【寄稿】俳人・恩田侑布子さんのこと   

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今回は、代表・恩田侑布子の高校・大学の先輩でもある川面忠男氏がブログの転載をご了承くださいましたので、掲載させていただきます。川面様、厚くお礼申し上げます。

静岡市の写真 20180123
                               photo by 侑布子

    俳人・恩田侑布子さんのこと
                        川面忠男
             
 俳人の恩田侑布子(おんだ・ゆうこ)さんが昨年はひときわ脚光を浴びた。朝日新聞の俳句時評を担当しているが、2017年は句集「夢洗ひ」で芸術選奨文部科学大臣賞、現代俳句協会賞を受賞したのだ。
 恩田さんは静岡高校、早稲田大学の私の後輩になる。静岡高校の同窓会、「静中・静高関東同窓会」が会報を発行しているが、その「静中・静高関東同窓会会報」が昨年12月に送られてきた。その中に恩田さんの「俳句と出会った静高時代」と題した寄稿文が載っている。これを読んで私はいささか衝撃を受けた。
 <昼休みの図書館でも、参考書に向かう先輩たちを尻目に、書架の『原始仏典』を読み耽っていた。蝋燭の火を吹き消す如しという「涅槃」と、生きているいのちの「刹那滅」とに悩み続けた。夜ごと、小説・哲学書・老荘から俳句へ、乱読書の密林はいたずらに繁りまさった。>
 こう述べて「身にしむや亡妻の櫛を閨に踏む」(蕪村)、「滞る血のかなしさを硝子に頒つ(林田紀音夫)、「会えば兄弟(はらから)ひぐらしの声林立す」(中村草田男)、「落葉踏んで人道念を全うす」(飯田蛇笏)の4句を挙げている。そして各句について感動の体験を語っている。草田男の句を例に見よう。
 <「会えば」は、ストンと腹落ちした。川が大好きで、よく泳ぐ藁科川や笹間川の青い淵に、帰り際はひぐらしの声が降りそそいでいたから。生きながらえれば、いつか魂のはらからに逢える日が来るだろうか。浄福を告げたわたるまぼろしのひぐらしにあこがれた。>
 私も授業が自由時間となる土曜日は図書室を利用したが、参考書に目を通すのが精いっぱいで、恩田さんのように文学の洗礼は受けなかった。
 「静中・静高関東同窓会会報」の編集人である八牧浩行さんが私に恩田さんを紹介してくれたことから「月に5回の句会に出ています」などとメールを送り「素晴らしいですね。私は月に3回」などと返信をいただいたが、汗顔の至りである。詩人としての資質が劣ることは言うまでもないが、文学的体験の時間と量が圧倒的に少ない。これはどうやっても追いつかない。恩田さんを俳句の大先輩と思うことにしよう。
 まず「俳句」1月号に載っている恩田さんの「切れ――他者への開け」と題した文章が参考になる。<俳句の核心は、書かれていない余白にあります。余白を生むのはこの「切れ」です。(略)小論では、切れによって生じる余白が他者への大いなる開けであり、俳句という文芸の世界詩としての可能性であることを微力ながら提示したいと思います。>。それに続く文を繰り返し読んでいるところである。      (2018・1・13)

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