「砂漠と俳句」

内モンゴル-1 

        砂漠と俳句

 8月下旬、中国の「内モンゴル自治区」という所へ行き「植林活動」を体験してきました。砂漠に1mの穴を掘り2メートルのポプラの苗木を植えるのです。炎天下での作業なので、汗まみれ・砂だらけ・・・。
 この緑化活動は30年前に日本の一人の学者が取組み初めたのが最初ということでした。鳥取砂丘を農地に変えた経験をもとにして、この地の「緑化」に挑んだのです。葛を植えては羊に食べられ、苗木を植えては幹をかじられ、水の確保に奔走し、苦難の連続を乗り越えて、砂漠を緑の地に変えたのです。もちろん、その過程には多くの日本人の手がありました。
 起伏にとんだ砂漠なので、丘の上に立つとさながら「天下人」であり、谷の中に立つと、まさにアリジゴクの様です。ほんの一時訪れる人には「自然の偉大さ」を感じさせますが、ひとたび風や雨になると、すべてを呑み込んでしまう恐ろしさを内包しているのです。砂漠は、そんなところでした。

 360度砂に囲まれた地に立って、瑞々しい日本の自然を思いました。寒い冬を耐えた後にやってくる、あの春のうれしさ、沈む夕日を眺め、次第に回りがシルエットになってくもの悲しさ・・
でも、ここでは「みかんの花咲く丘」や「ふるさと」のような曲想は生まれてこないだろうし、俳句のような文化にも縁が無いように感じました。だから、句も「無季」になってしまうのではと思っていました。

〇ポプラ植ゑ流砂止めむと倭人の手
 
〇人影にジェットエンジンもつトカゲ
 
〇晩餐のモンゴルの唄白酒干す

・夕食時に、地元の顔役に促されて通訳の人がモンゴルの唄を歌ってくれたのです。
「素晴らしい歌声でした。なんのお礼も出来ませんが、日本の俳句は聞いたことがありますか」
「・・詩のことですか」
「ええ、最も短い詩です」 ・・・ノートに書いて彼に渡したもの・・

 でも、ここには砂漠としての自然があるのではないか。少なくも、時候や天文あるいは地理の季語は成立するのではないか・・。
 
〇秋風や砂地を直に駱駝の背
 
〇モンゴルの唄に色なき風砂漠
 
 置き去りにされて帰れなくなるのではと心配しながら眺めた星空は魅力的でした。
 
〇羊追ふ砂漠の民や天の川
 
〇モンゴルの唄は砂漠へ天の川
 
 貴重な体験の中で思ったことの一端をしたためてみました。 
 
         令和元年9月 松井誠司

 

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          植林前(1990年)と植林後(2013年)

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松井誠司さん 
内モンゴル-4

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