3月23日 句会報告

2022年3月23日 樸句会報 【第114号】

今回の兼題は「彼岸」「卒業」「青饅」――まさに彼岸のさなかの句会となりました。春分を迎える頃に冷え込むのが常とはいえ三月中旬の寒さは例年以上に厳しく、北日本は豪雪に覆われました。さらに十六日には福島沖を震源とする烈震が発生し、亡くなられた方もいらっしゃいます。被害に遭われた皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

特選句1句、入選句2句、原石賞3句を紹介します。

2022.3句会報用中

静大バース ネオホッケーサークルのみなさまと用宗海岸で。photo by 侑布子

◎ 特選
 富士山の臍まで白き彼岸かな
            塩谷ひろの

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「彼岸」をご覧ください。
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○入選
 卒業式音痴の友は右隣
               島田 淳

【恩田侑布子評】

清新な希望をうたったり、厳かであったりする「卒業」の俳句としてはかなりの異色作です。卒業式で隣にいる親友が、最後の歌声を張り上げます。またしてもいつもの音痴ぶり、自分もついつられそう。オッと、こいつはもう明日からは隣にはいないんだ。そう気付いた時に、おかしさの中に込み上げる、今日を限りに会えなくなる別れの神妙さ。さびしさと笑いがないまぜになった感情の微妙さ。この「音痴の友」の盤石の存在感はどうでしょう。なんとも人間味あふれる俳句です。

【合評】

  • 調子っ外れの歌も、もう聞けなくなると思うと価値を再認識する。誰よりも仲の良い友人なのだろう。
  • ただ感傷的なだけではない、こんな切り口で卒業をとらえるとは、面白い。

 
○入選
 ふるさとをとほざける地震雪の果
               前島裕子

【恩田侑布子評】

ふるさとの山河を子どものころのように伸びのびと歩き回りたい、老親と春炬燵を囲んでゆっくりくつろぎたい。いつも胸の底にある願いは、またもや東北を襲った震度六強の地震に打ち砕かれました。三・一一以来、岩手に生まれ育った作者の望郷の念は強まるばかりです。座五に置かれた「雪の果」は、暖国に生まれ育った私には想像を絶します。垂れ込める雪空の長い冬が終わったと思いきや、また冴え返りふりしきる雪。春の終わりを告げる「雪の果」のなんと切ないこと。

  
【原】卒業歌止み数秒のしじま在り
              猪狩みき

【恩田侑布子評・添削】

数多い学校行事のなかで、最もゆったりと進行するのが卒業式。全員起立して歌う卒業歌では、いつものお茶目はどこへやら、感極まって泣く子も少なくありません。その荘重な歌が止んだ後の静寂に思いを寄せる句です。惜しむらくは「止み」「在り」で説明臭が出てしまいました。万人の胸に畳まれた卒業式の講堂の空気感は、まさに「しじま」に任せたいものです。

【改】卒業歌止みたる数秒のしじま

【合評】

  • そういう雰囲気でした。音が止み、間をおいて次の音が、保護者席からパラパラ拍手が起きたりする。見守る側の優しい視線も感じられる。
  • その一瞬に何を思う。

  
【原】失敗せむ卒業からの迷ひ道
              海野二美

【恩田侑布子評・添削】

原句ではなんのことかわかりませんでした。句会で「小さい時から優等生の子は小さくまとまって口うるさいが、出来の良くなかった子は卒業後面白いように伸びる」という作者の弁を聞き、同じ脱線組の私には腑に落ちるものがありました。一字変え、命令形にすれば、ユニークで裕か、おかしみあふれる人生讃歌になります。

【改】失敗せよ卒業からの迷ひ道

【合評】

  • 現状は学生時代の志や理想とかけ離れているのだから失敗してもかまわないという気づき、積極的に足掻き抜いた果てにあの日の理想に近づけるかもしれないという希望、を感じます。
  • 高校を卒業以降、自分の辿った道には悔いもある。でも「迷ひ道」との言葉に、「あれはあれでよかったのだ」と許された気持ちになった。あたたかく背中を押してくれる作品。

  
【原】四方山に飛ぶ燕をくぐりけり
              芹沢雄太郎

【恩田侑布子評・添削】

二〇二二年三月、作者は建築の仕事でインドに着任、南アジア大陸での獲れたて俳句です。作者の弁には「インドで大量の燕が低く乱れ飛ぶ様を見て、世間という意味も含まれる『四方山』という言葉を引っ張ってきましたが、適切なのか不安になっています」と正直に書かれています。実は、単独で掲句に向き合ったときは〈八方へとぶつばくらをくぐりけり〉と日本の河空を高く飛び交う燕の情景に添削してしまいました。しかしインド大陸詠であれば、「大量の燕が低く乱れ飛ぶ」エキゾチックな状況を生かすべきでしょう。

【改】ここかしこ飛ぶ燕をくゞりけり

 
【後記】
本日は、国会において、ゼレンスキー大統領のオンライン形式での演説が行われました。振り返ると、先月の二十四日からロシアによるウクライナ侵攻が始まり、翌日には北東部でクラスター弾攻撃を受け、幼稚園に避難していた子供が犠牲となっています。その報道に、たしか禁止された武器であるはず、と思い、足元がゆらぐのを覚えました。何が現実で何が虚なのか? かけがえのない命に多くの人が手を差し伸べようとする、身近にある社会もいつまた覆されるか知れないのか? 前回の句会を前に、すっかり子供に関係した句しか詠めなくなってしまいました。そんな自分と引きかえ、他の会員はものを見極める目を捨てず、戦車を題材にした四作品も投句されていたことを、ここに記しておきたいと思います。それを読み、私たちの目、耳、手足、心は、気持ちを文字にする自由を守るためにある――そう気づかされました。 (田村千春)

今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞3句、△3句、✓シルシ5句、・21句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

2022.3句会報用下

photo by 侑布子

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3月6日 樸俳句会 
兼題は「春泥」「犬ふぐり」「暖か」でした。
入選3句、原石賞2句を紹介します。

 
○入選
 春泥を跨ぎて宝くじ売場
                古田秀

【恩田侑布子評】

そういえば宝くじの寿命は長い。始まりは江戸時代で、今の形のものは昭和二十年からとか。都会のノッポビル一階で売られる現代の宝くじというより、春泥があちこちにあった古き良き時代を哀惜するような俳句です。この句の良さは、くじを買う人の心理をそこはかとなく思わせること。春泥をまたぎ越す勢いで、とびっきりいいこと降ってこい!祈る庶民の一瞬の真剣さ。そんなことありっこないおかしみ。

 
○入選
 ままごとの今日のお菜はいぬふぐり
               海野二美

【恩田侑布子評】

星野立子の代表句の一つ、「まゝごとの飯もおさいも土筆かな」に匹敵するような俳句です。特に「今日のお菜」が秀逸。昨日とおとといは違う花を摘んで遊んだことが想像されます。イメージの中に春の暦日の彩りが広がり出します。幸福感を俳句にするとイヤミになりがちですが、この句にはそういうところは一切ありません。俳句に熟練しつつ、手練れにならない素直な浄福をうたっています。

 
○入選
 いぬふぐりうしろ歩きに仰ぐそら
               田村千春

【恩田侑布子評】

広々とした河川敷の広場でしょうか。青い犬ふぐりがささめくように顔を出し、光の春がやってきています。あまりにも気持ち良くって、腕を伸ばしながら、ついつい後ろ歩きをしてしまいます。地べたはどこまでも平らで柔らかく、安心して見えない後ろへ歩けるのです。なんて夢見るような空だろう。パステルブルーの大空に吸われる心と、犬ふぐりの瞬きを踏んでゆく足元と。極小と極大のブルーが三月の清らかなよろこびを奏でて心洗われる俳句です。

    
【原】春泥を乗せ小さき靴踏む輪舞
              海野二美

【恩田侑布子評・添削】

幼い児の色靴が、泥はねを乗せてくるくる踊るように遊んでいます。なんとも愛らしい春昼の光景です。ただ七五五のリズムが、とくに句末にゆくほど窮屈になっていると思いませんか。「踏む」を省略し、上五中七の順序を変えるだけで素晴らしい春の句になります。

【改】小さき靴春泥のせて輪舞かな

    
【原】経典の響く限りの朧かな
              芹沢雄太郎

【恩田侑布子評・添削】

作者コメントを拝見。日本を発ち、中継地のデリー空港に着陸した夕方、インドとの初対面の印象を詠まれたとのこと。彼の地への憧れがむかしから強い私にはたいへん羨ましい情景です。ただ、この句で一番の問題は「経典」という語です。経典は響きません(笑)。次に「限りの」が曖昧です。その辺を直して、大陸の持つ春の茫洋感が迫ってくるようにしましょう。添削案としては、

【改】読経の大地とよもす朧かな

ちなみに、上五の読みはどきょうでなく、ドッキョウです。    

2022.3句会報用上

photo by 侑布子

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