『イワンの馬鹿の恋』(恩田侑布子第一句集)を読む (一)  

イワン1

photo by 侑布子

    


  『断絶を見つめる目』
                   古田 秀

 生と死、明と暗、人工と自然、主体と客体。近代化とは人間を自然から切り離し、あらゆるものに線を引き分類し続ける営みであった。結果として世界の解像度は飛躍的に上がったが、個人と世界、個人と個人の間にさえ、深い断絶が横たわることとなる。俳人・恩田侑布子の作品は、美しくしなやかな言葉の魔法でその断絶のむこう側を描き出す。しかしそれは読者に断絶を再認識させることであり、彼女もまたままならない世界との隔たりを見つめている。恩田侑布子第一句集『イワンの馬鹿の恋』は、その断絶を見つめる視線と緊張感が魅力的である。
   擁きあふ我ら涅槃図よりこぼれ
   後ろより抱くいつぽんの瀧なるを
   蝮草知らぬわが身の抱き心地
   擁きあふ肌といふ牢花ひひらぎ

 「擁」「抱」の字が印象的な四句。他者や自然と一体化する行為でありながら、自らの肌が知覚する接触面がそのまま隔たりとして現れるもどかしさ。しかし半端な慰めを求めず、その隔たりを見つめる凛としたまなざしがある。
   手を引かれ冥府地つづき花の山
   死に真似をさせられてゐる春の夢
   会釈して腰かける死者夕桜
   卯の花の谷幾すぢや死者と逢ひ
   寒紅を引きなつかしやわが死顔

 「死」は生者と常に伴走する。「死」を遠ざけんとしてきた現代社会の在り様とは異なり、恩田は当然のように「死」と対話する。近代化が作り出した生と死の断絶を、彼女は言葉で乗り越える。
   わが庭のゆかぬ一隅夏夕べ
   かたすみの影に惹かるる祭笛
   わが影や冬河の石無尽蔵
   寒灯の定まる闇に帰らなむ
   くるぶしは無辺の闇の恋螢

 「影」「闇」の存在が印象的な五句。全貌が知れない、未知のものを怖ろしいと思うのは、近代的啓蒙主義の副産物。自らも作り出す影、光に寄り添うようにそこにある闇をひとたび受け入れれば、曖昧なままを許す底の知れない懐の深さに魅入られ、目をそらせない。
   粥腹の底の点りぬ梅の花
   翡翠や水のみ知れる水の創
   髪洗ふいま宙返りする途中
   冬川の痩せつつ天に近づけり

 世界と対峙するとき、自らの肉体の変化と眼前の自然の変化は呼応する。それまで知覚できなかったものが、言葉となって現前のものとなる。これまであった世界との隔たりが消えたかのように、感性の翼が自在に空を駆ける。
   みつめあふそのまなかひの青嵐
   寒茜光背にして逢ひにくる
   吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜
   再会の頬雪渓の匂ひして

 恩田曰く、恋は感情の華。表現せずにはいられない衝動にも似た心の震えは、断絶を乗り越えるための大きな原動力となる。互いの存在を確かめ合うのと同時に、最適な距離をさぐる緊張と撓み。恋慕の相手への、まっすぐで凛々しい視線がある。
   生涯を菫のへ捧げたり
   仮の世に溜まる月日や花馬酔木
   来し方やいま万緑の風の水脈
   龍淵に潜み一生ひとよのまたたく間
   光陰に港のありし冬菫
   長かりし一生ひとよの落花重ねあふ

 宇宙の壮大な時間に比べれば、人間の一生は短く儚い。だからこそ今この瞬間の生命のきらめきがあると言えよう。野の草花が、風が、川の流れが、虫や鳥の声が、いま私たちの一瞬と交錯する。恩田侑布子の詩の翼は断絶を悠悠と越え、今この瞬間のきらめきを普遍の境地へ導くのである。     (了)
                 (ふるたしゅう・樸俳句会員)

イワンの馬鹿の恋 書影

『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)

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