2022年5月8日 樸句会報 【第116号】 ゴールデンウィーク後半は好天続き、駿府城公園を彩る木々の目映さに句会への期待がふくらみます。今回の兼題は「初夏」「柏餅」「薔薇」――これらを耀わせるのもまた新緑ですが、風土によって「みどり」のイメージには揺れが生じ得ます。さらに、その時の心持ちにより、感じ方は変わってくるでしょう。まず自らの心に映る色をみつめることが、季節の息吹を捉え、体験や実感を作品として結実させる大切な一歩になると思いました。 入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。 ○入選 睡蓮をよけ水牛の浸かりをり 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 まさに正統的インド詠。睡蓮と水牛が共生している大空と水と大地の匂いがします。日本ではとてもできない句。「をり」の措辞はおうおうにしてたるみをもたらしますが、ここでは水牛の体躯の量感と存在感を表して盤石です。作者自身の野生味も充分に発揮されています。 【合評】 大きな景色。睡蓮をよけるのがまさか「水牛」とは。一気に意識が異国へと飛ばされる。 芹沢さんの句でしょう。私もかつては仕事でインドを旅していました。睡蓮と来れば、北インドのルンビニ辺りを思い出します。 【原】初夏や青菜でくるむ握り飯 都築しづ子 【恩田侑布子評・添削】 塩漬けした青菜を広げてご飯を包む、シンプルな青と白の握り飯と、「初夏」の季語の颯爽とした健康感とが映発します。ただ一つ惜しいのは、「さあ、野山に出かけるぞ」という意気込みが、中七の「で」でくじけ、濁ってしまうことです。この一音を透き通らせましょう。 【改】初夏や青菜にくるむ握り飯 【合評】 いかにも美味しそう。 菜漬け(冬の季語)でくるむ熊野のめはりずしが浮かぶ。また「青菜」を春の季語としてとっている歳時記もあり、人によっては冬や春の句のほうがしっくり来るかもしれない。 今回の例句が恩田によってホワイトボードに記されました。 初夏・初夏(はつなつ) 酔うて候鋲の如くに星座は初夏 楠本憲吉 はつなつの日蓮杉の匂いかな 夏石番矢 薔薇・薔薇(さうび) 風きよし薔薇咲くとよりほぐれそめ 久保田万太郎 星わかし薔薇のつぼみの一つづゝ 久保田万太郎 薄暮、微雨、而(しか)して薔薇(さうび)白きかな 久保田万太郎 まどろみにけり薔薇園に鉄の椅子 恩田侑布子 サンダルの紐喰ひ込んで薔薇の園 恩田侑布子 夜の薔薇指に弾いて帰らんか 恩田侑布子 瞑りても渦なすものを薔薇とよぶ 恩田侑布子 【後記】 句会に参加するうち、選句眼がだんだん磨かれてきたような気がします。とはいえ自分の句となると未だにわかりません。とりあえず気に入りの句を出し、師や句友に披露する喜びに浸っていたのですが、それだけで満足してはいけないという思いはありました。先月、その師匠による評論集『渾沌の恋人(ラマン)』が上梓されたことは僥倖でした。日本人の美意識の淵源を示す芸術作品と共に、究極の俳句が挙げられているから。その中に、芭蕉の次の名句があります。 馬ぼく/\我をゑに見る夏野哉 「夏野」というのも「新緑」と同様、さまざまなイメージで詠まれている季語。これもとびきりユニークな作品といえます。学者の考証によれば、実は画賛の句であったとのこと。しかし、オノマトペに「蹄の音や馬上に揺れる動きを感じさせるリアルな身体感覚の裏打ち」を見出した恩田は、「草いきれの夏野をゆく田夫に自己を投影したところにあたたかな俳味がある」と述べ、先入観なしにこの句への解釈を加えており、共感を覚えました。俳聖は目線を低くしながら、のちの世の私たちに「夏野」の本意を伝えてくれたのですね。これから青々と広がる野に佇むたび、芭蕉翁の姿をさがしてしまう予感がします。 (田村千春) 今回は、入選1句、原石賞1句、△2句、ゝ6句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 5月25日 入選句紹介 ○入選 麻酔からとろり卯の花腐しかな 見原万智子 【恩田侑布子評】 麻酔から醒めて手術室から病室に戻ったところでしょうか。やれやれ無事に終わったなと安堵する一方で、身体にメスが入ったあとの微熱感や気だるさ。昨日も一昨日も降っていた雨が今も音もなく振りこめています。病窓から遠い垣根には白い花が咲いているような、いないような。ぼわわっと雨に煙っています。わけもなく茂りゆく新緑と、病にかかわる人間の時間とが、「とろり」の措辞でごく自然に卯の花につながれます。物憂い時間の谷間に、飛沫を思わせる白く粒立つ花が、雨の銀鈍色と緑の中に浮かび上がり、切字の「かな」をやさしく響かせています。
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4月3日 句会報告
2022年4月3日 樸句会報 【第115号】 三月末、ソメイヨシノが満開になったと静岡地方気象台の発表があり、四月一日から三日間行われる静岡まつりにおいては、大御所花見行列も三年ぶりに復活しました。これは徳川家康が家臣とともに花見を楽しんだ故事にちなみ、装束姿で市民らが市街を練り歩くものです。あいにく本日は荒れた天気となりましたが、句会の始まる頃には風もおさまり、駿府城公園より遠からぬ会場に祭りの賑わいが伝わってきました。 入選3句、原石賞1句を紹介します。 ○入選 おほぞらの隅を借りたる花見かな 古田秀 【恩田侑布子評】 花見に行くと花筵をどこに敷こうか迷います。コロナ前の都会では、夜桜見物も午前中からブルーシートの陣地取りが行われたものでした。この句はそうした常識を一変させます。地面ではなく、「おほぞら」を、しかもその「隅を借りる」というのです。「大空」と漢字にしなかったのも神経細やかです。やわらかな春の空気と水色の空、溶けるような花の枝々が目に浮かびます。ほんのひととき、空と花から安らぎを得て、また花なき空に向かうわたしたち。人間は旅人なんだよと、やさしくささやかれる気がします。 【合評】 私などが花見をする時は、ついつい自分たちのグループが世界の中心にでもいるような気分になりがちなので、作者の謙虚な姿勢には目を開かれました。 視点を空に、というところ、俳味もあり、大きな景が心地好い。 ○入選 花月夜影といふ影めくれさう 田村千春 【恩田侑布子評】 「花月夜」は、五箇の景物にかぞえられる花と月を合わせもつ豪奢な季語です。松本たかしに「チゝポゝと鼓打たうよ花月夜」がありますが、むしろ花月夜の影といって思い出すのは、原石鼎の名句「花影婆娑(ばさ)と踏むべくありぬ岨(そば)の月」でしょう。たぶん作者の想念の中にある本歌もこの「花影婆娑(ばさ)と」ではないでしょうか。そこに加えた「影といふ影めくれさう」という初々しい発見が出色です。石鼎の漢文調の雄渾さに比して、この句は女性的な口調のやさしさを持ち味とし、溶けてなくなりそうな幻想美がモダンです。たかしと石鼎を踏まえながら、新しい春の感触をかもし出すことに成功しています。 【合評】 「めくれさう」という表現の妙。次に桜の花びらが散る姿を見ると、きっとこの句を思い出してしまいそうです。 感性が先行している。「めくれさう」でなく、もっと言い切ってほしい。 ○入選 掌にのる春筍のとどきたる 前島裕子 【恩田侑布子評】 今年は寒さが長引き雨も少なかったため、筍の表年とは名ばかりです。わが茅屋の竹藪もひっそり閑として、歩いてもまだ気配すらありません。店頭には皮付き筍が眼の玉の飛び出る値段で申し訳程度に並んでいます。そんな折しも、親戚あるいは友人から掘り立ての土つき筍が届きました。茹でて皮を剥くと掌に包めるほどの小ささ。姫皮の肌の柔らかさと可憐さに、料峭の竹林を踏みながら探し当ててくれた筍掘りの名人の姿が浮かびます。 【合評】 嬉しいお裾分けですよね、羨ましい。小さいのがまた美味しいのです。まさしく春のよろこび。 手で大切に包み込みたくなる。「ル、ル」の響きも楽しい。温もりの感じられる作品。 【原】春星を食べ尽くさむとやもりかな 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 面白い、そして新しい句です。家の窓に張り付いている蛾を狙っている守宮が、実は満天の春星を食べ尽くそうとしている。これこそ詩の発見です。しかし、守宮は夏の季語で、日本では春には出ないので、実態に合いません。常夏の国、南インド在住の芹沢さんの作品とわかれば、現地の空に見える星の名前にするのも一法でしょう。あるいは夏の守宮に焦点を絞るほうが、句がイキイキしそうです。 【添削例】星くづを食べ尽くさむとやもりかな 今回の兼題、それぞれの名句が、恩田によってホワイトボードに書き出されました。 雲雀・春の星・花 青空の暗きところが雲雀の血 高野ムツオ 火に水をかぶせてふやす春の星 今瀬剛一 咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり 虚子 またせうぞ午後の花降る陣地取 攝津幸彦 このうち最初の作品が連衆の話題に上りました。雲雀は垂直に上がり、急降下する、縦方向の動きが顕著な鳥、見ている側もどちらが天とも地ともつかなくなり、切なさを覚えます。恩田は「繰り広げられる詩的現実の緊密さ、これこそが現代俳句」と評しました。 【後記】 原石賞句はインドに赴任した会員の作品ですが、日本とかけ離れた環境に身を置きながら、「水が合った」というにふさわしく、秀句を立て続けに披露しています。考えてみれば、インド洋上を大移動するアジアモンスーンにより梅雨をもたらされる我が国、彼の国とのつながりは深いのでした。「皆さんの花の句を読み、日本に春が来ていることを実感しています。二年前に日本でコロナ禍のため家に籠っていた頃、飽きるほど眺めていたはずの桜ですが、こうやって離れてみると、すぐに恋しくなってしまうものなんですね。また俳句や季語に親しむことで、日本の季節の移り変わりに敏感となるだけでなく、海外の季節にも敏感になれている気がします。これほど自然に目を向け、身体感覚に訴えかけてくる文芸が他にあるでしょうか」とのコメントに、肯くことしきりです。 (田村千春) 今回は、入選3句、原石賞1句、△5句、ゝ6句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 4月27日 樸俳句会 入選句・原石賞紹介 ○入選 サリーごと子ごと浴びたる春の波 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 匿名の数多い作品の中にこの句があれば、国内でサリーを着たインド人とその子を見て詠んだ句かと思い、意味がよくわかりません。しかし四月からインドに赴任した芹沢さんの作とわかればピンときます。「インド着任」の前書きさえあれば、どこに出しても恥ずかしくない特選句になりました。インドの大地が句に大きな息を吹き込みます。サリーの赤や緑の原色を纏う赤銅色の肌と、その胸に抱かれる幼子がともにベンガル湾の春の波を浴びています。たぶん作者もご家族と一緒でしょう。この「春の波」の季語は、従来日本で詠まれたものと違って、大陸の陽光を宿しています。よろこびと生命力に溢れる力強い俳句です。 【原】もづもづと這ふ虫をりて春落葉 益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 春落葉をよくみています。「もづもづと」のオノマトペが出色です。この句は「もづもづと這ふ虫」と「春落葉」ですでに出来上がっています。「をりて」が言葉数を埋めるつなぎめいていて気になります。 【改】もづもづと腹這ふ虫や春落葉 這う虫も春落葉も、春の地面までやわらかに生動しはじめます。 【原】春暑し彼方(をち)に研屋の拡声器 前島裕子 【恩田侑布子評・添削】 「春暑し」は晩春の季語ですが、地球温暖化のせいでしょうか、近年の日本の春は仲春からこの通り、いきなり夏になるようです。包丁の研屋さんは昔は店を構えていましたが、今は軽自動車からスピーカーを流しっぱなしにして住宅街を回ります。せっかく面白い発見を、無機的な「拡声器」で締めるのは感心しませんし、もったいないです。 【改】春暑し「とぎやァい研屋」近づき来
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3月23日 句会報告
2022年3月23日 樸句会報 【第114号】 今回の兼題は「彼岸」「卒業」「青饅」――まさに彼岸のさなかの句会となりました。春分を迎える頃に冷え込むのが常とはいえ三月中旬の寒さは例年以上に厳しく、北日本は豪雪に覆われました。さらに十六日には福島沖を震源とする烈震が発生し、亡くなられた方もいらっしゃいます。被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。 特選句1句、入選句2句、原石賞3句を紹介します。 ◎ 特選 富士山の臍まで白き彼岸かな 塩谷ひろの 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「彼岸」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 卒業式音痴の友は右隣 島田 淳 【恩田侑布子評】 清新な希望をうたったり、厳かであったりする「卒業」の俳句としてはかなりの異色作です。卒業式で隣にいる親友が、最後の歌声を張り上げます。またしてもいつもの音痴ぶり、自分もついつられそう。オッと、こいつはもう明日からは隣にはいないんだ。そう気付いた時に、おかしさの中に込み上げる、今日を限りに会えなくなる別れの神妙さ。さびしさと笑いがないまぜになった感情の微妙さ。この「音痴の友」の盤石の存在感はどうでしょう。なんとも人間味あふれる俳句です。 【合評】 調子っ外れの歌も、もう聞けなくなると思うと価値を再認識する。誰よりも仲の良い友人なのだろう。 ただ感傷的なだけではない、こんな切り口で卒業をとらえるとは、面白い。 ○入選 ふるさとをとほざける地震雪の果 前島裕子 【恩田侑布子評】 ふるさとの山河を子どものころのように伸びのびと歩き回りたい、老親と春炬燵を囲んでゆっくりくつろぎたい。いつも胸の底にある願いは、またもや東北を襲った震度六強の地震に打ち砕かれました。三・一一以来、岩手に生まれ育った作者の望郷の念は強まるばかりです。座五に置かれた「雪の果」は、暖国に生まれ育った私には想像を絶します。垂れ込める雪空の長い冬が終わったと思いきや、また冴え返りふりしきる雪。春の終わりを告げる「雪の果」のなんと切ないこと。 【原】卒業歌止み数秒のしじま在り 猪狩みき 【恩田侑布子評・添削】 数多い学校行事のなかで、最もゆったりと進行するのが卒業式。全員起立して歌う卒業歌では、いつものお茶目はどこへやら、感極まって泣く子も少なくありません。その荘重な歌が止んだ後の静寂に思いを寄せる句です。惜しむらくは「止み」「在り」で説明臭が出てしまいました。万人の胸に畳まれた卒業式の講堂の空気感は、まさに「しじま」に任せたいものです。 【改】卒業歌止みたる数秒のしじま 【合評】 そういう雰囲気でした。音が止み、間をおいて次の音が、保護者席からパラパラ拍手が起きたりする。見守る側の優しい視線も感じられる。 その一瞬に何を思う。 【原】失敗せむ卒業からの迷ひ道 海野二美 【恩田侑布子評・添削】 原句ではなんのことかわかりませんでした。句会で「小さい時から優等生の子は小さくまとまって口うるさいが、出来の良くなかった子は卒業後面白いように伸びる」という作者の弁を聞き、同じ脱線組の私には腑に落ちるものがありました。一字変え、命令形にすれば、ユニークで裕か、おかしみあふれる人生讃歌になります。 【改】失敗せよ卒業からの迷ひ道 【合評】 現状は学生時代の志や理想とかけ離れているのだから失敗してもかまわないという気づき、積極的に足掻き抜いた果てにあの日の理想に近づけるかもしれないという希望、を感じます。 高校を卒業以降、自分の辿った道には悔いもある。でも「迷ひ道」との言葉に、「あれはあれでよかったのだ」と許された気持ちになった。あたたかく背中を押してくれる作品。 【原】四方山に飛ぶ燕をくぐりけり 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 二〇二二年三月、作者は建築の仕事でインドに着任、南アジア大陸での獲れたて俳句です。作者の弁には「インドで大量の燕が低く乱れ飛ぶ様を見て、世間という意味も含まれる『四方山』という言葉を引っ張ってきましたが、適切なのか不安になっています」と正直に書かれています。実は、単独で掲句に向き合ったときは〈八方へとぶつばくらをくぐりけり〉と日本の河空を高く飛び交う燕の情景に添削してしまいました。しかしインド大陸詠であれば、「大量の燕が低く乱れ飛ぶ」エキゾチックな状況を生かすべきでしょう。 【改】ここかしこ飛ぶ燕をくゞりけり 【後記】 本日は、国会において、ゼレンスキー大統領のオンライン形式での演説が行われました。振り返ると、先月の二十四日からロシアによるウクライナ侵攻が始まり、翌日には北東部でクラスター弾攻撃を受け、幼稚園に避難していた子供が犠牲となっています。その報道に、たしか禁止された武器であるはず、と思い、足元がゆらぐのを覚えました。何が現実で何が虚なのか? かけがえのない命に多くの人が手を差し伸べようとする、身近にある社会もいつまた覆されるか知れないのか? 前回の句会を前に、すっかり子供に関係した句しか詠めなくなってしまいました。そんな自分と引きかえ、他の会員はものを見極める目を捨てず、戦車を題材にした四作品も投句されていたことを、ここに記しておきたいと思います。それを読み、私たちの目、耳、手足、心は、気持ちを文字にする自由を守るためにある――そう気づかされました。 (田村千春) ...
あらき歳時記 彼岸
2月6日 句会報告
2022年2月6日 樸句会報 【第113号】 オミクロン株の急速な感染拡大にともない、2月の樸俳句会は夏雲システムを利用したリモートでの開催となりました。コロナ禍の中、家に籠っていると鬱々としてしまいますが、外に出れば梅が咲き、目白がみどりの礫となって目の前をよぎります。季節は確実に春になっているのに、いまだ人類の精神は真冬のただなかにあるような日々です。 兼題は「氷」「追儺」「室咲」です。 特選句1句、入選句4句、原石賞1句を紹介します。 ◎ 特選 首元の皺震はする追儺かな 芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「追儺」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 雪掻きの苦なきマンション父と母 前島裕子 【恩田侑布子評】 何十年間も冬は雪掻きの労苦と共にあった両親が、今は老いてマンション住まいに。ようやく雪掻きの苦役から解放されました。安堵感とともに、昔の一軒家での家族の暮らしぶりや、雪の朝、若かりし父母が元気に立ち働いていた声など、こもごもが望郷の思いに呼び起されます。北国の暖かなマンションの一室に、皺深くなった父母が夫婦雛のように福々しく鎮座しているのが目に見えるようです。「苦なきマンション」に雪国の実感があふれます。 ○入選 パリパリと氷砕いて最徐行 望月克郎 【恩田侑布子評】 スノータイヤを履いた車が厳冬の朝、凍結した道路や薄く氷の張った山道を進んでゆくところ。中七の「パリパリと氷砕いて」までの歯切れの良さ、フレッシュな若々しさから下五が一転する面白さ。「最徐行」の慎重さが一句に実直な生命感を注入しています。地味な句柄ですが、臨場感いっぱいでユニークな俳句。 ○入選 室の花会へばいつもの口答へ 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評】 温室栽培の「室の花」に暗示されているのは、両親・祖父母に大事にされて大きくなったお嬢さん、お坊ちゃんでしょう。中国の一人っ子政策で長じた青年もこんな感じでしょうか。親元にたまに帰って来れば、すぐさま口答え。一人で大きくなったと勘違いしているようです。てっきり子や孫を詠んだ句と思ったら、なんと作者は三十代の若者。自分を客観視して「室の花」と自嘲しているのでした。そこにこの句のシャープな切れ味があります。 【合評】 ぬくぬくした環境は人の甘えを誘いますね。甘えもあって、つい大切な人に口答えしてしまう光景が思い浮かびました。そのあとに少し後悔してしまうところも。 ○入選 割れ残る氷探しつ通学路 島田 淳 【恩田侑布子評】 暖国の小学生の冬の登校路が活写されました。静岡は氷の張ること自体が珍しいので、子どもたちはもし、氷が通学路に張っていようものなら、われ先に乗ったり、砕いたりして快哉を叫んだものでした。欠片でもいいからと、キョロキョロ氷を探す小学生のまなざしが、中七の「探しつ」に込められ、イキイキした子ども時代の実感があります。 【合評】 小学生の登校時を思い出します。60年近く前は、人が乗っても割れない氷がありました。「割れ残る氷」を探したということは、ずっと後の世代の方なのですね。 水たまりに氷が張っていれば踏んで遊ぶのが小学生というもの。わざわざ「探し」てまで氷を割りたがるのが可愛らしく、面白いです。 【原】打ち砕く氷や告白を終へて 芹沢雄太郎 【恩田侑布子評・添削】 若者ならではのやり場のない思いと力の鬱屈を同時に感じます。「終へて」で終えない方がいいでしょう(笑)。語順を替えて、 【改】告白を終へて氷を打ち砕く こうするとやり場のなさが力強い余韻となって残ります。しかも打ち砕かれた氷の鋭いバラバラの光までもが見えてきそうです。 【後記】 3月9日に本年度の芸術選奨が発表され、堀田季何さんの第四詩歌集『人類の午後』が文部科学大臣新人賞を受賞しました。受賞作の中の一句<戦争と戦争の間の朧かな>は、戦争を人類史に永続するものと捉え、平和はその狭間に仄かに点在するものだという、人類世界の本質を深く抉るような句。ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが連日取りざたされている中、平和を希求する言葉を持ち続けることの大切さを思い知らされます。(古田秀) 今回は、◎特選1句、○入選4句、原石賞1句、△5句、✓シルシ8句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ============================= 2月23日 樸俳句会 兼題は「バレンタインデー」「白魚」「蕗の薹」です。 特選2句、入選2句、原石賞2句を紹介します。 ◎ 特選 からり、さくり、はらり、蕗の薹揚がる 林 彰 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ◎ 特選 蕗の薹姉の天婦羅母の味 金森三夢 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「蕗の薹」をご覧ください。 ↑ クリックしてください ○入選 バレンタイン忘れて過ぎる安けさよ 望月克郎 【恩田侑布子評】 少年時代からバレンタインは、ドキドキしたり、うれしかったり、淋しかったり、めんどうだったり。まあ、今となっては、ドタバタ劇のようなもの。そんなことにはもう煩わされない。「忘れて過ぎる安けさよ」に、いい歳を重ねたものだ、という自足の思いが滲みます。言えそうでいえないセリフは大人の俳味。さらにいえば、文人の余裕が仄見えます。 ○入選 鶏を煮る火加減バレンタインデー 古田秀 【恩田侑布子評】 チョコレートを異性に贈る「バレンタインデー」に、「火加減」を気遣って「鶏を煮」ていることに、まず意外性があります。チョコレートの他に、こってりした骨付き肉のワイン煮やトマトソース煮をいそいそと作って、やがて仲睦まじい晩餐が始まるのでしょう。勤めを終えた恋人が今にもマンションのドアを叩きそう。俳句の重層性を持つ大人の句です。作者はきっと恋愛の達人でしょう。 【原】飯場にて女湯は無し蕗の薹 見原万智子 【恩田侑布子評・添削】 「飯場」は鉱山やダムや橋などの長期工事現場に設けられた合宿所。そうした人里離れた労働現場に咲く蕗の薹の情景には手垢がついていません。しかもそこには「女湯」がない、という内容も、蕗の薹を引き立てて清らかです。素材の選定で群を抜いた句です。惜しいたった一つの弱点は「にて」。のっけから説明臭が出てしまいました。この句の内容である早春の山間の男だけの空間の清しさを出すには、助詞一字変えるだけでOKです。 【改】飯場には女湯は無し蕗の薹 【原】飲むやうに食ふ白魚の一頭身 塩谷ひろの 【恩田侑布子評・添削】 「白魚の一頭身」は素晴らしい発見。そのとおり、白魚の胴体にはくびれも節もありません。「一頭身」によって、言外に黒い二つの眼も印象されます。惜しむらくは、五七六の字余りがリズムをもたつかせて終わることです。ここは定型の調べに乗せて、すっきりとうたい、勢いをつけましょう。喉を通ってゆくのが感じられる特選句になります。 【改】しらうをの一頭身を呑み下す
あらき歳時記 蕗の薹
2022年2月23日 樸句会特選句 からり、さくり、はらり、蕗の薹揚がる 林 彰 蕗の薹の摘みたてを、薄く衣を絡めて、さあっと揚げます。天ぷら油から揚げる菜箸の先の質感を、「からり、さくり、はらり、」と、オノマトペの三連続で表現しました。図らずも「らり、り、らり、る」とR音の軽やかな音律が脚韻効果をあげ、蕗の薹の軽いはかなさ、スプリングエフェメラルのうすみどりを、目の前にありありと映し出します。最後の「はらり」は、よく出ました。熱々をさくっと食めば、ほろ苦い甘みが鼻腔いっぱいに広がりそう。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子) 2022年2月23日 樸句会特選句 蕗の薹姉の天婦羅母の味 金森三夢 たしかな手ごたえを持つ俳句です。余分なことは何もいいません。端的に、「蕗の薹」「姉の天婦羅」「母の味」と、名詞句をぽんぽんぽんと三つ重ねただけ。それが堅実な家族の味わいをかもしています。亡き母の揚げてくれたふきのとうのおいしさが、ありありと読者の胸にも迫ります。そしてその春先の口福を亡き母に代わって、今度はやさしいお姉さんが自分のために揚げてくれます。なんと愛情に満ちた家族でしょう。母と姉と自分のあいだに共有された、なんというあたたかく丁寧に生きられた時間でしょうか。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)