7月22日 句会報告

令和2年7月22日 樸句会報【第94号】

梅雨明けの好天にいよいよ夏らしさが増してきました。コロナ対策のため窓を開け放ち、大暑の熱気に包まれた句会でした。
兼題は「緑蔭」「木下闇」「瀧」です。

原石賞6句を紹介します。

20200722 句会報上1
 

photo by 侑布子

    

【原】瀧どどど手話のくちびる濡らしをり
              村松なつを

「瀧」の季語に「手話のくちびる濡らしをり」は素晴らしいフレーズ。でも、擬音語の「どどど」は内容にふさわしいオノマトペでしょうか。しかもたいへん目立っています。オノマトペは、詩なら中原中也の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」、萩原朔太郎の「とをてくう、とをるもう、とをるもう」、俳句なら松本たかしの「チチポポと鼓打たうよ花月夜」のように、鮮度とオリジナリティがもとめられます。逆にいうと、オノマトペは斬新な手応えがあったときのみ使えるもので、安易に使うものではありません。そこで一例として、こんな添削案もあります。

【改】朝の瀧手話のくちびる濡らしをり

(恩田侑布子)

【合評】

  • 爆音と無音のコントラスト

 
 
 
【原】泡と消ゆ瀧くゞれども潜れども
              見原万智子

瀧行というわけではありませんが、瀧遊びをした体験をお持ちの作者でしょう。中七以下に実感があってリズムも夏の太陽にふさわしい健康感です。ただしこのままではせっかくの実感が「泡と消」えてしまいそう。もったいないです。素直に次のようにすると、もっともっと潜っていたくなりませんか。

【改】泡真白瀧くゞれども潜れども

(恩田侑布子)

  
【合評】

  • 「くゞれども潜れども」のリズムが、瀧の中でもみくちゃにされている身体感覚を表現してとても面白い。ただ「泡と消ゆ」という外側からの視点とのつながりがよくわからなかった。

 

 
 
 
【原】果てなむ渇きくちなしの花崩る
              山田とも恵

くちなしの花は散る前に黄変して錆びたようになります。そこに心象が重なってくる大変面白い句です。いい得ない女の情念が匂い立ちます。ただ表現上の「なむ」と「崩る」がもんだいです。「崩る」は散るを意味し、地に落ちたら渇きは終わります。そこでまだ終わらない果てしない渇きを出すために次の添削例を考えてみました。でもお若い作者です。じっくり推敲を重ね、ご自身でさらに句を磨きあげていってください。

【改】果てなき渇きくちなしの花すが

(恩田侑布子)

【合評】

  • 七七五のリズムと下五の「崩る」が合っていると感じました。

 
 
 
 
【原】木下闇的外したる天使の矢
               金森三夢

キューピッドの番えた恋の矢が的を外れてしまったようです。うっそうとした木下闇に墜ちた矢はそのまま拾う人もいません。原句は中七の「外したる」がもんだいです。的を故意に外した主体が失恋した作者とは別にいるようです。恋の矢が木下闇に墜落したことだけをいいましょう。印象が鮮明になりますよ。

【改】木下闇的はづれたる天使の矢

(恩田侑布子)

【合評】

  • 外れた矢は闇に吸い込まれて見つかりそうもないし、恋の顛末も気になるし、とってもファンタスティックです!
  • キューピッドを思わせる天使が的を外すというコミカルな感じが良い。

 
 
 
【原】木下闇結界のごと香り満ち
               猪狩みき

ものの感受に詩人の感性があります。野山に木下闇が出現したばかりの五月下旬は、たしかに何の花の香ともしれず芳しい匂いが立ち込めています。それを「結界」と捉える感性に脱帽しました。ただ一つ惜しいのは句末の「満ち」です。これこそ蛇足。俳句は説明過多になると弱くなり、省略が効くと勁くなります。把握が非凡なのです。自信をもっていい切りましょう。

【改】結界のごとくに薫り木下闇

(恩田侑布子)

【合評】

  • 「木下闇」が香るという発想に惹かれました。足を踏み入れることを拒む「結界」のようだと。その香りには甘美にして危険なものが潜んでいるのかもしれません。

 
 
 
【原】口紅の一入紅し木下闇
               田村千春

日を暗むまで枝々の茂る木陰で、口紅の色彩がひとしお強く感じられたという把握に感覚の冴えがあります。ただ耳で聞けば気になりませんが、視覚的には「口紅」「紅し」の文字の重なりが気になります。次のようにされると「ひとしお」の措辞が生きて、不気味な情念まで感じられませんか。

【改】口紅の色の一入木下闇

(恩田侑布子)

【合評】

  • 木下闇を舞台装置とした愛欲を感じさせる措辞が良い。
  • 「木下闇」によって紅さに不気味ささえ感じる。

 

20200722 句会報下2

photo by 侑布子

    

披講・合評に入る前に「野ざらし紀行」を最後まで読み進めました。次の二句について恩田の丁寧な解説がありました。
 
 ゆく駒の麥に慰むやどりかな
 
 なつ衣いまだしらみをとりつくさず 

一句目は甲州を経由して江戸に帰る道中、宿のもてなしに対する感謝を馬のよろこびに託した句。馬が麦畑の穂麦を食む情景を詠いつつ、宿にありつけた自らの姿も重ねている。二句目は「野ざらし紀行」最後の句。長い旅路を終えて深川の芭蕉庵に帰ってはきたものの、旅の余韻に浸りただぼんやりと日々を過ごしているさまを詠っている。旅の衣さえいまだに洗わず放っておいているような、快い虚脱感。
巻末には挨拶句の名手であった芭蕉の、様々な人との交流で生まれた応酬句や、芭蕉を風雅の友として称揚した山口素堂の跋文も寄せられているが、本文中では省略。「野ざらし紀行」は芭蕉が芭蕉になっていく成長段階が濃縮された紀行文であり、「風雅と俳諧の一体化」という芭蕉の文学史上の功績をつぶさに見ることができる。

 
 
 
[後記]
アイセルが使えるようになってから3回目の句会でしたが、県外の方はまだ参加できず人数は少なめでした。会場も句会の議論も風通しがよく、自由闊達な意見が飛び交います。今回は複数の句について恩田から「修飾が多いほど句は弱くなる」と指摘がありました。言葉の修飾によって格調や巧さを演出するのではなく、季語との体験を通して身の内に湧き上がる詩情をいかに掬いとるかが大切なのだと痛感しました。小説さえも自動生成できるAI時代にあって問われるものは表現技法ではなく動機です。私たちの心を動かし句を詠ましむるものは何か、今一度振り返るべきだと思いました。(古田秀)

次回の兼題は「裸」「髪洗ふ」です。
 
今回は、原石賞7句、△1句、ゝシルシ7句、・13句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です