11月7日 句会報告

2021年11月7日 樸句会報 【第110号】

昼過ぎには雲間にサックスブルーがこぼれ、雨意もすっかり払われました。久々に戻って来られたメンバーを交えて、心躍る句会の始まりです。ちょうど立冬。次回は冬季で詠むのかと思うと、日差しがより一層いとおしく感じられます。
兼題は「新蕎麦」「猪」「草紅葉」――いずれも晩秋の季語ですが、後に載せるそれぞれの例句のうち、「猪鍋」や「山鯨」は既に冬の季語。ちなみに、「蕎麦掻」「蕎麦湯」も冬の季語となります。美味しそうなものばかりですね。
特選句、入選句、原石賞の一句ずつを紹介します。

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photo by 侑布子

◎ 特選
 彫るやうに名を秋霖の投票所
           古田秀

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「秋霖」をご覧ください。
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○入選
 小三治の落とし噺や草紅葉
           萩倉 誠

【恩田侑布子評】

さきごろ八十一歳で亡くなられた人間国宝の噺家、十代目柳家小三治さんへの追悼句です。小三治さんは、俳句を愛好する「東京やなぎ句会」のメンバーでもありました。作者は小三治贔屓だったのでしょう。芸にいのちを賭けたひとの高座をつらつらと思い出しながら草紅葉を踏んでいます。噺に登場する長屋の誰れ彼れも、郭の花魁も、幇間も、みな草紅葉のように胸にせまり、いとしくなります。

【合評】

  • 渋く落ちました。
  • 語り口から生み出される世界。自分もそこへ引き込まれ、草紅葉として聴き入っている心地になる。
  • 落語と草紅葉は確かに合っている。ただ、小三治でなくて他の噺家でもいいのでは? 追悼句であると前書きを付けてはどうか。
  • いや、「草紅葉」といったら、落とし噺の名手である小三治しかあり得ない。前書きも不要。

 
 
【原】「げんまん」の声こぼれたる草紅葉
               田村千春

【恩田侑布子評】

「草紅葉」の兼題に、ゆびきりげんまんをもってきた感性がすばらしいです。弱点は、「こぼれたる」の連体形が草紅葉にかかること。切れをつくりたいです。

【改】「げんまん」の声のこぼれし草紅葉

こうすると、「指きりげんまん」が、過去のあの日あの時の忘れ難い声になり、草紅葉のしじまのなかにいつまでも余情となって残ります。すばらしい特選句になります。

【合評】

  • 幼い頃の約束事は、大人から見ると他愛ないものが多いとはいえ、いたって真剣にかわされる。草紅葉と響き合うし、光景が美しい。
  • 「げんまん」と平仮名だから子供同士とは思うけれど、親と子が唱えている声のような気もしました。
  • 子供の会話を題材にした句というと既視感がある。

 

サブテキストとして、今回の季語の名句が配布され、各自が特選一句、入選一句を選句しました。

    新蕎麦・走り蕎麦

 新蕎麦やむぐらの宿の根来椀
               蕪村

 新蕎麦を待ちて湯滝にうたれをり
               水原秋桜子

 もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦
               草間時彦

   猪・猪垣・猪道 (秋)

 猪の寝に行かたや明の突き
               去来

 手負猪頭突きて石を落しけり
               山中爽

 猪垣の中やびつしり露の玉
               宇佐美魚目

   猪鍋・牡丹鍋・山鯨 (冬)

 ゐのししの鍋のせ炎おさへつけ
               阿波野青畝

 
 山鯨狸もろとも吊られけり
               石田波郷

 
 二三本葱抜いて来し牡丹鍋
               廣瀬直人

   草紅葉

 家なくてただに垣根や草紅葉
               松瀬青々

 草紅葉焦土のたつき隣り合ふ
               幸治燕居

 泥地獄とぼしき草も紅葉せる
               首藤勝二

 好きな絵の売れずにあれば草紅葉
               田中裕明

 
連衆の人気を集めたのは、次の二句です。

 もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦

 好きな絵の売れずにあれば草紅葉

「もたれたる…」の「今年蕎麦」には、食欲を掻き立てられると評判でした。すがすがしい空気、煌めくせせらぎと水の香、蕎麦を打つ音――まさに五感が悦ぶ作品。伊豆の人気の蕎麦処を思い浮かべましたが、名店ひしめく信州かも。今か今かと待ち受ける、その場にいたら、瀬音より大きな音でお腹が鳴ってしまいそう。
「好きな絵の…」は、お気に入りの絵を目当てに通い詰めている画廊へ、足早に向かう人か、あるいは、「よかった、まだあった」と見届けたのち、帰りの路地をたどりつつ、「ほんとは買いたいんだけど…」と溜息をついている人でしょうか? 道端の草の紅いろが目に留まり、絵への愛着は増すばかり。市井をただよう哀歓をそっと掬い上げる、こんな優しい「草紅葉」もあるのですね。

         

【後記】
本日は、まず恩田より「体験をすぐに五七五にせずに、一回肚のそこに落とし込んで、その人なりの言葉にしているのが共感を呼ぶ句です。読むたびに新たな感動を誘われます」と心得を説かれ、全員の背筋が伸びました。
範とすべき作品として、先ごろ刊行された恩田侑布子編『久保田万太郎俳句集』(岩波文庫)が浮かびます。同書をひもとけば、「珠玉句を一粒ずつあじわう楽しみ」と同時に、「いのちの一筆書きをたどる〝俳句小説〟の愉悦」にも浸ることが叶うのですが、それは、作者が「身體全部で俳句をやった」からに他なりません(「 」内:恩田解説――やつしの美の大家 久保田万太郎――から引用)。
生木のままではない、自らの中で熟成させたのちに昇華されたものだからこそ、当時の色、音、匂いまでもが、生き生きと立ち上がってくるのかと納得しました。      (田村千春)                            

今回は、特選1句、入選1句、原石賞1句、△3句、ゝ10句、・8句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

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photo by 侑布子

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 11月24日 樸俳句会 特選句・入選句・原石賞

◎ 特選
 銀杏落葉ジンタの告げし未来あり
            田村千春

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「銀杏落葉」をご覧ください。
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○入選
 月蝕をあふぐ落葉のスタジアム
            見原万智子

【恩田侑布子評】

十一月一九日金曜夜、部分月食が見られました。私も山の谷間で、山の端にうかぶ薄曇りの月蝕をいまかいまかと見上げていました。作者はスポーツか、音楽ライブか、いずれにしても巨大なスタジアムの観客として月蝕を仰いでいます。「落葉の」という限定がきわめて効果的です。野外場の周りは樹木が多く、そこから落葉がスタジアムの客席まで吹き込んでくる光景が想像されます。足元もコンクリの通路に色とりどりの落葉が散り敷いていることでしょう。人間の地上の祭典と天体のショーがひびき合っています。

 
 
【原】小夜時雨ペダルふみこむ塾帰り
               鈴置昌裕

【恩田侑布子評】

なかなかいいところを捉えています。季語は下にもってゆくとよりいっそう余情が出ます。また「塾帰り」と「小夜時雨」がやや重なるので、「塾の子」と主語を先に明かしましょう。

【改】塾の子のペダルふみこむ小夜時雨

 
 
【原】葉脈は骨格となり朴落ち葉
               林 彰

【恩田侑布子評】

発見がある句です。朴落葉の来し方行く末をしっかりとよく見ています。朴の木は五月、万緑のなかに、白い大きな芳しい花を冠のように咲かせます。そして、落葉は、ひときわ大きく、茶色の地味なそれは雨風とともに存在感を日々増してゆきます。まさにそれが朴の「骨格」をなす葉脈です。私は一昔前に西伊豆山中で、その骨格の葉脈だけが見事なレース細工のようになった一枚の朴落葉に感動したことがあります。このままでは経過途中です。結果だけを表現しましょう。

【改】葉脈はつひの骨ぐみ朴落葉

こうすると、朴落葉の気品まで感じられませんか。

 
 
【原】落ち葉踏み子らの走るや声高き
               望月克郎

【恩田侑布子評】

落葉などほとんど眼中になく、公園や校舎裏を走り回る冬でも元気な子らの声。悪いところはないですが、俳句としての魅力がいまいちなのはなぜでしょうか。作者の感動の焦点が那辺にあるか、つかめないからです。「落葉を踏んで子どもたちが走っているよ。声も高く元気だよ。」と見たままの報告に終わっていませんか。話の順番を変えるだけで変わります。

【改】声高く子らの走るや落葉踏み

子どもらと、踏みつけられる落葉の対比がはっきり出ます。そこに、蛇笏の「落葉ふんで人道念を全うす」ではありませんが、元気にかけまわる子らを底で支えながら去ってゆく、声なきもろもろの存在がじわりと伝わります。詩の核心が誕生します。

 
 
【原】猫を撮る落葉に膝は湿りつゝ
               塩谷ひろの

【恩田侑布子評】
 
猫好きな作者であることがわかります。しかも美しい猫なのでしょう。三十六歳で死んだ夭折の画家菱田春草の「黒き猫」(明治四三年)が目に浮かびます。ただしこの句はこのままでは、季語の「落葉」より、下五の「膝は湿りつゝ」のほうが目立ちます。座五は抑えましょう。

【改】猫を撮る落葉に膝を湿らせて

こうすると、一匹の猫と向き合う静かな空間が立ち上がります。

 
 
【原】ふつくらな猫に寄り添ふ小春空
               萩倉 誠

【恩田侑布子評】

副詞「ふっくら」は通常は「と」を伴います。同じ意味ですが冬の日にふさわしい微妙に陰影のある「ふっくりと」に変えてみましょう。季語も「小春空」ですと、冬晴れの空へ猫の毛の質感が消えて失くなりそうです。猫のからだのやわらかさを感じさせつつ、このあたたかさや慰安が、つかの間のことであることを感じさせる季語を斡旋し、調べをととのえましょう。

【改】ふつくりと猫に寄り添ふ冬うらら

 
 
【原】茶の花のけぶりて白き水見色
               益田隆久

【恩田侑布子評】

静岡の奥座敷「水見色」村は、その美しい地名とともに、朝晩の霧の深い本山茶の茶処としても有名です。春は桜、夏は螢や河鹿が棲む、たいへん風光明媚な山里です。けぶりてまではいいですが、「白き」が惜しい。言わでもがなのことを言ってしまいました。ここが、ただの五七五か、俳句という詩になるかどうかの分かれ目です。水見色という清冽な地名を活かすために、朝や午前の日にかがやく清冽な茶の花の光景を描き出しましょう。すばらしい風土賛歌になります。

【改】朝にけに茶の花けぶる水見色

 

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photo by 侑布子

「11月7日 句会報告」への2件のフィードバック

  1. 11月の句会報執筆者・田村千春さんは、恩田侑布子先生の心得「体験をすぐに五七五にせずに、一回肚のそこに落とし込んで、その人なりの言葉にしているのが共感を呼ぶ句です。読むたびに新たな感動を誘われます」をまずしっかりと抑え、それを田村さんがご自分の肚に落とし込めた言葉「生木のままではない、自らの中で熟成させたのちに昇華されたものだからこそ、当時の色、音、匂いまでもが、生き生きと立ち上がってくるのかと納得しました」で結んでいます。
    田村さんの学びの姿勢の堅実さとともに、主体性の強さのようなものをあらためて強く感じました。
    11月24日には、今年夏に入会した塩谷ひろのさんをはじめ私たち新人3名がそろって原石に評されたのも、うれしいことでした。努力次第で、先輩の方々のように、特選、入選にも名を連ね、俳人の域を目指すこともできるという、大きな励みにもなります。
    次回は今年一年納めの句会です。来年への希望の足がかりとなるよう、今年の学びの総ざらえをして臨みたいと思います。

    1. 鈴置様
      嬉しいコメントをありがとうございます。
      11月7日の句会の兼題は晩秋の季語、そして24日の句会の兼題は「時雨」「茶の花」が初冬、「落葉」が三冬――いずれも刹那を愛惜しつつ味わうべき宝物。原石賞の粒揃いの作品は、それらをより愛しく感じさせてくれました。まさしく会員の情熱が結実したものと思い、文字として残す任にあたることに大きな喜びを覚えました。

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