『イワンの馬鹿の恋』(恩田侑布子第一句集)を読む (四) 平出 隆

イワン-11-1

photo by 侑布子

     


 囲われるエロスの秘儀、息づく起源

                   平出 隆

 恩田の句集『イワンの馬鹿ばかの恋』(ふらんす堂)を読んでいたら、大きな時の広がりを感じた。それは「恋」という距離の変幻にかかわっている。ひろがり、というのはひとまずは、他者すなわち「おとこの遠さ」である。
 
   みつめあふそのまなかひの青嵐
 
   目のまへの漢のとほさ春の雷

 
 恋人とっているときの充溢じゅういつし、またうつろにもなる感覚として、これらは一般的である。そうした感覚が、しかし別の句では、「自分の遠さ」ともなり変わって、襲い返してくる。
 
   人体は隙間ばかりや春の雨
 
   蝮草知らぬわが身の抱き心地
 
   春嵐千里にべつの吾をりぬ

  
 これらの句は、六章に分かれた最初の「恋 一」の章にある。自分を遠くに投げやる意志が、通俗を遠ざけ、大きな時空を生み出す。この作者の美質だろう。最後の章「恋 二」にはさらにひろがりのある句がある。 
 
   吊橋の真ん中で逢ふさくらの夜
 
   千年やうなじさみしき春の浪
 
   秋光の白樺として逢ひゐたり

 
 先のと同様の「自分の遠さ」が、ここではより深く、自然や事物の中に溶かされている。けれども、集中もっとも目を引くのは、別の章にある次の一句だろう。
 
    死に真似をさせられてゐる春の夢
 
 「自分の遠さ」が、ここでは構造化されている。「夢」の中の「死に真似」とは、序文で眞鍋呉夫がいうとおり、「夢魔的な入れ子構造」だろう。恋、夢、死は同心円状に詩の光源を定める。エロスの秘儀を囲うようなその入れ子構造の中には、なにかが破られるまでの息づきが満ちるようだ。
 私たちの詩歌がどんな大きな「恋」の時間の中にあるか、示す一例かもしれない。
 
   《出典》
    「文芸21 詩歌」
    初出年月日:二〇〇〇年(平成十二年)八月三日
    初出紙:朝日新聞夕刊


イワン-8

photo by 侑布子

      
イワン_書影

   『イワンの馬鹿の恋』(2000年6月 ふらんす堂刊 現在絶版です。)
 
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です