめし街よみがえり 天野智美 合評では、 「匂いというのは忘れ難い。もう戻れない街だけれど・・」 「街がよみがえるって、記憶がよみがえるということですか?」 「匂いの記憶は言葉以上のものがありますね」 という感想や質問。 恩田は、 「“閉じこめし街”が分かりにくい。散文的な書き方です。しかし、内容は面白い。気持ちに共感できます」 と述べ、次のように添削しました。 香水や封じたる街よみがえり または 香水に封じし街のよみがえる 「“閉じこめ”よりも“封じ”のほうが気持ちに近くないですか?」 と問いかけました。 投句の合評と講評のあと、注目の句集として、上野ちづこ処女復帰句集『 黄金郷(エルドラド)』(1990年10月深夜叢書社刊)が紹介されました。 “上野ちづこ”は社会学者で東大名誉教授の上野千鶴子さん(1948年生まれ)です。 合評では、 「地下にうごめくマグマのような人ではないか」 「私には難しすぎます」 「自己満足的で一般市民に届いていないのでは?」 「ひどい破調をこれだけ堂々と詠めるのはすごい」 「70年代だからこういう感覚なのだろう。少女っぽいところもある」 「難解句といいながらも、意外と分かります」 「“虫ピン”の句はマルセル・デュシャンをみるようです」 「俳句というよりも“短詩”ではないでしょうか」 などの感想が述べられました。 恩田は次のように解説しました。 「無季で自由律の句をこれだけ書ける人はめったにいません。俳句文芸の無限の可能性を感じてほしい。水準はとても高く、哲学と詩に隣接しています。異界を覗くような句、じつに抒情的な句、消費社会の飽くなき欲望を詠んだ句、哲学的に深く宇宙的なものに届く句があります。当時もしこの人の才能を見出す名伯楽がいたなら、上野千鶴子さんは俳人としても大成したのではないでしょうか。俳句史における一大損失といえるかもしれません。皆さんも従来の自分に凝り固まらずに、各々の表現方法を追求してほしいと思います」 連衆の点を集めた句は以下のとおりです。 わたしというミスキャスト 幕が降りるまで 虫ピンで止める時間の 標本箱(コレクション) 充溢する闇を彫っても彫っても 弱い人よ この蕩遥のバスに乗るな ※ 上野ちづこ『黄金郷(エルドラド)』についての恩田のレジュメはこちら [後記] 兼題によって投句内容の浮沈があるのでしょうか。今回はやや低調。「香水」には苦労したという声が多くきかれました。 上野さんの句については、1970~80年代の空気や、時代を牽引した思想家・文学者・芸術家などを背景に読むと実に興味深いものがあります。 次回兼題は「短夜」と「新緑」です。(山本正幸)
4月20日 句会報告と特選句
平成30年4月20日 樸句会報【第47号】 四月第2回の句会です。 特選1句、入選1句、原石賞3句、シルシ7句、 ・1句という結果でした。 兼題は「藤」と「“水”を入れた一句」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎茎太き菜の花二本死者二万 松井誠司 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ) 〇妻の知らぬ恋長藤のけぶりたる 山本正幸 合評では、 「こういうの、許せません!」 「結婚前の昔の話じゃないんですか?」 「“恋”と“藤”はよく合いますね」 「昔の恋なら情緒があるし、今の恋とするなら危険な香りがある」 「“長藤のけぶりたる”が上手だと思う」 「上五の字余りが気になる」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「字余りでリズムがもたつきます。このままでは入選句ではありません。“妻知らぬ恋”で十分です。“長藤がけぶる”のだから淡い初恋や十代の恋ではないでしょう。ちょっと危険な恋。成就した恋かどうかは知りませんが、秘めやかな心情の交歓があるのでは。満たされなかった思い。今もまだ心に揺らめくものが“けぶりたる”という連体止めにあらわれて効果的です」 と講評しました。 今日はほかにも原石賞が三句も出て、恩田の添削で見違える佳句になりました。原石は詩の核心を持っていることを再認識しました。 今年度から金曜日の「樸俳句会」では、句会に併せて芭蕉の紀行文に取り組むことになりました。これは古今東西のあらゆる芸術文化から俳句の滋養を取り入れようという恩田の一貫した姿勢のあらわれでもあります。そこで、芭蕉の最初の紀行『野ざらし紀行』から始め、数年計画で『おくのほそ道』に到ろうという息の長い講読が幕を開けました。冒頭部が取り上げられ、恩田から詳細な解説がありました。 『野ざらし紀行』の巻頭は、『荘子』「逍遥遊篇」や広聞和尚など、古典からの“引用のアラベスク”ともいえるもので、文が入れ子構造になっている。芭蕉は変革者であり、それまでの和歌のレールの上で作ったわけではないが、漢文と日本古典の伝統を十二分に背負っている。「むかしの人の杖にすがりて」、このタームが重要。近代の個人の旅ではない。いにしえ人と一緒に旅立つのである。 野ざらしを心に風のしむ身かな 「身にしむ」は、いまの『歳時記』では皮膚感覚に迫る即物的な秋の冷たさが主であるが、古典では、心理の深みを背負った言葉です、と恩田は述べました。 芭蕉は、古典と現代との結節点になった人なのだということで、古典の具体例として藤原定家の二首が紹介されました。 白妙の袖のわかれに露おちて 身にしむ色の秋風ぞ吹く 移香の身にしむばかりちぎるとて あふぎの風のゆくへ尋ねむ この二首は歌人の塚本邦雄も賞賛しています。(塚本邦雄『定家百首』) [後記] 今回の恩田による『野ざらし紀行』の講義は、大学~大学院レベルだったのではと思います。芭蕉の紀行文をじっくりと読み解くことが初めての筆者としてはこれから楽しみです。 句会の後調べましたら、定家の歌は、和泉式部の<秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ>を意識しているはず、と塚本邦雄は書いています。「身にしむ」という季語のなかに詩のこころが脈々と息づいているのを感ずることができます。 次回兼題は「薄暑」「夏の飲料(ビール、ソーダ水等)」「香水」です。(山本正幸) 特選 茎太き菜の花二本死者二万 松井誠司 「茎太き菜の花」で、真っ先に菜の花のはつらつとした緑と黄色のビビッドな映像が立ち現れます。それが、座五で一挙に「死者二万」と衝撃をもって暗転します。東日本大震で亡くなった人の数です。俳句の数詞は使い方が難しい。ややもすると恣意的に流れやすいです。でも、この句の二本と二万には必然性があります。眼前のあどけない菜の花二本は、大切なかけがえのない父と母であり、二人の子どもであり、親友でもあるかもしれない。たしかにこの世に生きたその人にとって大好きな二人です。その二人の奥に、数としてカウントされてしまう二万の失われたいのちが重なってきます。二つの畳み掛けられた数詞の必然性はどこにあるか。悲しみを引き立たせる戦慄をもつことです。菜の花が無心にひかりを弾いて咲くほど、中断されたひとりひとりのいのちが実感される。「茎太き」が素晴らしい。死者二万を詠んだ震災詠はたくさんありますが、こんなにいのちの実感が吹き込まれた二万はめずらしい。 あとから作者に聞けば、ボランティアとして二度に渡り現地で活動したという。「母の手を引いて逃げる階段の途中で津波に襲われ、すがる母の手を放してしまった、その感触が今も体内に残る」とつぶやいた男性との出会い。そこでもらった菜の花の種が、なぜか今年、自庭にたくましく二本だけが並んで咲いたという。「一句のなかで生き切る」ことができ、普遍に到達した作者の進境に敬意を表したい。 (選句・鑑賞 恩田侑布子)
4月1日 句会報告
平成30年4月1日 樸句会報【第46号】 四月第1回の句会。「静岡まつり」のメイン会場である駿府城公園は桜が満開です。今日は祭の最終日で、恒例の大御所花見行列の大御所に扮したのは歌手の泉谷しげるさん。 今回から三人の女性会員(お二人は市外)を迎え、心弾む新年度のはじまりです。 入選2句、シルシ5句、・5句という結果でした。 兼題は「当季雑詠」と「“音”を入れた一句」です。 入選句のうち一句および話題句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇雨は地に椿落つ音聞きに来し 石原あゆみ 合評では、 「読んではっとさせられた。雨をこういうふうに表現できるんだと」 「雨が上から落ちてくる。椿のボタッと落ちる音を聞きに来たということでしょうか?」 「“音”を聞きに来たのは雨なんですか?」 「切れがないような・・。ズルズルしている感がありますね」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「上五の“雨は地に”のあとにかすかな切れを読み取りたい。雨は地をしめやかに音もなく濡らし静まり返っている。作者はこぬか雨の中、一人傘をさして椿の落ちる音を聞きに来た。すでに落椿は足もとにおびただしく転がっている。黄色の列柱のような蕊に雨粒を溜めて地に落ちたばかりの大きな花弁。花びらの傷みかけたもの。茶色に焦げて地に帰らんとするもの。でも作者は、この樹上の真紅の椿が雨の大地に着地するその瞬間の音が聞きたい。傘のなかで薄い肩をすぼめ、闇を曳いて咲き誇る椿をじっとみている。逝く春の懈怠の情趣が濃く、作者も読者も、紅椿が命を全うするさまを春雨とともにいつまでもみつめて立ち尽くす。 が、こうした鑑賞はやや好意的にすぎるかもしれない。“地に”に小さな切れがあるとは気づかないひとも多いだろう。誰も間違いようのない伝達力のある俳句にするためには、さらに次のような省略が必要だろう。 雨は地に椿の落つる音聞きに こうすると余白がさらに縹渺と広がらないでしょうか」 と講評しました。 ・春昼の岸壁ポルシェから演歌 山本正幸 本日の最高点句でした。 合評では、 「私も“春昼”で作ろうとしたができなかった。“春昼”のけだるさと“岸壁”という緊張感のある場所を一句に取り入れた発想が面白い」 「現代俳句として優れている。まとまっていて魅力的」 「“ポルシェ”と“演歌”の取り合わせがいい。ポルシェって金持ちの息子やヤクザが乗ってるんでしょ?」 「春昼=のどか、岸壁=危険なところという対比の面白さ」 「いや、“ポルシェ”と“演歌”はどうみてもあざといですよ!」 「青空と黄色いポルシェの安っぽさがいいのでは?」 など反応は様々。 恩田侑布子からは、 「うまく作ってある。俳句に上手く仕立てましたという俳句。俗な即きかたで、いかにもという風景。この書き方がすでに流行歌です。緊張感はなく、逆にけだるさや放恣な感じがある。港の持っている卑猥さ、成金趣味の俗悪な光景についての消化度は低い。キッチュでもない。キッチュなら徹底的にキッチュを突き詰めてほしい。樸がこういう方向に行くと、先行きが危ういです!」 と激辛の評がありました。 本日恩田侑布子が副教材として用意したのは、恩田が書いたふたつの新聞記事です。 ① 2018年3月16日(金) 讀賣新聞夕刊 「俳句 五七五 七七 短歌」 3月の題「芽」 ② 2018年3月19日(月) 朝日新聞朝刊 「俳句時評 破格の高校生」 句会では点盛はできたものの、残念ながら合評の時間は取れませんでした。 ① に掲載された句 山かけてたばしる水や花わさび 恩田侑布子 仙薬は梅干一つ芽吹山 恩田侑布子 いつの世かともに流れん春の川 恩田侑布子 天つ日をちりめん皺に春の水 恩田侑布子 遠足の大空に突きあたりけり 恩田侑布子 (花わさびの句が最高点) ② に取り上げられた句 ぼうたんのまはりの闇の湿りたる 渡辺 光(東京・開成高) 母の乳房豊満なりし早苗月 白井千智(金沢錦丘高) 採石場ジュラ紀白亜紀草田男忌 渡邉一輝(愛知・幸田高) 性別を暴く制服百合白し 西村陽菜(山口・徳山高) 性という製造番号七変化 西村陽菜 風鈴やスカートを脱ぎ捨てる部屋 西村陽菜 (風鈴の句が最高点) [後記] 本日、恩田の紹介した高校生の句の新鮮な切り口とその感性には瞠目させられました。 これらの句は『17音の青春 2018 五七五で綴る高校生のメッセージ』(神奈川大学広報委員会 編 KADOKAWA発行)に収められています。 所収の入選作品にはそれぞれ恩田の寸評が付けられており、筆者はこれらの寸評こそこの新書の白眉と思います。かくも深くかつ温かく鑑賞し、句の世界をさらに拡げてくれる恩田の評を読んで作者の高校生たちはどんなに励まされることでしょう。 次回兼題は「藤」と「“水”を入れた春の句」です。(山本正幸)
桂信子賞受賞記念の恩田侑布子さん講演会(下)
桂信子賞受賞記念の恩田侑布子さん講演会(下) 講演 「花と富士 日本の美と時間のパラドクス」 花祭の4月8日に行われた恩田侑布子さんの講演会の演題は「花と富士 日本の美と時間のパラドクス」であった。冒頭に<花に問へ億千本の花に問へ> という黒田杏子さんの句を挙げたが、これは講演会を主催した「藍生俳句会」 の主宰である黒田さんに対する挨拶だけでなく花を題材にして古典から現代の俳句まで千数百年の文芸の流れに関する解説の序章となった。 講演はパワーポイント方式で進んだ。スクリーンに静岡市の風景――安倍川、 市街地、その遥か彼方に富士山。そして恩田さんの解説。レジュメが進むたびにスクリーンに映る景や文言が変る。 Ⅰ 古事記とさくらの精 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が美しい木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやびめ)と結婚したいと言ったところ父の大山津見が姉の石長比売(いはながひめ)も一緒に添わす。石長比売は瓊瓊杵尊の命を永らえることになっていたが、瓊瓊杵尊は石長比売の容貌が醜かったので返してしまう。木花佐久夜毘賣のみを娶ったことから桜の花のようにはかなくなり、以来ミカドの命は短くなった。この古事記の話は桜のはかなさを人の運命と重ね合わせるもの。木花佐久 夜毘賣は富士山のご神体、桜の精になる。 Ⅱ 竹取物語 不死の薬と富士山 かぐや姫は多くの求婚を退けて月に帰るが、ミカドには不死の仙薬を残す。しかし、ミカドはかぐや姫に去られた後では不死の薬は無用と富士山頂で焼かせてしまう。恩田さんは「日本人の美と時間意識の萌芽」と述べた。永遠でないことが美意識に通じるということであろうか。 Ⅲ 伊勢物語 老いと花ふぶき講演 在原業平の<世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし> という歌を挙げ、恩田さんは「心あまりて言いつくせず」であり、それが「余白の芸術になっている」と言う。また<桜花散りかひ曇れ老いらくの来むといふなる道まがふがに>という同じく業平の歌を紹介、「さくらの花は生と死、この世とあの世の境界の花、生と死が一体渾然となる」とし、その境が余白という。 Ⅳ 世阿弥の花と幽玄 世阿弥の「風姿花伝」にある「秘する花を知ること」という文言を紹介した 。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」だが、世阿弥作の「井筒」を例にとった。紀の有常の娘の亡霊が在原寺の業平の墓の前で出会った旅の僧に業平との初恋の物語をする。「業平への妄執」。亡霊が見れば懐かしや、と謡えば、地方がわれながら懐かしや、と続け、亡霊が消えて僧の夢が覚める。恩田さんは複式夢幻能と言い、「ういういしい初恋の物語」が「亡霊が亡霊を慕う深沈たる秋の夜に変容」と解説する。 Ⅴ 芭蕉の桜の句 レジュメに「視覚的な句」として<木のもとに汁も膾も櫻かな>、<より花吹入れてにほの波>という芭蕉の2句。これらは「感覚的に鮮やか」だが、同じくレジュメの<命二つの中に生きたる櫻哉>、<さま〲の事おもひ出す櫻哉 >という芭蕉の句は「特異な時間の句」としている。二つの命は芭蕉と再会した弟子の土芳のこと。「いひおせて何かある」という「芭蕉の詩に対する態度 」が表れた句であり、「俳句の切れと余白がある」と言う。客観写生の句は現実の表層の断片に終わることが少なくない。 Ⅵ 末期の眼に映じるこの世の花 芥川龍之介の遺書「或旧友へ送る手記」に、自然が美しいのは末期の目に映るからである、といった言葉がある。川端康成の随筆「末期の眼」も芥川の末期の眼が「あらゆる芸術の極意」に通じるとする。 Ⅶ 俳句の余白 スクリーンに1999年の「松山宣言」の「俳句は世界の文学である」といった文言が映し出された。俳句は論理ではなく心理、感覚でつかむ。それには季語と切れが働く。恩田さんは「沈黙の価値」とし、それが「余白」と言う。 余白は「豊穣と混沌」に満ちており、それを「東洋の芸術は志向する」のだ。さらに「生の時間と死者の思いを往き来する」のが「俳句の時間」と述べる。異界との接点にあるのも俳句というわけだ。 Ⅷ 近現代の花の俳句 以下は千数百年の時を経た日本の美意識が桜を詠んだ近現代の俳句。 花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 原石鼎(はら・せきてい) さきみちてさくらあおざめゐたるかな 野沢節子 東大寺湯屋の空ゆく落花かな 宇佐美魚目 みちのくの花待つ銀河山河かな 黒田杏子 富士浮かせ草木虫魚初茜 恩田侑布子 吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜 恩田侑布子 Ⅸ 花と富士と俳句と 最後に恩田さんが「余白」についてまとめた。響き合い溶け合う境は「この世とあの世・儚いものと永遠・極小と極大・自己と他者・自己と死者・今と過 去未来・こことあらゆる場所」。双方が「浸透しあい、多義性にゆらぎあう」、それが「余白の芸術」となる。「定型・季語・切れが余白を耕し混沌をふ くよかにする」。そして「自閉しないこと」と述べた。 (2018・4・13 川面忠男)
桂信子賞受賞記念の恩田侑布子さん講演会(上)
恩田侑布子講演会 「花と富士 日本の美と時間のパラドクス」 2018年4月8日(日) 於:文京シビックホール 講演会のご案内はこちら この講演会を聴講された川面忠男様からご寄稿いただきましたので、二回に分けて掲載させていただきます。写真も川面様のご提供です。川面様、講演会の詳細なレポートありがとうございます。厚くお礼申し上げます。 桂信子賞受賞記念の恩田侑布子さん講演会(上) 黒田杏子主宰の「藍生俳句会」が主催 結社「藍生(あおい)俳句会」(黒田杏子主宰)が4月8日午後、東京・文京区の文京シビックセンター3階会議室で俳人・恩田侑布子さんの講演会を催した。「花と富士 日本の美と時間のパラドクス」という演題でパワーポイントによる講演。そのプレリュードとして自作の俳句を朗読した。 恩田さんは、受賞した桂信子賞の授賞式が今年1月末に兵庫県伊丹市の柿衞(かきもり)文庫で行われた後、記念講演を行った。その内容が好評だったことから桂信子賞の選考委員である黒田杏子さんが東京の藍生俳句会の定例会後に再現したものだが、私のように会員以外の一般参加者も入場無料で聴講できた。 優れた女性の俳人を対象にした桂信子賞の受賞者として恩田侑布子さんを推した選考委員は黒田杏子さん、宇田喜代子さん、西村和子さんらだが、黒田さんは講演会の趣旨を説明した冒頭の挨拶で自分が一番強く推薦したと言った。 恩田さんは静岡市の「樸(あらき)俳句会」の代表だが、黒田さんは俳人としての恩田さんを高く評価していると語った。そして講師謝礼は黒田さんの藍生俳句会の指導料を回したとざっくばらんに打ち明けた。つまりポケットマネーを出して恩田さんを講師に招いたわけで黒田さんの恩田さんに対する思い入れが伝わった。 恩田さんは句集「夢洗ひ」で2016年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞、また同じく「夢洗ひ」で2017年度の現代俳句協会賞を受賞している。 恩田さんは文芸評論家でもあり、2013年の芸術評論「余白の祭」が第23回ドゥマゴ文学賞を受賞した。翌年1月パリ日本文化会館で記念講演し、12月に再渡仏し、リヨンやパリで「花の俳句 日本の美と時間のパラドクス」と題して講演した。この内容は柿衞文庫における受賞記念講演、藍生俳句会主催のものと同じであったようだ。 藍生俳句会が主催した講演会の会場はかなり広かったが、満席で立って聴講した人が少なくなかった。私は午後3時の開始直前に会場に入った時、立ったままの聴講を覚悟したが、「一番前が一つ空いています」という案内の声を聞き、「よろしいですか」「どうぞ」と応答のうえ着席した。その結果、最前列で恩田さんの講演を聴講できたのは幸運だった。 (2018・4・12 川面忠男) 前奏の俳句朗読パフォーマンス 2018年花祭と銘打って俳人の恩田侑布子さんの講演会が4月8日に催されたが、恩田さんは前奏として自作の俳句を朗読した。身振り手振りよろしく暗唱したうえフランス語に訳した。これはフランス講演の再現であろう。 恩田さんは第1句集「イワンの馬鹿の恋」、第2句集「振り返る馬」、第3句集「空塵秘抄」、第4句集「夢洗ひ」を世に出しているが、冒頭に<ころがりし桃の中から東歌>を読みあげた(写真)。これは昨年11月の日本近代文学館における俳句朗読会の後、私が求めた「夢洗ひ」の表紙裏に恩田さんのサインをいただいた句。思い出しては句の世界を想像している。 当日は桂信子賞受賞記念講演がメーンであったため四つの句集の朗読は省略されたが、朗読された8句は俳句をフランス語でも表現した。ショパンの「雨だれ」をCDで流す演出だ。昨年11月の朗読をレポートした後、恩田さんから「ショパンの8句は、みんな静岡弁フランス語でした」というメールをいただいたが、むろん冗談であろう。恩田さんは静岡育ち、静岡高校の卒業生だ。 日仏語で朗読した最初の句は<春陰の金閣にある細柱>(夢洗ひ)。春陰という季語は花曇りのような雰囲気が本意だ。金閣寺は美の象徴だが、永遠ではない。戦後に焼かれた。室町幕府の足利義満の別荘が寺になったが、将軍の権力も永遠ではない。「細柱」は不安定な感じがあり、移ろいゆく世の暗喩になっているのではないか。2番目の<吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜>(イワンの馬鹿の恋)も吊り橋の揺れが桜の美の永遠ではないことを表している。 <まどろみにけり薔薇園に鉄の椅子>(夢洗ひ)、<香水をしのびよる死の如くつけ>(同)に続く5番目が<夏野ゆく死者の一人を杖として>(振り返る馬)。その死者は山崎方代という歌人である。恩田さんは方代の<柚子の実がさんらんと地を打って落つただそれだけのことなのよ>という歌に慰められたと著書の「余白の祭」の中で述べている。 6番目の<三つ編みの髪の根つよし原爆忌>(夢洗ひ)は反戦の句。7番目の<分かち合ひしは冬霧の匂ひのみ>(振り返る馬)は男女関係か。最後の<一生(ひとよ)これしだれざくらのそよぎかな>(夢洗ひ)が「花と富士 日本の美と時間のパラドクス」という演題の講演につながる。 (2018・4・12 川面忠男)