10月13日 句会報告

令和元年10月13日 樸句会報【第78号】

10月最初の句会は、台風19号が伊豆半島に上陸した翌日の開催となりました。恩田も避難所生活明けで、名古屋や埼玉の連衆は交通機関の不通などから参加できず空席が目立ち、ちょっと淋しい句会に。台風一過の秋晴れとはいえ、他県の河川の氾濫被害に胸が痛みます。

兼題は「水澄む」と「葡萄」です。

原石賞の4句を紹介します。

20191013 句会報1
                     photo by 侑布子

 
【原】黒葡萄ホモサピエンス昏々と
               伊藤重之

黒葡萄はたわわに輝いているが地球上の動物の一種、ホモサピエンスだけは「昏々と」している、という句意。作者は「昏々と」で、人類のおろかさを表現したかったのだろう。しかし「昏々と眠る」というように深く眠るさまとみわけがたくなってしまうのが惜しい。そこで、

【改】黒葡萄ホモサピエンス昏みゆく

とすれば「黒葡萄」ではっきりと切れる。中七以下との対比が際立つ。黒葡萄はつややかに豊穣の薫りと甘さを持ち、人類はますます昏冥をふかめ闇に呑み込まれてゆくのである。(恩田侑布子)

合評では、
「“昏々と”の次にどんな言葉が隠されているか気になります。“眠る”じゃないですよね?」
「“黒葡萄”と“昏々と”は合っている。ここに詩として醸し出されているものがあるのかもしれないが、私には世界が立ちあがって来ない」
「意味がうまくつかめませんでした」
などの感想がありました。  (山本正幸)
 
 
 
【原】六百句写し終へたり水澄める
               前島裕子

作者はある句集に感動して尊敬のあまり、まるごと六百句をノートに筆写し終えたという。ただ原句の「水澄める」に付け足し感がある。俳句は語順を換えるだけで雰囲気が一変する。

【改】水澄むや写し終へたる六百句

こうすれば、水のみならず作者の周りの大気までもが澄み渡り、秋の昼の静けさに実感がこもる。こころをこめて六百句を写し取った達成感は、作者の心境をいつしらず高めてくれていたのである。 (恩田侑布子)

合評では、
「達成感と“水澄めり”がとてもよく合っていると思いました」
「六百句写す行為って何? 写経ほどのインパクトがない」
「季節感が感じられませんでした。季語が動くのでは?」
などやや辛口意見も聞かれました。(山本正幸)
 
 
 
【原】水澄みて木霊の国となりにけり
              芹沢雄太郎

このままでも十代の少年俳句ならば悪くない。ファンタジックで童話的な俳句として初々しい。ただ作者は三〇代半ばの三人の子のお父さん。となると、どうか。やはり等身大の大人の句であってほしい。次のように一字を換えてみよう。秋の深い渓谷が出現するのではないか。(恩田侑布子)

【改】水澄みて木霊の谷となりにけり

本日の最高点句でした。
合評では、
「俳句のかたちとして“~~の国となりにけり”はありがちです」
「“水澄む”と“木霊の国”は共通するイメージがあり、即き過ぎかもしれない」
「“国”とは国家ではなく、山国とかの触感や空気感のある“国”だと思う」
「“木霊”とは、声と精霊のふたつのイメージがある。透きとおった木の精霊とすれば、透明感、木々の緑、水の青、という色が見えてきますね」
「ここには人のいない感じがして少し怖い」
「俳句初学の頃、“とにかく見たものを詠め”と言われた。この句からは何も見えてこない。観念的な句だと思います」
など様々な感想、意見が飛び交いました。
(山本正幸)
 
 
 
【原】しどろなる思考を放棄葡萄むく
              萩倉 誠 

「しどろなる思考」まではいいが、つぎの「放棄」という熟語は固くて気になる。また葡萄の皮をむくで終わるのは、いささか中途半端。句意を変えずに添削すれば、

【改】しどろなる思考やめなん葡萄食ぶ

となる。「もういいかげん筋目なくあれこれ考えるのはやめよう」そう自分に言い聞かせて頬張る大粒の葡萄の甘さ。思考から味覚の酔いへ耽溺するおもしろさ。 (恩田侑布子)

合評では、
「こういうことよくある。深く共感した。漢語が固いが葡萄がそれを和らげている」
「葡萄をむいているけど、まだ思考にこだわっているのでしょう」
「“思考”と“放棄”というふたつの言葉が強くて気になります」
「どうでもいいことを考えているのなら“放棄”なんてしなくてもいいでしょ? 内容に共感しなかった」
と議論が広がっていきました。 (山本正幸)
 
 
今回の兼題についての例句が恩田によって板書されました。

 黒きまでに紫深き葡萄かな
               正岡子規

 葡萄食ふ一語一語の如くにて
              中村草田男

 水澄みて四方に関ある甲斐の国
               飯田龍太

 澄む水のほか遺したきもののなし
              恩田侑布子

 
 
注目の句集として、 
井越芳子『雪降る音 』(2019年9月 ふらんす堂) 
から恩田が抽出した二十一句が紹介されました。
 
連衆の共感を集めたのは次の句です。

 やはらかにとがりてとほる蝸牛
 
 寒の雨夜が来てゐるとも知らず
 
 天辺のしいんと晴れてゐる冬木
 
 ふうりんは亡き人の音秋日向
 
 森はなれゆく春月をベッドより
 
 冷やかに空に埋もれてゐたりけり
 
 あをぞらや眼冷たきまま閉づる
 
  井越芳子『雪降る音』のページへ
 
 
[後記]
台風の影響で句会に参加できない連衆が相次ぎ、こじんまりと、それゆえに濃密な句会となりました。
今回、恩田の「等身大の大人の句であってほしい」(上記“木霊の国”の評にあります)との言葉を、精神的にいつまでも青春していたい筆者は「その年代の自分にしか詠めない句」を追求すべしとの鞭撻と受け止めました。確かに歳を重ねるにつれて、知らないことや新しい発見が逆に増えることを実感します。俳句の眼をもって見ればなお。

次回兼題は、「小鳥」と「釣瓶落し」です。
(山本正幸)

今回は、原石賞4句、△1句、ゝシルシ3句、・6句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
 
 

20191013 句会報2
                     photo by 侑布子

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