4月3日 句会報告

2022年4月3日 樸句会報 【第115号】

三月末、ソメイヨシノが満開になったと静岡地方気象台の発表があり、四月一日から三日間行われる静岡まつりにおいては、大御所花見行列も三年ぶりに復活しました。これは徳川家康が家臣とともに花見を楽しんだ故事にちなみ、装束姿で市民らが市街を練り歩くものです。あいにく本日は荒れた天気となりましたが、句会の始まる頃には風もおさまり、駿府城公園より遠からぬ会場に祭りの賑わいが伝わってきました。

入選3句、原石賞1句を紹介します。

2022.4-4

photo by 侑布子

○入選
 おほぞらの隅を借りたる花見かな
               古田秀

【恩田侑布子評】

花見に行くと花筵をどこに敷こうか迷います。コロナ前の都会では、夜桜見物も午前中からブルーシートの陣地取りが行われたものでした。この句はそうした常識を一変させます。地面ではなく、「おほぞら」を、しかもその「隅を借りる」というのです。「大空」と漢字にしなかったのも神経細やかです。やわらかな春の空気と水色の空、溶けるような花の枝々が目に浮かびます。ほんのひととき、空と花から安らぎを得て、また花なき空に向かうわたしたち。人間は旅人なんだよと、やさしくささやかれる気がします。

【合評】

  • 私などが花見をする時は、ついつい自分たちのグループが世界の中心にでもいるような気分になりがちなので、作者の謙虚な姿勢には目を開かれました。
  • 視点を空に、というところ、俳味もあり、大きな景が心地好い。

 
○入選
 花月夜影といふ影めくれさう
               田村千春

【恩田侑布子評】

「花月夜」は、五箇の景物にかぞえられる花と月を合わせもつ豪奢な季語です。松本たかしに「チゝポゝと鼓打たうよ花月夜」がありますが、むしろ花月夜の影といって思い出すのは、原石鼎の名句「花影婆娑ばさと踏むべくありぬそばの月」でしょう。たぶん作者の想念の中にある本歌もこの「花影婆娑ばさと」ではないでしょうか。そこに加えた「影といふ影めくれさう」という初々しい発見が出色です。石鼎の漢文調の雄渾さに比して、この句は女性的な口調のやさしさを持ち味とし、溶けてなくなりそうな幻想美がモダンです。たかしと石鼎を踏まえながら、新しい春の感触をかもし出すことに成功しています。

【合評】

  • 「めくれさう」という表現の妙。次に桜の花びらが散る姿を見ると、きっとこの句を思い出してしまいそうです。
  • 感性が先行している。「めくれさう」でなく、もっと言い切ってほしい。

 
○入選
 掌にのる春筍のとどきたる
               前島裕子

【恩田侑布子評】

今年は寒さが長引き雨も少なかったため、筍の表年とは名ばかりです。わが茅屋の竹藪もひっそり閑として、歩いてもまだ気配すらありません。店頭には皮付き筍が眼の玉の飛び出る値段で申し訳程度に並んでいます。そんな折しも、親戚あるいは友人から掘り立ての土つき筍が届きました。茹でて皮を剥くと掌に包めるほどの小ささ。姫皮の肌の柔らかさと可憐さに、料峭の竹林を踏みながら探し当ててくれた筍掘りの名人の姿が浮かびます。

【合評】

  • 嬉しいお裾分けですよね、羨ましい。小さいのがまた美味しいのです。まさしく春のよろこび。
  • 手で大切に包み込みたくなる。「ル、ル」の響きも楽しい。温もりの感じられる作品。

 
【原】春星を食べ尽くさむとやもりかな
              芹沢雄太郎

【恩田侑布子評・添削】

面白い、そして新しい句です。家の窓に張り付いている蛾を狙っている守宮が、実は満天の春星を食べ尽くそうとしている。これこそ詩の発見です。しかし、守宮は夏の季語で、日本では春には出ないので、実態に合いません。常夏の国、南インド在住の芹沢さんの作品とわかれば、現地の空に見える星の名前にするのも一法でしょう。あるいは夏の守宮に焦点を絞るほうが、句がイキイキしそうです。

【添削例】星くづを食べ尽くさむとやもりかな
 

今回の兼題、それぞれの名句が、恩田によってホワイトボードに書き出されました。

    雲雀・春の星・花

 青空の暗きところが雲雀の血
              高野ムツオ

 火に水をかぶせてふやす春の星
               今瀬剛一

 咲き満ちてこぼるゝ花もなかりけり
               虚子

 またせうぞ午後の花降る陣地取
               攝津幸彦

このうち最初の作品が連衆の話題に上りました。雲雀は垂直に上がり、急降下する、縦方向の動きが顕著な鳥、見ている側もどちらが天とも地ともつかなくなり、切なさを覚えます。恩田は「繰り広げられる詩的現実の緊密さ、これこそが現代俳句」と評しました。

         

【後記】
原石賞句はインドに赴任した会員の作品ですが、日本とかけ離れた環境に身を置きながら、「水が合った」というにふさわしく、秀句を立て続けに披露しています。考えてみれば、インド洋上を大移動するアジアモンスーンにより梅雨をもたらされる我が国、彼の国とのつながりは深いのでした。「皆さんの花の句を読み、日本に春が来ていることを実感しています。二年前に日本でコロナ禍のため家に籠っていた頃、飽きるほど眺めていたはずの桜ですが、こうやって離れてみると、すぐに恋しくなってしまうものなんですね。また俳句や季語に親しむことで、日本の季節の移り変わりに敏感となるだけでなく、海外の季節にも敏感になれている気がします。これほど自然に目を向け、身体感覚に訴えかけてくる文芸が他にあるでしょうか」とのコメントに、肯くことしきりです。

(田村千春)

今回は、入選3句、原石賞1句、△5句、ゝ6句、・5句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)

2022.4-2

photo by 侑布子

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 4月27日 樸俳句会 入選句・原石賞紹介

 
○入選
 サリーごと子ごと浴びたる春の波
            芹沢雄太郎

【恩田侑布子評】

匿名の数多い作品の中にこの句があれば、国内でサリーを着たインド人とその子を見て詠んだ句かと思い、意味がよくわかりません。しかし四月からインドに赴任した芹沢さんの作とわかればピンときます。「インド着任」の前書きさえあれば、どこに出しても恥ずかしくない特選句になりました。インドの大地が句に大きな息を吹き込みます。サリーの赤や緑の原色を纏う赤銅色の肌と、その胸に抱かれる幼子がともにベンガル湾の春の波を浴びています。たぶん作者もご家族と一緒でしょう。この「春の波」の季語は、従来日本で詠まれたものと違って、大陸の陽光を宿しています。よろこびと生命力に溢れる力強い俳句です。

   
【原】もづもづと這ふ虫をりて春落葉
               益田隆久

【恩田侑布子評・添削】

春落葉をよくみています。「もづもづと」のオノマトペが出色です。この句は「もづもづと這ふ虫」と「春落葉」ですでに出来上がっています。「をりて」が言葉数を埋めるつなぎめいていて気になります。

【改】もづもづと腹這ふ虫や春落葉

這う虫も春落葉も、春の地面までやわらかに生動しはじめます。

  
【原】春暑し彼方をちに研屋の拡声器
               前島裕子

【恩田侑布子評・添削】

「春暑し」は晩春の季語ですが、地球温暖化のせいでしょうか、近年の日本の春は仲春からこの通り、いきなり夏になるようです。包丁の研屋さんは昔は店を構えていましたが、今は軽自動車からスピーカーを流しっぱなしにして住宅街を回ります。せっかく面白い発見を、無機的な「拡声器」で締めるのは感心しませんし、もったいないです。

【改】春暑し「とぎやァい研屋」近づき来
 

2022.4-1

photo by 侑布子

 

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