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3月5日 句会報告

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2023年3月5日 樸句会報 【第126号】  1年の区切りはいつ?と考えると、お正月より3月、4月が相応しい気がします。卒業、入学、転勤、退職、新社会人。たくさんの別れと出会いが、冬から春への季節替わりとともに、再出発にふさわしい雰囲気を生み出してくれるからでしょうか。樸にもさらに新しい会員の方々が加わり、春爛漫。4月吟行会をステップに、完成した規約の下で、恩田代表と樸の仲間が理想とする俳句の会へといっそう邁進していきたいものです。  兼題は「山笑ふ」「春の鳥」「菜の花」。特選1句、原石賞5句を紹介します。         ◎ 特選  春の鳥五体投地の背に肩に            芹沢雄太郎 特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「春の鳥」をご覧ください。             ↑         クリックしてください       【原石賞】菜の花の果てを見つけて人心地                島田淳 【恩田侑布子評・添削】  いちめんのなのはな いちめんのなのはな が七行続き、かすかなるむぎぶえ いちめんのなのはな で、詩の一聯が終わる山村暮鳥の詩を思い出します。  たしかに一見明るい「菜の花」ですが、あぶら臭い匂いと、黄と緑葉の対比に、繊細な作者はふっとひかりの牢獄めくものを感じたのかもしれません。「菜の花の果て」に「人心地」を見つけたのは詩の発見です。ただ、中七で「見つけ」たよと手の内を明かしてしまったことは惜しまれます。 【添削例】菜の花の果てに来りぬ人心地        【原石賞】もふ泣くなもふ菜の花を摘みにゆけ               見原万智子 【恩田侑布子評・添削】  歴史的仮名遣いを選んだ方は、投句する前に、面倒くさがらず辞書に当たって、自分の表記が正しいか、いちいち確かめてみましょう。「もふ」は古文では「思ふ」になります。正しい表記にすると、春のひかりに肉親の情が溶けあう素晴らしい俳句になります。   【添削例】もう泣くなもう菜の花を摘みにゆけ          【原石賞】ヤングケアラア菜の花の群れ見つめをり               金森三夢 【恩田侑布子評・添削】  菜の花は通常は一本では咲かないので「群れ」は言わでもがなの措辞です。代わりに場所を入れると句が締まります。「畦」でも放心のさまは表せますが、「土手」とすることで、健気なヤングケアラーの家庭内に立ち塞がる鬱屈と、堤防の向こうの緩やかな川の流れまでが想像されてきます。   【添削例】ヤングケアラー菜の花の土手見つめたる       【原石賞】潮風ビル風菜の花に揉みあへり               古田秀 【恩田侑布子評・添削】  言わんとするところは面白いです。ただなんとかしたいのは、字面と調べのごちゃつき感です。たった漢字一字を変えるだけで、都会の海浜部の春風を活写でき、水上都市、東京が浮かび上がります。   【添削例】海風ビル風菜の花に揉みあへり       【原石賞】仕送りのこれが終わりと花菜道               活洲みな子 【恩田侑布子評・添削】  学生時代の終わりでしょう。親からしたら長い仕送りの日々が、子としてはあっけなく終わるもの。子の立場から詠んだ句として、放り出されることの不安と解放感を口語の「これつきり」に託してみましょう。しばらく倹約しないとやっていけないけど、まあなんとかなるさ、という朗らかな現実肯定のにじむ俳句になります。 【添削例】仕送りのこれつきりよと花菜道       【後記】  春は兼題の季語も、どこかのんびり穏やかなものが多いように感じました。この季語というもの、そこに包まれる様々なイメージをたった一語で語ることができるものなのですね。俳句の専門用語で言えば「本意」「本情」。いくら調べやリズムが整っていても、季語が1句のなかで孤立して見えるような俳句は良い俳句ではない———。それが少しわかりかけてきただけでも、この半年の悪戦苦闘は無駄ではなかったかな、と思っています。前途遼遠ではありますが…。 (小松浩) 今回は、◎特選1句、○入選0句、原石賞5句、△4句、✓シルシ5句、・9句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) ==================== 3月19日 樸俳句会 兼題は「霞」「海苔」「雉」です。 入選1句、原石賞2句を紹介します。       ○入選  選挙カーにはか鎮まり雉走る                山田とも恵 【恩田侑布子評】  山村にやってきた市議か町議の選挙カーでしょう。まばらな人家に向かって名前を連呼していた大声が突然途切れます。オヤッ。鍬の手を止めると、トトトトツ。赤い頭に深緑の羽をかがやかせ、大きな雉が道をよぎってゆきます。「桃太郎」に出てくる国鳥は不変でも、日本は少子社会で衰退の一途。十年もせずに、この谷も廃村になりかねません。日本固有種の雉の羽が春を鮮やかに印象させ、思わず見惚れた放心の春昼。面白くて、やがてそのあとが怖くなります。       【原石賞】海苔炙る有明海を解き放て                林彰 【恩田侑布子評・添削】  諫早湾の開門問題は地元漁業者のみならず、全国民の長年の関心事でした。このたび、最高裁の「開けない」判決を知った作者は義憤を覚えています。ただ、原句は勇ましすぎます。俳句はプロパガンダでもスローガンでもありません。作者のせっかくの切実な思いを生かすには、語調は逆に静める方がいいのです。鎮めて祈りのかたちにしましょう。 【添削例】有明海解き放てよと海苔炙る       【原石賞】板海苔や波わかつよにはさみ入れ                山田とも恵 【恩田侑布子評・添削】  照り、コク、香りの揃った上等の海苔でしょう。手にとってつぶさに見ると、細かい繊維はたしかに夜の海原を思わせ、下半分のひらかな表記もさざなみのようです。そこに料理鋏を入れる。それだけのことですが、「波わかつよに」に詩の発見があります。上五を「や」の切字で切っているので、終止形にするとさらに句が引き緊まります。 【添削例】板海苔や波わかつよにはさみ入る     

1月9日 句会報告

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2022年1月9日 樸句会報 【第112号】 2022年(令和四年)の初句会。和服で参加された方もいらっしゃいました。 句会に先立って、新年お楽しみ福引会が行われました。恩田は染筆の短冊と特注の短冊掛のセットを出品し、ホテルのスイーツバイキング券や、竹久夢二のハンカチーフセットなど、夢のあるものが沢山。思いがけないものが当たって喜ぶ顔があちこちに…。 句会冒頭、第12回北斗賞準賞(文學の森主催)に輝いた古田秀さんへ恩田から花束が贈呈されました。恩田からの激励、会員の大きな拍手、当会で最も若い古田さんの今後への決意、と華やかな新年句会になりました。 初句会の兼題は「新年」詠です。 入選2句、原石賞2句を紹介します。     ○入選  雑煮膳娘と二人ほぼ無言                望月克郎 【恩田侑布子評】 親一人娘一人。片親の家族でしょう。お互いに「明けましておめでとうございます」とも言わないで、ただ黙って親のつくったお雑煮を黙々と食べています。胸の底では美味しいと思って、ありがたいような気がして。「膳」なので、いろどり豊かなお節料理も並んでいそうです。「ほぼ無言」が実にいい座五です。至って地味な作行に静かなお正月のしみじみとした味わいがあります。「雑煮椀」とせず「雑煮膳」としたところ、ある種の華やぎもあり、配慮が細やか。 【合評】 お正月、娘さんと向かい合っている様子が伝わってきます。これが「息子と」だったら全然違ったものになるでしょう。     ○入選  叱られたしよ筆圧つよき師の賀状                山本正幸 【恩田侑布子評】 勢いのあふれる初句の七音です。一気に真情を吐露したゆえの字余りは心臓が脈打つようでいいですね。先生の字の太くて強い筆圧は、作者にとって指導の厳しさと温かさにつながっています。師弟の間の愛情が一枚の賀状を通して確かに感じられる俳句です。 【合評】 上五の字余りが気になりました。 気持ちは伝わるが、余り新しさは感じられなかった。「先生に叱られる」という関係性がベタ。 熱血教師だったんでしょう。     【原】癖字ある友の賀状はもうこない                益田隆久 【恩田侑布子評】 ユニークな新年の俳句です。実際に会えない年はあっても、毎年、お正月には何十年も賀状で会っていた旧友です。その賀状には昔から独特の癖っぽい字が踊っていて、名前を見なくてもアイツだと、一目でわかったものです。今年の賀状の束は、めくってもめくってもアイツが出てきません。改めて本当に遠いところに行ってしまった実感がこみ上げます。ただし「癖字ある」は不自然な言い回しです。また、「友」と限定しない方が効果的でしょう。原句の口語を生かし、 【改】癖つよき文字の賀状はもう来ない こうすると余白がひろがります。   【原】凧はらからの声束ねつつ                田村千春 【恩田侑布子評】 面白い観点です。ただし、このままではリズムが弱々しく凧が落ちてきそうです。 【改】はらからの声束ねつつ凧 とすると、大空に凧が昇ってゆきませんか。 【合評】 光景がよく見えます。 下五の「つつ」と言い止して上五に返っていくところがいいと思います。 いや、「つつ」は流しすぎでしょう。 「はらから」がタコ糸の強さと合っている。 全体主義的、民族主義的なにおいを感じて採れませんでした。     [後記] 新年から活発な議論が飛び交い、いきなりトップスピードに乗った樸俳句会。 恩田の鋭く丁寧なコメントが議論を引き締めます。その一端は本句会報の恩田講評にあらわれています。句の弱点を指摘されることは参加者にとって励みになることです。 私事ですが、句作を始めて今年は8年目に入ります。以前の句と比べるとたしかに技法は上がったかもしれませんが、発想や視点などについては「自己模倣」に陥りがちであることを痛感しています。「自己模倣」から如何に自由になるかを今年の課題としたいと思います。 新型コロナウイルスのオミクロン株の感染者が急増して、いろいろなことの先が見通せません。県外の会員も含めたフルメンバーで句座を囲めることを只管祈る年始めです。  (山本正幸) ※ 樸会員によるアンソロジー「2021 樸・珠玉集」はこちらで読むことができます。 ※ 古田秀さんの第12回北斗賞準賞のお知らせはこちらです(恩田による抄出二十五句あり)。 今回は、〇入選2句、原石2句、△9句、ゝシルシ10句、・4句という結果でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)    ============================= 1月26日 樸俳句会 入選句および原石賞を紹介します。   ○入選  明け番や雑木林のライト冴ゆ               山田とも恵 【恩田侑布子評】 作者は宿直や警備などの夜勤が明けて家に帰る途中です。里山の道か雑木林の中を通る情景にポエジーがあります。曲がり角でクヌギや楢や椎の寒林にヘッドライトがさあっと差し込み、ことのほか青白い氷のように感じられた瞬間でしょう。スピード感のある光が冴え冴えと体性感覚に迫ります。「明け番」も「夜勤明け」などに比べ手垢がついていません。   【原】白さにも濃淡のあり冴えかへる                猪狩みき 【恩田侑布子評】 素晴らしく鋭い感性です。しかし、このままでは感覚の鋭さだけが主人公になってしまい、何もみえてきません。抽象的です。読者の目の前に白いものを広げて見せてください。紙や車にする手もありますが、布がいいのでは。雪では即きすぎです。 【改】白き布濃淡のあり冴えかへる 和服屋の店先で、白い絹を選ぶ時の微妙な白の濃淡と手触りを想像してもいいですし、花嫁衣装の白無垢を選んだ日の体験ととれば、さらに凛烈な印象を刻みましょう。「布」のほかはいわぬが花。   【原】家猫の帰宅はいまだ日脚伸ぶ               都築しづ子 【恩田侑布子評】 猫好きな作者は、あいつまだ帰ってこないよと、愛猫を待つともなく待っています。季語と相俟って、さりげない感情の襞が表現されかけていますが、「帰宅はいまだ」と「日脚伸ぶ」がやみくもにぶつかった感じで、嬉しいのか寂しいのか少し不安定です。一字変えればはっきりと切れが生まれ、感情の筋目がつきます。 【改】家猫の帰宅いまだし日脚伸ぶ 猫をうべなう気持ちが出て、句柄が膨らみますね。   【原】寒鯉や人待ち顔の紫煙かな                島田 淳 【恩田侑布子評】 作者は寒鯉のいる池か小川のほとりで人を待っています。所在なげに煙草を燻らせて。「紫煙」の措辞が効果的です。いかにも寒い日の午後を思わせます。水の中でじっと動かない鯉と人を待つ作者はあたかも同じ感情の中にいるように感じられます。水と空気と煙と衰えた日差しが薄い紫の帯になって棚引いています。いただけない点は「や」「かな」の初心者的二重の切字。落ち着きを無くしています。 【改】寒鯉に人待ち顔の紫煙かな こうすれば冬の午後が寒暮へうつろう様子も見えてきます。   【原】月冴えてカラカラ外れゆく琴柱                田村千春 【恩田侑布子評】 琴柱は今はプラスチック製ですが、昔は象牙や楓の枝で作られました。この句は江戸の浦上玉堂を思い出させます。岡山の上級藩士でしたが、五十歳で息秋琴と春琴を伴い脱藩。諸国を遊行しつつ中国伝来の七弦琴を奏し書画を残しました。中国文人の愛した「琴詩書画」四絶一致の境に達した日本を代表する文人です。川端康成が収蔵し国宝となった「凍雲篩雪図」は必見です。この句には玉堂を思わせるどこか脱俗の雰囲気があります。ただし、表現技法が叙述形態で流れるのが残念です。また「外れゆく」と、琴を人任せなのも気になります。 【改】月冴ゆとカラカラはづしゆく琴柱 寒月がいよいよ冴えわたると、琴を掻き鳴らすのをやめ、あとは山月にまかせます。琴柱を外したあとの琴の弦が寒月光に浮かび、余韻が深まります。    

7月4日 句会報告

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2021年7月4日 樸句会報 【第106号】   ここ何年も記憶に無い七月上旬の大雨。 被害に遭われた皆様には謹んでお見舞い申し上げます。 雨もようやく小降りになった七月四日。リアル参加とリモート併せて16名の連衆が句座を囲みました。 兼題は「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」です。 特選3句、入選4句を紹介します。  ◎ 特選  八橋にかかるしらなみ半夏生             前島裕子   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「半夏生」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  一列に緋袴くぐる茅の輪かな             島田 淳   特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「茅の輪」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ◎ 特選  言はざるの見ひらくまなこ日雷             古田秀    特選句の恩田鑑賞はあらき歳時記「日雷」をご覧ください。             ↑         クリックしてください     ○入選  雷遠く接種の針の光りけり               山本正幸 【恩田侑布子評】 貴重な時事俳句。コロナワクチンの接種をする。明日、痛みや副反応は軽くすむだろうか。本当に効くか。遠雷のひびきとあいまって不安がよぎる。日本は、世界は、今後収束局面に入っていけるだろうか。このゆくえは誰にもわからない。針先のにぶいひかりと遠雷の聴覚のとりあわせが、さまざまな感情を呼び起こします。     ○入選  かへり路迷ひに迷ひ日雷               田村千春 【恩田侑布子評】 帰りたくない気持ち。どうしたらいいかだんだん自分でもわからなくなる切迫感。日雷が効いています。絵にも描けないおもしろさ。     ○入選  白き葉のゆかしく揺れて半夏生               猪狩みき 【恩田侑布子評】 平凡という批判もきこえますが、むずかしい一句一章の俳句が、いたって素直。「ゆかしく揺れて」が半夏生のしずかさを表して、しかも清涼感がある。句に清潔なかがやきがあります。     ○入選  躙口片白草へ灯を零し               田村千春 【恩田侑布子評】 草庵の茶室での夏の朝茶。そんなに本格的でなくても、夕涼みの趣向のお茶かもしれません。躙口のあたりの小窓から漏れる灯が、露地の脇に生えている半夏生の白い葉にかがよう繊細な光景。いかにも涼し気な日本の情緒。半夏生でも三白草でもなく「片白草」の選択が秀逸です。       本日の兼題の「茅の輪」「雷」「半夏生(植物)」の例句が恩田によって板書されました。 半夏生 今回の兼題の一つ「半夏生(植物)」について、恩田から補足説明がありました。ドクダミ科の多年草。半夏生(七月二日)の頃、てっぺんに反面だけ粉を吹いたような真っ白な葉を生ずる。半化粧の意味もある。片白草。三白(みつしろ)草ともいいます。ハンゲと呼ばれるのはカラスビシャクというサトイモ科の別の植物。これとは別に時候としての「半夏生」もあり、句作にも読解にも注意するようにと、それぞれの例句を挙げて恩田は説明しました。  同じこと母に問はるる半夏生               日下部宵三  亡き人の夫人に会ひぬ半夏生               岩田元子  いつまでも明るき野山半夏生               草間時彦        からすびしやくよ天帝に耳澄まし               大畑善昭 茅の輪  ありあまる黒髪くぐる茅の輪かな               川崎展宏  空青き方へとくぐる茅の輪かな               能村研三 雷  昇降機しづかに雷の夜を昇る               西東三鬼    遠雷や舞踏会場馬車集ふ              三島由紀夫       【後記】 今回の連衆の投句には、意図せず時候の半夏生になってしまっていた句が多かったと恩田は講評しました。そのうえで特選句と入選句について、「半夏生(植物)」を素直に丁寧に描写することで、それを見つめる自分の心のあり様を読者に伝えることが出来ていると評しました。 筆者の個人的見解ですが、恩田の出す「兼題」には、初学者が句作に頭を悩ますものが必ずと言っていいほど一つ含まれています。筆者にとっては今回であれば「半夏生(植物)」であり、次回では「甘酒」がそれに当たりました。それらはこの半世紀ほどで急速に身の回りから消えつつある環境であったり生活文化であったりするものです。筆者は東京近県の郊外に住んでいますが、こうした自然環境や文化的蓄積の残る静岡に羨望を禁じ得ません。 今回、連衆の投句から筆者が学んだのは、自分の感情や意識を殊更書こうとしなくても、対象をしっかりと描写することで読む者の共感を呼び起こすことができるということです。筆者の場合、「われ」と「季物」のうち「われ」が前に出過ぎているため、感覚的に描写しやすい「半夏生(時候)」の句になってしまっていたようです。 以前の樸俳句会で、芭蕉の言葉についてテキストを用いて恩田が解説するシリーズがありました。 「物の見えたる光、いまだ心に消えざる中(うち)にいひとむべし」 「松のことは松に習へ、竹のことは竹に習へ」(いずれも「三冊子」) 初学者にとって、兼題に真正面から取り組むことが俳句の面白さを知る王道なのだと痛感した句会でした。筆者はずっとリモート投句が続いていますが、実際に句会に出られればさらに多くの薫陶と刺激を恩田と連衆から得られるのにと思う日々です。                 (島田 淳) 今回は、特選3句、入選4句、△7句、ゝ11句、・7句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)   ============================  7月28日 樸俳句会 入選句を紹介します。     ○入選  向日葵や強情は隔世遺伝               海野二美   【恩田侑布子評】 向日葵のように明るく美しく、すっくりとお日様に向かって立っている作者。でも強情っぱりなの。この一本気は大好きだったおじいちゃん(あるいはおばあちゃん)譲りよ。へなへななんかしないわ。「隔世遺伝」という難しい四字熟語が盤石の安定感で結句に座っています。十七音詩があざやかな自画像になった勁さ。     【原】ドロシーの銀の靴音聞く夏野               山田とも恵 【恩田侑布子評】 「夏野」の兼題から「オズの魔法使い」を思った作者の想像力に感服します! 主人公の少女ドロシーは、カンザスから竜巻で愛犬のトトと飛ばされます。私も幼少時、大好きな童話でした。ブリキのきこりに藁の案山子、臆病なライオンとのちょっと知恵不足のあたたかい善意の支え合い。エメラルドの都へのあこがれと、故郷カンザスへの郷愁。それら一切合財を「銀の靴」に象徴させた作者の詩魂は非凡です。ただし、表現上は「靴音聞く」が惜しい。「靴音」といった時点で、俳句に音は聞こえています。 【改】ドロシーの銀の靴音大夏野 または 【改】ドロシーの銀の靴ゆく夏野かな など、「聞く」を消した案はいろいろと考えられましょう。       【原】いつからか夏野となりし田は静か               望月克郎   【恩田侑布子評】 地方都市の郊外のあちこちでみられる憂うべき光景です。無駄のない措辞に、本質だけを剔抉してくる素直な眼力が窺えます。それをいっそう際立たせるには、 【改】いつからか夏野となりし田しづか 字足らずが効果を上げることもあります。  

8月2日 句会報告

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令和2年8月2日 樸句会報【第95号】   Withコロナの時代、リアル句会が復活して4回目です。県外の連衆は来館制限されているため少人数でしたが熱い議論となりました。 兼題は、「髪洗ふ」と「裸」です。  ◎特選1句、○入選2句、原石賞1句を紹介します。       ◎ 特選 ラ・クンパルシータ洗ひ髪ごとさらはれて              田村千春  特選句についての恩田の鑑賞はあらき歳時記に掲載しています                 ↑             クリックしてください     ○入選  立ち漕ぎの踵炎昼踏み抜きぬ               山田とも恵 自転車で出発。思わず立ち漕ぎをして急ぎます。心が逸り、炎昼も汗も眼中にはありません。私はそこに行く。まっしぐらに行くのです。もう、心は向こうにあるから。そのとき、です。炎天を踏み抜いた、底が抜けた!と思ったのです。映像を即物的に「立ち漕ぎの踵」に絞ったことが奏効しました。座五の「踏み抜きぬ」で、踵がリアルに異界に突き抜けた感じが出ています。 (恩田侑布子) 【合評】 暑さの激しさと立ち漕ぎで踏み抜くという動きの強さとがマッチしている。      ○入選  裸子の羽あるやうに逃げまはる                前島裕子 ひとは赤ん坊から幼児期に移行するほんのひととき、肩甲骨のあたりに透明な羽をつけます。まだいちども強い日光にさらされていないやわらかな肌。ふくふくした手足のくびれ。その子をバスタオルを拡げて捕獲しようとする母の、なんというしあわせな一瞬。 (恩田侑布子) 【合評】 逃げまわっている子どもの動きが見えるよう。裸であることで楽しさが増すような。 子どもの貝殻骨はよく動く。その光景がよく見えます。 「羽あるやうに」がいいですね。幼児の肩甲骨は天使の羽に擬せられますから。      【原】裸子や目に羊水の波頭               見原万智子 おかあさんの胎内の羊水にただよう胎児を裸子とみた着眼にインパクトがあります。ただ「波頭」はどうでしょうか。強すぎませんか。推敲はいろいろ考えられますが、たとえば一例として次のようにすると、羊水と母なる海とがダブルイメージとなり、内容にふくらみがうまれそうです。 【改】はだか嬰よ目に羊水のしじら波 (恩田侑布子)  【合評】 羊水を海に喩えたのですね。精神分析の世界のようにも思えます。 「生まれたての赤ちゃんの目を覗き込んだら、羊水の波頭が見えた」という風に読みました。なんだか本当の波の音も近くで聞こえているような気もします。とても詩的な光景だと思います。羊水の波頭っていいなぁ…。       披講・合評に入る前に、恩田から本日の兼題の例句が板書されました。 裸  伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸              中村草田男  はだかではだかの子にたたかれてゐる              山頭火  海の闇はねかへしゐる裸かな              大木あまり   髪洗ふ   洗ひ髪身におぼえなき光ばかり              八田木枯  洗い髪裏の松山濃くなりぬ              鳴戸奈菜  髪洗ふいま宙返りする途中              恩田侑布子  風切羽放つごとくに髪洗ふ              恩田侑布子     サブテキストとして、恩田がSBS学苑で指導している「楽しい俳句」の会員の句(2020年5月1日静岡新聞掲載)を読みました。 連衆の共感を集めたのは以下の句でした。    春の雨知らぬ男の傘がある              美州萌春  歌がるた公達の恋宙を跳び              都築しづ子  春の雨窓に小さき鼻の跡              活洲みな子  鉄瓶の湯気やはらかし女正月              石原あゆみ     [後記] やっぱりリアル句会に勝るものはないようです。合評における言葉のやりとり(ときに応酬)が次々に化学反応を起こし新しい世界が現出していく様は、まさに「句座を囲んでいる」ことを実感させるものでした。特に今回は身体に即した兼題でしたので、連衆の生活の一端が垣間見え、大いに盛り上がったのです。恩田も全体の講評の中で「選評にはおのずと異性観や恋愛観があらわれ、愉快な句会でした」と述べています。そうか、おのれの異性観・恋愛観を振り返る契機としての句会でもあったのだな…いやまだこれから異性観などを変えることができるのかもしれないなぁ…などと独りごちた筆者でした。 (山本正幸) 次回の兼題は「天の川」「門火(迎火、送火)」です。   今回は、◎特選1句、○入選2句、原石賞1句、△2句、ゝシルシ3句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     8月26日句会 入選句  兼題「天の川」・「門火(迎火、送火)」 ○入選    天の川みなもと辿る野営かな                金森三夢    それきりのをんな輪切りの檸檬かな                古田 秀        

7月22日 句会報告

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令和2年7月22日 樸句会報【第94号】 梅雨明けの好天にいよいよ夏らしさが増してきました。コロナ対策のため窓を開け放ち、大暑の熱気に包まれた句会でした。 兼題は「緑蔭」「木下闇」「瀧」です。 原石賞6句を紹介します。      【原】瀧どどど手話のくちびる濡らしをり               村松なつを 「瀧」の季語に「手話のくちびる濡らしをり」は素晴らしいフレーズ。でも、擬音語の「どどど」は内容にふさわしいオノマトペでしょうか。しかもたいへん目立っています。オノマトペは、詩なら中原中也の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」、萩原朔太郎の「とをてくう、とをるもう、とをるもう」、俳句なら松本たかしの「チチポポと鼓打たうよ花月夜」のように、鮮度とオリジナリティがもとめられます。逆にいうと、オノマトペは斬新な手応えがあったときのみ使えるもので、安易に使うものではありません。そこで一例として、こんな添削案もあります。 【改】朝の瀧手話のくちびる濡らしをり (恩田侑布子) 【合評】 爆音と無音のコントラスト       【原】泡と消ゆ瀧くゞれども潜れども               見原万智子 瀧行というわけではありませんが、瀧遊びをした体験をお持ちの作者でしょう。中七以下に実感があってリズムも夏の太陽にふさわしい健康感です。ただしこのままではせっかくの実感が「泡と消」えてしまいそう。もったいないです。素直に次のようにすると、もっともっと潜っていたくなりませんか。 【改】泡真白瀧くゞれども潜れども (恩田侑布子)   【合評】 「くゞれども潜れども」のリズムが、瀧の中でもみくちゃにされている身体感覚を表現してとても面白い。ただ「泡と消ゆ」という外側からの視点とのつながりがよくわからなかった。        【原】果てなむ渇きくちなしの花崩る               山田とも恵 くちなしの花は散る前に黄変して錆びたようになります。そこに心象が重なってくる大変面白い句です。いい得ない女の情念が匂い立ちます。ただ表現上の「なむ」と「崩る」がもんだいです。「崩る」は散るを意味し、地に落ちたら渇きは終わります。そこでまだ終わらない果てしない渇きを出すために次の添削例を考えてみました。でもお若い作者です。じっくり推敲を重ね、ご自身でさらに句を磨きあげていってください。 【改】果てなき渇きくちなしの花尽(すが)れ (恩田侑布子) 【合評】 七七五のリズムと下五の「崩る」が合っていると感じました。         【原】木下闇的外したる天使の矢                金森三夢 キューピッドの番えた恋の矢が的を外れてしまったようです。うっそうとした木下闇に墜ちた矢はそのまま拾う人もいません。原句は中七の「外したる」がもんだいです。的を故意に外した主体が失恋した作者とは別にいるようです。恋の矢が木下闇に墜落したことだけをいいましょう。印象が鮮明になりますよ。 【改】木下闇的はづれたる天使の矢 (恩田侑布子) 【合評】 外れた矢は闇に吸い込まれて見つかりそうもないし、恋の顛末も気になるし、とってもファンタスティックです! キューピッドを思わせる天使が的を外すというコミカルな感じが良い。       【原】木下闇結界のごと香り満ち                猪狩みき ものの感受に詩人の感性があります。野山に木下闇が出現したばかりの五月下旬は、たしかに何の花の香ともしれず芳しい匂いが立ち込めています。それを「結界」と捉える感性に脱帽しました。ただ一つ惜しいのは句末の「満ち」です。これこそ蛇足。俳句は説明過多になると弱くなり、省略が効くと勁くなります。把握が非凡なのです。自信をもっていい切りましょう。 【改】結界のごとくに薫り木下闇 (恩田侑布子) 【合評】 「木下闇」が香るという発想に惹かれました。足を踏み入れることを拒む「結界」のようだと。その香りには甘美にして危険なものが潜んでいるのかもしれません。       【原】口紅の一入紅し木下闇                田村千春 日を暗むまで枝々の茂る木陰で、口紅の色彩がひとしお強く感じられたという把握に感覚の冴えがあります。ただ耳で聞けば気になりませんが、視覚的には「口紅」「紅し」の文字の重なりが気になります。次のようにされると「ひとしお」の措辞が生きて、不気味な情念まで感じられませんか。 【改】口紅の色の一入木下闇 (恩田侑布子) 【合評】 木下闇を舞台装置とした愛欲を感じさせる措辞が良い。 「木下闇」によって紅さに不気味ささえ感じる。       披講・合評に入る前に「野ざらし紀行」を最後まで読み進めました。次の二句について恩田の丁寧な解説がありました。    ゆく駒の麥に慰むやどりかな    なつ衣いまだ虱(しらみ)をとりつくさず  一句目は甲州を経由して江戸に帰る道中、宿のもてなしに対する感謝を馬のよろこびに託した句。馬が麦畑の穂麦を食む情景を詠いつつ、宿にありつけた自らの姿も重ねている。二句目は「野ざらし紀行」最後の句。長い旅路を終えて深川の芭蕉庵に帰ってはきたものの、旅の余韻に浸りただぼんやりと日々を過ごしているさまを詠っている。旅の衣さえいまだに洗わず放っておいているような、快い虚脱感。 巻末には挨拶句の名手であった芭蕉の、様々な人との交流で生まれた応酬句や、芭蕉を風雅の友として称揚した山口素堂の跋文も寄せられているが、本文中では省略。「野ざらし紀行」は芭蕉が芭蕉になっていく成長段階が濃縮された紀行文であり、「風雅と俳諧の一体化」という芭蕉の文学史上の功績をつぶさに見ることができる。       [後記] アイセルが使えるようになってから3回目の句会でしたが、県外の方はまだ参加できず人数は少なめでした。会場も句会の議論も風通しがよく、自由闊達な意見が飛び交います。今回は複数の句について恩田から「修飾が多いほど句は弱くなる」と指摘がありました。言葉の修飾によって格調や巧さを演出するのではなく、季語との体験を通して身の内に湧き上がる詩情をいかに掬いとるかが大切なのだと痛感しました。小説さえも自動生成できるAI時代にあって問われるものは表現技法ではなく動機です。私たちの心を動かし句を詠ましむるものは何か、今一度振り返るべきだと思いました。(古田秀) 次回の兼題は「裸」「髪洗ふ」です。   今回は、原石賞7句、△1句、ゝシルシ7句、・13句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です) 

6月24日 句会報告

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令和2年6月24日 樸句会報【第93号】 句会場のアイセルがようやく開館。万全のコロナ対策をして、三か月ぶりのリアル句会となりました。 兼題は、「青芒」と「夏の蝶」です。 入選1句、原石賞2句、△4句の中から3句を紹介します。     ○入選  よこがほは初めての貌青すすき                田村千春 女性の恋情がひそんでいます。思う人の横顔をまともに見た初めての瞬間でしょう。青芒のひかりとの配合が初々しく青春性も豊かです。「貌」は相貌のことで人格、風格をあらわすので横顔と抵触するという批評はあたりません。 (恩田侑布子) 【合評】 素敵な恋の句。無駄な言葉が一切なく、「青すすき」で精悍さや作者の視線まで浮かびあがります。 単純な恋の感情を直接言っていない。ありがちでない表現です。         【原】壺の闇へ挿す一握の青芒               村松なつを   上五の字余りで、リズムがだれます。「の」をとれば素晴らしく格調が高い句になります。 【改】壺闇へ挿す一握の青芒 (恩田侑布子)  【合評】 よく分かる情景です。壺の闇は心の闇かもしれない。そこへ青芒を挿しこんで明るくしたのでは…。 「一握の」が効いています。詩があると思います。        【原】黒揚羽朝よりまふ立ち日かな                前島裕子 既視感があるという評もありましたが、実感があります。大切な人の命日に、朝から黒揚羽が庭に来て、打座即刻に口をついて出た句でしょう。原句はやや読みにくく感じられます。アシタよりでなく、「朝より舞へる立日」とはっきりしたほうが、亡き人の気配が返って濃く感じられそうです。   【改】黒揚羽朝より舞へる立日かな (恩田侑布子)  【合評】 立日に黒揚羽。夏の特別な日を感じます。 人の死を「黒」に託すのはストレートで、よくある気がします。     △ 年上の少女と追へり夏の蝶                島田 淳 小説的な結構をもつ句です。頑是ない少年にとって、少しだけ年上の少女は大人びた世界の入り口を垣間見せてくれる眩しい存在でしょう。「夏の蝶」という措辞によって、少女の美貌も匂い立つようです。親戚か、近所の少女か、どちらであっても、容姿の水際立った少女とあでやかな蝶を追った夏の真昼。大型の蝶はたちまち高空に駈け去り、夏天だけがいまも残っています。 (恩田侑布子) 【合評】 少年の白昼夢のようです。 甘い郷愁を誘います。夏休みに東京から綺麗ないとこが来て一緒に遊んだことを想い出しました。        △ 黒南風や日常に前輪が嵌まる               山田とも恵 「日常」という概念のことばを持って来たため、やや図式的ですが、そうした弱点はさておき、この句はたいへんユニークです。浮き上がった後輪に黒南風が吹き付けているブラックユーモア的情景に鮮度があります。「前輪が嵌まる」、端的で俳諧精神躍如。いいですね。 (恩田侑布子)      △ 裸婦像の背より揚羽のおびただし                山本正幸 映像のしっかり浮かぶ上手い句。技巧でつくっているので、ウブな感動に欠けるうらみがあります。 (恩田侑布子) 【合評】 映像の作り方がうまく、「より」「おびただし」の措辞に迫力があります。ただ「裸婦像」は好みの分かれるところではないでしょうか。 「おびただし」が新鮮です。蝶がワッと出た景色ですね。 上手いとは思いますが、なんとなくそれっぽい。手練れになっているのではないか。       披講・合評に入る前に「野ざらし紀行」を読み進めました。次の二句について恩田の丁寧な解説がありました。    白(しら)げしにはねもぐ蝶のかたみかな  牡丹蘂(ぼたんしべ)ふかく分ケ出(いづ)る蜂の名残(なごり)かな  一句目は杜國に宛てた句。杜國は富裕の米穀商で蕉風の門弟。ただならぬ感性の持ち主だったようだ。文才あり、容姿端麗。この句では白げしを杜國に比している。芥子の白がハレーションを起こし、幻想的である。別離に際して、男への恋心のこもった切ない句であるが、あまりに感情が昂り、かえって分かりにくくなっているきらいもある。 二句目は、芭蕉を厚遇した熱田の旅館主との別れを惜しんだ句である。牡丹は富貴のメタファー。 どちらも贈答句であるが、二句目は「挨拶句」にとどまっている。 芭蕉は感激屋。感情の濃密な人であった。     [後記] いつものようなお互いの顔の見えるロの字型の句会ではありませんでしたが、コロナ禍の自粛生活の欲求不満をぶつけるような談論風発の会になりました。丁々発止。このライヴ感がこたえられません。 本日のひとつの句について、恩田から「決まり切った措辞で構成されていて、パターン化の極み!」との厳しい指摘がありました。句作に際して陥りやすいところだなと自戒しました。特選・入選で褒められるのは嬉しいけれど、なぜ選に入らないのか、句の弱点や難点を教示されたほうが勉強になります。それはそのまま選句眼に直結することを痛感しました。  (山本正幸) 次回の兼題は「虹」「白玉」です。 今回は、○入選1句、原石賞2句、△4句、ゝシルシ7句、・12句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)        

5月3日 句会報告

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令和2年5月3日 樸句会報【第90号】 青葉が美しく生命力にあふれた季節ですが、今回もネット句会です。本日は憲法記念日。恩田から出された兼題はまさに「憲法記念日」「八十八夜」でした。形のないものを詠むのに苦労しつつも独自の視点に立った面白い作品が多く寄せられました。 入選1句、原石賞1句及び△6句を紹介します。    ○入選  突堤のひかり憲法記念の日                山本正幸 第九条をとくに念頭にした志の高い俳句と思います。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し…」という理想主義、平和主義を諸国に先んずる「突堤のひかり」と捉え、人類の平和のためにこの理想を失いたくない。胸を張って守って行きたい、という清らかな矜持が滲んでいます。共感を覚えます。 (恩田侑布子) 【合評】  堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。     【原】化石こふ故郷八十八夜かな                前島裕子 作者のふる里は、なんとかの化石の出土地として有名なところで、きっと作者ご自身もそれが誇りであり自慢なのでしょう。その化石と故郷が結びついたユニークさが取り柄の句です。 「望郷の目覚む八十八夜かな」という村越化石の代表句を思い出したりもしますが、と、ここまで書いて、そうか、これは村越化石を題材にした句であり、地質時代の遺骸の石化なぞではないんだとあわてて気づいた次第です。だとしたら、他人事に終わるのではなく、 【改】化石恋ふ故郷に八十八夜かな とご自分の位置をはっきり示されたほうがより力のある句になるのではないでしょうか。 (恩田侑布子)      △ お隣は実家へ八十八夜かな               樋口千鶴子 お隣さんはこぞって里帰りでがら空き、すこしさみしい、でも隣家のみんなのにぎやかな笑い声を想像してなんとなくほのぼのともしてしまう。そういう八十八夜のゆたかさがよく表れた俳句です。言外にふくよかさがあります。 (恩田侑布子)      △ 補助輪を外す憲法記念の日               芹沢雄太郎 憲法成立時のいさくさを思い、いい加減にアメリカというつっかえ棒をなくして、私たち国民の正真正銘の憲法として独立自尊させよう。という健全な民主主義への思いを感じます。 子供の自転車の補助輪を持ってきたところなかなかですが、寓喩性がやや露わなのが惜しまれます。 (恩田侑布子) 【合評】お孫さんかな、補助輪がはずれ颯爽と自転車をこぐ、自慢げな顔がうかぶ。「憲法記念の日」がきいていると思う。現行憲法が施行され70年が経過した。この日はそろそろGHQの補助輪を外し、良きものは残し、是々非々の自主憲法の制定を考える日でありたい。補助輪と憲法が響く。        △ 体幹を伸ばす八十八夜かな               芹沢雄太郎 気持ちのよい俳句です。背筋を伸ばすならふつうですが、「体幹」は身体の中心なので、こころまで、精神まで正し伸びやかにする大きさがあります。実際どのようにするのかイメージが湧けば更に素晴らしい句になることでしょう。 (恩田侑布子) 【合評】 初夏で本来なら心が浮き立つ時期・・しかしステイホームで運動不足。外出できる日に備えてストレッチ・・健全な心掛けですね。        △ 秒針の音よりわづかあやめ揺る               山田とも恵 真っ直ぐで清潔な茎と、濃紫の印象的なあやめの花の本意をよく捉えています。初夏の夜の繊細なしじまが伝わってきます。今後の課題としては、読後に景がひろがってくれるように作れるとなおいいですね。 (恩田侑布子) 【合評】あやめのピンと張りつめたような葉を、秒針の音よりわずかに揺れると表現したのが上手いと感じました。五風十雨のこの地。風も時もゆったりと流れる。心もまた静か。        △ 風呂入れ憲法記念日のけんか               山田とも恵 風呂嫌いの子がけっこういるものです。ささいもない家族の中のけんかを、大きな国家のきまりと溶け込ませて捉えたところにおもしろい勢いが感じられます。 (恩田侑布子) 【合評】 父親と息子のけんかだろうか。 改憲議論からの口論だろうか。いやいやそんな高尚な話ではない。 最後には「とっとと風呂入れ!」の親の一言で結んだケンカ。 憲法記念日という固い季語と「風呂入れ」のギャップが読み手を引き付ける。 国の行く末より家族のあしたの方が問題であり身につまされる。 堤の先端に立って見渡す光溢れる世界。日本国憲法公布の日、多くの日本人が抱いた感覚が表現されているように思いました。        △ レース編む一目の窓に来る未来               海野二美 夏に向かってレースを編み始めた作者。「一目の窓に」が初々しくていいです。しかも「未来」と大きく出た処、まさに青空が透けて見えて来るようです。 (恩田侑布子) 【合評】 お子さんかお孫さんのために何か編まれているのでしょうか。レースの網目に未来が生まれてくるという発想が素晴らしい。ただ「窓に来る」という表現が若干説明しすぎのような気もしないではないですが、どうでしょう。       今回の句会のサブテキストとして、恩田侑布子の『息の根』7句、『よろ鼓舞』7句、計14句を読みました。 連衆の句評は「恩田侑布子詞花集」に掲載しています。       『息の根』7句 『よろ鼓舞』7句         ‎ ↑       ↑        クリックしてください       [後記] 筆者にとって「憲法記念日」は自分の信条を物や景色に託してどこまで出していいか非常に迷う難しい兼題でしたが、逃げずに向き合う良い機会となりました。恩田が総評として次の言葉を寄せています。「憲法記念日の季語は、ふだん感性主体で作っている俳句の土台に、ほんとうは現代の市民としての社会性や、世界認識が必要であることを気づかせてくれたのではないでしょうか。また、八十八夜は、目に見えているのにとらえどころがないおもしろい季語で、こちらは認識というより、いっそう全人的な感性それ自体が問われ、焦点を絞ることの大切さを学ばれたと思います」(天野智美) 次回の兼題は「青葉木菟」「浦島草」です。 今回は、○入選1句、原石賞1句、△6句、ゝシルシ3句、・5句でした。 (句会での評価はきめこまやかな6段階 ◎ ◯ 原石 △ ゝ ・ です)     

6月2日 句会報告と特選句

kinpoge

6月1回目の句会。兼題は「夏の日」と「更衣」です。 特選2句、入選2句、原石賞1句、シルシ10句。粒揃いの句が多かった前回と比べると今回は不調気味。 兼題にもよるのでしょうか。浮き沈みの激しい?樸俳句会です。 高点句を紹介していきましょう。 掲載句の恩田侑布子の評価は次の表記とします ◎ 特選  〇 入選 【原】 原石 △ 入選とシルシの中間  ゝ シルシ                     ◎風立ちて竹林にはか夏日影             松井誠司 ◎先生の自転車疾し更衣             山本正幸     (下記、恩田侑布子の特選句鑑賞へ)                      〇膝小僧抱きて見る君夜光虫             山田とも恵 合評では、 「幻想的な句。ロマンティシズムも感じられる。夜光虫の青白い光が“君”という人間のかたちになってくる」 「発想が面白い」 「膝小僧を抱くのが誰なのか分かりにくい」 などの感想、意見がありました。 恩田は、 「膝小僧を抱いて遠くから好きな人を見ている。海辺には大勢の仲間がいる。あの人が好きなのに傍に行けないもどかしさ。夜光虫のブルーの光が幻想的に渚を彩る」 と講評しました。                    〇吹き抜けに大の字でいる夏日かな             久保田利昭 「こういう光景にあこがれる。誰もいないお寺かな」 という感想。 恩田は、 「天井の高い吹き抜けのフロアーに大の字で寝ころがる。高窓から午前の陽が射しており、まだ涼しい時間である。いまにもストレッチ体操でも始まりそうな健康的な感覚に溢れている」 と講評しました。                       【原】立ちこぎて夏を頬ばる男子かな              萩倉 誠 合評では、 「自転車に乗って、頬ばった夏の風はどんな味がするのだろう?」 「風を受けて爽やかな感じが伝わってくる」 「“夏を頬ばる”の措辞で採った」 などの感想。 恩田は、 「“立ちこぎて”が耳慣れない。また“男子(だんし)”がそぐわないかな」 と講評し、次のように添削しました。  立ち漕ぎの夏を頬ばる男の子かな                     ===== 投句の合評と講評のあと、いつも恩田が現俳壇から注目の句集を紹介し鑑賞するコーナーがあります。 今回は5月29日の朝日新聞紙面の「俳句時評」で恩田侑布子が取り上げた上田玄氏の俳句(『月光口碑』より20句抄出)を読みました。 はじめに恩田から、作者を取材して知り得た来歴、時代背景などの紹介がありました。 連衆からは、 「挫折していった仲間たちを想って詠っていると思う」 「同世代として共感できる句がある」 「生きていくことへの決意を感じる。自分をスカラベに擬した句に共感」 「イメージが追いついていかない」 「いちいち辞書を引かないと理解がおぼつかない」 「戦争体験者としてはやや違和感がある」 「この世代の“戦争”とは“ベトナム戦争”を指すのではないか」 「謎めいている。謎解きを読者に強いる」 「深刻すぎないか? ナルシシズムを感じる」 「やはり万人に分かる俳句であるべきだろう」 「俳句というより“詩”に近いと思う。 『現代詩手帖』に出てきそう」 「この内容を読者に媒介する人、訳す人が必要」 など様々な感想や意見がありました。 恩田は、 「多行形式という表現技法は措いて、実に深い世界である。古典の素養も背景にある。こういう句を埋もれたままにしておいてはいけない、と思った。今、俳壇が軽く淡白になってゆく中で貴重だ」 と語りました。 一番票を集めた句は次の二句です。  人間辞めて  何になる  水切り石の  跳ねの旅  塩漬けの  魂魄を  荷に  驢馬の列 [後記]  上田玄氏の俳句について、同じ時代の空気を吸ってきた筆者としては俄かには評価しがたい感じに襲われました。まさに、おのれの来歴と現在の在り方を問うものであるからです。どの句にも “祈り”(家族への、友人たちへの、時代への、そして・・)がこめられていると思います。 次回兼題は、「麦秋」と「鮎」です。(山本正幸) 特選      風立ちて竹林にはか夏日影                     松井誠司  夏日影は陰ではなく、夏の日のひかりをいう。純然たる叙景句は難しいが、技巧の跡をとどめない自然な句である。カタワカナカと6音のA音が主調をなす明るい調べも内容にマッチして心地よい。一陣の風に竹幹がしない、いっせいに大空に竹若葉がそよぎわたる。はつなつの光が放たれる里山の光景である。竹の琅玕、若竹のみずみずしさ、きらきらと透き通る日差しのなかに、読み手もいつしらず誘われてゆく。  藤枝市在の白藤の瀧への吟行と、あとから聞く。地霊も味方してくれたのだと納得。           特選      先生の自転車疾し更衣                      山本正幸  更衣の朝、通学路は一斉にまばゆいワイシャツの群れとなる。「おはよう」。背中からさあっと風のように追い越してゆくひと。あ、先生だ。作者の憧れの先生は女性だが、読み手が女性なら男の先生を想像するだろう。初夏の風を切ってゆく背中が鮮やかである。更衣の季語から朝の外景に飛躍し、はちきれんばかりの若さにあふれる。疾しと、中七を形容詞の終止形で切り、座五を季語で止めた句姿も美しい。一句そのものに涼しいスピード感がある。       (選句 ・鑑賞 恩田侑布子)