2023年4月2日 樸句会報 【第127号】
新型コロナウイルスの流行以来、夏雲システムやZoomを駆使してリモートで会の継続を図ってきた樸ですが、4月1回目の句会はついにみんなで吟行することが叶いました。静岡駅に集合し藁科川をさかのぼること45分ほど、山峡の大川エリアでの吟行です。坂ノ上の薬師堂や、茶畑の上をそよぐ栃沢のしだれ桜、さらに山奥へ行き春椎茸の榾場や山葵園を見学しました。その土地と直に心を交わすような季語体験はもちろん、こだわりの十割蕎麦や「深澤清馥」というお茶の奥深い味わい、夕食の山菜御膳や焼き椎茸など食事も素敵で、目も耳も舌も大満足の会となりました。
特選5句、入選3句を紹介します。
咲きみちて天のたゆたふさくらかな 俳句 photo by 侑布子
◎ 特選
在の春啜る十割蕎麦固め
海野二美
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春」をご覧ください。
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◎ 特選
お薬師様見下ろす村に花吹雪
海野二美
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花吹雪」をご覧ください。
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◎ 特選
しめ縄の低き鳥居に春の風
猪狩みき
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春の風」をご覧ください。
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◎ 特選
うぐひすや渦を幾重に木魚の目
古田秀
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「鶯」をご覧ください。
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◎ 特選
花朧坂の上なる目の薬師
天野智美
特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「花朧」をご覧ください。
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○入選
菜の花や家々ささふ野面積
前島裕子
【恩田侑布子評】
飯田龍太は、「傾斜がきついのか、石垣を積んで平地を確保しなければ家が建たない」小黒坂に住み、「俳句は野面積の石垣に似ている」と看破した。野面積みは国土の七割が山間地のわが国になくてはならない擁壁と地固めの伝統技法である。作者は「菜の花や」と、まどかなひかりの黄色を画面いちめんに散りばめて、石工の力量だけで自然石を積み上げる工法こそ「家々」を支えているのだという。発想、表現ともに手堅い俳句だ。
○入選
御仏のかひなのうちや花万朶
益田隆久
【恩田侑布子評】
花が咲き満ちると誰れしもそぞろに花の木に惹かれてゆく。大枝垂れ桜が天を覆えば、ことのほかの光景。栃沢吟行会での作者は、ほかの人が山葵沢や春椎茸のホダ場へ散策に行く間も、じっと大枝垂れ桜の下に腰を据えて、時を忘れたように句帳を広げていた。きっと「御仏のかひなのうち」に抱かれていたのだろう。法悦に近い陶酔美がある。
○入選
なけなしの春子守りて犬吠ゆる
岸裕之
【恩田侑布子評】
一週間前にはびっしりと春椎茸がホダ木についていたのに、吟行当日は収穫後の原木が虚脱したように林立するばかり。目をさらにして探すと、ホダ場の隅に小さな春子がかろうじて幾つか見つかった。それを「なけなしの春子」といったのが愉快。がっかりしたわたしたちは、番犬にまで吠えられた。飼い主に忠実に躾られた犬は一見さんをドロボー扱いしたのだった。作者は「小唄」の名取りでもある乙な趣味人。滑稽味が躍如としている。
【後記】
今回は特選が5句も出るという豊穣な句会でした。何よりも、日ごろは画面越しの皆さんと同じ場所を歩き、それぞれに自然と出会い句作する体験は非常に楽しいものでした。また、吟行はその場で上手く作れなくても、後から思い返してふいに良い句ができることもあります。今回で言えば山里の清浄な空気の中で感じたものが、言語化される前の層として無意識の中に堆積していくのでしょうか。早くも次回が楽しみです。
(古田秀)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
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4月16日 樸俳句会
兼題は「蜃気楼」「海雲」「竹の秋」です。
入選2句、原石賞4句を紹介します。
○入選
燕来るシャッター開かぬ時計店
益田隆久
【恩田侑布子評】
どこもかしこも、日本の地方の駅周辺はシャッター街になりました。まさに衰退国家の現代詠です。昔は店内のたくさんの時計と燕が同時に時を刻んでいたのに、もう、時計店はシャッターさえ開きません。
○入選
酢もづくの小鉢に海の遠さかな
小松浩
【恩田侑布子評】
目の前の「もづく酢」を「小鉢」まで焦点を絞って、手のひらに乗るかわいいサイズにしておいて、一挙に「海」の大きさと「遠さ」、遥かな感じがくるところ、対比の効いた巧みな空間構成です。しかも、うそいつわりのない実感に打たれます。長らく海辺で遊びくつろいだことのない、日々の労働に疲れた肉体の影を感じます。
【原石賞】天金に乱の付箋や夕桜
田中泥炭
【恩田侑布子評・添削】
天金の書に、付箋を何枚も斜めに貼ったところを「乱の付箋」としたところ、黒澤明監督の「乱」ではありませんが戦を連想してしまい、「夕桜」のもったりとした本意とずれます。「乱」ではなく「乱るゝ」と和語にし、季語もひらがなで柔らかくしたほうが、この句の元々もっていた唯美空間が生き生きと呼吸を始めます。
【添削例】天金に乱るゝ付箋夕ざくら
【原石賞】回覧板一軒飛ばす竹の秋
島田淳
【恩田侑布子評・添削】
実感はあります。でも、なぜという疑問が残りませんか。人は住んでいるけれど何か理由があって飛ばしたのか。それとも住んでいた方が、老人施設に入られたか、亡くなられたからか。とにかく「一軒」では曖昧すぎます。すっきり「空家」にすると、元の句のスピード感がよりイキイキして、竹の秋のへんに明るい空虚感が引き立ちます。
【添削例】回覧板空家を飛ばす竹の秋
【原石賞】もずく酢や昭和を生きし老ひ未だ
上村正明
【恩田侑布子評・添削】
誰にも読める漢字にルビを振るのはご法度です。「老ひ」は間違い。「老い」です。でも、内容は面白い角度から攻めています。ただ助詞一字で句を殺してしまいました。「し」の過去形だとヨボヨボなのに強がっているようにみえます。「て」にすれば、途端に季語の「もずく酢」が生きてくるから不思議です。
【添削例】もづく酢や昭和を生きて老い未だ
【原石賞】沢登り桃源郷あり幣辛夷
林彰
【恩田侑布子評・添削】
桃源郷を恋う句は世に多くありますが、蕪村の「桃源の路次の細さよ冬籠り」のように消極的な姿勢の句がほとんどです。これは「幣辛夷」の可憐でいながら清烈な春先の空気感をよく受けとめています。そこに今まで見たこともないアクティブな桃源郷への恋歌が生まれました。新味があります。
【添削例】しでこぶし桃源郷へ沢登り
茶畑の峠までゆく日永かな 俳句 photo by 侑布子
小松浩さんの句。恩田先生の評に言い尽くされているが、大海に生まれ育ったもづくが、小鉢のなかに閉じ込められ、いままさに食されようとしている、その哀愁、望郷といったものも私は感じた。樸は、小松さんのようなジャーナリズムの重鎮と一介の入門者が対等に「さん」付けで呼び合い、忌憚のない選評の一時を楽しむ、他に類のない至極の場だと思う。これからも、恩田先生はもとより学兄姉の懐に、怖いもの知らずで飛び込んでいきたい。
冒頭の写真。静岡市栃沢の「聖一国師」生誕の場所に数百年間生き続ける枝垂れ桜を見て、昔共感した文章を引用します。ハイデッガー「ヘルダーリンの詩の解明」より
そよぐ「空気」、光る「光」、及びそれらとともに花咲き出る大地は、「三位一体」である。その三位一体の中に清澄はいよいよ晴れやかになり、喜びを生み、喜びを通じて、人間たちに挨拶するのである。
・・・古えより神々の言葉は目くばせである。
清澄は、本源的に癒やす。それは聖なるものである。「至高なるもの」と「聖なるもの」とは、詩人にとっては同一である。すなわち、清澄(die Heitere)である。