好きこそものの、、、

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photo by 侑布子


 
 
 
好きこそものの、、、

小松浩

 
 ときおり、いや、かなりしばしば、句会の直前になっても句が全く作れなくて、投げだしたくなることがある(これぞ「投句」?)。そんなさなか、8月初めの句会で恩田代表から、こちらの胸の内を見透かされるような一言があった。「投句は休みグセをつけたらダメですよ、皆さん。1回休んだらずーっと下に落ちますからね」。

 確かに、継続こそが力だ。引き合いに出すのは気が引けるが、王、長島からイチロー、松井ら超一流のプロ野球選手は、他の誰より練習のルーティンを大事にし、人一倍の努力を続けたからこそ、あれだけの実績を残したと言われている。かの大谷選手などは、試合以外の時間を、ほとんどトレーニングと食事・睡眠にあてているのだとか。才能とは天賦のものではない。努力を継続できる、強い意思のことなのだ。

 ずいぶん前の話になるが、ある有名な書家に展示会でお会いした際、すごいですね、自分は書の才能がないものですから、と、何気なく口にしたことがある。そのとき、その書家の方がニコニコ顔で話された言葉が、今でも忘れられない。「書はどれぐらいやりましたか? 自分に何かの才能があるとかないとかは、何十年かやってみて初めてわかるものですよ」。己の軽々しさに、私の顔からは火が出ていたかもしれない。

 一つのことを継続できる意思の根っこには、いったい何があるのか。

 芸術でもスポーツでも、成功者はよく、「辞めたいと何度も思ったけど、続けてきてよかったです」と言う。一家を成した音楽家が、小さな子どもの頃、怒鳴られて泣きながらバイオリンを何時間も練習させられていた映像などを見るが、たとえ理不尽な下積み時代であっても、その人は、成功の代償として受け入れているのだろう。

 私を含め、会社員としての仕事を平凡に続けてきた普通の人間にも、最後までやり遂げたという達成感の裏には、辞めたくても辞められなかった家庭の事情とか、辞める決断ができなかった優柔不断への悔いが、あるのかもしれない。辛かったけど続けてよかった、と思えるのは、ようやくゴールに立って後ろを振り返った時だけだ。

 いや、本題は俳句のことである。なぜ俳句を勉強し、俳句を作るのか、と聞かれたら、今の自分には、それが好きだから、としか言えない。継続の源泉は「好きだから」。裏返せば、好きでなくなったら辞めればいい、という気楽さもある。リタイア後の趣味の良さは、苦節何年、艱難汝を玉にす、と気張らなくてもいいことだ。古今の名句を知り、句会仲間の良き作品を味わい、「ああ、いいなあ」と無条件に思える心。これを持っているから、恩田代表の愛の鞭も、パワハラではなく甘い喜びになるのである。

 好きなものに理屈はいらない、という点では、文学は音楽に似ている。モーツァルトとビートルズのどっちが素晴らしいかを論じたり、演歌好きの人に、なぜサザンやユーミンを聴かないのかと難癖をつけるのは、野暮というより無意味なことだ(自分は藤圭子も好きです)。音楽の好みが完全に個人的な領域のものであるのと同様に、文学の好みも、理屈ではなく、個人的な感受性の領域に属するものであると思う。

 問題は、この先、好きこそものの上手なれ、の道を進むことができるのか、それとも、下手の横好きで終わるのか。「休んだらずーっと下に落ちますよ」と脅されても、そもそもまだ底辺で足掻いている自分には、どうせこれ以上は落ちようがないしなあ、と半分開き直る気持ちもなくはない。ただし、昨年9月の樸入会から1年、毎月6句の投句は欠かしたことはないし、これからもきっと欠かさないだろう。なぜなら、「ああ、いいなあ」とため息をつきたくなる素晴らしい句が、たくさんあるから。自分もいつかいい句を作りたい、という気持ちだけは、持ち続けていたい。かの漱石先生も、『こころ』の中で、「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」とおっしゃっておられるし。 

(2023年8月21日)

 
 
 

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「好きこそものの、、、」への1件のフィードバック

  1. 藤田湘子さんの「20週俳句入門」に、「1年め、3年め、5年めというのが一つの節目で、ここで、
    ・作句にいっそう欲の出る人
    ・作句に見切りをつける人
    とに分かれることが多い」
    と書いてあります。
     確かに、私も丁度1年目に俳句を止めようと思って、買った歳時記とか入門書みたいな本を「ブックオフ」に全部持って行ったことがありました。
     なぜ思い留まったか考えてみると、「樸俳句会」の「句会」出席により救われたと思います。
    誰が言ったか忘れましたが、俳句は、「読みて側」の文芸だと思います。もし10人が10人とも同じ感想を持つなら、つまらない俳句。10人が10人、俳句から違う場面を思い浮かべる俳句が優れた俳句ではないか。「わかりやすいこと」イコール「つまらない」イコール「読みて側に委ねていない」イコール「答えを本人が既に明らかにしている」。「句会」で他人の眼を通さないと解らない。「句会」に出て他人の眼を通すことで初めてその俳句は完成する。
     

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