8月5日 句会報告と特選句

 8月1回目の句会が行われました。今回の兼題は「風鈴」「夜店」でした。
「風鈴」は住宅環境の変化によって最近は姿を消しつつありますが、あの音色は日本人のDNAに刻まれているのか、自然と涼しい風を感じることができる気がします。

さて、まずは今回の高得点句から。

風鈴に音みな吸い取られし午後
            佐藤宣雄

「夏の午後の倦怠感がある」
「音を“吸い取られる”という表現がとても勉強になった」
「風鈴の音が聞こえるからこそ、より周りの音が静かに聞こえるという感覚が共感できる」
というような意見が出ました。

恩田侑布子からは、
「発想は面白いがリズムが良くないと思う。静謐な風鈴の音を感じる上五と中七があるのに、最後の「午後」という音が雑音になってしまっていてもったいない。」という意見が出ました。
 作者は情景を明瞭にしたいと思い、あえて「午後」を入れたとのことでした。 
 全体のリズム感を保ちつつ、自分の描きたい情景を浮き上がらせる…難しい!
 
sando

 さて、続いての句です。

ちちははとあにあねと行く夜店かな
            藤田まゆみ

「幼いころを思い出している光景かなぁ」
「夜店の出ている場所へと向かう、幼い日のあたたかい雰囲気が懐かしくなる」
「できたらもう一度戻りたい」
「あとから付いていく自分の姿を俯瞰で見ているよう」
というような、幼いころを思い出す意見が多く出ました。
が、一方で
「これはこの句会(大人しかいない句会)で投句されているから“過去を懐かしんでいる”というような鑑賞になるが、誰が投句しているか分からない状態だったら小学生の素直な句と感じるのではないか?」というような意見も出ました。

恩田侑布子もこの意見に賛成とのことでした。
また、「ちちはは」は良いとしても「あにあね」まで平仮名にしてしまうのはやや作為的に感じてしまう、という意見が出ました。
あえて作為的にしたからこそ、小学生の素直な句には思えなかったのかもしれません。
 とはいえ、指摘があった通り「句会の状況を見て、句を勝手に解釈してしまう」というのは句の本質をとらえ損ねる危険があるので、今後も注意していきたいと思いました。

 次回の兼題は「涼し」「残暑」です。暦では秋ですが、現代の日本では8月下旬はまだ秋の実感よりも、夏がかげっていく実感の方がしっくりきますね。夏好きとしては、離れがたい気持ちでいっぱいです。(山田とも恵)

natsufuji


特選
 
貝風鈴カウンセリング始まれり                         山本正幸

 貝風鈴がカウンセリングの小部屋に吊るされている。白やスモーキーピンクのやわらかな色の薄い貝殻たちが透明な糸につづられて音もなき音、かそけき音をたてる。砂浜を裸足で歩くときのあの心地よさをからだのどこかが思い出すような音色(ねいろ)である。これはなんのカウンセリングだろう。深刻とまではいかないけれど、もやもやとした気の晴れない悩みごと、心配ごとの相談に来たのだろう。カウンセラーの話を聞く前に、揺れる貝殻のしずかに触れ合う音に癒されてゆく。こころはすでになかば静まって、これから対処してゆくべきことが夜明けの水のように感じられる。作者はカウンセリングの受け手であったかもしれないが、不思議にも掲句のデリケートさ、やさしさ自体がヒーリング効果をもっているようだ。A音の頭韻に、ラ行のリリレリが添って、調べに微妙な風と陽光がささめく。七月初めの梅雨の晴間。ゆれる貝殻のむこうに青空がみえてくる。
        (選句・鑑賞 恩田侑布子)

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