令和2年3月1日 樸俳句会特選句 なまくらな出刃で指切る日永かな 天野智美 「なまくらな出刃」が出色。俳味がある。切れ味が鈍っているのに面倒で研いでもいない出刃包丁は、同時に自虐に重なってくる。「私はなまくらものだわ」というつぶやきが聞こえてきそう。じっさい切れ味の鈍くなった包丁ほど指を切りやすいものはない。変に力が入るからだろう。「イタッ」。左手の中指の甲に血が滲んで、突如包丁が不器用な自分の生き方に重なって感じられたのである。中七の「指切る」にわずかな切れがある。なまくらな出刃で指を切ってしまうような、そういう日永なんだよ〜と詠嘆している。「にぶい包丁でだらしのない指切っちゃあ世話あねーよ」、という話なのだが、座五の「日永かな」の付け味がいい。人生の日永に作者はいる。さて、春日遅々とはいえ、ゆっくりと日は傾いてきている。これからどうしようかな、と思う。季語で俳句がにわかに大きくなった句である。 (選 ・鑑賞 恩田侑布子)
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3月16日 句会報告
平成30年3月16日 樸句会報【第45号】 駿府城公園の桜のつぼみが大きく膨らんだ昼下がり、3月2回目の句会が行われました。 入選1句、原石賞3句、△2句、シルシ8句でした。 兼題は「菜飯」と「風」です。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) 〇春一番お別れといふ選択肢 萩倉 誠 合評では、 「春一番は一見幸先の良さそうなイメージの言葉だが、あの猛烈な風に当たるとそういう選択肢も浮かんでくるのかもしれない」 「“お別れ”は死別のことなのではないか。死を受け入れるというような」 という感想が聞かれました。 恩田侑布子は、 「季語の“春一番”の次に何が来るかと思うや、破局という選択肢が待っているという。意外性が面白い。お別れではなく、“お別れといふ選択肢”が待つといういい方に含みがある。年に一度しか吹かない春疾風に、このままいっしょに天空に吹き飛ばされてしまいたいのに、そうはいかない。醒めて“お別れしましょう”といいあう。だが、“春一番”の鮮烈な風に煽られた記憶は消えない。消えてほしくない。青春性の熱を秘めた句である」 と述べました。 【原】一角獣空に漂い春愁い 西垣 譲 合評では、 「一角獣=乙女、メルヘンチックなイメージの句」 「空の雲の形が一角獣に見えたのだろう。春の愁い、気だるさを一角獣と取り合わせたのが面白い」 「一角獣と春愁いが即きすぎ」 という感想・意見が出ました。 恩田侑布子は、 「一角獣はユニコーンで、普段は凶暴だが処女(聖母マリア)に会うとおとなしくなるという。パリのクリュニー美術館にある15世紀のタピストリーは有名で、キリスト教とケルト文化の混淆に、私も時を忘れて見入ったことがある。近代ではフロベールの小説やリルケの詩が名高い。この句は中七までは青春性に溢れ素晴らしい。もしかしたら一角獣は、永遠の至純なるものに憧れる作者そのひとではなかろうか。俳句の魅力にこういうロマンチシズムもあることを忘れたくない。ただし季語を替えたい。 一角獣空にただよふ遅日かな こうすれば句柄が大きくならないか」 と講評し、添削しました。 【原】風呂敷に春日包みて友見舞う 石原あゆみ 合評では 「中七が生きていて、情景もよくわかる」 「“春日を包む”という比喩が利いている」 という感想が出ました。 恩田は、 「中七に詩の飛躍があり、やさしい思いも伝わってくる。ただし、言葉がごちゃついている。友までは言わなくていい。 風呂敷に春日包みて見舞ひけり こうすることで、一句は普遍性を得るのではないか」 と講評し、添削しました。 【原】春の雁異国の少女がレジを打つ 萩倉 誠 本日の最高点句でした。 合評では、 「最近コンビニなどでレジ打ちする外国の少女を見る。帰りたくても帰れない少女と発つ雁が対照的だ」 「遠くを飛ぶ雁と、日常でレジ打つ外国の少女の遠近感が良い」 「中七が字余りなのが気になる」 という感想が出ました。 恩田は、 「日本は、少子高齢化による働き手の不足への対策が遅れ、コンビニも飲食店も外人の労働者が増えた。中七の字余りをすっきりさせたい。“春の雁”という季語もまだ座りがいまいちなので 鳥ぐもり異国の少女レジを打つ または 外つ国の少女レジ打つ鳥ぐもり としたいところ」 と講評し、添削しました。 [後記] 今回は特選句がありませんでしたが、磨けば光る原石賞が三句ありました。自分ではブラッシュアップして出したつもりでも、選句者の目に触れることで「その手があったか!」と驚くことが、よい学びにつながる気がします。 次回の兼題は「音」と当季雑詠です。 (山田とも恵)
3月4日 句会報告と特選句
平成30年3月4日 樸句会報【第44号】 彌生三月第1回。少し窓を開け、春風を呼び込んでの句会です。 特選2句、入選2句、△3句、シルシ8句という実りゆたかな会でした。 兼題は「踏青」と「蒲公英」です。 特選句と入選句を紹介します。 (◎ 特選 〇 入選 【原】原石 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ ・ シルシと無印の中間) ◎合格や不合格あり春一番 久保田利昭 ◎「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく 萩倉 誠 (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ) 〇蒲公英を跨ぎ花一匁かな 芹沢雄太郎 合評では、 「かわいらしい句。思い出かな?こういう句は大好きです」 「かわいい。“花一匁”にノスタルジアが感じられる」 「うまくまとまってはいる。“跨ぎ”がもっと能動的であれば採りましたが」 「あちこちに咲いているたんぽぽは“跨ぐ”には小さすぎませんか?子どもの歩幅と一致しないような気がして・・」 などの感想が述べられました。 恩田侑布子は、 「一読して、たんぽぽと花いちもんめは即きすぎかとも思った。でも花いちもんめの歌を思い出すと、“あの子がほしいあの子じゃわからん”と、浪のように手をつないで歌いながら、鮮やかな黄の蒲公英をひょいとまたぎ越す子どもの無邪気さが感じられた。子ども時代の余燼がまだ身のうちに残っていなければつくれない俳句。若草と蒲公英。その上にゆれる赤いスカートや半ズボンの戯れは春日の幸福感そのもの」 と講評しました。 〇犬矢来こえて行くべし猫の恋 林 彰 合評では、 「“犬矢来”ってなんですか」 「市内では見かけないですね。よく言葉を知っている作者ですね」 との質問や感想。 恩田侑布子は、 「“矢来”は遺らいであり、追い払う囲い。竹や丸たんぼを荒く縦横に組んでつくるもので“駒寄せ”と同義。犬のションベンよけ、埃よけともされ、最近は和風建築の装飾化している。この“犬矢来”という死語になりかけた措辞を活かした手柄。しかも犬なんかに負けるんじゃないぜ、猫の恋よ、の思いも入ったところに俳諧がある」 と講評しました。 投句の講評の中で、今回の兼題について例句の紹介と鑑賞が恩田侑布子からありました。 来し方に悔いなき青を踏みにけり 安住 敦 たんぽぽや長江濁るとこしなへ 山口青邨 蒲公英のかたさや海の日も一輪 中村草田男 [後記] 本日は「静岡マラソン」の日。走り終えたランナーたちとすれ違いましたが、みな爽やかな感じ。達成感・充実感があるのでしょう。句会のあとの連衆も同じような表情をしているのかもしれません。 次回兼題は「菜飯」と「“風”を入れた一句」です。 (山本正幸) 特選 合格や不合格あり春一番 久保田利昭 大方のひとにとって人生の始めの頃の喜び哀しみは受験にまつわることが多い。同じクラスでいつも軽口を叩きあっては笑いこけていた友人が、高校受験や大学受験で一朝にして合格者と不合格者の烙印を押されてしまう。それを春一番の吹き荒れる様に重ねた。この春一番はまさにこれから二番三番とかぎりなく展開する嵐の道のりを暗示する。それが合格やの「や」であり不合格「あり」である。が、いずれにせよまばゆさを増す春のきらめきのなかのこと。泣いても笑っても船出してゆく。さあこれからが本番だよと作者は懐深くエールを送る。 特選 「ヤバイ」ほろ酔いの 掌(て)が触れ春ぞめく 萩倉 誠 独白をうまく取り入れた冒険句。句跨りだが十七音に収めた。ほろ酔いの掌は思わずどこに触れたのか。手と手かしら?もしかしたら胸元にタッチ?「ヤバイ」。よこしまな関係になりそう。一瞬のたじろぎ、期待、春情。交錯する感情が生き生きと伝わってきて面白い。なんといっても座五の「春ぞめく」が出色。①群がり浮かれて騒ぐ。②遊郭をひやかして浮かれ歩く。の辞書にある語義に身体感覚が吹き込まれ、それこそザワザワ身内からうごめくよう。 (選句・鑑賞 恩田侑布子)
3月17日 句会報告
彼岸の入りの句会。兼題は「ものの芽」と「春の闇」です。 句会の行われるアイセルから徒歩5分の熊野神社の鳥居をくぐると「ものの芽」に包まれるような気がします。 高点句を紹介していきましょう。今回、恩田侑布子特選はありませんでした。 (今後、掲載句についての恩田侑布子の評価は以下の表記とします。)◎ 特選 〇 入選 【原】原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝシルシ 高点句を紹介していきましょう。 ○ 昼酒の蕎麦屋に長居柳の芽 伊藤重之 合評では、 「リタイアした老人の一日のひとコマ。こういう身分になりたいな」 「昼酒のまったりした気分が出ている。蕎麦屋の入り口に柳の木があるのだろう」 「漢字の表記が作者の気分を表していて良い」 「ワタシもこれから“昼酒”にしようかな」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「のどかな春の雰囲気が出ており、季語が効いている。お客も少なくて、馴染みの店で遠慮なく吞んでいる。窓には柳がしな垂れかかっている情景」 と講評しました。 ○ 春の闇来る人の来ぬ喫茶店 久保田利昭 合評では、 「異性を待つ切ない心とマッチしている春の闇」 「生温かく濃密な春の闇の向うから現れるであろう恋人を待ち焦がれている。ここは夏でも秋でもなく“春の闇”でなければダメ」 「異性を待っているのではなく、いつもの喫茶店のそこに座っている人が来ない。どうしたのだろうという、心配の気持ちではないでしょうか」 「“待つ人の”だと散文的になるので、“来る人の” と推敲したのではないか」 などの感想、意見がありました。 恩田は、 「恋がひそんでいる。来るはずのを省略しているので含みがあり、気を揉んでいる感じが出た。 “春の闇”に体性感覚がある。闇が震えている。デリケートな質感をもった闇。季語が効いている、いのちを持っている」 と講評しました。 △渡し場の水のふくらみ蘆の角 塚本敏正 「この情景は水彩画を見るようだ。蘆が新芽を出す、いささか古めかしい渡し場の光景」 との感想。 恩田からは、 「映像再現性がある。うまくまとめてあって絵葉書的なのがやや惜しまれるが、「ふくらみ」の措辞がいい手堅い句。これからさらに新味の獲得と着眼点の飛躍に挑戦されれば塚本さんは素晴らしくなる」 との講評と励ましの言葉がありました。 ゝものの芽にかこまれて妻退院す 山本正幸 「わかりやすく、いい句だ。愛する奥さんが無事退院した。ちょうど木々の芽が盛んに出てくる時節。奥さんを寿ぐ句」 「いかにも退院おめでとうという気持ちになる」 との感想が聞かれました。 恩田は、 「季語が効いている句。やわらかな空、やさしい作者の奥様を思う心が溢れ、一物仕立てで祝意を表している。“存問”の句としては良質だが、文芸としての奥行きや多層構造はない」 と講評しました。 ゝひそめたる息ほつと吐く春の闇 西垣 譲 「若い女性の気持ちを詠っている。異性と付き合って間がなく、何かを迫られるかなと期待したが何もなかった。残念なような、安心したような気持ちが出ている」 「何のことかよく分からなかった。深くはないが、緊張感のある句。春の闇だからそれほど深刻ではないのでしょう」 などの感想。 恩田は、 「“ひそめたる”が思わせぶり。感じは分かり、雰囲気もある。しかし、正体がつかめず、根のない句と言わざるを得ない」 と講評しました。 [後記] 樸俳句会代表の恩田侑布子は、句集『夢洗ひ』の成果により平成28年度芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。本日の句会の冒頭、句会の連衆から熱い祝福の拍手が送られました。ホワイトボードには大きくお祝いの言葉と花マルがいっぱい。「今回の句集が一番好きです」「日本語の美しさを堪能」との声もあがりました。連衆にとっても嬉しく励みになることです。 (恩田の受賞コメント及び、講座生からの祝詞は本HPの「お知らせ」をご覧ください。また文部科学省の芸術選奨のURLも掲載しました) 今回の句会で感じたのは、自分の感情をいかにして詩の言葉に結晶できるかということです。恩田は、“モノに託す”“潜める”“転じる”などにより、感情をストレートに出さないで句にしていくことを強調しました。「短歌ならそれ(ストレートな感情表現)ができる」とも。 次回句会の兼題は「古草」「春障子」です。 (山本正幸)
3月3日 句会報告と特選句
桃の節句の句会。兼題は「紅梅、和布」です。 句会会場近くの駿府城公園に紅葉山庭園があります。ちょうどいま、飛び石伝いに梅林を散策して香りにうたれることができます。 高点句を紹介していきましょう。 朝日入る一膳飯屋わかめ汁 佐藤宣雄 恩田侑布子の入選句で、合評では、 「生活感のある句だ。夜勤を終えてくつろぐ肉体労働者の姿が浮かぶ」 「“朝日入る”という上五がいい。作者の感性に共感した」 「学生街の一膳飯屋を想像した。都会の一隅の光景」 「独り者だろう。“朝日入る”が効いている。小さな開放的な店の景がくっきりしている。月並みでない面白さがある」 などの感想、意見が出ました。 恩田は、 「みなさんの鑑賞がいい。シッカリ書けていて、曲解されることのない句でしょう。安サラリーマンや学生が気軽に寄る店。あたたかい元気なおじちゃんおばちゃんが迎えてくれる。上五が清々しく、飾り気がない。和布の兼題で、浜辺ではなく店をもってきて成功している。平易な言葉が使われており、いろいろな人の想像力を掻き立てることができた」 と講評しました。 紅梅や進む病状月毎に 樋口千鶴子 恩田侑布子の入選で、合評は 「深刻な病気の状況であろう。現代社会では、安楽死など死をめぐる議論がいろいろある。人工呼吸器を着けたらもとに戻れない。大変な気持ちを抑えて句にしている。それを紅梅と対比させている」 との共感の声がありました。 恩田は、 「“紅梅”が効いている。紅梅はうつくしいが、むごさや残酷さも併せ持つ。他の植物では中七以下を受け止めきれないだろう。あえて感情を押し殺して事実のみを述べた。そぎ落とされた表現が共感を呼ぶ」 と講評しました。 色褪せてなを紅梅の香を残し 樋口千鶴子 「近くの公園に白梅と紅梅が咲いている。紅梅は白梅に比べて少し重い。しつこさもある。この句は、まだまだどっこい生きているぞという心意気がベースにあると感じた」 との感想が聞かれました。 恩田は、 「千鶴子さんはいつもものをよく見ている。誠実な眼差しが感じられる。白梅の潔い散り際に比べて、紅梅は白っぽく色が抜けたり、逆にくろずんだりして縮れて落ちる。ここでは香りに注目したのが良い。昔の人は香りの高い植物を愛好し、自分の生きる鑑とした。この句は散文のようだが、内容が良く、下五に実がある。紅梅のありように自分を重ねた。一生を見つめて一瞬を詠むのが俳句」 と講評しました。 紅梅の髪にかざして自撮りして 久保田利昭 「~して~して、という軽快感がよい」 「髪に花をかざす習慣は昔からあったが、“自撮り”で新しさが出た」 などの感想。 恩田は、 「軽いタッチの句。紅梅とこの女性の自己愛(ナルシシズム)がつり合っている。白梅ではこうはいかない。季語が効いている」 と講評しました。 風に老い飛沫に老いぬ和布採 伊藤重之 「“老い”のリフレインが効いている。和布採りの一情景と一老人の生き方が重なる」 との感想。 恩田は、 「対句をいいと思うか、鼻につくかで評価が分かれる。ちょっとカッコつけすぎているところのある句だ」 と講評しました。 [後記] 今回の句会で恩田が強調したのは「よく見る」ということでした。 よく見る(視る)とは、ただ網膜という器官に像を写すのではなく、意識と五感を総動員しなければいけないことを痛感。 次回の兼題は「古草」「春障子」です。(山本正幸) 特選 紅梅を仰げるあぎと娶りけり 山本正幸 濃艶である。紅梅を仰ぐ女性の透けるような白い肌の顎から喉もと、首筋がみえてくる。こんな美しい女を我妻にしたのだという男の満足感と、ある種の征服感まで感じられる。白い喉のなめらかさに負けず、紅梅はいっそう黒々と濃く中天にこずむ。性愛の烈しさが匂う。「あぎと」に焦点を絞って、紅梅の紅と対比させた技法が巧みである。講座では、「娶りけり」はジェンダーギャップのことばで不快、という意見も出た。たしかにそう。しかしそれがわたしたちの蓄えてきた「言語阿頼耶識」であることも事実。時に、性愛の場は平等をよろこばない。さくらよりも肉感的なエロスを匂わせる紅梅がふさわしい由縁。 (選句・鑑賞 恩田侑布子)