韻文への迷路

20200404-2 韻文への迷路

photo by 侑布子  


 

韻文への迷路

金森三夢

 私の俳句との出会いは、小学校の国語。「万緑の中や吾子の歯はえそむる」という草田男の作品でした。緑と白の瑞々しい対比の素晴らしさに心を奪われました。そして俳句の奥行きの深さを知ったのが、高一の時に習った虚子の「桐一葉日当たりながら落ちにけり」でした。日当たりながらという中七が、秋の日差しの中で桐の葉がゆっくりと落ちていく様子を適確に写生したものと、現国の担任で、かの石原慎太郎と芥川賞を争ったという豪傑・西山民雄先生に教えて戴き感銘を受けました。
 俳句は散文的な要素を極端に嫌います。説明的な句は厳格にタブー視されます。私はこれまでほぼ散文一刀流。生まれて初めて活字にしていただいたのが小6の作文。初めて原稿料を戴いて全国の書店に並んだのもエッセイ、初めて印税を戴いたのは小説とすべて散文でした。十年ほど前、呆け防止のためNHKの俳句講座で独学を始め、ビギナーズラックで月刊角川やNHKテキストに四回載せて戴いた俳句も決して満足のいく作品ではありませんでした。独学の限界を感じた昨今、高校の先輩の三木卓氏から恩田侑布子氏を紹介され、講演会で恩田氏のお話を拝聴し感銘を受け、五ケ月前から樸の句会に入会させて戴きました。句会は自らの欠点を見つめ直す素晴らしい道場です。恩田代表から「こんな観念的な句は散文でも書ける。散文では表現できない機微を端的に17音で伝えるのが俳句」とのご指摘を受け、所謂「切れの余白」と「季語の本意」という考え方が朧げながら理解できるようになり、句会出席の楽しみが増して来たこの頃です。
 恩田代表のひたむきで、ストイックな俳句への姿勢に驚きながら、自らは俳人の域に達するのは無理でも、一日一句を重ねつつ、日々高みを目指し、出来れば俳句富士山の五合目位まで登れればと念じて藻掻き苦しむ毎日です。

2020年3月  かなもりすりーむ(樸会員)

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