2024年4月21日 樸句会特選句 街棄つるやうに遠足出発す 古田秀 街なかの幼稚園か保育園の年長さん、あるいは小学校低学年の遠足でしょう。さあ、待ちに待った遠足、出発だ!というときめきが溢れます。ところがそれを見ている作者は、まるで街がこのまま子どもたちに棄てられてしまうように感じるのです。意気揚々とした子どもたちと、大人の不穏な感慨の落差の大きさ。海山のへんぴな土地が限界集落と呼ばれ、姨捨山状態になりつつある現代、今度は子どもたちに都市を棄てられたらどうなるのか。大胆な発想ゆえに、読むたびに怖くなる独自性のある俳句です。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
「2024」タグアーカイブ
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「角川俳句年鑑」2024年版、「諸家自選五句・恩田侑布子」を読む
「哀しみ」と「おかしみ」 益田隆久 花の枝の空に乗れよとさ揺らげる 白波のたちまち過去や皐月富士 人はみな逝きつぱなしや梅雨夕焼 燻りし男を連れて大花火 枯蘆にくすぐられゆく齢かな 「哀しみ」の中にも「おかしみ」があり、「おかしみ」の中に「哀しみ」がある。 だから、「救済」がある。「重力」があり、「恩寵」がある。 泣笑ひしてわがピエロ 秋ぢや! 秋ぢや! と歌ふなり ・・・・・ 秋のピエロ 堀口大学 花の枝の空に乗れよとさ揺らげる 「空に乗る」それは救い。 地上は「哀しみ」。空は「おかしみ」の世界。二つがぶつかり昇華されそこに救済がある。 「花の枝の揺らぎ」は、自然が人にささやく「まばたき」。 そして、詩人、俳人とは、「まばたき」を受け取る感性を持つ人のことである。 白波のたちまち過去や皐月富士 時間は救いである。 今は「哀しみ」。時間の経過は「おかしみ」。 皐月富士は救済の象徴。救済された時間。つまり永遠である。 人はみな逝きつぱなしや梅雨夕焼 人とは、「哀しみ」。梅雨夕焼は「おかしみ」そして「救い」。 「逝きつぱなし」とは、「哀しみ」の中にある永遠つまり「おかしみ」であり「救い」である。 燻りし男を連れて大花火 燻りし男とは、内なる「哀しみ」。大花火は、外なる「おかしみ」、そして「救い」。 二つが、ぶつかり合い昇華され、そこに「救済」がある。 枯蘆にくすぐられゆく齢かな 最終的に、「哀しみ」は、「おかしみ」を携えて、「救済=永遠」へと昇華される。 枯蘆は「象徴」として使われる。 つまり、俳人だからこそ成し遂げる最終的な「救済」なのだ。