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山根真矢様(「鶴」同人・俳人協会幹事)から、最新の恩田侑布子論を頂きました。

瀧音の一つまたゝび白き葉も

 京田辺市在住の俳人(「鶴」同人)山根真矢様から、侑布子俳句に新たな角度から迫ったご高論「恩田侑布子小論 おのれを島とせよ」を頂戴しました。  一句、一句を立ち上げようとするとき、足元の土壌がいかなる体験、背景から成り立っているのか、どこへ向かうのが必然であるのか、あるいは必然に抗う一歩を踏み出すのか。自らの原点の飛翔と回帰は、意識するとしないとに拘らず、作句ひいてはあらゆる創作活動において切り離すことができない大きな課題と言えるのではないでしょうか。  このたびの示唆に富むご寄稿を大変光栄に存じ上げ、山根様に心より御礼申し上げます。 (樸編集委員一同)     恩田侑布子小論  おのれを島とせよ     山根真矢  恩田侑布子の俳句といえば、皆さんはどのようなものを思い浮かべるだろうか。   水澄むや敬語のまゝに老いし恋 侑布子   をとこ捨てし男を恋ふる冬の瀧   草苺ゆびにふれなばくもる恋   起ち上がる雲は密男夏の山   わが恋は天涯を来る瀑布かな    これらのような「恋」を詠んだ句か。あるいは、次のような「死」を詠んだ句か。   小春日の海たれかれの死後の景   水に生れはゝそばの母火に送る   ほとけの母と長いつきあひ小六月   根の国にともにゆかなむ雪ばんば   死んでから好きになる父母合歓の花   「恋」と「死」、両方ともに詩情があり、魅力的なのだという人もいるだろう。  私もそう思う。その二つはコインの裏表のように一体のものだからだ。  侑布子は「偏愛俳人館 第1回 飯田蛇笏 エロスとタナトスの魔境」と題する文章を『俳句』(角川書店)2020年2月号に寄稿している。以下に一部を引用する。 * ◇ 高校時代、蛇笏と出会う   落葉ふんで人道念を全うす 蛇笏 「落葉ふんで」、高校生のわたしは驚いた。とっさに「死屍累々」ということばが浮かんだ。死んでいった人の思いを落葉踏むように受け止めて、人は初めて小さな自分の志を全うする。いのちは自分ひとりのものではない。蛇笏の落葉を踏む足音が聞こえた。 その時、蛇笏が人生の師として立ち上がった。一句で作者を信頼していた。   ◇ エロスの豊饒 人間の死は性に由来する。死は有性生殖の必然である。エロスとタナトスは、蛇笏にとっては必ずしも二項対立ではなかった。   つぶらなる汝が眼吻はなん露の秋   みそか男のうちころされしおぼろかな   薔薇園一夫多妻の場をおもふ 小説家志望だった蛇笏のエロスの句である。蛇笏とて近代的自我に悩み、都会の文学の誘惑と戦い、すんなり自然に随順したわけではなかった。   ◇ 冬の名句とタナトス   冬滝のきけば相つぐこだまかな   寒の月白炎曳いて山をいづ   おく霜を照る日しづかに忘れけり 蛇笏は次男の病死、長男三男の戦死に遭った。相次ぐ悲劇にも精神を荒ませず、芸術的心境を磨き上げていった。悲痛を老艶へと反転させたのである。   ◇ 生の円環運動 川端康成は「仏界易入 魔界難入」という一休の詞をよく揮毫した。晩年の蛇笏もまた魔界をゆききした。   ぱつぱつと紅梅老樹花咲けり   春めきてものの果てなる空の色   炎天を槍のごとくに涼気すぐ   荒潮におつる群星なまぐさし   涸れ滝へ人を誘ふ極寒裡 蛇笏が腹のどん底からしぼり出した俳句は言語哲学者、丸山圭三郎のことばを思い出させる。  〈狂人〉と芸術家(および思想家)のいずれもが、意識と身体の深層の最下部にまで降りていって、意味以前の生の欲動とじかに対峙し、この身のうずきに酔いしれる。しかし後者は、たとえその行動と思想が狂気と紙一重であっても、必ずや深層から表層の制度へと立戻り、これをくぐりぬけて再び文化と言葉が発生する現場へと降りていき、さらにその欲動を昇華する〈生の円環運動〉を反復する強靭な精神力を保っている。(『言葉・狂気・エロス』講談社) 蛇笏の句業こそ〈生の円環運動〉といえないだろうか。詩的気魄を貫き、詩魔は終焉までエロスとタナトスのダイナミックな生成を続けた。そして現実には甲斐に根を下ろし、庶民の生活に寄り添ったのである。  *  以上が侑布子の文章を抜粋したものであるが、蛇笏の俳句を読み、再び、侑布子の俳句に立ち戻ってみると、侑布子の俳句もまた「エロスとタナトスのダイナミックな生成」ではないかと思う。  侑布子は2022年、句集『はだかむし』(角川書店)を刊行した。「はだかむし」は、羽や毛のない虫の総称であるが、人間の異称でもある。冒頭で引用した「恋」と「死」の俳句も、この句集に収められている。  私はNHK文化センター京都教室で、「俳句・ふるさと紀行」という講座の講師をしているのだが、今年一月の講座で、この句集を取り上げ、「恋を詠む」「死を詠む」などのテーマに分けて鑑賞し、先の蛇笏論についても紹介した。  改めて、蛇笏とは何か。明治生まれの蛇笏は、ある一面において、家長的な意識を俳句で表現した存在だったと私は思う。明治以来の旧民法の家制度は、子を残して死ぬためのものだった。エロスはギリシャ神話の愛の神、タナトスは死の神。家にはエロスとタナトスが存在していると多くの人が信じていた。  しかしながら、侑布子の俳句は、蛇笏の「エロスとタナトスのダイナミックな生成」とは趣を異にした、現代的で独自のものである。  以下、侑布子の俳句について、管見を述べたい。     起ち上がる雲は密男夏の山 侑布子  蛇笏が〈みそか男のうちころされしおぼろかな〉と詠んだ密男だが、この密男は入道雲となり、山の上から家の主を見下ろす。エロスは家の内に収まらず、時に家を脅かす。     わが恋は天涯を来る瀑布かな  百人一首の崇徳院の歌〈瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ〉や、陽成院の〈筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる〉などと比べても、「天涯を来る瀑布」の迫力は、古来の「恋」と全く違うものである。     死んでから好きになる父母合歓の花  エロスという言葉を広辞苑で引くと、「愛の神」という一番目の意味に次いで、二番目に「愛。欠けたものへの渇望がその本質云々」と書かれている。欠けていたことを表白するのも、家制度の埒外の行為であると思う。     のど笛のうす〳〵とあり近松忌  近松門左衛門は江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎の作者。代表作の「曽根崎心中」では「この世の名残 夜も名残 死にに行く身をたとふれば あだしが原の道の霜」とお初と徳兵衛が手を取り合う道行の場面に、観客も涙を誘われた。道ならぬ恋、喉を掻き切って死ぬ覚悟ができるほどの恋とは、いかなるものか。そんなことを思いながら、恋しい人の喉を眺めている句である。近松忌は陰歴十一月二十二日。いよいよ寒くなってくるころおいである。     天皇に人権のなし秋の暮  「枕草子」や「三夕の歌」以来、秋の代表的な季語である「秋の暮」と、「天皇に人権のなし」というフレーズを取り合わせた俳句である。日本国憲法は国民の基本的人権を保障しているが、天皇はその例外で保障されていないとされている。天皇に人権のないことは、昔も、今も、日本の伝統なのか。かつて天皇は国の家長とされた。今も天皇家は、日本を代表する家であるといえるだろう。     霜ふらばふれ一休の忌なりけり  室町時代の僧で後小松天皇の落胤と伝わる一休の歌に〈有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け〉がある。歌意は「この世からあの世までの旅の途上で私はひとやすみしている。雨も好きなだけ降れ、風も好きなだけ吹け、自分は気にしない」というものである。森女と暮らし、男色もという伝説のある一休の忌日は、近松忌の一日前、陰暦十一月二十一日。仮の宿に霜がふる。     青嵐おのれを島とせよと釈迦  釈迦に「自らを島とし、自らを頼りとせよ」という言葉がある。私はこの俳句を読んで、大海の孤島が頭の中にパッと浮かんだ。島が人間の化身のようで、青嵐の木々が眩しい。  昭和二十二年の民法改正で、家制度が無くなっても、家は存在し、家の内にいたい人もいる。その一方で家から離れたい人もいる。  家とは関わりなく、自恃の心をもって、エロスとタナトスに向き合う。明るい青嵐の島の景色が、侑布子俳句の現在地なのではないかと思う。   (文中敬称略) (2024年7月17日拝受)   --------------------------------------------------- 山根 真矢(やまね まや) 昭和42年、京都生まれ。平成9年「鶴」入会、星野麥丘人、鈴木しげをに師事。 平成12年「鶴」同人。同年、第15回俳句研究賞を受賞。俳人協会会員。句集『折紙』。京都府京田辺市在住。 ---------------------------------------------------