恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」を読んで

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photo by 侑布子

恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」を読んで 
 
(『証言・昭和の俳句 増補新装版』コールサック社、2021年8月15日刊) 

 本書は、前半が昭和を代表する俳人へのロングインタビューおよび自選50句(聞き手・黒田杏子、全13章)、後半が令和を生きる俳人20人の書き下ろし原稿という二部構成。
 さっそく恩田の「戦争とエロスの地鳴り – 三橋敏雄」から読み始めました。酔眼朦朧湯煙句会での交流を中心に始まり、恩田の<擁きあふ肌といふ牢花ひひらぎ>に対し、三橋敏雄が「無季にすべきだ。さらに句が大きくなる」と説く場面が出てきます。
 続いて「第13章 三橋敏雄」を読み、無季句探究の原点に戦争があると知りました。それは「無季でなければ言えない世界」だというのです。
 戦争体験者の中には当時の多くを語ろうとしない人が少なくありません。三橋敏雄も本書のインタビューの中で生々しい表現はいっさい使っていません。
 しかし、十七音の最奥からこちらを見つめるどんな感情、どんな告発をも逃さない恩田の比類なき鑑賞によって、魂は生きたいのに身体は砕け散ってしまった理不尽な数百万の死が胸に迫り、涙が溢れました。
 三十数句の「戦争の世紀を刻印する秀句」が無季、有季を問わず掲げられていますが、ここでは次の一句を挙げます。

 純白の水泡みなわを潜きとはに陥つ    『巡礼』

 第13章冒頭に、三橋敏雄の出身地 八王子は東京西部の多摩に位置し、剣術が盛んで、祖父は近藤勇や土方歳三と同じ天然理心流を習っていた、とあります。
 その道場は、現存します。もう15年くらい前になりましょうか、多摩地区実業団剣道大会五十周年を記念し、模擬刀による天然理心流の型が披露されました。
 当日、遅刻した私はすごいオーラを放つ二人組とすれ違いました。一人は銀のバレッタで長髪をまとめた細身の五十代男性、いま一人は刀を担ぎ黒髪をなびかせ颯爽と去る三十代の美女。彼らこそ、新撰組の後継者でした。
 出場選手の一人として型を目の当たりにした夫は「剣道の北辰一刀流とまるで違う。徹底的な省エネ。実戦向き。一例を挙げると、鍔競り合いになったら相手の鍔を支点に刃の向きを変え頸動脈を斬る」と驚嘆していました。
 十代にしてかなりの遣い手だったという三橋先生の御祖父様。「ただの田舎と思ってもらっては困る」という多摩の気風が、三橋先生のお心のどこかにあったりするかしら、いやいやそんな狭いお心でいらっしゃるはずないか、などと思いは巡ります。

           見原万智子(樸会員・編集委員) 
 

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「恩田侑布子「戦争とエロスの地鳴り−三橋敏雄」を読んで」への1件のフィードバック

  1. 「証言・昭和の俳句増補版」の中の恩田先生の文章を読ませていただきました。先生のお書きになられた文章は、個人的思い出に傾きがちの他の寄稿者と違って、たとえれば、三橋敏雄の俳句をラグビーのボールのように脇に抱え込んで、恩田先生自身のゴールに驀進していくような迫力があ りますね。そのことは、皆様、実際に先生の文章をお読みになって実感していただければ幸いです。
     

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