天心への旅         ―恩田侑布子「天心」を読む―

千春天心上下2

photo by 侑布子

        天心への旅
   ――恩田侑布子「天心」を読む――
                       田村千春

 旅に出ると時間の流れ方が違う。一分一秒が濃い。美しい景色をいそがしく胸に刻み込みながら、これまでの軌跡を振り返ったりもする。もしかしたら自分と向き合うために、人は初めての地を訪れようとするのかもしれない。
 俳句が詠めるまでの試行錯誤は、そうした旅と似ている。樸の会に入って、この喜びと出会った。兼題がホワイトボードに書き出されると、心ときめく。これは次の句会のテーマを指し、たいてい季語が選ばれる。新たな旅のパートナーと呼べるだろう。その日を迎え、兼題にまつわる各々の体験が披露される。選句をし、解釈を述べる。俳句を「読む」とは、「あなたはどんな旅をしてきたのですか」とたずねる行為にほかならない。
 今回、とっておきの旅を紹介したい。樸の会の指導者である恩田侑布子の「天心」――角川「俳句」2021年四月号に掲載され、樸の会では四月の句会において取り上げられた。その二十一句から、まずは「山茶花」と「寒牡丹」の冬の二句を。
 植物の句は難しい。取り合わせで作れば、ともすれば季語が動く。一物仕立てでは季語の説明に陥りがちに。それに対し、おそらく誰にも真似できない方法で挑んでいる。対象に入り込み、自分と同化させるという――鮮やかな仕上がりに、思わず息をのむ。

 山茶花や天の真名井へ散りやまず 

 「真名井」は古事記にも記載のある聖なる井戸のことで、「天の真名井」とは最高位の呼称。神々の水を賜った湧水として、高千穂や米子市高井谷のものが有名だ。遠州森町にもあるらしい。なぜか私には月光にきらめく流れが浮かび、実景か幻想かはどちらともつかない。山茶花の樹間より瀬音がこぼれている。おもむろに水面に歩み寄る作者。我が身を投影させるうち、意識はいつしか水の循環へ。すべての雫がまばゆい光となる。神の恩寵に感謝し、「山茶花」は豊かに湧き出る水のように、惜しみなく花びらを散らす。

 身のうちにほむら立つこゑ寒牡丹 

 冬の牡丹には二種類ある。春咲き品種を温室などを利用して「春が来た」と勘違いさせ咲かせているものと、春だけでなく初冬にも咲く「二季咲き」という性質を持ち合わせているもの。後者が「寒牡丹」で、冬とわかっていながら健気に花をつける。作者の身のうちの炎、葉を捨ててまで寒牡丹がからくも灯す炎、この二つを繋ぐのが「こゑ」。炎を詠み上げるのに色、揺らめき、温度、匂いを題材にするのはしばしば見かけるが、聴覚に訴えるとは――作者が炎そのものとなっている証といえよう。寒牡丹の背後に雪が見える。吹き荒ぶ雪風へ、作者の眼差しも凛として向けられ、少しもたじろがない。
 「山茶花」の句が一句目、そして「寒牡丹」の句で、冬は終りを告げる。では、つづいて春の旅へ。例えば、次の一句はいかが。

 花の雲あの世の人ともやひつゝ 

 「舫う」(舫ふ)とは「もやい」で船を他の船や杭とつなぐこと。「もやい」とはそのための綱である。強固につなぎ留められているようでいて、波に弄ばれ心許ない。まして此岸と彼岸、それぞれに浮かぶ魂を、茫漠たる境界をゆく道連れにさせようというのだ。切ない、しかし何とも美しい旅路への誘い。誰もがつい引かれてしまうのではないだろうか。今、作者はその境界――「花の雲」に身を任せたままでいたいと、ぼんやり願っている。永遠に慕い続ける相手と共有する、羊水の如くほのあたたかい空間。

 天心のふかさなりけり松の芯 

 晩春の松の芽は蠟燭のような姿で、「松の芯」として俳人たちに愛されてきた。「若緑」という季語も、松の新芽や若葉を色で表現したものである。まさに生命の色。松の芯を志に見立てる句など、清新な気配に充ちた例句がならぶ。しかし、するりとそこに入り込み空を仰いだ作品というと類をみない。小さな若芽は天心の深さに打たれつつ、よろこびに震えている。
 思えば壮大な旅は、真名井の聖なる水より始まった。その一滴から木の道管を経て花弁へ、雪へ、炎へ――自在に姿を変えてきた作者が、ついに天に至った瞬間。ここでは六句のみの紹介にとどめるが、「天心」は全句が前に述べた独自の方法に則る、記念碑的作品だ。舞台は限りなく広く、この世ならぬ場所にも及ぶ。桜の繚乱に彼岸の人との交信を果たした作者は、命のもつ哀しみや美しさと常に向き合う道を選んだのだろう。特筆すべきは、考え抜かれた並びであること。それによって生命の根源が水にあると、あらためて気づかせる仕掛けである。最後に置かれたのは、次の一句。

 山藤の帰途なき空を揺らしては 

 どうやらこの旅は終わらないらしい。道なき道をたよりなく進む。「山藤」は庭の藤よりも香りが強く、他の木々に巻き付き、びっしりと花房を垂らし、隙間に見え隠れする空までも昏ませる。猛々しいほどの美しい紫に囲まれているが、これもまた水から生まれたものである。もしここで果ててしまうとしても、出発点に帰るだけ。幽玄の美に抱かれながら、輪廻に取り込まれる幸せを甘受すべきかもしれない。恩田侑布子という無二の師により導かれる俳句の旅も、どうか永遠であれ。

 いつもの句会に向かうとき、駿府城のお堀に沿った道を歩くのが好きだ。いかにも静岡らしい道、ことに富士山が見えれば、古の人々とも気持ちが通い合う気がする。何にもまさる日本人の心の拠り所であろう。そこで「天心」の唯一の新年の季語を扱った句を掲げ、拙稿の締めとしようと思う。「初富士」がはらう雪は、作者自身が身にまとっていた雪でもある。

 初富士や大空に雪はらひつゝ 

 
           (たむらちはる 樸会員・樸編集委員)

※ 恩田侑布子「天心」21句はこちらからどうぞ
            

千春天心下1

photo by 侑布子

「  天心への旅         ―恩田侑布子「天心」を読む―」への5件のフィードバック

  1. 麗水で心が磨かれるようなエッセイです。句作を旅になぞらえる発想にも、稀有な魅力を感じさせます。何より「天心」の一句一句を適確に捉え、過不足なく自らの言葉で詠み摂っているのが、恩田ワールドのときめきを心地よく伝えていることに心酔しました。「天心」の他の句についても千春さんの鑑賞をお聞きしたくなりました。

  2. 三夢様
    つたない文章に温かいコメントを、ありがとうございます。また「天心」の尽きせぬ魅力について句会で語り合えましたら幸せです。静岡への愛慕の情を高らかに詠じた作品ともいえますよね。句座を囲むたび、恩田先生や三夢さんから産土の素晴らしさを教えていただき、私もますますこの地が好きになっております。

  3. 入会して間もない初心者ですが、恩田先生の全力投球・直球勝負の姿勢と的確な指導、温かい心遣いに惹きつけられています。
    千春さんのエッセイを読ませていただき、「偉大な師は、まっすぐな心を持った優れた弟子によって永遠に輝く」という言葉が浮かんできました。句では、5月9日の「まづ女二人ひたれり菖蒲の湯」が好きです。
    恩田先生と共に先輩の皆さんにも、一生懸命食らいついていきます。よろしくお願いいたします。
               

    1. 昌裕様
      昌裕様の「読む側の解釈により俳句は新たな生命をもつのか」といった句会での深い質問のおかげで、私も大いに勉強になっております。「菖蒲の湯」をとっていただいた時は感激いたしました。ただただ感動を綴った今回のエッセイにも、このような嬉しいコメントをくださり、ありがとうございます。

  4. 鈴置昌裕様
     全力投球で樸の句会に参加してくださり、いつも率直な意見をお聞かせくださり、ありがとうございます。昌裕さんに愛想尽かしされないように、これからもがんばってまいります。拙句をなかだちに、千春さま、三夢さま、昌裕さまと、双方向の感動の輪を広げて戴き、座の文芸のありがたさを思うばかりです。ひとりひとりの旅の景色に一瞬で招かれる俳句って、素晴らしいですね。

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