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3月9日 句会報告

2025年3月9日 樸句会報 【第150号】  3月最初の句会、今治西高校2年の野村颯万さんが参加して下さった。第27回神奈川大学全国高校生俳句大賞・恩田侑布子賞受賞の高校生である。  YouTubeで、受賞句「早梅や連綿線の長き脈」を確認。素晴らしいと思った。書道技法講座『関戸本古今集 伝藤原行成』を改めて開いて確認する。長き脈を一気に引いた後、まるで梅を咲かせる如くゆっくりひらがなを咲かす。しかも早梅である。恩田先生が「早梅が動かない」と仰ったことに完全に同意。「梅」だけでも絵が浮かぶが、「早梅」とすることで、筆の動きと馥郁とした香りまで漂ってくる。脈から思い通りに文字を咲かせた時の喜び、満足感まで共感する。『関戸本』を習う時、野村さんの俳句を思い出すだろう。  今日の句会はあと3時間ぐらい欲しいと思ったほど。野村さんに感謝したい。句会に出した野村さんの俳句は、恩田先生の特選、そして最高得点句であった。 3月9日の兼題は「春の水」、「囀」。 特選2句、入選2句、原石賞1句を紹介します。   閃きはつばめの腹にこそあらめ    恩田侑布子(写俳)   ◎ 特選 春水のつぶれぬやうに墨を磨る              野村颯(そう)万(ま) 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春の水」をご覧ください。 ↑ クリックしてください   ◎ 特選 パレットへ囀りの色溶きにけり              益田隆久 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「囀」をご覧ください。 ↑ クリックしてください   ○ 入選  囀りや石窯で焼く手ごねパン                岸裕之 【恩田侑布子評】 パンを「石窯で焼く」とは本格的。しかもパン練り機ではなく「手ごね」とは。 「囀りや」の切れから、木立ちの豊かなイタリア地方都市の朝が、映画のように浮かんできます。いかにも美味しそうです。   ○ 入選  水茎のあの人らしさ花なづな                益田隆久 【恩田侑布子評】 「花なづな」の白い小さな花から、手紙なのか一筆箋なのか、恥ずかしげなやさしい初々しい筆跡が目に浮かびます。作者が好ましく思っていることも伝わってきます。「あの人らしさ」なので、まだそんなに間柄が深くなさそうなことも。花言葉は「あなたにわたしのすべてを捧げます」。作者の弁から、恋とは違う大切な旧友とわかりました。こんな同級生がおられるのは幸せです。   【原石賞】海賊の連歌一巻花月夜               野村颯万 【恩田侑布子評・添削】 勇壮な春の俳句です。中世には長連歌が流行りました。これはその二条良基の周辺で活躍した連歌師たちの高尚な連歌ではありません。「海賊の」といいます。そこが俳諧精神躍如たるところ。ただし、俳句という詩の表現を完成させるにはたんに意味だけでなく、言葉それ自体の質感が大切になります。「海賊」の措辞はバイキングを思わせやや乱暴で内容にそぐわないように思います。村上水軍や九鬼水軍が活躍した時代を彷彿させましょう。上五の質感を変えるだけで、さらに格調高い大柄句になります。 【添削例】水軍の連歌一巻花月夜   【後記】  巻尺を伸ばしてゆけば源五郎  ( 波多野爽波 『骰子』)  巻尺は、自分の価値観、そして表現すべき言葉。自分の巻尺には限界があり、自在に動き回る源五郎には届かない。初めて樸俳句会に出た頃、古田秀さんの俳句の良さがほとんどわからなかった。つまり、私の巻尺では届かない俳句に出会った。それが、自在に動き回る源五郎であろう。  自分の価値観、手持ちの言葉を超える俳句に句会で出会い、衝撃を受ける。恩田先生から、何十回とダメ出しをもらう。そのような、殴られるような経験を句会で積み重ねることで、自分の巻尺の可動範囲が拡がってゆく。一人でやっていたら、やがて言葉が枯渇する。  本を100冊読む以上に句会で鍛えられる方が、枯渇した言葉がまた充填される。これが、句会でしか経験出来ない醍醐味である。  (益田隆久) (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 野遊びのつひに没日の海へかな    恩田侑布子(写俳) ==================== 3月23日 樸俳句会 兼題は龍天に登る、たらの芽。 入選1句、原石賞4句を紹介します。 ○ 入選  春の暮真子の煮つけは反り返る                成松聡美 【恩田侑布子評】 真子は魚の卵巣で腹子ともいいます。ちなみに白子は雄の魚の腹にある精巣。たしかに卵塊は、包んでいる薄皮と収縮率がちがうせいか、煮ると反り返ったり破れたりします。これは鋭い着眼です。反り返って破れた袋から無数の魚卵の粒がはみ出す様まで想像させ、春の夕暮にふさわしい気怠い懊悩までも感じさせます。   【原石賞】龍天の涙壺より溢るるか               小松浩 【恩田侑布子評・添削】 龍天に」までいえば季語になりますが、「龍天の」では季語になりません。ただ独特な発想が斬新です。「涙壺」から龍が飛び立つというふうにはっきりと表現すると、現代の戦乱の絶えない世界を象徴するみごとな現代俳句になります。 【添削例】涙壺より龍天に登りけり   【原石賞】多羅の芽の眼下鵜(う)山(やま)の七(なな)曲(まが)り               活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】 近景の春の山菜と、中景から遠景へ伸び広がる景色の対比が効いています。大井川の蛇行のさまを一望する雄大な景勝地「鵜(う)山(やま)の七(なな)曲(まが)り」の地名をよく生かし切った句です。漢字がごちゃごちゃしているので季語はひらきましょう。「眼下」の措辞よりも身体感覚に響く「足下」を持ってくると、川底に向かう斜面から俯瞰した奥行きも出ます。 【添削例】たらの芽の足下鵜(う)山(やま)の七(なな)曲(まが)り   【原石賞】龍天に昇り昼夜は真半分               坂井則之 【恩田侑布子評・添削】 発想がユニーク。着眼の独自性に感心します。が、それを十分に生かしきれていないのが残念です。原句のままでは「龍天に昇り昼間と夜間がちょうど真半分になった」と、春分の時候の説明臭が残ります。俳句には謎が必要です。次のようにすれば、いま現在の酷い世界の闇の部分まで浮き上がりましょう。 【添削例】龍天に昇る昼夜を真つ二つ   【原石賞】龍天に登る柏槇の突兀               益田隆久 【恩田侑布子評・添削】 柏槇は寿命の長い常緑針葉高木です。沼津の大(お)瀬(せ)崎(ざき)の柏槇樹林は樹齢千年ともいわれる国の天然記念物で、鎌倉には建長寺、円覚寺、浄智寺など、柏槇の大樹のある寺が多いです。中国では真柏(しんぱく)と呼ばれ、山東省曲阜市の孔子廟を訪ねた時にも、真柏が亭々と天に聳えていました。「突兀」の措辞によって、ねじれ曲がる複雑な樹肌が彷彿とします。その天へ伸び上がる大樹の勢いを活かし、「龍天に」で言い納めると大柄句になります。 【添削例】柏槇の突兀として龍天に   閼伽水にうかぶ白蛾や春の昼    恩田侑布子(写俳)

あらき歳時記 囀

photo by 侑布子 2025年3月9日 樸句会特選句  パレットへ囀りの色溶きにけり  益田隆久  句のいきおいに春の躍動感があります。こういわれると、たしかに「囀り」が多彩な色を秘めているように思われてきます。「パレットへ」で始まる一句の構成もみごと。囀りの声音、音階、リズムのみならず、まわりの木立ちの葉叢や、花の匂いまで、ことごとく色絵の具になって作者の筆に乗り、いまにも豊潤な水彩画が描かれることでしょう。聴覚(耳)と視覚(眼)と動作(身)の共感覚が交響する素晴らしさ。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

あらき歳時記 春の水

photo by 侑布子 2025年3月9日 樸句会特選句  春水のつぶれぬやうに墨を磨る  野村颯万(そうま)  「春水のつぶれぬように」にまず驚かされます。それが墨をする行為ですよと作者は静かにいいます。白磁の水滴からしたたった春水は硯海にゆらりとたゆたいます。墨をおろし、まろやかに墨の重さだけで磨りはじめる時、春の水の一粒一粒がふっくらと青みを帯びてふくらんでゆくようです。「硯海に春水をいれ墨をする」とまではいえても、「つぶれぬように」とは凡手にはとてもいえません。「春水をつぶさぬやうに」としなかった自然で繊細な語感とともに、みずみずしい感性が匂う秀句です。十代の作とは思えない格調があります。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

2月23日 句会報告

2025年2月23日 樸句会報 【第149号】

 2月2回目の句会23日は、最長の寒波が日本列島を覆い、日本海側、北日本の屋根の雪おろし、めったに雪の降らない九州でも雪掻きをしている様子が、テレビに映し出されている。普段暖かい静岡でも北風が吹き寒い。
  しかし私たちは、zoomというありがたいシステムがあるおかげで、北風の吹く中暖かい部屋で句会を開くことができるのです。
  兼題は「春光」「辛夷」です。特選1句、入選2句、原石賞3句を紹介します。

 

雪解野や胸板は風鳴るところ    恩田侑布子(写俳)
 

◎ 特選
暮れてなほ弾む句会や花こぶし
             益田隆久

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「辛夷」をご覧ください。

クリックしてください
 

○ 入選
 見はるかす白馬三山花こぶし
               岸裕之

【恩田侑布子評】

名峰白馬岳は・杓子岳・白馬槍ヶ岳へと尾根を縦走する登山者も多く、白馬三山と総称されます。三〇〇〇メーロルに迫る北アルプスの高峰で高山植物の宝庫です。途中には大雪渓があったり、山頂からは日本海が見えたり、白馬槍には徒歩のみで行ける温泉があったり、登山家の聖地です。作者はかつて白馬三山を踏破したことがあったかもしれません。あるいは私のように、永遠の憧れの高嶺なのかも。とまれ、清らかなこぶしの花越しに望む、その名もうるわしい白馬三山の雄峰は早春の絶景です。「見はるかす」の措辞が盤石。
 

○ 入選
 青空に挑むじやんけん花こぶし
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

肌寒い早春の青空に向かって、真っ白いこぶしの花がじやんけんを挑んでいるよ。グーもパーもチョキもあるよ。こぶしの花に向かう童心が躍っています。いや、ほとんど花こぶしの気持ちになりきっているといっていいでしょう。作者の周りはこれからきっと、明るい気持ちの良い日々になるに違いありません。
 

【原石賞】こぶし咲く「れ」の字空へと散りばめて
              長倉尚世

【恩田侑布子評・添削】

写生眼が素晴らしいです。そういわれてみればたしかにこぶしの花が「れ」の字に見えてきます。句の弱点は中七にある「へと」。ここで急に説明臭くなってしまいます。一字を入れ替えるだけで、にわかに句の景色が明るくなりませんか。余談ですが、子どもに白木蓮とこぶしの花の見分け方を聞かれたら「れの字に見えるほうがこぶしの花で、見えないのが白木蓮だよ」と、自信を」もって教えてあげられそうです。

【添削例】こぶし咲く「れ」の字を空へ散りばめて
 

【原石賞】踏まれるも下萌の香の高くあり
              益田隆久

【恩田侑布子評・添削】

春先に萌え出たばかりの下草を踏んでゆきます。そのとき、目には留まらないが、独特の香りをもつものがあるなあと、素直に思ったのです。目のつけどころが素晴らしい俳句です。これは、発想の契機とも、俳句のグリップ力ともいう、一句の根をなす作者の心位であり、教えて教えられるものではありません。各人が精神を涵養しなければ把握できないものです。あとは、句作の最終段階である表現の問題になります。たった二字を変えるだけで格調の高い素晴らしい俳句として完成します。

【添削例】踏まれたる下萌の香の高くあり
 

【原石賞】春光を睨み返さむ天井絵
              岸裕之

【恩田侑布子評・添削】

面白い句ですが、肝心の主体が抜けています。作者自身には「龍」が睨んでいることが自明なのでしょうが、読者はそうはいきません。八方睨みの龍の絵は京都の天龍寺や妙心寺や、枚挙にいとまないですが、変わったところでは北斎晩年の、小布施の祭屋台天井絵もあります。しっかりと「龍」の主体を打ち出し、「睨むや」と切字で余白を大きくしましょう。春光に今にも龍が躍り出しそうになりませんか。

【添削例】春光を睨むや龍の天井絵
 

【後記】
 今回もいろいろな意見、疑問、質問がとびかい白熱した句会となりました。
  その中で、兼題の「辛夷」の句に、「辛夷は咲いていない。実物を見ていない。それは机上の句ではないか。それでもいいのか。」というような質問が出された。確かに私もあちこち辛夷を探したのですが、咲いていなかった。
それに対して先生は「過去もふくんだ今を一句の中にとけあわせる」とおっしゃった。ふむ。ふむ。
  森澄雄の句に、「ぼうたんの百のゆるるは湯のやうに」がある。牡丹はあらかた散っていたという。
「(略)見てないから、牡丹がみえて、そのふくらみまで見えてくるんでしようね」と澄雄は言っている。( 『新版現代俳句下』山本健吉著、1990年 角川)
  この句を句会の最中に思い出しました。
  句会は句作のヒントがたくさん。まだまだヒントがあったように思いますが、まずは今回の先生の講評を読み句会を振り返ってみようと思います。
 (前島裕子)
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

死にかはり逢ふ白梅の日と翳と    恩田侑布子(写俳)
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2月9日 樸俳句会
兼題は猫の恋、ヒヤシンスでした。
入選3句、原石賞1句を紹介します。

○ 入選
 吾の術日母には告げず風信子
               活洲みな子

【恩田侑布子評】

手術を控えた身はなにかと不安なもの。子ども時代ならば両親がすべて心配してくれ甘えられたのに、いまは立場が逆。老いた母をこちらが心配する番です。といっても、母親に五体満足で産み育ててもらった身体に、初めてメスが入ることを本当は打ち明けたいのです。昔のように母からひとことでいいから慰め励まされたい。とまどい疼く思いが風信子のうすむらさきの春光に揺らいでいます。
 

○ 入選
 ヒヤシンス手付かずの明日ありし窓
                益田隆久

【恩田侑布子評】

小学校三年生でしたか。「水耕栽培」を習った驚きはいまも新鮮です。げんげもチューリップもマーガレットも、花はみな土の上に咲くと信じていましたから。教室の大きな窓際にクラスメイトの名札をつけたヒヤシンスのガラス瓶がずらあっと並んだ日。ほんとに咲くかしら、どんな色かしらと友だちと想像し合ったよろこび。そこにはみんなに平等な「手付かずの明日」がたしかにありました。「明日ありし窓」と過去の記憶なのに、「ヒヤシンス手付かずの」という上半句によって、触れ得ぬみずみずしい未来が、水中を透過する光の感触とともに伝わってきます。
 

○ 入選
 立春や逆さ葵の菓子を買ふ
               長倉尚世

【恩田侑布子評】

徳川家康の御紋章は三つ葉葵ですが、東照宮の拝殿垂木には逆さ葵がわざわざ金泥で描かれています。ネット上では「建物をわざと未完成にするため」で、仏教思想由来と説明されますが、本来は老荘思想でしょう。先日、イチローが殿堂入りした折に、満票でなく一票欠けたことを、「さらに努力し続けるのが好きだから嬉しい」とコメントした立派な人柄も思い合わされます。『老子第四十一章』には「上徳は谷の如く、大白は辱(はじ)の如く、廣徳は足らざるが如し」があり、「大器晩成」という四字熟語につながってゆきます。『荘子』斉物論にも「其の成るや毀(こわ)るるなり」の言葉があります。家康は幼少期に臨済寺で漢籍の素養を深く積んだ人でした。
 

【原石賞】ヒヤシンス登校しない子の鉢も
              見原万智子

【恩田侑布子評・添削】

クラス全員に一株ずつヒヤシンスの球根が与えられ、育てています。「不登校」でなく「登校しない子」とやさしくいったことで、どうしてだろう、病気で入院しているのかしら、不登校なのかしらと、いろんな想像がふくらみます。「鉢も」だと土植えですが、「瓶も」とすれば、音韻に春の寒さが加わり、ヒヤシンスの繊い根がガラスの水底へ伸びてゆく姿も浮かび、顔の見えない子を思いやる淋しさが余韻となって残ります。

【添削例】ヒヤシンス登校しない子の瓶も
 

夜の梅さかさ睫毛を抜かれつつ    恩田侑布子(写俳)

あらき歳時記 辛夷

photo by 侑布子 2025年2月23日 樸句会特選句  暮れてなほ弾む句会や花こぶし  益田隆久  句座はいつもながら俳句談義に盛り上がり、締めの時刻が過ぎても終わる気配がありません。日永とはいえ、外には夕闇が迫ります。窓辺の白いこぶしの花が残んの青空を背景に、白くちらちらと光を留め、かがやきます。その姿はまるで私たちのよう。俳談が尽きないのは、欲も得もなく一句に共鳴して、自分がまるで作者になり変わったかのように俳句の世界に入り込んでしまうから。俳句を楽しむ純粋な思いを春風に揺れる花こぶしによそえて、思いを分かち合う清談のよろこびを伝えます。句姿も内容に沿ってじつに美しい。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

あらき歳時記 寒声

photo by 侑布子 2025年1月26日 樸句会特選句   寒声や師匠口ぐせ「間は魔なり」  岸裕之  師匠の声が座敷に響く寒中の稽古です。「間は魔なり」と、発止たる文語調に力があります。小唄の稽古ということですが、邦楽の音曲にとどまらず、日本文化は書道も能も歌舞伎も落語も「間」の文化です。俳句の「切れ」と余白も、その変奏といえましょう。この句の良さは、「寒声や」の切字で鋭く切れ、中七でそれが師匠の口ぐせであると、稽古の厳しさを想像させ、トドメとして「間は魔なり」と内実へ彫り込んだところです。師の鋭い肉声は、油断も隙もない時間と空間の「間」を剔抉し、寒気をいっそう引き締めます。心技一体の東洋の芸が立ち上がる見事さ。 (選・鑑賞 恩田侑布子)

樸会員 古田秀が第15回北斗賞を受賞しました!

古田秀、第15回北斗賞受賞!
このたび、樸会員の最若手古田秀さんが、株式会社文學の森主催の北斗賞(40歳までの作品150句を対象)にかがやきました。『月刊 俳句界』2025年2月号に自選30句と受賞の言葉が掲載されています。
選考にあたられた野中亮介先生、堀田季何先生、阪西敦子先生に、樸一同深く感謝申し上げます。秀さん、今までの弛まない努力が実り、おめでとうございます。
なお、本号の巻頭特集「俳句という芸術」に、恩田侑布子が拙稿を寄せておりますので、併せてご高覧いただければ幸いです。
 

受 賞 の こ と ば
 ずっと目標にしてきた北斗賞に、4回目の挑戦で手が届きました。時期尚早か、満を持してか、どちらの気持ちもありますが、句集出版に向けて全力を尽くしたいです。コロナ禍の直前に滑り込むように樸の門を叩き、どんなときも正直で率直で容赦のない恩田先生の審美眼を頼りに俳句を続けて来られたこと、本当に幸運だったと思います。恩田先生、樸俳句会の皆さま、本当にありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

古田 秀(ふるた・しゅう)
1990年北海道札幌市生まれ。
2020年樸入会。
22年全国俳誌協会第4回新人賞。
24年第3回鈴木六林男賞受賞。
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