1月6日 句会報告

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謹賀新年。静岡は上天気の正月となりました。句会の行われる「アイセル」からほど近い静岡浅間神社には三が日で50万人の人出があったようです。
今回の兼題は「師走」と「暖房」です。
高点句や話題句などを紹介していきましょう。
恩田侑布子特選句はありませんでした。
 
 
宅配の路地をすり抜け十二月
           久保田利昭

恩田侑布子入選句
「なにげない風景だが、届ける先の人がどんな人か想像させる。路地という言葉から、そんなに裕福ではない暮らしなのだろう。高齢者かもしれないが、たくましく生きている」
「“すり抜け”のスピード感がいい」
「季語の本意、本情を買った」
などの感想、意見が出ました。
恩田は、
「季感が横溢している。働く人の実感が中七にこもり、届けられて喜ぶ人の顔が見える。“すり抜けて”でなく“すり抜け”でスピード感が出た。“路地を”の‟を”が効いていて弛みがない」と講評しました。

 
 
嘘ばれるように暖房消えにけり
            佐藤宣雄

「エアコンのことだと思った。消すと室外機が変な音を立てて止まるような」
「石油ストーブと思う。比喩が面白い。暖房が消えた寒さと心の寒さが重なる」
「ストーブが消えたことにふと気づく。ウソがばれた冷たさ」
と感想、意見が出ました。
恩田は、
「レトロなストーブを連想した。可愛い嘘、悪質ではなく愛らしい嘘なのだろう」と講評しました。
 
 
呆けたる身を素通りす師走かな
            佐藤宣雄

 
恩田侑布子原石賞
「最近このようなことを身をもって感じる。歳月を経てきた気持ちを代弁している」
「師走で忙しい他人の雑事とは関係なくボケている。自虐的な句で皮肉と滑稽さがある」
「自身の加齢を客観的にみている」
など感想、意見。

恩田は、
「‟呆ける”をほうけると訓ませるのはどうか。‟惚ける”か‟耄ける”であろう。また、句形に誤りがある。‟かな”で終わるときは、上五~中七で圧力を高めていって、一挙に‟かな”でひびかせる。「また、この句は‟素通りす”と、終止形で切れてしまっている」と述べ、次のように添削しました。

 ぼけし身を素通りしゆく師走かな
 
「立句になり、自己客観化による自嘲の句になりませんか」と解説しました。
 
 
米を研ぐ指の透き間に十二月
            松井誠司

恩田侑布子原石賞
「指の透き間から時間が通り過ぎていってしまう。中七がいい」
「十二月にこのような中七を持ってきた。白魚のような女性の指を思う」
「きれいな指と水の冷たさを想像できるきれいな句」
と感想、意見。
恩田は、
「行間に寂しさが感じられる。365日、誰にも評価されずに指の透き間を流れていった日々。こうやって研いできて、今、十二月にたどり着いた感慨がある」と講評しました。

 
 
[後記]
今年の初句会。年賀の挨拶もそこそこに、皆それぞれ早速選句に没頭します。沈黙に支配され、張り詰めたこの時間が筆者は好きです。今回も句の合評からさまざまな話題に飛びました。言葉の持つ喚起力を感じます。
次回の兼題は「当季雑詠(冬、新年)」です。(山本正幸)

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