
駿府城石垣の躑躅が咲き始めています。
兼題は「風光る」と「雲雀」です。
入選句、高点句を紹介していきましょう。恩田侑布子特選はありませんでした。 (今後、掲載句についての恩田侑布子の評価は以下の表記とします。)
◎ 特選 〇 入選
【原】 原石賞 △ 入選とシルシの中間 ゝ シルシ
〇給食の残され組や揚雲雀
藤田まゆみ 合評では、
「なつかしさがある。給食を食べるのが遅くて教室に残された子たちへの作者の優しさを感じる」
「私も“残され組”だったので気持ちがわかる。外から雲雀の声が聞こえる。早く出てこいと」
という感想の一方で、
「私の頃は給食がなかったので、残念ながら理解できませんでした」
「今ではこれは体罰になってしまう。不登校になったらどう責任を取るのか、と親からクレームがくるだろう」
など世代間格差?を感じさせる発言もありました。
恩田は、
「田舎の野原の中の小学校を思う。雲雀は励ましているようでもあるし、からかっているようでもある。いずれにしてもかつての体感のこもったユニークな句」
と評しました。
〇風光るにつぽん丸の操舵室
山本正幸 合評では、
「清水港に子どもを連れて日本丸を見学に行ったことがあり、よく分かる句」
との感想。
恩田は、
「句としてできてはいる。その一面、ややステレオタイプで面白みに欠ける。絵葉書俳句」
と講評しました。
〇天空に声残してや落雲雀
松井誠司 恩田の講評。
「雄雲雀の哀れが出ている。自分の声の限界まで鳴いて、墜落のような落ち方をする。落雲雀にもはや声はないのに天空には残っているというところに詩がある。シンプルだが、忘れ難い句」
〇県境の尾根緩やかに風光る
佐藤宣雄 合評では、
「景が平凡」
との指摘。
恩田は、
「季語が生きていて、本意が捉えられている。気持ちがよく健やかな句である。“国境”だと月並みになるところだ」
と講評しました。
作者は、
「平凡な句になっちゃった。はじめは“尾根の石仏”だったが、それだとホントに月並みでした」
と句作を振り返りました。
【原】陽を乗せし富士傾くや落雲雀
杉山雅子 恩田は、
「過去形と現在形が混在しているので、ひとつの時制にすべきである。語呂もよくない。ただ、雲雀になりきっている作者の視点は面白く、身体感覚と一致した表現が素晴らしい」
と講評し、次のように添削しました。 日を載せて富嶽かたむく落雲雀
「こうすると落ちてゆく雲雀に乗り移った眩暈のような大景が見え、蛇笏ばりの格調が出ませんか?“富士”より“富嶽”にする方がダイナミックでしょう」
と解説。
スマホ繰るネールアートに風光る
萩倉 誠 これが本日の最高点句でした。議論が沸騰。
「素材の新しさ。そこに惹かれて採った」
「上五~中七ときて“風光る”という季語で締める。指先に光が集中していく面白さ」
「具体性があり、景がよく見える。ただ、細かく焦点を当てていくことと風景が合わないかも」
「電車で乗客の半分くらいがスマホに触っている風景かな」
「しゃれているが、季語とズレを感じる」
「“に”ではなく“や”で切ったほうがいい」
恩田は、
「シルシにしようか無点にしようか悩んだ。ありふれた光景であり、またカタカナだらけの句だ。風俗の新素材から句は古びていく。鮮度は感じない。動詞が多く煩雑で、散文的。季語の本意である清潔感が感じられず残念。スマホとそれを繰るネールアート自体がキラキラしていて、同じものが並んだ“お団子俳句”です」
と厳しい講評がありました。 [後記]
今回、恩田侑布子の無点二句が連衆の高点句になり、「選句眼」について考えさせられました。目新しい素材の句、季語の本意を踏まえていない句、知識だけで作った句などの見極めが大事なことを痛感しました。
次回兼題は、「春昼」と「蝶」です。 (山本正幸)

本日はスペイン国王と妃殿下、天皇皇后両陛下がご来静。会場近くの静岡浅間神社では稚児舞楽をご覧になりました。通規制のため、少し遅れて句会が開かれました。
兼題は「古草」と「春障子」です。 (句頭の記号凡例)
◎ 特選 〇 入選 【原】原石賞
△ 入選とシルシの中間 ゝシルシ 高点句を紹介していきましょう。 ◎早退けの少女かくまふ春障子
山本正幸
◎妻と子は動物園へ春障子
西垣 譲
(下記、恩田侑布子特選句鑑賞へ)
〇古草や突つ込んでおく古バイク
西垣 譲 合評では、
「情景がよく分かる。懐かしく、温かい感じ」
「家庭の物置の日陰。倉庫に入らないから横っちょに。とり合わせが面白い。」
「バイクへの愛情を感じる」
「いや、もう乗らないので、その辺に突っ込んでおくのですよ」
「“古”が二回出てくるのが引っかかる」
「でも、それが逆にいいのでは。」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「“古”が味を出している。このふたつの“古”は違う。古草は去年の草だが、古バイクは10年も20年も乗ってきて愛着があり、その思い出を裏に潜めている。“古”に濃淡がある。“突つ込んでおく” というぶっきらぼうで勢いのある言葉が上五と下五を繋ぎ、血の通った俳句となった」
と講評しました。
〇約束を反故にし寝ねり春障子
佐藤宣雄 合評では、
「読めばすぐ分かる句。何か理由は知らないが出て行くのが嫌になったのだろう。“春障子”に温かさがあり、“反故にし”で滑稽味も出た」
「“寝ねり”という無責任さが男っぽい。“反故にし”に意志が感じられるが、逡巡もあるのでは。」
「居直ってますよ。反省していない!」
と感想、意見はまちまち。
恩田は、
「独特の身体感覚による春障子。すっぽかしておきながら明るさがまとわりつき、居心地が悪くて安らぐことができない。屈折した心理を春障子がうまく受け止めている」
と講評しました。
〇古草や鎌の手止める貫頭衣
松井誠司
「最近うちの菜園の手入れをした。古草は根を張っていてしぶとい。この句からはその生命力が感じられる」
「“貫頭衣”が分かりにくかったが、登呂遺跡での光景でしょうか。愛着を感じる句」
との感想。
恩田は、
「弥生人の生活の息吹が生々しく伝わってくる。作業のふと手を止めた瞬間を切り取っている。古草と貫頭衣の取り合わせが面白く、絵画的に決まった」
と講評しました。
ゝ庭石のみな角とれて草古し
杉山雅子 「昔は格式のあった古い家。その庭の石をいろんな人が踏んで通っていったのだろう。」
「日本風の落ち着いた住まい。住人は若い頃バリバリ働き、老いた今も矍鑠としている。住む人の息遣いや人物像まで投映している」
との感想が聞かれました。
恩田からは、
「落ち着いた日本の家の庭の様子を詠んでいるが、季感が薄い。“みな”はあいまいな形容であり、甘い。感じは分かるが焦点が定まらない。もう少し中七を工夫して、自分の観点で焦点を絞り直したら」
と厳しめの講評がありました。
ゝ古草やひそりと昭和閉ぢてゆく
伊藤重之 「“ひそりと”に心情的に共感する。哀惜の心」
と共鳴の声。
恩田は、
「その“ひそりと”が根付いていない。俳句は副詞や形容詞から古びていくので気をつけなければいけない。また、“閉ぢてゆく”という時間の経過表現があまりよろしくない」
と講評しました。
[後記]
今日の恩田侑布子の指導テーマは「観念から詩的真実(リアル)へ」。今回は観念に堕ちていく投句が目立ったとのこと。「意味や理屈を離れて、詩のリアルを獲得してほしい」といつもにも増して熱く語った恩田代表でした。
今回、私が「古草も新草もなく犬尿(いば)る」の句を採らせていただいたとき、恩田侑布子代表から「季重なりですが、いいのですか?」と問われました。「犬は古草と新草の区別もつかず、季語を知りませんから」と私が答えたところ、「それが理屈!そこから離れなければいけません。理屈を追い出すこと」と一刀両断されました。まさに今日のテーマ!(ちょっと堪えましたが納得です)
次回兼題は、「風光る」と「雲雀」です。(山本正幸)
特選
早退けの少女かくまふ春障子
山本正幸 頭が痛くなったのか、お腹が痛くなったのか。大した病気ではなさそうだが、思春期の危うさを感じる。桜の咲く前の柔らかいひかりが障子を明るい雪洞のようにしている部屋に引きこもる。それを春障子が意思あるように「かくまう」といった。あえて不穏な言葉を使ったことで「異化効果」が生まれ、春障子が呼吸をし出す。少女との間にあたかも密事(みそかごと)がなるよう。清楚なエロティシズムまで感じられる。言語感覚のよろしい極めて繊細な句。 特選
妻と子は動物園へ春障子
西垣 譲
ぬけぬけとした長閑さがユニーク。ちょうど妻と子が動物園のゴリラを見ている間、一家の主人である作者は所在無く春障子の明るいふくらみの中にいる。ついていけばよかったかな。いやいや、騒がしいやつらのいない日曜の昼間はなんて貴重なんだ。一抹の寂しさの中に満足感があり、いかにも春昼の風情。「へ」は俳句では難しいが、うまく働いている。そこはかとない俳味がある。
(選句・鑑賞 恩田侑布子)
代表・恩田侑布子。ZOOM会議にて原則第1・第3日曜の13:30-16:30に開催。