「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」恩田侑布子を読んで

20200927 S.S様 久保田万太郎

photo by 侑布子

 

「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」恩田侑布子(『図書』9月号)を読んで
                     兵庫県在住 S.S
 

 江戸の雰囲気の残る落語の世界に身をおく木久扇さんに続いて、生粋の江戸っ子として「伝統的な江戸言葉」を駆使した(特に小説や劇作)という久保田万太郎(1889-1963)の俳句のことにふれてみようと思います。
 全く門外漢である私が<万太郎の俳句>を取り上げようとしたのは、月刊『図書』の今月号で、「俳人」とキャプションされた 恩田侑布子 という方の「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」 という文章を読んで感じ入ったからです。「感じ入った」というのはいささか大げさになりますが、それほど見事な批評的紹介文だと感じたということです。
 最近、コロナ問題にとらわれていろんな資料なども手さぐりで読んだりしていて、どこか心のささくれのようなものを自覚することがあります。そんな私を、万太郎の俳句が別の世界に連れていってくれたという強い印象が残りました。けれども、最後のところで、今を生きる恩田の批評性が爆発しているとみることもできます。
 恩田は、万太郎の俳句を5つの小見出しのもとで、それぞれに自分の惹かれてきた俳句を計13句、それぞれを作句したときの万太郎の年齢を付して紹介しています。それは、万太郎俳句の代表作としてネットで読むことができる句群とほとんど重なっていませんでした。
 ここでは、まず、その小見出しごとに恩田の一文を添えて俳句だけを列記しておくことにします。恩田の言葉の切れ端だけで味わうことは難しいかもしれませんが、そうさせてもらいます。

ぬめのひかり
 「万太郎はひかりのうつろいをとらえる天性の詩人でした。//季物そのものではなく、うつろうあたりのけはいをぬめのように掬いとっています。」

 鶯に人は落ちめが大事かな     56歳

 ふりしきる雨はかなむや櫻餅  33~37歳

 新涼の身にそふ灯影ありにけり  36歳

短歌的抒情の止揚
 「万太郎の俳句の水脈にはこの短歌的抒情がひそんでいます。//短歌の抒情を俳句の冷静さで止揚したしないゝゝゝがあればこそ、王朝由来の抒情を俳句という定型に注ぎこめたのです。」

 しらぎくの夕影ふくみそめしかな  40歳

 双六の賽に雪の気かよひけり  38~45歳

 夏じほの音たかく訃のいたりけり  59歳
   ㊟「六世尾上菊五郎の訃、到る」との前書付き

稚気のままに
 「おとなの俳句の名匠が子ども心を失わなかったのもおもしろいことです。//子どもらしい匂いやかな稚気を持ち続けることもまた、非凡な才能でしょう。」

 さびしさは木をつむあそびつもる雪  36歳

 時計屋の時計春の夜どれがほんと 48~52歳

彽佪趣味への反発
 「万太郎は、漱石の「彽佪趣味」や、「ホトゝギス」の虚子の「客観写生・花鳥諷詠」に反発を感じていました。//彽佪趣味にアンチ近代を装う倒錯した近代の知性を見、そこにエリート臭をかぎあてても何もふしぎではなかったのです。」

 人情のほろびしおでん煮えにけり  56歳

 ばか、はしら、かき、はまぐりや春の雪 62歳

かげを慕いて
 「万太郎は恋句の名手でもあります。//おぼろに美を感じる感性はモンスーン域のもの。日本の風土を象徴するしめやかな恋です。」

 さる方にさる人すめるおぼろかな  46歳

 わが胸にすむ人ひとり冬の梅    56歳

 たよるとはたよらるゝとは芒かな  67歳

 恩田は、最後にもう一つ小見出し「文学の沃土から」 をおいて、万太郎俳句を総括するとともに、現代とクロスさせようとしています。
 万太郎俳句の源を、恩田は次のように評しています。
 「万太郎の俳句はぬめのふうあいの奥に厳しい文学精神が息づいていました。彽佪趣味や花鳥諷詠という、禅味俳味の石を終生抱こうとはしませんでした。//万太郎は俳句という桶から俳句を汲んだのではありません。文学の大いなる泉から俳句を汲んだのです。」
 「俳句という桶から俳句を汲んだのでは」ないという恩田の言葉は、とても説得的に、私のように俳句に縁遠い者にも鋭く響きました。それこそ全く知らない恩田の俳句にも通じるものなのかもしれません。
 そして、コロナ禍のもとで生きる私たちに向け、「万太郎の俳句は日本語の洗練の極み」と結論づけつつ、次のメッセージを送っています。
 「近代の個人主義とは根を違える万太郎の俳句は、分断と格差社会の現代に新たなひかりを放ちましょう。なぜならそれは最も親密で馴染みのふかい在所を奪われた人間の望郷の歌であり、感情と古典にしっとりと根ざしたものだからです。」
 最後の一文で、恩田は、冒頭においた<鶯に人は落ちめが大事かな>を念頭に、こんな問いを万太郎に発しています。
 「かれははたして<鶯には落ちめが大事かな>と、つぶやくことをゆるしてくれるでしょうか。」
 この一文をどう解釈することが正当なのか私には分かりません。
 冒頭の句<鶯に人は落ちめが大事かな>を、恩田は「おもしろいと思いながらもいま一つわからなかった」けれど、「足もとからみずからのし方を低くつぶやいている」万太郎に思い至ったそうです。「文学では早くから檜舞台に立ったものの、家庭生活は不幸だった」万太郎が、「老の坂を迎えて、落魄の日々をなつかしみ、あわれみ、いたわ」っている姿に、恩田は「鶯の声のあかるみにこころのうるおいが溶けこんでい」ると受けとめているようです。
 ですから、今の心のささくれやすくなる状況のもとにあって、こんな句をつぶやいて、そこに「こころのうるおい」を失くすことなくやっていこうよというメッセージを込めようということかもしれませんね。
 恩田の真意を汲みとれたわけではありませんが、私としては、「本当に大切なものは何か」という問いの前に立たされた人間の集団である<国>というものを思い浮かべました。さらに言えば、成長信仰の囚人である現代の日本社会へのアンチテーゼ、たとえばポストコロナで少し紹介した広井良典の「成熟社会」論的な社会のありよう(「分散型システム」への転換もその一つ)へのメッセージを感じたりもしました(2020.7.3「手がかりはどこに-コロナ後の社会のありようをめぐって-」)。
 つまり、それは恩田のいう「分断と格差の現代」へ放つ「新たなひかり」の基軸のようなものを、私はこんなことにも感じているということにほかならないのでしょう。
 さらに最近のブログと絡めていえば、福岡伸一のいう「ロゴス的に走りすぎたことが破綻して、ピュシスの逆襲を受けた」という事態を前にした私たちのあるべき態度に通じるものであり、恩田は万太郎の「人は落ちめが大事」から「国は落ちめが大事」へと想像を飛ばしたと理解することもできそうです。

 2020.09.07 S.S

恩田侑布子「けはいの文学-久保田万太郎の俳句」(岩波『図書』2020・9月号)をブログに取り上げてくださった兵庫県在住のS.S様から転載許可をいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。 

S.S様のブログ『思泳雑記』はこちらです

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