1月10日 句会報告

2021年1月10日 樸句会報【第100号】

 
 
   樸代表 恩田侑布子 第100号記念祝詞
 
 このたびの初句会が樸句会報の100号記念になるとのこと、慶賀に存じます。これも連衆のみなさまの熱意のたまものです。心から感謝しおん礼申し上げます。
 樸は一人ひとりが真剣に、「リアル・オンライン融合句会」の全俳句を選句し、口角泡を飛ばして合評し、笑い合う楽しい句会です。そこにぱらぱら振られる恩田のカプサイシンが心地よい緊張感をもたらすことを庶幾しております。もちろんコロナ禍とあって、だだっぴろい部屋には三方向から風が吹き込み、美男美女があたらマスクをしております。が、そこからはみだす頬のかがやかきは隠しようもございません。三時間余の句会を、「生きがいです」とも「ボケ防止です」とも言ってくださる連衆のイキイキした俳句に私自身が毎回励まされております。三役と編集委員のみなさまのたゆまぬご支援にもつねづね頭が下がります。
 そうと教えられるまで夢にも知らなかった第100号記念、本当にありがとうございます。これからも一人ひとりの目標に向かって、互いに温かく見守りあい切磋琢磨して、一句でもいい俳句をつくってまいりましょう。
 

20210110-上
          

photo by 侑布子

 

 
2021年の初句会は、新型コロナウイルス感染再拡大の影響もありネット句会となりましたが、新年に相応しい力作が寄せられました。

兼題は「初雀(初鴉、初鶏)」「去年今年」です。

特選1句、入選1句、原石賞6句を紹介します。

◎ 特選
 ししむらを水の貫く淑気かな
             古田秀 

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(淑気)をご覧ください。
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○入選
 初鴉燦々とくろ零しゆく
              田村千春

【恩田侑布子評】
 
元日の淑気のなかをゆく鴉の濡れ羽色がきわやかです。黒い色はひかりを吸いますからふつうは「燦々と」は感じられません。ところがこの句では、「燦々と」にたしかな手応えがあります。「初鴉」を句頭に置き、「くろ」をひらがなにしたことでしなやかな羽根の動きが眼前し、「零しゆく」で、青空に散る水滴が墨痕淋漓としたたるのです。みどりの黒髪ならぬぬばたまの羽の躍動は斬新です。一句一章の句姿も新年のはりつめた空気さながら。

 
 
 
【原】終電ののちの風の音去年今年
               猪狩みき
 
【恩田侑布子評】 
 
終電の通り過ぎたあとの風に去年今年を感じるとは、まさにコロナ・パンデミックに襲われた昨年をふりかえる二〇二一年ならではの新年詠です。ただ「カゼノネ」という訓みかたはクルしくないですか。
 
【改】終電ののちの風音去年今年
 
あるいは都会の無機質な風の質感に迫って
 
【改】終電ののちのビル風去年今年
   
などにされると、コロナ禍に吹きすさぶ深夜の風がいっそうリアルに感じられるでしょう。
 

【合評】

  • 終電を降り人がほとんどいないホームに立つと、私はまず「こんなこといつまで続けるんだろう」と思い、次に「今日はやり切った。そして続けるしかない」と気持ちを切り替え、さらに移動し始めます。気持ちの境目と去年・今年の境目という二重構造になっている点が優れていると思います。
  • 終電を降りて深夜の家路を急いでいます。すでに年は改まりました。自分ではよく働き、よく生きてきたと思う…。耳元で風が囁きます。「あゝ、おまへはなにをして来たのだと…」(by中也)。作者の心情がよく伝わってくる句だと思いました。
  • コロナ禍で深夜の初詣も自粛。終電も早くなったことのむなしさと淋しさが後の風に良く響く。さりげない一句に、例年にない年明けの哀感が滲み出ている。

 
 
 
【原】胸に棲む獅子揺り起こす去年今年
               金森三夢 

【恩田侑布子評】
 
力強い新年の詠草です。ただ終止形の「す」だと一回きりの感じがしてもったいないです。「去年今年」の季語ですから、いくたびも揺りおこしつつという句にしたいです。そこで、
 
【改】胸に棲む獅子揺り起こし去年今年

一字の違いで秀句になります。
 

【合評】

  • 作者の内にある獅子を起こす。今年の意気込みを感じる。

 
 
 
【原】今年こそ麒麟出でよと富士映ゆる
               金森三夢 

【恩田侑布子評】
 
ご存知のように中国の古典では麒麟は聖人がこの世に現れると出現するといわれ、才知の非常にすぐれた子どものことを麒麟児といいます。郷土の誇り富士山に、気宇壮大な幻想を力強くかぶせたところがすばらしい。惜しいのは最後の「映ゆる」。「麒麟出でよ」と富士山が身を乗り出しているようで俗に流れます。ここは作者自身の肚にどーんと引き受けたいところ。
 
 
【改】今年こそ麒麟出でよと富士仰ぐ

格調のある特選句◎になります。座五は大事。俳句の死命を制します。

 
 
 
【原】干涸びし甲虫の落つ煤払い
               島田 淳 

【恩田侑布子評】
 
「煤払い」のさなかに貴重な体験をしました。いえ、俳句の眼がはたらいていたからこそ、この瞬間を見逃さなかったのでしょう。「夏のカナブンがその姿を止めていた」と作者はコメントしています。その感動にたいして「落つ」はもったいない。正直なたんなる報告句になってしまいます。
 
【改】干凅びし甲虫と会ふ煤はらひ

詩的ドラマが生まれます。

 
 
 
【原】初雀しばし「じいじ」に浸りおり
               萩倉 誠 

まだ幼い孫におじいちゃんおじいちゃんと慕われ、まといつかれる作者。「初雀」と「じいじ」の取り合わせがなかなかです。そのぶん「浸りをり」でいわゆる「孫俳句」に転落しかかったのが惜しいです。 「孫が逗留中。「じいじ」「じいじ」の大洪水。溺死しそうな毎日が続く」の作者コメントを生かし、こんな案を考えてみました。
 
【改】初雀「じいじ」コールに溺死せり
 
浸るのではなく溺死。俳味を得ればもう「孫俳句」とはいわせません。

 
 
 
【原】レジとづれば大息つきぬ去年今年
               益田隆久 

【恩田侑布子評】
 
コロナ禍の日本で、いえ世界中の小売店でどれほどこのような光景が日々繰り返された去年今年であったことでしょう。「大息つきぬ」に理屈抜きの実感があります。ただ「レジとづれば」の字余りの已然形はいかがでしょうか。「…するときはいつも」は現実に忠実かもしれませんが俳句表現としては弛みます。ここはレジを閉じる一瞬に焦点を当て定形で調べを引き締めたいです。
 
【改】レジ閉ぢて大息つきぬ去年今年

これならすぐれた時代詠の入選句◯になります。
 

【合評】

  • 年中無休が当たり前のようになった現代の小売業。サントムーンもららぽーとも大晦日元日関係ないかのように営業していました。掲句はずっと小規模な商店かもしれませんが、大晦日も営業していたのでしょう。「大息」に実感があり、レジを閉じる音とともに年が変わってしまったような錯覚が生きています。ああもう今年は「去年」に、来年は「今年」になってしまった…

 

[後記]
新年詠に際して連衆のそれぞれの思いを一部抜粋してみました。

  • 昨年の初句会で恩田代表から、新年の季題は明るく、めでたしが良しと伺った。それを基に作句・選句しました。
  • 「去年今年」が平べったく「去年と今年」「去年から今年」となってしまいとても難しい季語だと思いました。新年の明るさや喜びの句が少なかったのはやはりコロナ禍のせいでしょうか。
  • たった一語の違いで、つまらない句が活き活きと動き出すおもしろさ。日本語の素晴らしさ。
  • 年始の慶びを実感できない、表現しづらい社会状況だった。きっといまの時代にしか作れない俳句があると思うので、喧騒ややるせなさを逆手にとって、したたかに頑張っていきましょう。
  • 俳句という器のサイズと、季の中に私自身を往還させることの大切さを改めて認識出来ました。季語ともっと親しくなるために、机の上で作句するだけでなく、自然環境に身を置く事を大切にする一年としたい。

緊急事態宣言が再発令され、なかなかコロナ収束が見通せない年初です。
句座をフルメンバーで囲める日の来ることを心より願います。思う存分口角泡を飛ばしたい筆者です。    (山本正幸)

今回は、◎特選1句、○入選1句、原石賞6句、△4句、ゝシルシ9句、・5句でした。
(句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)
 

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1月27日 樸俳句会 特選句と入選句を紹介します。

 
◎ 特選
 レコードのざらつき微か霜の夜
             萩倉 誠 

特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記(霜夜)をご覧ください。
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○入選
 風花舞へり六尺の額紙
              萩倉 誠

【恩田侑布子評】
 
「額紙」は「葬式のときに棺を担いだり位牌を持ったりする血縁者が額につける三角形の紙」と、辞書にあります。私の経験したお葬式にはそうした風習はなく、初めて知った言葉です。知ってみるとなかなか迫力のある光景です。
六尺の大男の額に三角の白紙がひらひらして、そこに風花が舞うとは、きっと喪主なのでしょう。悲しみに寡黙に耐えて白木の仮位牌を胸に抱き出棺の儀式に歩むその瞬間でしょう。句またがりのリズムが効果的。
作者がわかってお聞きすると、御殿場市の田舎では1950年代まで土葬だったそうです。棺を担ぐ男たちを「六尺」といって、みな白い三角の額紙をつけて土葬の野辺まで歩いたそうです。帰りには浜降りといって、黄瀬川や千本松原で仮位牌に石をぶつけて流したそうです。日本の古い送葬の儀式の最後の証言ともいうべき大変貴重な俳句です。
 

20210110-下
           

photo by 侑布子

 
 

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